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未来組

宝塚の舞台、DVD、SKYSTAGEを観た感想と、最近はカメラに凝ってます。

ズンコ・トートびいき

2007年07月11日 | エリザベート関連プチネタ
エリザベート」を観たことがある人なら誰でも、キャスティングに関して自分なりの理想像があると思います。もちろん、自分のごひいきスターが一番いいに決まっていますが。あくまで自分のイメージにあうかどうか、ですが、自称ズンコ・フェチの私。どうしてもズンコびいきです。

物語は最初から最後までルキーニ視点で進む(と考える私)。狂気と妄想を軸に語られるハプスブルク家滅亡のシナリオ。その黒幕だとルキーニが信じているDer Tod=死=黄泉の帝王。人の命を弄ぶ死神でありながら、人間の姿形をしていること、ある時は少女エリザベートにしか見えないのに、ある時は市井の人間として存在することもでき、多くの人が直接話を交わすこともできる、ある時は同志、ある時は友達として。・・・変ですけど、語り手がルキーニですから。

トートは人間ではないけれど、人間的感情を持っている。とくにエリザベートの愛を容易に得られないことに悩み苦しんでいる。宝塚男役TOPが演ずるからには、女性が憧れるような甘さ、あるいは男らしさ、格好よさも必要。その矛盾した条件をどう解釈し、演技で埋めるか。役者によって差があるのが面白いところです。

姿月あさとは歌で自己表現をする人なので、その緩急をつけた表現力たるや抜きんでていると思います。演技の部分では、実に理詰め、黄泉の帝王トートとしての存在を突き詰めた演技だったと思います。死という抽象的存在であらんとすることを常に忘れなかったのではないでしょうか。

もともと美形ゆえに中性的。ショーの時の華やかな笑顔を消し去り、無表情で血の通わない彫像のような存在になれる。闇に浮かぶ横顔も彫りが深くて絵になります。メイクも、一路真輝、麻路さきのときは、白塗り、紫の唇など、普通ではないメイクはしていますが、姿月あさとは、左右外側に沿ったまつ毛など特殊メイクという感じ。(今回の水夏希もそうです)

アウグスティン教会での「不幸のはじまり」。人間たちと同じフレームに収まったとき、青白い顔色や異常に吊り上った目で明らかに異界の者とわかる、その存在感が好き。

人間ではない存在なので、血の通った人間らしさを排除し(多分)、エンディング以外は終始手袋をはめているところも好き。手袋をすると演技が制限され、やりにくいそうですけれど、例えばウィーンのカフェで革命家たちと円陣を組む時、人間たちの手の上に焦げ茶の手袋をした手を最後に乗せて人間の手の甲をなでる所が意味深で、禍々しくていい。

繰り返しになりますが歌唱力もセンスも抜群。大きく口をあけずにきれいな顔のままで、力まずに「闇が広がる」を歌い上げる。シャウトもすごい。「最後のダンス」「ミルク」など、シャウトするところはお顔までしっかり力みます。

当時のインタビューで、エリザベートの愛を必ず得られると信じて、攻撃的なトートを演じていると言っていました。「最後のダンス」でマントを乱暴に投げ捨てるところもすき(一路真輝、麻路さきは黒天使に渡していました)。トート役に限らず、姿月あさとが女性を邪険に突き飛ばしたりするところも好きで(演技ですが)、トートとしても棺の上でエリザベートを突き放しています。

ルドルフを自殺に追い込む「死の舞」がわたしはとくに好き。罠にかかった獲物をあざ笑うかのような不敵な笑顔、目がらんらんと輝いています。ルドルフを蹴って転がしていくところも、朝海ひかるの転がり方がうまいのか?! 立ち上がったルドルフに、ロングコートの胸ポケットから抜いたピストルを渡す。余裕を持ってさっと出して、注目を集めるために大外から振りかぶります。ルドルフにピストルを持たせ、こめかみに銃口を向けさせるのも、右腕を上げさせるだけ。間髪いれずテンポよく、考える暇を与えない。実に手際がいい。歌もそうですが、このテンポになれてしまうと他のトートが物足りない・・・。

