テレビ東京系列の人気番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」。2007年にスタートして以来、旅を続けてきた俳優の太川陽介さんとタレントの蛭子能収さんのコンビが今年1月2日、通算25回目の放送を最後に番組を卒業した。太川&蛭子コンビ最後の旅は、福島県の会津若松市から秋田県の由利本荘市を目指すコース。3泊4日という制限時間の最終日、山形県のJR余目駅で、土休日ダイヤの壁に阻まれ、残念ながらギブアップとなった。一般にあまりテレビには登場しない路線バスにスポットを当て、高視聴率番組に育ててくれたお2人に「お疲れさまでした」と伝えたい。春から始まるという新たなシリーズを楽しみに待ちたいと思う。

「路線バスの旅」を楽しむことができた時代

ところで、番組の人気とは裏腹に、「地方の路線バスを乗り継いで旅をする人は一向に増えない」と、多くのバス事業者が口をそろえる。それはきっと、この番組の魅力がアクシデント、つまりコースミスや乗り遅れで生じるドタバタにあり、鉄道の旅番組のように、車窓の美しさや絶品グルメではないことに起因すると思われる。熱湯風呂に浸かったプロの芸人のリアクションはおもしろいが、自分が熱湯風呂に入る人はいないのと同じ理屈だ。

路線バスの乗り継ぎによる旅が思うように進まないのは、地方のバス路線が随所で寸断され、うまくつながらないことが大きな原因である。特に県境や市町村の境では、バス路線が途切れていることが少なくない。ではなぜ、地方の路線バスはこのような形になったのだろうか。

筆者が雑誌などで路線バス乗り継ぎの旅を企画するようになった1980年代、地方のバス事業者には“国道線”などと呼ばれる幹線があり、エリア内の主要な町を結んでいた。そうした路線は本数も多く、乗り継ぎを重ねて効率的に長距離を移動することができた。

国道117号ですれ違う越後交通と長野電鉄の急行バス。両社の相互乗り入れで越後湯沢駅と野沢温泉を結んでいた(写真:1986年筆者撮影)

たとえば、「信濃川バス紀行」と題した旅では、信濃川河口に近い新潟市の新潟交通入船営業所から、千曲川源流の山並みを望む長野県小海町の小海線松原湖駅まで、1泊2日で路線バスを乗り継いだ。途中、信濃川が千曲川と名を変える飯山線沿いでは、越後交通と長野電鉄のバスが相互乗り入れしており、難なく県境を越えることができた。これは決して特別な例ではなく、当時は全国各地で、こうした乗り継ぎの旅を楽しめたのである。

バス路線に並行する国鉄線は当時、数時間に1本、のんびりと普通列車が走るようなダイヤだった。このため運行本数が多く、きめ細かく停車する“国道線”のバスには、多くの利用者がいた。しかし1987年、国鉄の分割民営化が行われると、JR各社は積極的な営業施策を展開。地方路線においても列車のスピードアップや増発、等間隔ダイヤの設定、新駅の開設などが行われた。機を同じくして過疎化と急速な少子化が進んだこともあり、“国道線”の利用者は激減。毎年のように減便を繰り返し、やがて姿を消していった。

“国道線”の中には“特急バス”や“急行バス”の名を持ち、主要停留所だけに停車しながら都市間を結ぶ長距離路線もあった。大きな町では、ローカルバスと相互に接続している例も見られた。しかし1990年代になると、支線クラスの高速道路網が充実。“特急バス”や“急行バス”は次々に高速バスへ生まれ変わっていった。山形〜酒田、いわき〜郡山〜会津若松、広島〜出雲市、広島〜浜田、高松〜徳島、松山〜高知、熊本〜長崎などの路線が、その役割を高速バスに譲って消えた。

バス業界の規制緩和で路線廃止が進む

今は富山駅から放射状に路線を延ばす富山地鉄バス。かつては泊〜黒部〜魚津という北陸本線沿いの路線があった(写真:1992年筆者撮影)

残ったバスは鉄道線の駅を起点に、放射状に延びる短距離路線が中心となった。利用者の目的は自宅と町の中心(病院、商業施設、高校、駅など)との移動なので、町の中心で他のバスに乗り継ぐ人などほとんどいない。また、市町村の境、ましてや県境を越えて隣町に行くニーズもほぼ消滅したのである。

