オ リ メ ガ。

萌え専用ブログ。ほぼBASARA3の石田三成に陣地占領されてます(笑)。

悪影響(笑)

2010-10-16 | 戦国BASARA(ゲーム)

西軍にいたら、ユッキーもちょっと変な影響を受けてたりするかも、とか思って描いてみた。
佐助が心配して飛んできそう。
「ちょっと~、うちのダンナに悪影響およぼすの、やめてくんない?」
「・・・知らん」
みたいな会話がされつつ、ソッコー連れて帰りそう(笑)。西軍脱退。
ってか、ユッキー西軍入る理由が政宗殿と戦えるなら喜んで~っみたいな(笑)カンジだったし
そもそも石田に協力するっていうアレじゃないのが笑える。
(↑石田が上田城攻めしてる時の会話ね。ユッキーが関ヶ原に行くバージョンでは「たのもー!!」
とか(笑)言っていきなり西軍の門を叩く)



↑こっちはさすがに斬滅じゃないよな(笑)。そこはウツラナイだろうと。

色んな意味で3はちょっとバランスが取れなくなって来てるよねぇ。
ユッキーの性格からしたら、フツーに好青年(笑)な家康に協力しないっていう頑なな態度を
取り続けるのは変だし、いつかまたやりあう時が来るみたいなのもちょっと想像しにくい。
ああ見えて実は家康に2面性があって・・・とかなら良かったのに。
実際に史実では家康が豊臣の五大老(しかも筆頭)だったのに裏切ったのは事実だし。
遺言で後継者の息子(秀吉の)を頼むよ、って言われたにもかかわらず。
そーゆー部分をまったく反映しないまま中途半端に史実に沿ってるからアレなんだよなぁ。
しかも中途半端に”いいヤツ”な家康だから、矛盾が多い。
「私からすべてを奪った貴様が、絆の何を説く!」
って石田が言ってることがまさにそのとおり過ぎて、絆を連呼するたびに首を傾げざるを得ない。
大勢の民の平和な暮らしのために多少の犠牲はやむを得ない、っていう考えなら
最初から石田との友情や絆は切り捨てていたことになる。
せめてそれなら最後に、ここまで来る間に出会った新たな絆はどうする?って石田に問うて
ほしかった。どうやって生きたらいい、って嘆く石田に、その新たな絆を糧に生きたらいいと
言ってほしかった。
そのためにもやっぱり島左近は居た方が良かったなぁ。
報酬はいくらでも出すから私に仕えろ、みたいな出会いから始まって家康との決着をつける
までの間に関係がだんだんイイものになっていけば、まさに絆につなげられるじゃん(笑)。
島津義弘の方が家康よりよっぽどイイことを言ってるよ。なぜ石田に付いたか家康に問われて
「しいて言えば未来の有無」と答える島津さん。
当然、未来があるのは家康の方で、未来があるはずの石田は生きようとしていないからだと。
若い命をムダにしたくない、だから自分が力を貸すんだと。
復讐なんか捨てて生きて欲しいと言い続ける島津の言葉が胸を打つ。
家康と石田どちらかが死ぬ結末以外に、第3の結末(和解するとか)もあってほしかったなぁと
思う。BASARAワールドは史実と違うんだから(笑)さぁ、何度も言うけど。みんな生きてたって
いいじゃん。
伊達が天下を取ったってイイじゃん(笑)よ、もうさぁ、とか思うワケですよ。
・・・なんかマジメに愚痴ってしまった。
そんな石田に「生きろ」とギアスをかけたい、今日も石田が大好きな残念すぎるオトナ(笑)でした。

