月組東京宝塚公演7月16日。
初演以来7回目、月組で2回目となるエリザベート。史実と虚構をダイナミックに組み合わせたミステリアスな作品で、役者の組み合わせ、それぞれの解釈によって全体のイメージが大きく変わる。特にトートは毎回演出が異なり、それが観客を飽きさせない秘訣かもしれません。
今回のトートの演出は瀬奈じゅんの貴公子然とした美貌を強調すことを目的にしているのか、壁にもたれて佇む姿は彫刻のよう。髪の色もプラチナブロンド(赤いメッシュあり)、衣裳も黒ずくめではなく、ボルドー、カーキ、パープルなどヨーロッパ調でおしゃれ。
黄泉の帝王という設定であれ、舞台上に王子様を見たいファンは多いので、その意味では正しいのかもしれません。
瀬奈のトートには人の生死を操っているという冷酷さ、負の存在感、陰のイメージはあまりなく、ナチュラルな演技というよりも、普通の宝塚の作品でした。本作に特有の不気味さ、まがまがしさもなく、豪華でダークなトーンのベルバラ?
瀬奈じゅんは東京公演初日の囲み取材で、トートはエリザベートが産み出したもので、自分はエリザベートに寄り添っていたいと話していました。
なるほど、そういう解釈も成り立つ。ルキーニ、エリザベートを演じた瀬奈じゅんが言うから説得力があります。だからこうした演出なのかと納得はしました。
しかしそのためにはシシィが観客の共感を呼ばなくてはならない。数奇な運命、孤独の中でたくましく生き抜いた意志の強い女性になっていたか?凪七瑠海は残念なことにそこまで強く魅力的な女性を演じ切れていませんでした。
ソプラノは弱いながらもこなしましたが、地声が低いので台詞が裏声で弱い。晩年のシシィは地声でできていましたが。
絶世の美女である必要はありませんが、絶世の美女を感じさせなければいけない。大女優らしさと言うのか。スチールはよくても舞台で360度どこから見られても常に研ぎ澄まされた美しい女性であるのは難しい。
また改めて思ったのは「男役十年」と言われ、自分の中にない男性の感情を掴んで表現できるようになるには年数が必要ですが、女性の感情もそう。シシィの少女時代から晩年まで、姑との確執、夫婦のすれ違い、息子の死の苦しみなどは、そうそう簡単に演じられるものではありません。場数が足りず、大劇場で中央に立った経験がない若手では、仮に完璧に歌えたとしても無理な話です。
また男役なので表情がどうしてもきつい。凪七瑠海としては大抜擢に応えてよく頑張ったと思いますが、シシィとしては及第点に及ばないのではないでしょうか。
霧矢大夢演じるフランツ。シシィへの包み込むような愛情は感じられたし、意外に二人のデュエットが、声が解け合って聴いていて心地よかった。気のせいか凪七も歌いやすそうでした。
しかしシシィへの愛情と相反する皇帝の義務、母親ゾフィーの方針との間で板挟みになり苦悩するからこそ、フランツの切なさが伝わるのですが、後者の表現が弱かった気がします。
城咲あい演じるゾフィー。皇太后としての態度だけでなく、歌唱力も腹に響くくらい堂々としていないとぼやけてしまう。凄腕のキャリアウーマンには見えましたが、国を憂える大地のような母性は感じられませんでした。
ルドルフは役替わり公演のため、私が行った日は遼河はるひでした。ルドルフは必ずしも少年らしさを残した繊細な役作りでなくてもいいと思います。遼河はるひのルドルフは連邦樹立という強い信念をもっていていいと思いますが、「闇が広がる」や「死の舞」は身長差がある前提の振り付けなので、瀬奈じゅんより明らかに大柄な遼河はるひが膝を曲げて背をまるめているのが気になって仕方ありませんでした。
龍真咲のルキーニは渋谷か新宿あたりにうろついていそう。通り魔レベル。ハイテンションにはなっているけれど、トートの命令でシシィを殺害したと主張する狂信性、霊廟から死人を呼び出して証言させる粘着質の信念は感じられませんでした。
冒頭の煉獄の裁判所での台詞は自分の間合いで言ってるのでしょうが、迫力がなかった。歌は下手ではなかったです。
髪型が、龍真咲にしてはむさ苦しくしているのでしょうが、ルキーニにしてはさっぱりしすぎ。イタリアーノにも見えない。
実在のルキーニの真実はどうであれ、この作品ではオーストリア皇后殺害を計画的にやってのけた「イタリア人テロリスト」なので、それに相応しい重々しさがほしかったです。
要は、全体としてハプスブルク家の滅亡が描けてない。大河ドラマ感がない。筋を説明してはいるけれど掘り下げが足りない、光と影が描けていない気がしました。
栄枯盛衰、諸行無常。これが日本人のメンタリティに響くんですけどね。
最後に、シュバルツェンベルク公爵を演じた星条海斗、リヒテンシュタインを演じた憧花ゆりの、マダム・ヴォルフを演じた沢希理寿がとてもよかったです。
初演以来7回目、月組で2回目となるエリザベート。史実と虚構をダイナミックに組み合わせたミステリアスな作品で、役者の組み合わせ、それぞれの解釈によって全体のイメージが大きく変わる。特にトートは毎回演出が異なり、それが観客を飽きさせない秘訣かもしれません。
今回のトートの演出は瀬奈じゅんの貴公子然とした美貌を強調すことを目的にしているのか、壁にもたれて佇む姿は彫刻のよう。髪の色もプラチナブロンド(赤いメッシュあり)、衣裳も黒ずくめではなく、ボルドー、カーキ、パープルなどヨーロッパ調でおしゃれ。
黄泉の帝王という設定であれ、舞台上に王子様を見たいファンは多いので、その意味では正しいのかもしれません。
瀬奈のトートには人の生死を操っているという冷酷さ、負の存在感、陰のイメージはあまりなく、ナチュラルな演技というよりも、普通の宝塚の作品でした。本作に特有の不気味さ、まがまがしさもなく、豪華でダークなトーンのベルバラ?
