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NHK大河ドラマ「真田丸」 7 「奪回」   28.2.21

2016-02-23 05:21:29 | NHK大河ドラマ「真田丸」

NHK大河ドラマ「真田丸」 7 「奪回」   28.2.21

 

< 1582年(天正10年)6月2日・・・・ 本能寺の変、信長 49才、武田を滅ぼした3ヶ月後。>

<   1582年(天正10年)6月13日(6月2日本能寺の変、11日後)山の合戦。羽柴、明智を負かす。>

<   1582年(天正10年)6月18日   神流川(かんながわ)の戦い。瀧川、北条に敗れる。>

 

北条氏直、上野へ侵攻。

滝川一益、「神流川(かんながわ)の戦い」で、北条氏直の大軍の前で総崩れとなる。

直ちに、小田原城の北条氏政に味方の大勝利が知らされ、氏政にんまりと・・・・・。

 

昌幸、「一気に沼田と岩櫃奪還だ」。

信幸へ、岩櫃を攻めろと命令する。

沼田城と岩櫃城を奪還する。

 

昌幸、箕輪城へ。

滝川に会うと、「もはや勝負ついた。伊勢へ戻る」と。

昌幸、「一戦を交えては」と進言。

滝川、「無理はするな」と。

滝川、「人質はもう少し借りる。信濃を抜ければお返しする」と。

 

人質祖母ときり。

信繁(幸村)が、助けに来て、二人が喜ぶ。

 

昌幸と一益、酒盛り。

一益、「沼田と岩櫃は、真田に返す。好きのようにせい。」「信濃は豊かで良き国だ。織田を立て直すことが出来たなら、こっちへ帰ってこよう」「明日、信濃を通って帰る」と。

昌幸、沼田、岩櫃奪還を早まったことを悔しがるが、既に遅し。

 

一益、部下から、真田の沼田・岩櫃奪還の報告を受け、激怒する。

一益、箕輪城から小諸城へ退却。

 

人質奪還のため、信繁と三十郎は小諸城に潜入。

祖母ときりの奪還に失敗、かえって捕虜となる。

一益、信繁を見て「真田のこせがれか」「人質を奪うとは反対にまわるということだな」「我と伊勢まで来てもらおう」と告げられる。

 

真田郷。

母と信幸の妻食事。母、信幸の妻との食事を早々に切り上げ、「こちらが気がまいる」と呟く。

 

滝川、負け戦で伊勢に帰ろうとするが、信濃西部の国衆、木曽義昌が阻止。

義昌、「一歩たりとも木曽を通さない」。

一益、談判に福島城へ出向く。

 

信繁、祖母に救出出来なかったことを詫びる。

祖母、「大事なことは、うまくいかぬ時どうするか」「望みをすてないこと」

「落着きなさい」と諭す。

 

一益と義昌談判。

義昌、人質を渡すことを条件に、領地を抜けることを許す。

一益、「信濃の国衆の人質を全部渡そう」。

6月28日人質を渡す。

一益、清州会議に間に会わず、以後力を失くしていくこととなる。

 

義昌、「いずれ信濃大名となる。人質は大事な駒」と豪語する。

 

義昌(信玄の娘婿)と祖母のもとへ。

祖母、義昌が信玄公の前でちびったことを披露。

「大恩のある武田を裏切った」と義昌の頬を平手うちする。

義昌、「織田の圧力が強すぎて」と言い訳をする。

祖母、人質として大事に扱ってくれるように約束を取り付ける。

「きりはうるさいので、信繁に連れて帰ってもらう」と・・・・。

義昌、きりのことは「お好きに」と告げる。

 

真田郷。

昌幸と国衆の会話。

「先ず、北条についてくれ」「真田はつかない」。

 

信繁ときり。

信繁、何も出来なかったと嘆く。

きり、「助けに来てくれてありがとう。私が素直にありがとうと言っているのに」と。

 

信繁と兄。

兄の前で、「足を引っ張るだけだ」と嘆く。

兄、「お前らしくない」「岩櫃城を負かされているので精一杯だ」「会えて良かった」と。

 

国衆が北条方についたにもかかわらず、昌幸、上杉に行く。

昌幸、「ともに北条と戦いましょう」と持ち掛ける。

上杉景勝了解する。

 

昌幸、真田郷に帰る。

父、信繁を叱り諭す。

「感で動き過ぎる。俺のは、場数を踏んだ感だ。」

「兄弟二人を合わせて一つだ。兄は糞間地真面目で面白くない。お前は面白い。従って二人で一つだ。」

父から「海津城へ行け」と命令される。

「春日信達?この男を調略せよ」。

「北条は勢いが、上杉は勢いが無い。真田は北条につく」

「(上杉を)挟みうちだ」

「北条と上杉をまたにかけ」とうそぶく・・・・・・・・。

 

 

< 来週・・・ 「調略」   >



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