「エリザベート」を観たことがある人なら誰でも、キャスティングに関して自分なりの理想像があると思います。もちろん、自分のごひいきスターが一番いいに決まっていますが。あくまで自分のイメージにあうかどうか、ですが、自称ズンコ・フェチの私。どうしてもズンコびいきです。
物語は最初から最後までルキーニ視点で進む(と考える私)。狂気と妄想を軸に語られるハプスブルク家滅亡のシナリオ。その黒幕だとルキーニが信じているDer Tod=死=黄泉の帝王。人の命を弄ぶ死神でありながら、人間の姿形をしていること、ある時は少女エリザベートにしか見えないのに、ある時は市井の人間として存在することもでき、多くの人が直接話を交わすこともできる、ある時は同志、ある時は友達として。・・・変ですけど、語り手がルキーニですから。
トートは人間ではないけれど、人間的感情を持っている。とくにエリザベートの愛を容易に得られないことに悩み苦しんでいる。宝塚男役TOPが演ずるからには、女性が憧れるような甘さ、あるいは男らしさ、格好よさも必要。その矛盾した条件をどう解釈し、演技で埋めるか。役者によって差があるのが面白いところです。
姿月あさとは歌で自己表現をする人なので、その緩急をつけた表現力たるや抜きんでていると思います。演技の部分では、実に理詰め、黄泉の帝王トートとしての存在を突き詰めた演技だったと思います。死という抽象的存在であらんとすることを常に忘れなかったのではないでしょうか。
もともと美形ゆえに中性的。ショーの時の華やかな笑顔を消し去り、無表情で血の通わない彫像のような存在になれる。闇に浮かぶ横顔も彫りが深くて絵になります。メイクも、一路真輝、麻路さきのときは、白塗り、紫の唇など、普通ではないメイクはしていますが、姿月あさとは、左右外側に沿ったまつ毛など特殊メイクという感じ。(今回の水夏希もそうです)
アウグスティン教会での「不幸のはじまり」。人間たちと同じフレームに収まったとき、青白い顔色や異常に吊り上った目で明らかに異界の者とわかる、その存在感が好き。
人間ではない存在なので、血の通った人間らしさを排除し(多分)、エンディング以外は終始手袋をはめているところも好き。手袋をすると演技が制限され、やりにくいそうですけれど、例えばウィーンのカフェで革命家たちと円陣を組む時、人間たちの手の上に焦げ茶の手袋をした手を最後に乗せて人間の手の甲をなでる所が意味深で、禍々しくていい。
繰り返しになりますが歌唱力もセンスも抜群。大きく口をあけずにきれいな顔のままで、力まずに「闇が広がる」を歌い上げる。シャウトもすごい。「最後のダンス」「ミルク」など、シャウトするところはお顔までしっかり力みます。
当時のインタビューで、エリザベートの愛を必ず得られると信じて、攻撃的なトートを演じていると言っていました。「最後のダンス」でマントを乱暴に投げ捨てるところもすき(一路真輝、麻路さきは黒天使に渡していました)。トート役に限らず、姿月あさとが女性を邪険に突き飛ばしたりするところも好きで(演技ですが)、トートとしても棺の上でエリザベートを突き放しています。
ルドルフを自殺に追い込む「死の舞」がわたしはとくに好き。罠にかかった獲物をあざ笑うかのような不敵な笑顔、目がらんらんと輝いています。ルドルフを蹴って転がしていくところも、朝海ひかるの転がり方がうまいのか?! 立ち上がったルドルフに、ロングコートの胸ポケットから抜いたピストルを渡す。余裕を持ってさっと出して、注目を集めるために大外から振りかぶります。ルドルフにピストルを持たせ、こめかみに銃口を向けさせるのも、右腕を上げさせるだけ。間髪いれずテンポよく、考える暇を与えない。実に手際がいい。歌もそうですが、このテンポになれてしまうと他のトートが物足りない・・・。
一路真輝のトート像は、小池修一郎のノベライズに書いてある通りだと思います。男とも女ともつかぬ妖しいほどの美しさ。澄んだ瞳に吸い込まれそうになる。華奢だけど毅然としていて、正装したヨーロッパの貴族のように見え、行動には「JFK」のような正当性を感じます。その美しさは魔物ですが、本来備わっているべき邪悪さ、不気味さは弱いかもしれません。
ルドルフにピストルを渡すところは、おしりのポケットからピストルを出すので、少しもたついてしまって気の毒でした。香寿たつきのルドルフも、明らかに大きくなりすぎですしね。(和央ようかは見ていません・・・)
余談ですけど、序列からいって仕方ない話ですが、高嶺ふぶき→ルドルフ、香寿たつき→フランツ・ヨーゼフを観てみたかったです。初演だから難しい、再演は簡単というものではありませんが、それでも、はじめての歌を、譜面から起こした雪組はすごかったと思います。一路真輝、花總まり、轟悠の存在感はすごかった。
麻路さきのトートは姿月あさととは好対照。かつらの色もトウモロコシ色でゆるくカーブした髪が両肩にかかる姿は美女です。舞台映えする素材だということもあり、ことさらに禍々しく創り上げなかったのか、本人のおっとりした魅力が勝ってしまったのか。動きもゆったりとしていて、怖い感じはしない。友達にしてもいいトート?