※戦国無双って知らないんですけどあっちでは三成と左近なんですね。大谷がいない(笑)。
陣羽織の襟が似てるなと思ったけどそれ以外は全然デザインが違うんですね~。
性格とかはBASARAの石田はほぼ史実どおり(笑)。私が持ってる本には機嫌が悪い時の
石田をあしらえるのは家康と前田利家くらいだったとか書いてある。
大谷は家康とも仲が良かったらしく、石田側に付いたのを家康がひどく驚くほどだったとか。
大谷と石田は豊臣の側近として共に歩んできた間柄だったため、親友に殉じる決心ができた
のではないか、とか書いてある。
(年齢的にも1つしか違わないし、二人とも20代で冶部少輔と刑部少輔に任ぜられた時から
ほとんど一緒に居るんですよね。戦に出る時も、秀吉様と湯治に行く時も、堺で奉行職をする
ために行った石田に付いて彼の配下として大谷が仕事してたり。
かなり仲が良かったというか相当親密な関係だったのかも、と思われても不思議はないです
よね。有名な茶会の席での逸話(病気の大谷の器から茶をすべて石田が飲み干した話)は、
これよりもあとなんで、この逸話が真実だとしてもこれをきっかけに二人が仲良くなったという
のはちょっと違う気がする。すでにかなり親密な間だったからこそ、って感じ。
10代で小姓となって秀吉に寵愛を受けたと言われる大谷だけに、いつ病気になったのかは
わからないけどかなり美形だったんではないかと思っちゃうよね(笑)。
だから二人(石田と大谷)が衆道関係にあったのではないか、という説があっても全然
おかしくはない気がする。
それと、史実では家康に石田は罪人として処刑されてる(斬首ですよ)ワケで、何も悪くないのに
ただ主君への忠義を貫いただけなのに、大変お気の毒なことだったなぁ、と。さぞや家康を
恨んでるだろうなと思うんで、そんな二人をたとえBASARAは別次元であると言ってもCPとか
していいものだろうか(笑)、とか思うんですよ。ちょっとね。冒涜なんじゃないかな、とか。
きっとあの世でものすごく怒る気がする。でも仲良しだった刑部とのそういうのは全然気を悪く
しなそう 笑)
◆史実の石田三成とBASARAの石田との違いで決定的なものが一つだけある。
史実の石田は生ある限り、その命を惜しむものだと言っているんだけどBASARA石田は真逆
だからね(笑)。

※※追記甚だしいな、私(笑)。すまん。
ものすごくわかりやすく解説すると、史実の家康って社長の秀吉に次ぐ副社長みたいな地位に
あって、社長が息子を次の社長にするけどまだ若いからみんなで支えてね、よろしくね、
みたいな遺言をしていったのに社長が死んだらアッサリ裏切って自分が社長の座に付いちゃう
よ~、って言い始めたワケだ。
それを許せないって石田とか他の幹部社員たちが立ち上がって阻止しようとするんだけど、
誰もさからえないくらいすでに家康が強大な力を持ってて、結局は保身に走らざるを得なくなった
人達が寝返ってしまったと。
だから本当はみんなわかってたのに誰も文句を言えなかったんだろうと思う。石田にすべての
罪を着せて罪人に仕立て上げて処刑したけど、政権奪取したのは家康であって石田は何も
悪くなかったっていうことは誰もがわかってたことだから。
戦国の世が終わって平和になったのはいいことだけど、それは結果論だよねぇ。豊臣政権が
続いてもそうなった可能性は否定できないし。
ただ、260年も続く徳川政権だってよく考えたらかなり異常だもんね。一族独裁、世襲でずっと
将軍が在位するんだから。王家でもないのに(笑)。
中国の皇帝の後宮よろしく大奥なんて出来たり、かなり異常。実際おかしな将軍も何人か
いたよね~(笑)。だからそう考えると一般の民にとっては江戸時代って町民の文化が栄えた
良き時代でもあったけど、政治的に見たら結構歪んでたんだろうな、と。
確かに強大な力を持った誰かが独裁者になる必要ってあるのかもしれない。たとえ憎まれても
そうやって国家全体の平和を、民の平和を保つことって方法論の一つではある。
でも豊臣政権を守っていくというやり方だって良かったわけだからね。そこはやっぱり個人的
野望を優先したってことなんだと思う。家康が。どうしても徳川が上に立ちたかったと。
石田や大谷は少年時代から小姓として豊臣にいるから、秀吉夫妻にすごく可愛がってもらった
と思うんだ。自分の家族みたいに思ってたんじゃないかと思うんだ。
だから、大人になって自分も結婚して妻子ができて、子供ができない正室のねねさんから
秀吉の寵愛が側室の淀さんに移ったりしても、変わらず正室を支えたのは石田と大谷だったん
ですよ。(石田は自分の娘をねねさんの養女にしてるし、大谷の母はねねさんの側近)
いつまでも大事にしたい場所だったんだろうな、と。

で、なんでこんなにも追記してまで語りたかったのかって言うと、BASARAの家康がなんで
あんなにヒーロー然としてるのか(笑)、前にも書いたけど鼻につくんですよ。癇に障るんですよ。
アレが史実と同じだと誤解する人がいたらどーするんだと(笑)。石田三成公が可哀相じゃないか。
・・・というような理由でこんなに書いちゃいました。


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