転んだからには起き上がれ

最近はタイトルから外れたブログになりつつあります・・・でも、好きな言葉なのでそのまま残しておこうかと・・・w

初めての経験

2005-11-24 02:36:00 | 介護
守秘義務があり詳しく書けないのだが、オイラは現在知的障害児のケアに入っています。
知的障害児と接すると言うことは初めての経験であり戸惑うこともありました。
接し始めて1時間もすると思った以上に大変であることに気が付きました。

まずケア当初「こちらが言うことが理解できない」
これはとても高いハードルでした。
しかし接し方にもよるが距離が近くなるとある程度は理解してくれるようです。
でもやはり理解してくれる部分はかなり少なく意思の疎通と言う部分では無理と言うほうが早いと思う。

この子へのケアは散歩(日誌上は移動介助)が中心であり、自宅が交通量の激しい道路に接しているため外に出た途端に危険と隣りあわせで、手をしっかりとつないでいないととても危険。
しかしこの子に限ってか、またはほとんどの子供がいやであろう「動きを制限される」と言う部分からかとても嫌がり手を振りほどいて走り出す。

先日の事だが、この日は養護学校から帰ってくるバスの迎えからのケアでした。
このバスを降りる場所が自宅以上に交通量の激しい場所で、もちろん降りた途端に手をしっかりつないでの移動となったんです。
しかしこの手をつないだ事が良いとは思えど後々大変な事になるとは考えもしなかったですよ。

大変な事と言うのは手をつないで歩き出したのですが、外に出たのが嬉しいらしくやはり走り出す。
言っても理解はできないのは承知だが条件反射からか「危ないよ」と言う。
やはり理解してくれなくそのまま手をつないだまま走っている。
その時、その子がつまずき転倒してしまう。
つないでいない右手を反射的に地面につくが、つないでいる手のほうがつけなかった様で顎を道路に打ってしまった。

擦り傷だけならたいした事はなく終わったのだが、打ってしまった為にその夜に腫れてしまったらしい。
お客様に怪我をさせてしまったのは初めてでさすがにちょっと慌ててしまいました。
帰ってから状況を母親に説明したのだが歯切れの悪い返事でしたね。

次の日に事務所から電話があり病院に行きたいが用事があり行けないというクレームの電話があったと言われたのです。
そしてそこまでの話はしてないが、この後の電話でそのような話になった場合に時間があれば連れて言って欲しいとの事でした。
もちろんOKとの返事をしました。

しかし次に電話があったときには病院は行かなくて言いとの事でした。
次の日にケアに入っていたので気まずいなぁと思いながらも自宅に向かい玄関を開けると思ったより怒った感じはありませんでした。
逆に「変な事になってしまいごめんなさいね」と気を使わせてしまったようです。

理由を聞くと腫れたので心配になったそうです。
その転んだときの状況をよく話をしなかったオイラに責任がある事を話て深く謝りました。
その後は特にシコリもなく接してくれているのでありがたいと感じます。

今回は転んだときにすぐに母親に電話しなかった事、その時の状況をよく説明しなかった事、帰った後に不信感を与えないように良く話をしなかった事が反省しなくてはいけない部分だと感じました。

人命の尊さ

2005-11-12 01:06:48 | 日記
以前書いたと思うんだけど友達でAさんと言う人が居ます。
この人は膵臓癌で余命一年と宣告されたそうです。
最近自分で命を絶とうとしました。

しばらく連絡が無いなぁと思い、その友達にメールで確認したところ、少しの間連絡ができないって言ってたよって言われました。
連絡がなくなる前に嫌な感じはしていましたが、まさかそんな事をするとは思ってもいませんでした。

Aさんから連絡が来て初めて命を絶とうとした事や子供の事やそこに至るまでの経過を聞くことができました。
強いと思っていても一瞬にして弱い部分が突出し、それに負けてしまうんだなぁと感じました。
今は元気も取り戻し前向きな生き方をしています。
ただ、これも状況によってはまた同じようなことを繰り返すのだろうと思いますが・・・

子供が居るのにその子の為には頑張れないの?と聞くとその時はそんな事を考える余裕が無かったと言いました。
考えてみりゃそーですよね。
命の時間に限りがあるんですから。。。

何度も転んでは起きて、起きては転んでを繰り返し、自分の中で戦って生きていく事はAさんの場合すごく大変です。
考えることがたくさんあってやらなくてはならない事がたくさんありその為には遠回りできないことが多いのですよね。

