平成11年3月24日午前0時50分。能登半島沖で不審船を追跡していた海自イージス艦「みょうこう」に、首相官邸から史上初の「海上警備行動」発令が伝えられた。

 当時、1等海尉で「みょうこう」航海長だった伊藤祐靖(52)ら乗組員は、不審船の船尾に観音開きの扉があったことから、北朝鮮工作船と断定。船内に拉致された日本人が乗せられている可能性が高いと考えた。伊藤は今でも心の内を覚えている。

 「扉の奥へ無理やり引きずり込まれる日本人の姿が浮かんだ。血が逆流するような、どうにも抑えきれない激しい感情がわき起こっていた」

 停船を促す射撃を無視して着弾の水柱を避けながら逃亡していた不審船は、日本海のただ中で突然停止。伊藤は装備も訓練もない立ち入り検査隊を送り出すことになった。だが、不審船が再び動き出したため船内捜索は行われなかった。

 そのころ、自衛隊レーダーは北朝鮮から飛び立ったミグの機影を捕捉していた。日本側からも空自機が発進。当時、作戦管制業務についていた元幹部は「一触即発の状態だった」と振り返る。最終的に政府は不審船追跡の中止を決断した。武力衝突に発展する危機を回避する措置だったとみられる。

 平和に安住する日本に衝撃を与えた能登半島沖不審船事件。仮に船内捜索に踏み切っていた場合、実際に何が起きたのかを推測するのは難しい。一つ言えるのは、海自司令部から「拉致被害者を発見したら救出せよ」との命令は出なかったという事実だ。

 伊藤は「政府・防衛省には、拉致問題に自衛隊を活用するという発想が、そもそもないからだ」と理解している。その上で、拉致被害者が乗っていたかもしれない船を見送ったことについて「生涯忘れられない」と話した。

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 北朝鮮工作船追跡の後、伊藤は特殊部隊「特別警備隊」の創設に力を注いだ。退官した現在、陸自の特殊部隊「特殊作戦群」の初代群長で元1等陸佐の荒谷卓(57)とともに、拉致被害者の救出運動にも携わる。今も日朝交渉は進展せず、北朝鮮の軍事挑発は続いている。

 荒谷らは、政府が拉致被害者救出を「最優先の課題」としてきたにもかかわらず、自衛隊の役割について政府内で議論されていないことに疑問を感じてきた。

 自衛隊が北朝鮮に乗り込み、武力を行使して拉致被害者を奪還するというのは非現実的だとしても、「軍事オペレーション以外の場合であれば検討する余地がある」と荒谷は指摘する。

 最近、それをテーマとする共著「自衛隊幻想」(産経新聞出版)の中で、北朝鮮での有事の際に「自衛隊はどのように働けるか」という設定のシミュレーションを示した。

 北朝鮮国内が騒乱状態となったという想定のもと、イージス艦やヘリ空母などを動員。法務省や外務省の職員、通訳らを邦人監禁現場まで運び、被害者の身元を確認して出入国管理手続きをとる。最終的には、自衛隊特殊部隊が公務員らを含む全員を北朝鮮沖に停泊した拠点(ヘリ空母)に輸送する−。

 ただ、軍事作戦による「奪還」以前のレベルにもかかわらず、既にいくつもの問題点が浮かんでいる。

 そもそも現行法では、自衛隊が現地に入って邦人を捜索する権限はない。このため外務省職員があらかじめ、対象邦人の居場所を確実に把握していることが必須だが、それが可能なのかどうか。輸送途中に邦人や公務員らに死傷者が出た場合、政権はどう対処するのか。

 荒谷は政府として詳細な検討が必要だと指摘し、こう語った。「拉致問題で自衛隊の運用の可能性を排除するのは、国民の生命を保護する責任がある政府として、怠慢だといわれても仕方がない」

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 日本では平成27年、安全保障関連法が可決。自衛隊の任務に「救出」が加えられた。従来、正当防衛や緊急避難に限られていた武器の使用が、邦人輸送時に攻撃を加えてきた武装集団を排除する場合にも可能となった。

 だが、その任務には現在も「拉致被害者の救出」が明示的に含まれていない。「自衛隊は法律で動く」(荒谷)ため、明文化されていない任務に自衛隊が取り組むことはない。

 武装工作員が海岸線から邦人を連れ去る拉致は、特殊部隊によるテロ行為であり、一種の「軍事作戦」ともいえる。憲法9条の制約ゆえ、事実上、これに対抗する物理的手段を持たない日本は「普通の国」とは呼ばれない。

 米国はこれまで、海外で監禁された自国民を特殊部隊で救出する作戦を実行してきた。荒谷は「日本もせめて拉致問題を安保上の問題と捉え、自衛隊に何ができるかを検討するべきだ」と訴えている。=敬称略(加藤達也、中村昌史)


カミさんは、めぐみさんが通っていた中学の隣りの校区だったから、もしかするとカミさんが拉致されていたかもしれないんだよね。

自分は、めぐみさんと同じ歳だし、早くご両親のもとに帰れることを祈っているよ。 

それにしても、北朝鮮の傍若無人は何とかならないんだろうか。