ハスキーな声、セリフ回しに人間味がにじみ出る役者なので、内面の苦悩が感じられます。ルドフルを抱きかかえようとするところなど、面倒見がよさそう。面倒見のいいトートってありえない? いいえ! ルドルフが銃口をこめかみに持って行くまで、間を取って、じっくり考えさせ、親切に丁寧に導きます。そして引き金を引いた後の満足げなアピール。「ね?」っていう感じで客席を見る。このシーンが実にいいんです。
春野寿美礼の歌唱力、演技力も言うことはありません。大劇場トップお披露目とは思えません。演技の印象として、エリザベートの愛を得られずに、身悶えして苦しみ「情念」を感じます。「不敵」「ニヒル」「ナルシズム」。思い通りにならない「帝王」というイメージは一番出ていたかもしれません。
彩輝直は、私の目には平凡というか、ここがいい!という箇所がなかったです。残念な箇所を3つ。髪に黒の分量が多いので、暗闇に浮かび上がらない。とくに前から見たときに。そのせいか舞台全体の照明が明るくなってしまい、陰影が出ない。もう一つは子供時代のルドルフが「昨日も猫を殺した」と言った時のリアクションがない。他のトートはみなここでかなり驚いてみせるのに。(トートなのになぜ驚く?むやみな殺生をしない美学と言ったら深読みしすぎでしょうか。)
ルドルフにピストルを渡すところも、ひょいっと渡してしまうんですよね。見せ場なのにもったいないな。しかしファンの人気は高く、人間くさくない→男臭くない→中性的→美形→フェアリータイプのトートという図式もありなんでしょうね?
今週末、雪組の「エリザベート」観劇。その前に、思っていることを書いておこうと思いました。そうしないと、またひとりトートが加わったら、まとめるのが大変ですから。水夏希トートは写真、ニュース映像を見ると、熱血漢という感じ。愛に人生をかける男という感じで、観客のハートをわしづかみにすることでしょう。
物語は最初から最後までルキーニ視点で進む(と考える私)。狂気と妄想を軸に語られるハプスブルク家滅亡のシナリオ。その黒幕だとルキーニが信じているDer Tod=死=黄泉の帝王。人の命を弄ぶ死神でありながら、人間の姿形をしていること、ある時は少女エリザベートにしか見えないのに、ある時は市井の人間として存在することもでき、多くの人が直接話を交わすこともできる、ある時は同志、ある時は友達として。・・・変ですけど、語り手がルキーニですから。
トートは人間ではないけれど、人間的感情を持っている。とくにエリザベートの愛を容易に得られないことに悩み苦しんでいる。宝塚男役TOPが演ずるからには、女性が憧れるような甘さ、あるいは男らしさ、格好よさも必要。その矛盾した条件をどう解釈し、演技で埋めるか。役者によって差があるのが面白いところです。
姿月あさとは歌で自己表現をする人なので、その緩急をつけた表現力たるや抜きんでていると思います。演技の部分では、実に理詰め、黄泉の帝王トートとしての存在を突き詰めた演技だったと思います。死という抽象的存在であらんとすることを常に忘れなかったのではないでしょうか。
もともと美形ゆえに中性的。ショーの時の華やかな笑顔を消し去り、無表情で血の通わない彫像のような存在になれる。闇に浮かぶ横顔も彫りが深くて絵になります。メイクも、一路真輝、麻路さきのときは、白塗り、紫の唇など、普通ではないメイクはしていますが、姿月あさとは、左右外側に沿ったまつ毛など特殊メイクという感じ。(今回の水夏希もそうです)
アウグスティン教会での「不幸のはじまり」。人間たちと同じフレームに収まったとき、青白い顔色や異常に吊り上った目で明らかに異界の者とわかる、その存在感が好き。
人間ではない存在なので、血の通った人間らしさを排除し(多分)、エンディング以外は終始手袋をはめているところも好き。手袋をすると演技が制限され、やりにくいそうですけれど、例えばウィーンのカフェで革命家たちと円陣を組む時、人間たちの手の上に焦げ茶の手袋をした手を最後に乗せて人間の手の甲をなでる所が意味深で、禍々しくていい。
繰り返しになりますが歌唱力もセンスも抜群。大きく口をあけずにきれいな顔のままで、力まずに「闇が広がる」を歌い上げる。シャウトもすごい。「最後のダンス」「ミルク」など、シャウトするところはお顔までしっかり力みます。
