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未来組

宝塚の舞台、DVD、SKYSTAGEを観た感想と、最近はカメラに凝ってます。

CS放送「エリザベート」

2009年01月21日 | ”う”茶の間
1月1日にCSで放送されていた雪組再演「エリザベート」東京千秋楽の舞台を見て、07年8月に観に行った感動がよみがえりました。

回を追うごとに歌がうまくなり、東京劇場の方が出来がいいというのがもっぱらの評判でした。私も実際劇場に観に行って(千秋楽ではありませんが)、水夏希、凰稀かなめの歌唱力が想像以上に上達していたので驚きました。DVDは大劇場版の収録なので、東京版を売ってほしかったなぁと思っていました。

CSでは東京千秋楽の模様を放送するのが定番ですが、カメラの台数が少ないこともあり、アングルも編集もうまくないので、今回も期待していなかったのですが、ここまでちゃんとしていたとは、それもうれしい驚きでした! 歌劇団ならではの序列ではなく、台詞を言う役者のアップを多用するので、女官にいたるまで誰が発言して、誰が歌っているかがわかります。ゾフィーのちょっとした小芝居もわかって笑えました。(その分、舞台全体の構図が若干足りない気もしましたが)

水夏希演じるトートは男らしくて逞しい。ロングコートの裾を翻して大股で闊歩する様子は確固たる自信に満ち、そのオーラは劇場を突き抜けそうなほど。そうかと思えばシシィの顎や首筋を触れるか触れないかの微妙なタッチで上下する手は、壊れ物を愛でるようで超セクシー。

エリザベートを演じる白羽ゆりは、本来はおっとりしてお茶目な持ち味ながら、激しい運命に翻弄された孤独な皇后を3カ月も演じ続けるうちに、眼はつりあがり、眼光も険しくなり、素の白羽ゆりとは思えない形相でした。年をとってからはさらに、目の下に隈を入れ、ほうれい線を描いていました。でもフィナーレではまた麗しいエリザベートに戻れるところは女優です。

彩吹真央演じるフランツ・ヨーゼフが霊廟のシーンで涙を流していること、ルドルフが母親に拒絶され、「死の舞」を舞った後に銃口をこめかみにあてるシーンではうっすらと涙を浮かべていたことまでわかったのは、デジタル映像がきれいだからでしょうか。

セルのDVDは持っているのですが、なんとなく物足りない気がしていたので、東京版を見られてよかった。そして舞台は生きものと言うのは本当だなと実感しました。

ベルサイユのばら オスカル編 アンドレ役替わり公演

2008年12月20日 | ”う”茶の間
CSで放送している「ベルサイユのばら-オスカル編」(雪組2006年)のアンドレ役替り公演がおもしろい。
私は東京宝塚劇場に貴城けい、水夏希のアンドレを観に行きました。当時はビギナーだったので、「ベルばら」は宝塚の代表作だから一度は押さえておこうという程度の認識でした。他の組からのゲスト出演の面白さがわかっていなかったので、2度観れば充分と思い、安蘭けいのチケットを取ろうと思わなかったし、現実問題として取れなかったでしょうね。
言うまでもなく、「ベルばら」の絢爛豪華な少女趣味の世界は他の追随を許さないものがあります。観ていると子供の頃の夢や憧れ、思い出がよみがえります。(この公演だけでなく、その後の全国ツアーに知り合いを誘って、何人かの宝塚デビューをお手伝いしましたが、あの「ベルばら」の世界に触れられたことに、全員が大満足しています)

しかし個人の感想ですが、内容に関しては“感動して泣いた”と言う声が信じられず(ごめんなさい)、古き良き時代の大芝居と思っていました(過去形です)。マロングラッセが出兵するアンドレを見送る時に「おまえの命にかえてもお嬢様をお守りするんだよ~」と叫ぶところは切なくて涙があふれましたが(何度見ても、誰が演じてもここは泣けちゃう)、女性の自立、祖国への愛をテーマにされても、30年前ならよかったけれど今更共感できる部分はないな、と。オスカルとアンドレが死んでしまうのは悲劇? でも天国で結ばれると思えばハッピーエンド? だから日本人の気質に合うの? 割と客観的でした。

過去の公演、星組公演の映像を見るにつけ、私の中では朝海ひかるのオスカルは今のところ不動。ごつすぎず、可愛すぎず、せりふのテンポのよさが心地いい。

ここのところCSで放送している春野寿美礼、安蘭けい、湖月わたる、瀬奈じゅんのアンドレ役替わり公演を見て、そのたびに新鮮で感動を新たにしています。朝海ひかるを軸に、アンドレが変わるだけでこんなに印象が変わるものかというのが役替わり公演の見所。

プロローグでアンドレズ(アンドレとおそろいの軍服を着たダンサーたち)を引きつれての踊り。マントを翻して銀橋を渡り、客席に目線を投げるところは、ナルシストの一面をもつ男役の完成度を御披露する見本市のよう。マロングラッセやルルーにからかわれるところはお茶目な一面を出せるところで、大体ここでアドリブが入ります。ワインに毒を入れる場面は、キャビネットに行く途中で椅子につまづくかどうか、目が見えないことをどの程度観客にわからせるか、演技に差がでます。流れ星を見つけて声をあげるオスカルの肩に手を置くところも、ガシッといくか、そっといくか、個人によって違います。
オスカルに「わたしが好きか?」と聞かれて「千の誓いが欲しいか?」と時代掛かった台詞を言うところはどれくらい芝居っぽく言うのか。「今宵一夜」のラブシーンの美しさ、橋の上で撃たれてから絶命するまでのねちっこさ。割と好きなのは、天国の馬車に乗ってオスカルを迎える時の笑顔、フィナーレのデュエットダンス(男役2人ですが、デュエットダンスでいいでしょうか?)など、役者が違うと一から見るようで興味が尽きません。