オイラだったらそれには耐えることはできないと感じました。

やはり強いですよ・・・

全員がとは言いませんが人は人に助けられながら生きていくでしょう。
寄り添いお互いに支えあいながら生きていくことができる人が見つけられるのは簡単なものじゃありませんしね。

オイラはそれに失敗しています。
今はあまりそのような人を探そうとも探したいとも思いません。
人に支えられながら生きていくのはオイラには苦痛なのかもしれません。
オイラには人を支える力もありませんし、人の人生を背負って生きていく事はできないと感じます。

この話を以前の彼女に話したことがあります。
今はニューヨークに住んでいるのですが、この話をしたときに「自殺なんてしないでね」と言われました。
彼女の友人で同じような言葉を口にした人が居たそうです。
居たそうですという言葉からわかるようにその方は今は死んでしまったそうです。

近いうちにその子と会う予定なのですがどんなに成長したのでしょう。
以前は子供のような考えで子供のように無邪気な行動だったのですが、電話で話すその子はあの時の数十倍大人になっていました。
逆に言い聞かせられたりします。
やはり人って住む環境によって変わるもんですね。

死という物を間近で感じたいのであればそのような場所に行くことを薦めます。
オイラはベトナムやカンボジアでそれを見てきました。
人の命の重さは同じなのにベトナムでとある現地の人に言われました。
「ここじゃ人の命は軽いんだよ」・・・・
正直ショックでしたね。。。

ひっさびさ~!

2005-11-05 22:54:49 | 日記
本当に久しぶりにHさんと会いました。
このHさんですが水物ではオイラの師匠に当たる方です。
水のいろはから教えていただき、それと同時にアピストと呼ばれる南米に生息する小型の魚の事を教えていただきました。

その時に銀座松坂屋にあるショップに連れて行ってもらい店主を紹介してくれました。
そのとき買ったのが、うろ覚えであるが「Apistoguramma agassizii “Tefe”」だった。
と、同時にCryptocoryneを何点か物色した。

その帰りに池袋東武百貨店にあるショップもにも寄り、そこでもUさんと言う方を紹介していただいた。
今じゃそこがメインになっていて水草や魚などは池袋で買うことにしている。
今回もホワイトシームなるアピストを買ってしまった(w

他にも欲しかった魚が居たがタンク(水槽)を作らないと入れる所が無いので今回は見送った。
タンクを作るって言うとなじみの無い人にはピンと来ないかもしれない。
実際にはタンクを作ると言うか水を作りその水質を安定させることが大事で、この安定した水ってのは薬を使ったりすればいいってもんじゃない。

まぁ、これは賛否両論があるが、オイラの中では薬を使った水質の安定は好きではないのでこんな言い方をしてしまう。

以前、アピストではなDicrossus属の魚にはまり夢中で捜し求めたものだった。
この魚だが、幼魚のときはあまりパットしないのだが、飼い込むうちに素晴らしい変化を成し遂げる。
鰭の伸びや体色の変化など飼い込めば飼い込むほど期待を裏切らない変化をしてくれるのだ。

これはアピストと言われる魚も同じであるが、オイラ個人の意見ではあるのだがアピストの本当の醍醐味は子育てをすると言う部分である。
母親が泳ぐとその下を幼魚達が追って底砂を這うようにまたは飛び跳ねるようについて回る姿は何時間見ていても飽きることは無いであろう。

ここ1~2年は仕事が忙しく魚の飼育をあきらめていたのだが、ここにきてまた無性に飼育をしたくなった。
で、今回の衝動買いになってしまったのだ。。
また時間とお金に余裕があれば買い足そうと思う。

しかし、本当に楽しい一日になりましたよ。

あ、そーそー、書き忘れるところだった。。。

その池袋東武だが、一角に魚釣りのコーナーがあるのだが、ここでHさんと勝負をするためと言う目的もあった。
以前はオイラが勝利!
今回はオイラが49匹Hさんが60匹オーバーで完敗してしまった・・・くやしい。。。

でも、あの勝負してるときの二人は殺気立っててある意味営業妨害かも(w
Uさんも釣り勝負をするって事で200匹に増やしてくれてたそうな。
その半数以上を二人で釣っちまうってどんなんだか(w

帰りに「Cryptocoryne thwaitesii “Debarawewa”」の増殖株をいただいて帰宅しました。
これ高級な水草なんですよ・・・

Hさんありがと~!