山行記録・写真

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NHK大河ドラマ「真田丸」 2    28.1.17

2016-01-18 12:20:21 | NHK大河ドラマ「真田丸」

NHK大河ドラマ「真田丸」 2    28.1.17

 

真田兄弟(長男信幸、次男信繁(幸村))、母、姉、祖母の逃避行。

途中、騙されことを気づき、戦うが、生け捕り寸前となる。

この場に、父親が現れ、助けられる。

 

織田信秀、徳川家康の軍勢に武田勢討たれる。

勝頼、信玄の亡霊の前で、滅亡に導いたことを謝り、切腹に至る。

 

小山田信茂、総大将織田信秀の前で、岩殿城を織田様に差し出すと言ったが、裏切者は許せないと

引きずり出される。

 

徳川家康の陣営。

どのように生きれば良いかと、本田正信に問えば、殿の考え一つと。

「生き延びればよい」とつぶやく。

穴山梅雪(信玄の娘婿・・・織田方の調略により寝返る)の訪問を受ける。

この際、徳川家では、穴山のようなものはいないかと部下に聞くと、そういうことはありえないと答える。

家康、梅雪を迎えると、手の平を返したように、満面の笑みを浮かべ、「梅雪のおかげで、武田を滅亡にみちびけた」と褒めたたえる。

 

岩櫃城で3人、今後について語り合う。

父昌幸、「武田が滅び、人生最大の岐路に立たされた」とつぶやく。

< 昌幸、兄二人を長篠の戦いで亡くし、3男の昌幸が家督を継ぐこととなった >

上杉または北条にしようかと・・・・・?

しかし、昌幸の結論は、「織田につく」との決断だった。

ここで、来週につづく。

 

 

< 初回のコメント 武田勝頼が、真田の岩櫃城に落ち延びていれば・・・・・仮定の話は、駄目か?2回目終了の後、岩櫃城の「勝頼のための居館あと」が紹介された。 >

 

注:Wikipedia 小山田信茂の紹介

天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻に際して、武田家臣・小山田信茂新府城韮崎市中田町中條)から武田勝頼を岩殿山城へ迎えるが、勝頼一行が郡内領へ向かう途中で信茂は勝頼から離反し、勝頼一行は天目山(甲州市大和町)で自害した(天目山の戦い)。『理慶尼記』では信茂が勝頼に籠城を薦めた岩殿山城を「みつからか在所」と記している。小山田信茂は勝頼滅亡後に織田氏に出仕しているが、甲斐善光寺において処刑され、郡内小山田氏は滅亡する。

 

< 岩櫃城 地図 >



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1 コメント

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これまた驚き (chidori)
2016-01-18 20:01:35
時代物は歴史苦手の私はよほど集中してみないと分からないうえに耳が聞こえにく…これなら助かりますねえ。
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