スタイルがよく、着こなしが上手で見栄えがします。(肩幅があって肩パットがいらないところが男役としては自慢らしい)三白眼で逆さまつ毛気味なところは好き好きかもしれません。
タカラジェンヌを描写するのにネガティブなワードは使わないようにしているのですが、大空祐飛の場合、それが彼女のユニークさを否定するものではないと思うので、あえて言いますが、歌もダンスも目立って上手いわけではありません。何をやっても達者な瀬奈じゅんや霧矢大夢と一緒だと、どうしても物足りないし、アピールが足りない気がします。とても人気が高いのはもちろん知っていたのですが、あまり強烈な個性を感じたことはありませんでした。
でも「THE LAST PARTY」(ゼルダ役・紫城るい)を観た時に、大空祐飛っていい役者なんだなと初めて実感し、ファンが多い理由がわかりました。
芝居は劇中劇のスタイルで進みます。スコット・フィッツジェラルドを演じる役者(大空祐飛)が、スコットは最期の瞬間は何を考えていたのだろう?彼の役をどうやって演じようか?と、人生の残り時間を数えながら自問自答するところから始まります。
スコットは宝塚悲劇らしく狙撃された訳でも、謀殺された訳でもありません。アルコールと病魔に犯され、大作を描き上げるという大志を果たせず、恋人にも家族にも見守られず、発作を起こして一人ひっそりと最期の時を迎えます。実在の人物なので、観客のほとんどが常識として知っている筋書き通りの物語。劇中劇というスタイルをとっていることもありますが、この人間臭い役を淡々と演じていました。
娘とじゃれあうシーンや電話で話すシーン、そして最後のシーンでは、激しい人生の浮沈を精一杯泳いだ男の苦悩と愛おしさが伝わってきました。
大和悠河が演じたフィッツジェラルドを観ても大泣きするのかどうか、観ていないのでわかりませんが、大空祐飛の場合は役と役者の個性がぴったり合っていました。
今回の「HOLLYWOOD LOVER」のステファーノ役も、無表情にも近い抑えた演技で諦念にも似た男の懐の深さ、哀愁が伝わり、いぶし銀の魅力を出していました。煙草をくゆらせて遠くを見ているところは頽廃的ですらあります。
華やかなハリウッドの光と影、許されない三角関係が生んだ男女の悲劇というベタな脚本でしたが、濃厚な演技ではないからこそかえってリアリティを感じさせたのかもしれません。歌も、しっかりと聴かせる表現力に富んでいました。
この作品の後に花組に移動。千秋楽では送り出す越乃リュウの方が感極まっていましたが、本人はウエットにならず、多くを語らず、潔く新天地に歩き出す姿は、ステファーノそのもの。“男前”です。
2006年のREVIEWで脚本家が彼女を “人見知りの小学生”と評していました。意味するところはわかるけれど、大空祐飛のどこを見てそういうのか、正直今一つわかりませんでした。今でもわかっているかどうか自信はありませんが、艶やかな色気を競い合う男役陣の中で、ねっとりと髪をなでつけたり、流し眼や悩殺ウィンクをバシバシ飛ばしたりできない、自然体に近いところでしょうか?
「パーソナルブック」ではストリートキッズっぽいユニークなファッションで登場していましたし、ディナーショー「SPARK Ⅱ」では、ホストはホストでも、別れた女房に月々の慰謝料と子供の養育費を払い、中性脂肪が気になるという生活感あふれる設定で、真面目にやればやるほど笑いを誘っていました。
自分でも“人見知り”と公言している割には、トーク番組では無駄なくそつなく話します。以前、彼女が担当した雑誌「歌劇」の楽屋日記では、筋の通ったテーマに基づいてまとまった情報を提供し、読み物として成立していたので、その文才に驚きました。
花組への組替えという劇団の戦略は、ふたを開けてみないとわかりませんが、全国ツアー「べルサイユのばら-アラン編」では、オスカル役をやらせるのかも?
タカラジェンヌを描写するのにネガティブなワードは使わないようにしているのですが、大空祐飛の場合、それが彼女のユニークさを否定するものではないと思うので、あえて言いますが、歌もダンスも目立って上手いわけではありません。何をやっても達者な瀬奈じゅんや霧矢大夢と一緒だと、どうしても物足りないし、アピールが足りない気がします。とても人気が高いのはもちろん知っていたのですが、あまり強烈な個性を感じたことはありませんでした。
でも「THE LAST PARTY」(ゼルダ役・紫城るい)を観た時に、大空祐飛っていい役者なんだなと初めて実感し、ファンが多い理由がわかりました。
芝居は劇中劇のスタイルで進みます。スコット・フィッツジェラルドを演じる役者(大空祐飛)が、スコットは最期の瞬間は何を考えていたのだろう?彼の役をどうやって演じようか?と、人生の残り時間を数えながら自問自答するところから始まります。
スコットは宝塚悲劇らしく狙撃された訳でも、謀殺された訳でもありません。アルコールと病魔に犯され、大作を描き上げるという大志を果たせず、恋人にも家族にも見守られず、発作を起こして一人ひっそりと最期の時を迎えます。実在の人物なので、観客のほとんどが常識として知っている筋書き通りの物語。劇中劇というスタイルをとっていることもありますが、この人間臭い役を淡々と演じていました。
娘とじゃれあうシーンや電話で話すシーン、そして最後のシーンでは、激しい人生の浮沈を精一杯泳いだ男の苦悩と愛おしさが伝わってきました。
大和悠河が演じたフィッツジェラルドを観ても大泣きするのかどうか、観ていないのでわかりませんが、大空祐飛の場合は役と役者の個性がぴったり合っていました。
今回の「HOLLYWOOD LOVER」のステファーノ役も、無表情にも近い抑えた演技で諦念にも似た男の懐の深さ、哀愁が伝わり、いぶし銀の魅力を出していました。煙草をくゆらせて遠くを見ているところは頽廃的ですらあります。
華やかなハリウッドの光と影、許されない三角関係が生んだ男女の悲劇というベタな脚本でしたが、濃厚な演技ではないからこそかえってリアリティを感じさせたのかもしれません。歌も、しっかりと聴かせる表現力に富んでいました。
この作品の後に花組に移動。千秋楽では送り出す越乃リュウの方が感極まっていましたが、本人はウエットにならず、多くを語らず、潔く新天地に歩き出す姿は、ステファーノそのもの。“男前”です。
2006年のREVIEWで脚本家が彼女を “人見知りの小学生”と評していました。意味するところはわかるけれど、大空祐飛のどこを見てそういうのか、正直今一つわかりませんでした。今でもわかっているかどうか自信はありませんが、艶やかな色気を競い合う男役陣の中で、ねっとりと髪をなでつけたり、流し眼や悩殺ウィンクをバシバシ飛ばしたりできない、自然体に近いところでしょうか?
「パーソナルブック」ではストリートキッズっぽいユニークなファッションで登場していましたし、ディナーショー「SPARK Ⅱ」では、ホストはホストでも、別れた女房に月々の慰謝料と子供の養育費を払い、中性脂肪が気になるという生活感あふれる設定で、真面目にやればやるほど笑いを誘っていました。
自分でも“人見知り”と公言している割には、トーク番組では無駄なくそつなく話します。以前、彼女が担当した雑誌「歌劇」の楽屋日記では、筋の通ったテーマに基づいてまとまった情報を提供し、読み物として成立していたので、その文才に驚きました。
花組への組替えという劇団の戦略は、ふたを開けてみないとわかりませんが、全国ツアー「べルサイユのばら-アラン編」では、オスカル役をやらせるのかも?