当時のインタビューで、エリザベートの愛を必ず得られると信じて、攻撃的なトートを演じていると言っていました。「最後のダンス」でマントを乱暴に投げ捨てるところもすき(一路真輝、麻路さきは黒天使に渡していました)。トート役に限らず、姿月あさとが女性を邪険に突き飛ばしたりするところも好きで(演技ですが)、トートとしても棺の上でエリザベートを突き放しています。
ルドルフを自殺に追い込む「死の舞」がわたしはとくに好き。罠にかかった獲物をあざ笑うかのような不敵な笑顔、目がらんらんと輝いています。ルドルフを蹴って転がしていくところも、朝海ひかるの転がり方がうまいのか?! 立ち上がったルドルフに、ロングコートの胸ポケットから抜いたピストルを渡す。余裕を持ってさっと出して、注目を集めるために大外から振りかぶります。ルドルフにピストルを持たせ、こめかみに銃口を向けさせるのも、右腕を上げさせるだけ。間髪いれずテンポよく、考える暇を与えない。実に手際がいい。歌もそうですが、このテンポになれてしまうと他のトートが物足りない・・・。
一路真輝のトート像は、小池修一郎のノベライズに書いてある通りだと思います。男とも女ともつかぬ妖しいほどの美しさ。澄んだ瞳に吸い込まれそうになる。華奢だけど毅然としていて、正装したヨーロッパの貴族のように見え、行動には「JFK」のような正当性を感じます。その美しさは魔物ですが、本来備わっているべき邪悪さ、不気味さは弱いかもしれません。
ルドルフにピストルを渡すところは、おしりのポケットからピストルを出すので、少しもたついてしまって気の毒でした。香寿たつきのルドルフも、明らかに大きくなりすぎですしね。(和央ようかは見ていません・・・)
余談ですけど、序列からいって仕方ない話ですが、高嶺ふぶき→ルドルフ、香寿たつき→フランツ・ヨーゼフを観てみたかったです。初演だから難しい、再演は簡単というものではありませんが、それでも、はじめての歌を、譜面から起こした雪組はすごかったと思います。一路真輝、花總まり、轟悠の存在感はすごかった。
麻路さきのトートは姿月あさととは好対照。かつらの色もトウモロコシ色でゆるくカーブした髪が両肩にかかる姿は美女です。舞台映えする素材だということもあり、ことさらに禍々しく創り上げなかったのか、本人のおっとりした魅力が勝ってしまったのか。動きもゆったりとしていて、怖い感じはしない。友達にしてもいいトート?
ハスキーな声、セリフ回しに人間味がにじみ出る役者なので、内面の苦悩が感じられます。ルドフルを抱きかかえようとするところなど、面倒見がよさそう。面倒見のいいトートってありえない? いいえ! ルドルフが銃口をこめかみに持って行くまで、間を取って、じっくり考えさせ、親切に丁寧に導きます。そして引き金を引いた後の満足げなアピール。「ね?」っていう感じで客席を見る。このシーンが実にいいんです。
春野寿美礼の歌唱力、演技力も言うことはありません。大劇場トップお披露目とは思えません。演技の印象として、エリザベートの愛を得られずに、身悶えして苦しみ「情念」を感じます。「不敵」「ニヒル」「ナルシズム」。思い通りにならない「帝王」というイメージは一番出ていたかもしれません。
彩輝直は、私の目には平凡というか、ここがいい!という箇所がなかったです。残念な箇所を3つ。髪に黒の分量が多いので、暗闇に浮かび上がらない。とくに前から見たときに。そのせいか舞台全体の照明が明るくなってしまい、陰影が出ない。もう一つは子供時代のルドルフが「昨日も猫を殺した」と言った時のリアクションがない。他のトートはみなここでかなり驚いてみせるのに。(トートなのになぜ驚く?むやみな殺生をしない美学と言ったら深読みしすぎでしょうか。)
ルドルフにピストルを渡すところも、ひょいっと渡してしまうんですよね。見せ場なのにもったいないな。しかしファンの人気は高く、人間くさくない→男臭くない→中性的→美形→フェアリータイプのトートという図式もありなんでしょうね?
今週末、雪組の「エリザベート」観劇。その前に、思っていることを書いておこうと思いました。そうしないと、またひとりトートが加わったら、まとめるのが大変ですから。水夏希トートは写真、ニュース映像を見ると、熱血漢という感じ。愛に人生をかける男という感じで、観客のハートをわしづかみにすることでしょう。