一路真輝のトート像は、小池修一郎のノベライズに書いてある通りだと思います。男とも女ともつかぬ妖しいほどの美しさ。澄んだ瞳に吸い込まれそうになる。華奢だけど毅然としていて、正装したヨーロッパの貴族のように見え、行動には「JFK」のような正当性を感じます。その美しさは魔物ですが、本来備わっているべき邪悪さ、不気味さは弱いかもしれません。

ルドルフにピストルを渡すところは、おしりのポケットからピストルを出すので、少しもたついてしまって気の毒でした。香寿たつきのルドルフも、明らかに大きくなりすぎですしね。(和央ようかは見ていません・・・)

余談ですけど、序列からいって仕方ない話ですが、高嶺ふぶき→ルドルフ、香寿たつき→フランツ・ヨーゼフを観てみたかったです。初演だから難しい、再演は簡単というものではありませんが、それでも、はじめての歌を、譜面から起こした雪組はすごかったと思います。一路真輝、花總まり、轟悠の存在感はすごかった。

麻路さきのトートは姿月あさととは好対照。かつらの色もトウモロコシ色でゆるくカーブした髪が両肩にかかる姿は美女です。舞台映えする素材だということもあり、ことさらに禍々しく創り上げなかったのか、本人のおっとりした魅力が勝ってしまったのか。動きもゆったりとしていて、怖い感じはしない。友達にしてもいいトート?

ハスキーな声、セリフ回しに人間味がにじみ出る役者なので、内面の苦悩が感じられます。ルドフルを抱きかかえようとするところなど、面倒見がよさそう。面倒見のいいトートってありえない? いいえ! ルドルフが銃口をこめかみに持って行くまで、間を取って、じっくり考えさせ、親切に丁寧に導きます。そして引き金を引いた後の満足げなアピール。「ね?」っていう感じで客席を見る。このシーンが実にいいんです。

春野寿美礼の歌唱力、演技力も言うことはありません。大劇場トップお披露目とは思えません。演技の印象として、エリザベートの愛を得られずに、身悶えして苦しみ「情念」を感じます。「不敵」「ニヒル」「ナルシズム」。思い通りにならない「帝王」というイメージは一番出ていたかもしれません。

彩輝直は、私の目には平凡というか、ここがいい!という箇所がなかったです。残念な箇所を3つ。髪に黒の分量が多いので、暗闇に浮かび上がらない。とくに前から見たときに。そのせいか舞台全体の照明が明るくなってしまい、陰影が出ない。もう一つは子供時代のルドルフが「昨日も猫を殺した」と言った時のリアクションがない。他のトートはみなここでかなり驚いてみせるのに。(トートなのになぜ驚く?むやみな殺生をしない美学と言ったら深読みしすぎでしょうか。)

ルドルフにピストルを渡すところも、ひょいっと渡してしまうんですよね。見せ場なのにもったいないな。しかしファンの人気は高く、人間くさくない→男臭くない→中性的→美形→フェアリータイプのトートという図式もありなんでしょうね?

今週末、雪組の「エリザベート」観劇。その前に、思っていることを書いておこうと思いました。そうしないと、またひとりトートが加わったら、まとめるのが大変ですから。水夏希トートは写真、ニュース映像を見ると、熱血漢という感じ。愛に人生をかける男という感じで、観客のハートをわしづかみにすることでしょう。

「エリザベート」関連本から(5)。皇后の美容法

2007年06月19日 | エリザベート関連プチネタ
エリザベートの美容法の描写は舞台によく登場します。とにかく半端じゃない! 求道者のようです。

美的センスにすぐれ、美しいものを崇拝し、手元に置きたがったエリザベート。
あらゆる美容法を試し、ダイエットに励み、とりわけ美しい髪の手入れに全力を尽くしました。
自分は自分の髪の奴隷だとため息をつくことも。自分の半生を自らに与えられた美の崇拝に捧げたと言えるでしょう。

洗髪には半日かかる。体調がよく、気分のいい日しか洗髪しない。その日は公務も会食もキャンセル。皇帝にしたら、予定が狂うのは苦々しい気持でしょうが、少なくとも后の気分がいいのはわかるわけですから、複雑でしょうね。

因みに食事は「卵とオレンジ」といったきれいなものではなく、牛乳、ジュース(フルーツやホウレンソウ)と牡蠣、肉エキス、なぜかアイスクリームとビール。
肉エキス・・・今のようにサプリメントや手軽なダイエット食品のない時代ですからね。
アイスクリーム・・女性ですからね。本当は甘いものがすきだったそうですから。
ビール・・バイエルン育ちですからね。