2002年に国は乗合バスの規制緩和を実施。高速バスなどのドル箱路線に競合が現れ、その収益により不採算路線を維持する図式が崩れた。参入と同時に撤退の要件も緩和されたため、不採算路線の廃止がさらに進んだ。

代わって住民の足を確保するため、市町村によるコミュニティバスの運行が活発化する。コミュニティバスのほとんどは、路線がその市町村内で完結。限られた車両・人員で市町村内全域にサービスを提供するため、週に数日だけの運行系統や、集落を結んでぐるぐると迂回する系統も少なくない。それはもう、よそ者が旅に使えるようなバスではない。

熊本から世界遺産の三角西港を経て天草諸島に向かう産交バス「快速あまくさ号」。いまや貴重な一般道経由の長距離バスである(写真:筆者撮影)

一方で、1980年代に比べて格段に進歩したのが、路線・時刻の検索手段である。1980年代、筆者は旅のプランニングにあたり、事業者に電話で路線やダイヤを確認したり、時刻表をFAXしてもらったり、事業者が市販する自社の時刻表を郵送してもらったりした。しかし今日、ほとんどの事業者が自社のホームページを持ち、パソコンかスマートフォンさえあれば、全国のバス時刻を検索できるようになった。先のたとえでいえば、いい湯加減だった風呂は熱湯風呂に変わったが、予め温度を測ったり、差し水をしたりするツールは手に入ったということだ。太川&蛭子コンビの旅がうまくいかないのは、番組のルールとして、そのツールの使用を禁止されているからである。

せっかくバス旅の番組が高視聴率をとっているのだから、視聴者のみなさんにはぜひ、検索ツールを駆使して実際に路線バス乗り継ぎの旅を楽しんでいただきたい。そこで、いまも県境を越える路線バスの旅が楽しめる、いくつかのルートをご紹介したいと思う。

京都と滋賀の府県堺で乗り継ぎを楽しむ

石川県加賀温泉郷の片山津・山代・山中温泉と福井県の曹洞宗大本山永平寺を結んで、京福バスの「永平寺おでかけ号」が走る。1日1往復だが、温泉発が朝、温泉着が夕方なので、永平寺参詣に便利。筆者は1990年代、「おくのほそ道」を路線バスでたどる連載を持っていたが、すでにほとんどの県境で徒歩連絡を強いられた。そんななか、当時から今日に至るまで、芭蕉の歩いた道のりに近いルートで走り続けている貴重な路線といえる。

1本の路線ではなく、乗り継ぎを楽しみたいという方には、京都と滋賀の府県境の旅がおすすめ。京阪電車の出町柳駅と滋賀県高島市の朽木学校前を結び、毎年3月16日〜12月15日の土休日に1日2往復、京都バス〈10系統〉が走る。高島市内にはJR湖西線安曇川駅に発着する江若交通のバスが毎日、およそ1時間おきに運行されている。京都駅〜出町柳駅〜大原間には京都バス〈17系統〉が頻発しているので、三千院や寂光院を散策したのち、滋賀県側に抜けてみるのがよいだろう。

 

小菅の湯に並んだ西東京バスと富士急山梨バス。両者を乗り継ぐことで、奥多摩駅から大月駅までのバス旅を楽しむことができる(写真:筆者撮影)

首都圏では、東京と山梨の都県境を越える旅が楽しめる。JR青梅線奥多摩駅と山梨県小菅村の小菅の湯の間に、1日4往復運行される西東京バス。山梨県東端の小菅村は多摩地域の生活圏に入っており、青梅線と村を結ぶバスは大切な村民の足である。一方、小菅村とJR中央本線上野原駅の間には、新緑・紅葉シーズンの土休日に2往復、富士急山梨バスが走り、登山者などに利用されてきた。さらに、2014年に開通した松姫トンネルを通り、小菅の湯〜猿橋駅〜大月駅間の3.5往復(土休日は3往復)が新設された。これにより、奥多摩湖畔を散策したり、小菅の湯に浸かったりしながら、奥多摩駅〜大月駅間を年間を通じて毎日、旅することができるようになった。

沿線人口の減少が続く地方のバス路線に、旅人の利用は貴重な運賃収入をもたらす。この春、あなたも路線バスの旅に出かけてみてはいかがだろう。


バスの旅、自分は鉄道ファンだけど、地域密着系だから好きだなぁ。