瀬奈じゅんは東京公演初日の囲み取材で、トートはエリザベートが産み出したもので、自分はエリザベートに寄り添っていたいと話していました。
なるほど、そういう解釈も成り立つ。ルキーニ、エリザベートを演じた瀬奈じゅんが言うから説得力があります。だからこうした演出なのかと納得はしました。
しかしそのためにはシシィが観客の共感を呼ばなくてはならない。数奇な運命、孤独の中でたくましく生き抜いた意志の強い女性になっていたか?凪七瑠海は残念なことにそこまで強く魅力的な女性を演じ切れていませんでした。
ソプラノは弱いながらもこなしましたが、地声が低いので台詞が裏声で弱い。晩年のシシィは地声でできていましたが。
絶世の美女である必要はありませんが、絶世の美女を感じさせなければいけない。大女優らしさと言うのか。スチールはよくても舞台で360度どこから見られても常に研ぎ澄まされた美しい女性であるのは難しい。
また改めて思ったのは「男役十年」と言われ、自分の中にない男性の感情を掴んで表現できるようになるには年数が必要ですが、女性の感情もそう。シシィの少女時代から晩年まで、姑との確執、夫婦のすれ違い、息子の死の苦しみなどは、そうそう簡単に演じられるものではありません。場数が足りず、大劇場で中央に立った経験がない若手では、仮に完璧に歌えたとしても無理な話です。
また男役なので表情がどうしてもきつい。凪七瑠海としては大抜擢に応えてよく頑張ったと思いますが、シシィとしては及第点に及ばないのではないでしょうか。
霧矢大夢演じるフランツ。シシィへの包み込むような愛情は感じられたし、意外に二人のデュエットが、声が解け合って聴いていて心地よかった。気のせいか凪七も歌いやすそうでした。
しかしシシィへの愛情と相反する皇帝の義務、母親ゾフィーの方針との間で板挟みになり苦悩するからこそ、フランツの切なさが伝わるのですが、後者の表現が弱かった気がします。
城咲あい演じるゾフィー。皇太后としての態度だけでなく、歌唱力も腹に響くくらい堂々としていないとぼやけてしまう。凄腕のキャリアウーマンには見えましたが、国を憂える大地のような母性は感じられませんでした。
ルドルフは役替わり公演のため、私が行った日は遼河はるひでした。ルドルフは必ずしも少年らしさを残した繊細な役作りでなくてもいいと思います。遼河はるひのルドルフは連邦樹立という強い信念をもっていていいと思いますが、「闇が広がる」や「死の舞」は身長差がある前提の振り付けなので、瀬奈じゅんより明らかに大柄な遼河はるひが膝を曲げて背をまるめているのが気になって仕方ありませんでした。
龍真咲のルキーニは渋谷か新宿あたりにうろついていそう。通り魔レベル。ハイテンションにはなっているけれど、トートの命令でシシィを殺害したと主張する狂信性、霊廟から死人を呼び出して証言させる粘着質の信念は感じられませんでした。
冒頭の煉獄の裁判所での台詞は自分の間合いで言ってるのでしょうが、迫力がなかった。歌は下手ではなかったです。
髪型が、龍真咲にしてはむさ苦しくしているのでしょうが、ルキーニにしてはさっぱりしすぎ。イタリアーノにも見えない。
実在のルキーニの真実はどうであれ、この作品ではオーストリア皇后殺害を計画的にやってのけた「イタリア人テロリスト」なので、それに相応しい重々しさがほしかったです。
要は、全体としてハプスブルク家の滅亡が描けてない。大河ドラマ感がない。筋を説明してはいるけれど掘り下げが足りない、光と影が描けていない気がしました。
栄枯盛衰、諸行無常。これが日本人のメンタリティに響くんですけどね。
最後に、シュバルツェンベルク公爵を演じた星条海斗、リヒテンシュタインを演じた憧花ゆりの、マダム・ヴォルフを演じた沢希理寿がとてもよかったです。