エリザベートは宮廷では常に蚊帳の外。政治の話など誰からもしてもらえません。
でも、自分の美貌を磨くことで地位と権力を手にすることに成功します。
普通ではありえないことですが、エリザベートの美貌がそれを可能にしてしまったようです。

「エリザベートの真実」
「エリザベート 美しき皇后の伝説 上下」
(※プチネタ>「エリザベート関連本から。少女時代の夢」で紹介

「エリザベート」関連本から(4)。皇后の美貌

2007年06月19日 | エリザベート関連プチネタ
少女から大人になるにつれて、さなぎが蝶になるように、エリザベートの美貌が次第にベールを脱ぎはじめます。

身長172CM、体重は生涯を通じて45~50キロ、ウエスト50センチ。
踵まで届くほどの豊かな髪をいつも独創的なスタイルに結ったり編みこんだりしていました。

宮廷の人たちは頭からばかにしていたので気付かなかったのですが、成長につれて彼女の美貌は常人の域を超え、神々しいまでになっていき、彼女が姿を現すだけでウィーン市民、オーストリア国民、訪問先の国民、宮廷を訪れる各国の王室関係者たちは熱狂したそうです。
初々しく華やかで天性の気品を備えて毅然としている。
あのゾフィーでさえ「天使のような美しさ」と称えたほど。本人も自分の美しさを十分認識しており、崇拝されるのを当然と思っていました。

ところで世界三大美女といえば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町といわれていますが、小野小町はお妃さまではないので、美貌だけを言えば、エリザベートをあげたほうがいいのではないかなとわたしは思います。

もっとも、その名声が災いして、美貌が衰えてからは日傘と扇で顔を隠し、一切人前に顔を見せなかったそうです。

「エリザベートの真実」
「エリザベート 美しき皇后の伝説 上下」
(※プチネタ>「エリザベート関連本から。少女時代の夢」で紹介

「エリザベート」関連本から(3)。宮廷での孤独な日々

2007年06月19日 | エリザベート関連プチネタ
説明するまでもないことですが、皇太后ゾフィーのお妃教育は厳しいのでした。でも宮廷内でエリザベートの敵はゾフィーだけではありませんでした。


バイエルンのプリンセスと言ってもウィーン宮廷では田舎貴族。そのうえマクシミリアン家ではエリザベートの嫁入り準備はまったく整っていませんでした。エリザベートがわくわくした新調のドレスも宮廷のレベルではみすぼらしいもの。
フランツと血縁を結びたかった数多の貴族の嫉妬も当然あります。宮廷でエリザベートが味わったのは差別、恥辱と孤独でしかありませんでした。

常に衆目の中にあるエリザベート。
極端に内気で見知らぬ人や馴染みのない人が近くにいるのを嫌がり、極度に緊張したエリザベート。彼女と会話を成立させるのは、洗練された社交手腕をもつ各国大使にとっても至難の技だったそうてす。
彼女が「身内」と思い平静でいられる相手はバイエルンの家族だけだったそうです。(身内といるときだけは有名なダイエットも一休み。旺盛な食欲をみせたそうです)

周囲も、最初はまだ子供で田舎者だから仕方がないと思っていたのですが、後年、彼女が口をきかないのは周囲をばかにしているからだというけとがわかってきます。

自分を軽蔑し、傷つけたゾフィーはじめ宮廷の人たちには最後まで徹底的な対決姿勢を崩さなかったエリザベート。そしてそれが日常生活だけでなく政治の世界にまで及んでいきます。

※「エリザベートの真実」「エリザベート 美しき皇后の伝説 上下」
(※プチネタ>「エリザベート関連本から。少女時代の夢」で紹介)<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"> <rdf:Description rdf:about="http://blog.goo.ne.jp/citrus-3/e/a99e3d97fc131d7db5a9a3910f278a7b" trackback:ping="http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/a99e3d97fc131d7db5a9a3910f278a7b/09" dc:title="「エリザベート」関連本から。お見合い" dc:date="2007-06-19T22:15:53+09:00" dc:description="舞台では、会議を早々に閉廷し、フランツ・ヨーゼフ2世がこれからお見合いに行くことをゾフィー皇太后が誇らしげに宣言します。" dc:identifier="http://blog.goo.ne.jp/citrus-3/e/a99e3d97fc131d7db5a9a3910f278a7b" /> </rdf:RDF> -->

