カアちゃんは相変わらず酒乱だしね。(^o^)
カアちゃんは相変わらず酒乱だしね。(^o^)
朝の8時で汗がダラダラ。(^_^;)
昼ごはんはコンビニで冷やし中華をメインに。
〈人生これから! シニア情報館〉 怒りに任せない 2018年5月30日
シニアライフアドバイザー 松本すみ子
近頃は“キレる中高年”が増えていると話題です。確かに、お店や駅、病院などで怒鳴っている光景を目にするのは感じのいいものではありません。
あるツアーで海外に行った時のこと。参加者の高齢男性が、添乗員に大声でクレームを述べていました。大勢の人が遠巻きに眺めていても、お構いなし。もはや引くに引けず、自分でも止めようがない様子でした。
昔から「好々爺」という言葉があります。人生経験を重ね、酸いも甘いもかみ分けて多少のことには動じない、穏やかなお年寄り。高齢者の理想像です。
年を取ると、誰でも“そこ”に近づくと思っていましたが、現実はそうでもないようです。キレるほどではないものの、私も若い頃よりはイラっとすることが増えたような気がします。どうしたものでしょうか。
最近、「アンガーマネジメント」という言葉を知りました。アンガーは怒り。怒りの感情が生まれたら、それを自覚して自分なりに冷静に分析・判断し、怒りに任せた行動をしないための技術のことです。
何やら難しそうですが、訓練すれば誰でもできるようになるとか。怒りのまま行動すれば、相手を傷つけるのはもちろん、自分も自己嫌悪に陥りかねないので、今からでも、学んでみる価値がありそうですね。
ただし、言うべき時は言った方が良い場合もあります。自分が「キレた」と思われたくないからといって、何事にも黙ってしまうのは避けたいところ。
一度、冷静に分析・判断した上で、意見を収めるか、または別の方法をとるか、理路整然と語るべきか。どれがいいか見極めが悩ましいものですが、事情をよく聞いてから、時にはきちんと怒り、その理由とともに伝えなければならないこともあるでしょう。
それも、年長者の大切な役割ではないかと思うのです。
確かにここのところ、ちょっとしたことで怒ることが増えたなぁと感じるよなぁ。
別の仕事が入ったために食べられなくなり、こちらに回ってきた。
この手の弁当って、ご飯がベチャベチャで、柔らかいご飯が苦手なオレには向いてない…という記憶があるんだよねぇ。
今回は仕方なく…という体で食べたんだけど、おおっ、数十年ぶりに食べる宅配弁当は(当たり前だけど)進化していたよ。
これなら本社勤務の時には頼んでみてもいいかも。(^^)
以前は紅茶だったんだけど、トラック運転手になってからはアップルティー。
それもたまたまスーパーで買ったクルーガーのものが気に入ってこの1年愛飲してきた。
…けど、ちょっと浮気して名糖を買ってみたよ。
まだ飲んでないけど、明日から変えてみる。
さてさて糖分とか、どうかなぁ。(^^)
うわっ!しょっぺぇー ‼
これは日本酒とかご飯に合うよねぇ。(^_^;)
でも今日の新潟は最高気温 31.5度だから、合わせるのはチューハイ…だったりして。
でもとにかくウマウマに感じるよー。
これからの汗をかく季節、肉体労働するオレには、この塩分がいいねぇ。(^o^)
〈幸齢社会〉 オジサンの「孤独」が危ない
2018年5月30日 聖教新聞
オジサン研究家 岡本純子さん
孤独は、たばこや肥満よりも病気になりやすく、日本の中高年男性が危ないと語るコミュニケーションの専門家・岡本純子さん。著書『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書)が話題です。男性には少し耳が痛い話ですが、岡本さんに孤独の解消法を聞きました。(写真は本人提供)
近頃は医学的な研究でも、心疾患や精神疾患のリスクを高め、認知機能が衰えることも明らかに。孤独は“万病のもと”と憂慮され、英国では今年1月に「孤独担当相」の新設が公表されました。
欧米に比べ、日本では「おひとりさま」の言葉に代表されるように、孤独を肯定的に捉えるケースが目立ちます。否定的な捉え方は「孤独死」くらいでしょうか。
孤独には、独居など物理的な孤立と、ロンリネスと表現される主観的な思いの、二つの意味があります。問題は、後者の“頼れる人がいない”などの精神的なもので「1人=孤独」ではありません。
誰かと一緒だが孤独な人もいれば、独居だが人と交流し孤独を感じない人もいます。ただ、日本は友人との交流が少なく“世界一孤独な国民”とも。福祉などが恵まれていても、幸福度は高齢な人ほど下がる傾向で、中年期が最も不幸で高齢になると幸福度が増す欧米とは違います。
要因には、ボランティア活動や地域での人とのつながりを示す「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」の数値が、日本は低いことが挙げられます。幸福と健康に影響する注目すべき点です。
働き盛りの男性会社員に尋ねると、「仕事以外で人との付き合い方が分からない」という人も。経済的な理由より“定年後の孤独”が怖くて、いつまでも働きたいと考える人もいます。たとえ「仕事が生きがいではない」と働いてきた人でも、いざ退職すると「何を目的に生きればいいか分からない」と途方に暮れる人が少なくないのです。
一方、妻は地域に密着して暮らし、夫が定年を迎える頃は習い事や趣味なども充実。親しい“頼れる人”の数は、夫の何倍もいるもの。そんな中、退職後の夫が頼りにするのが妻だけでは、夫婦関係も危うくなるでしょう。
退職して職場を失い、家庭にも「居場所がない」と嘆く男性たち。現役時代、会社は“社会の一部”だという認識が甘く、社会にいたつもりで“会社にいただけ”だったのかもしれません。
今からでも、地域やコミュニティーで、勤務先や肩書を言わずに自分が何者かを表す練習を始めましょう。便利な「名刺」は使わないように。
例えば、サラリーマン経験者は名刺がないと自己紹介ができず、「私は〇〇している(してきた)者です」と説明しても、相手が「だから?」と思う言い方が多いです。
コミュニケーションの基本は、相手に対して自分は何ができるのか――一方的な自己紹介ではなく“思いやり”が大切です。模範にすべきは、喫茶店や道端で展開される、中高年女性たちの何げない会話。どんな話題でもお互いに共感し、褒め合い、おしゃべりを延々と楽しんでいます。
とかく男性は、何か目的があって会話しますが、女性は話すこと自体が目的のようなもので、高いコミュ力の表れです。人とつながるのが不得手な男性は“オバサン化”することこそ、孤独を解消する処方箋といえるでしょう。
おしゃべりが苦手な男性は物作りや運動、趣味等のコミュニティー参加から始めてもいいですね。自ら「夢中になれるもの」「得意なもの」や「社会が求めているもの」を基にすれば、人とつながるのは難しくないでしょう。
コミュニケーションとは、サイエンス(科学)であり、アート(芸術)であり、スポーツのようなもの。学校で、「読む・書く」は教わっても「話す」教育を受ける機会は少なく、上手にできなくて当然です。少しコツを覚えたら自分らしくでいいのです。
最近、高齢者の孤立を防ぐ「サロン活動」が各地で活発です。でも、参加者の大半がオバサン。勝手なお節介ですが、オジサンたちも人とつながって生き生きしませんか。
自分は大丈夫だと思うけどね…って、この考え方が危ない!