「エリザベート」関連本から(2)。お見合い

2007年06月19日 | エリザベート関連プチネタ
舞台では、会議を早々に閉廷し、フランツ・ヨーゼフがこれからお見合いに行くことをゾフィー皇太后が誇らしげに宣言します。

オーストリア帝国のお家芸は政略結婚。他国と戦争を起こさなくても領土を増やし、国家の繁栄をはかってきました。
バート・イシュルでのお見合い。
美貌の誉れ高かった姉のヘレネに対して、当時のエリザベートはまだ子供で、とりたてて目立つところのない平凡な顔立ちだったそうです。
ヘレネを踊りに誘えと迫るゾフィー。当時は(おそらく見合いの場で)「踊りに誘う」が求婚を意味したそうです。
意に反して、一目惚れしたシシィを選んだフランツ。シシィは花嫁教育も受けておらず、恋に恋する少女にすぎませんでした。
子供すぎて、すっかりフランツの求婚に舞い上がってしまい、自分だけを愛してくれる理想の王子さまだと思い込んでしまった。短く慌ただしいお妃教育のなかで「あの方が皇帝などではなく、ただの理髪師だったらどんなにいいでしょう」と泣き濡れたエリザベート。
まさに「不幸の始まり」ですね。

「エリザベートの真実」
「エリザベート 美しき皇后の伝説 上下」
(※プチネタ>「エリザベート関連本から。少女時代の夢」で紹介)

「エリザベート」関連本から。少女時代の夢

2007年06月19日 | エリザベート関連プチネタ
「舞台では、少女エリザベートは肖像画の中から飛び出し、詩を読み上げ、元気にとび跳ねます。パパのように自由気ままに生きたいと歌います。

自由本奔放な少女が愛したのは詩、馬術。憧れたのは、放浪の旅。

バイエルン王家とはいえ、宮廷にも政治にも無関係だったマクシミリアン家。マックス公爵は自由主義者で詩人で放浪癖があり、家にサーカス一座を呼んだり、子供たちにも曲芸を覚えさせ、身分を明かさず人前で披露させたりしたこともあるらしいです。

「詩」
エリザベートはハインリッヒ・ハイネに傾倒し、後年は霊を呼び出すことができる、自分にはハイネの霊が乗り移っていると信じていたそうです。
晩年は公務からも家族からも完全に遠ざかり、夢想に耽り、詩を書いてすごしました。

「馬術」
嫁入り直後はゾフィーの猛反対にあいました。馬術、とくに障害走の腕前は今ならオリンピック選手級、男性でもなかなかついていけなかったとか。
自由に行動できるようになってからは公務そっちのけで馬術の練習に没頭。
外交もおかまいなしにお忍びでイギリスの馬場にいったりして、馬のことしか頭にない数年をすごしたそうです。

「放浪」
決して一ヶ所にとどまらず、行きたい時に、行きたいところへいく自由。彼女のなかではそれが「なにものにも束縛されない魂の自由」だったのでしょう。
その自由は、皇后の地位、特権が与えてくれました。皇后としての義務は残念ながら果たさなかったけれど。

「エリザベートの真実」
G・ブランシュル=ビッヒラー著(集英社文庫)
側近の人々の証言をもとに、プライベートに焦点を当てた、皇后を好意的に描いた作品。
「エリザベート 美しき皇后の伝説 上下」ブリギッテ・ハーマン(朝日文庫)
膨大な証言と資料をもとに描いた伝記の傑作。常に「一人の人間」「自分自身」であろうとした公妃がたどった激動の人生を丹念に描いている。

エリザベートは深い

2007年06月09日 | エリザベート関連プチネタ
 宝塚でベルパラの次に人気の高い演目、エリザベート。歴代6人目のトートが生まれた。雪組が東京に来るのは6-7月なので、とても楽しみにしている。多くのファンが、御ひいきのスターや組の舞台を最高と絶賛していると思う。ベストなんて、決められませんよね。
 宝塚を見始めたのが最近なので、まだ一度も生の舞台を見ていない。全部DVD。だが、だからこそ先入観なく客観的に見比べられるのかもしれない。
 面白い題材である。誰が演じるか、どう解釈するかによって登場人物の肉付けは大きく異なり、その振幅は大きい。
 まずルキーニ。実在の人物ではあるが、この話は最初から最後までルキーニの妄想が生み出した世界だということを考えると、テロリストとしての実像に近付けるよりも、狂信者に近付けた方が正解だとわたしは思う。
 エリザベートは鳥のように、ジプシーのように、自由に生きたい、何からも誰からも束縛されず、魂ごと解放されたいという。人から理解されることを拒んだ孤独な魂。(現実の人物も、子供の教育と言いながら、結局は放ったらかしだった)これは常人には理解しがたい奇人変人のレベル。
 数奇な運命に翻弄された悲劇の人と好意的に解釈しなければ主人公足りえない。実像に近付けるか、丁寧に自分たち一般女性がたどりうる感情に近付けて造形するか・・・
 フランツ・ヨーゼフも、マザコン皇帝、名君、エリザベートの崇拝者の間で、どのあたりのスタンスで行くか、また、狙ったものが表現できているかどうかでも、印象が大きく異なる。
 そしてもちろんトート。黄泉の帝王なのに人間的感情がある。あまり人間的だと「人の命を奪って冷たく弄ぶ」死神になりえない。

わたしは宙組が、総合的に一番レベルが高かったと思う。 要は、役者がすべて、立っているだけでその人物に見える、はまっている、説得力があるのである。  
 姿月あさとのトート。歌唱力、華やかさ、所作の美しさ、人を黄泉の世界に引きづり込む死神でありながら、皇后への愛に苦しみ、「最後に踊るのはこの俺さ」と自信たっぷり、傲慢なまでに強引にエリザベートに迫るトートが完璧に表現できていた。
 好みの問題だが、ずっと手袋をはめていてくれたのも、人間とは違う、異界のものである感じが出てよかった。革命家たちとカフェで手を合わせるときに、その効果がよく出ていた。
 花總まりのエリザベートも、歌唱力は今一つだが、若いころのおてんばぶりから、気位の高さや氷のような冷たさも含めて、エリザベートになりきっていたと思う。
 和央ようかのフランツ・ヨーゼフも、本人にそのつもりはなかったかもしれないが、情けなさがよかった。
 この二人は、聞き分けのよさそうな娘役、知的で包容力のありそうな男役の組み合わせだと、お姑さんともうまくやりそうで、悲劇にならない。
 湖月わたるのルキーニ。長髪やあごひげ、だぶだぶで薄汚れた上着、いっちゃってる目、押さえつけておかないと危ない感じが最高。
 朝海ひかるのルドルフも、母親の愛に飢えている感じがよく出ていたと思う。「闇が広がる」「ハンガリー独立戦争」「死の舞」まで、ダンス、所作の美しさがいかんなく発揮されていた。
 陵あきののヴィンディッシュ嬢もよかった。彼女が狂気の真っただ中にいないと、エリザベートの「もし代われるなら代わってもいいのよ。わたしの孤独に耐えられるなら」というセリフが生きてこない。
 鈴奈沙也のマダム・ヴォルフも、♪マダム・ヴォルフのコレクシ~オ~ン♪という、ねちっこい歌い方が好き。
 出雲綾のゾフィーは、言うまでもなくすばらしい。ゾフィーがおっかなくないと、エリザベートがいじめられてかわいそうにみえない。
 唯一、?は夏河ゆらのマデレーヌかな?

もっとも、私の判断の根拠はDVDなので、DVDの出来も多少影響があるかもしれない。宙組版は、寄りと引きを使い分け、役者の演技が引き立っている。アングルも絶妙で無駄がない。舞台変換時のネタばれもない。つまり、隠れて移動しているのに見えてしまうというお粗末さがない。
 何度見ても飽きない、不思議な世界だ。2時間半で、40年くらいの人生をエリザベートをはじめとした高貴にして不器用な人々と一緒に駆け抜けたような気分になる。フィナーレでは、お疲れ様でした、がんばったね、と、歴史上の人物にも、役者にもエールを送りたくなる。