舞台で観た時も堪能したし、貴城けいのアンドレもよかったです。でも、きれいで線が細くて、庶民よりも貴族向きで、比較すればジェローデル役の方があっていました。水夏希のアンドレはワイルドで、こちらの方がアンドレ像に近いし、惚れました。(でも、考えてみるとアランが水さんのはまり役!オスカルよりもジェローデルよりもアランがあっています)

春野寿美礼は大芝居向きの演技の中に懐の深さが感じられ、歌唱力は言うまでもなく、包容力、オスカルへのひたむきな愛が痛いほど伝わり、初めて泣けました。

安蘭けいは、安蘭けいだけが映っているDVDを買って見てはいましたが、全編を通した放送を見て、アラン像がようやくつながりました。プロローグで見せる男役としての完成度はピカイチ。全編を通じて身分の違いゆえに幼いころからどんなに辛かっただろうと思わせる切なさ、哀愁がにじみ出ています。ルルーにからかわれるところでは、ベルばら史上屈指と思える大胆なアドリブを披露しています。(堂々と受けるジャルジェ将軍役の星原美佐緒もステキ)デュエットダンスは、朝海ひかると背格好が似ているので双子姉妹のよう。同期ならではの呼吸も見ていて気持ちがいい。せり下がるときの色っぽい表情も、舞台上のみんなもつられて笑ってしまう楽しいごあいさつも大好きです。

湖月わたるは、星組公演「フェルゼンとマリー・アントワネット編」の大劇場公演と東京劇場公演の間の3日間という無茶なスケジュールで稽古期間も短かったでしょうし、フェルゼンからの切り替えも難しいでしょう、アンドレとしてそれほど深まっていない感じがしました。でも陽性の魅力、力強さはさすがです。マロングラッセを捕まえて、抱き上げて振り回していました。フィナーレでは伸びやかなダンスが微笑ましい。他のどんな男役でも娘役に見せてしまう長身を生かし、いっそのこと朝海ひかるをリフトしてほしかったです。

さて観るほどに感動が深くなるものなのでしょうか。何度も観ているのに、瀬奈じゅんのアンドレを見て大泣きしてしまったわたし。
瀬奈じゅんは、流し目と唇に浮かべた笑いや投げキッスで悩殺する男役です。女を落とすアンドレって、聞いたことないけれど、その瀬奈じゅんらしさがかわしい。
「ベルばら」様式の、あるいは男役としての完成度というより、可能な限りナチュラルな役作り。マロングラッセに叱られた時の“チッ、やんなっちまうな”という声が聞こえてきそうな表情! ルルーに追い付いてルルー本人を振り回すのも瀬奈じゅんらしい。天国の馬車でオスカルを迎える時の表情もかわしいし、デュエットダンスで朝海ひかるを見つめる表情が、純粋無垢で人懐っこくて子犬のよう。役を離れ、朝海ひかると舞台に立っているのが嬉しくて嬉しくて仕方がないといった感じ。そうかと思えばいつものキザな流し目でファンサービスてんこ盛り。最後のせり下がりでは、バチバチと音のしそうなほどの派手なウインク三連発で朝海ひかるをも落とそうとしていて、これにはコムちゃんも笑いを堪えきれない様子でした。
フィナーレで朝海ひかるはセミロングとロングの鬘をかぶり、男装の麗人として中性的に自分を演出していたと思うのですが、瀬奈じゅんに触発されたのでしょうか、この時が一番目力が強く、男役であることを意識していたように思います。長丁場なのでコンディションもあったでしょうが、100パーセントわたしの主観で言わせていただければ、全編を通して朝海ひかるは瀬奈じゅんが相手の時が一番いい仕事をしていました。

瀬奈じゅんが最後の日のご挨拶の時、朝海ひかるは、“下級生の頃よく一緒にいたずらをして怒られていたのを思い出し、オスカルとアンドレの子供時代が重なった”と言っています。役作りや理屈を超えた相性、ケミストリーというべきものなのでしょう。本来、役者としての使命と相性は別のものですが、役に没頭することができ、それが感動を呼ぶという面も確かにあると思います。

「マリポーサの花」観にいった日のこぼれ話

2008年10月21日 | ”う”茶の間
わたしが観に行ったとき、団体客が二つ入っていましたが、その一つはエレクトロニクス関連企業で、背広を着た中年のおじさま達が60名以上いらっしゃいました。
男性客限定とは、歌劇団の新規顧客開拓作戦の一貫でしょうか。「マリポーサの花」は軍事政権を倒すという社会性のある設定で、今の日本から見たらリアリティがないのですが、全共闘世代には懐かしいテーマかもしれません。
女性にはとっつきにくいテーマですが、男性にはどうでしょうか?席が離れていたので反応がわからず、訪ねていって取材したいくらいでした。
観劇後、地下鉄の駅に向かうまでの短い間でしたが、観おわった三人のおじさまが前を歩いていたので後をつけて、会話を盗み聞きしました

 …
「あそこまでやってくれるなら、一番前で観たいよなあ」
「あれは8,000円と10,000円の違い?」
「だったら絶対10,000円だよな」
 …
「ジャニーズみたいなもんなんだろ?」
「ジャニーズって?」
「いるんだよ、女の子がキャーキャー騒ぐアイドルがいっぱいいるところが」
 …
「俺はやっぱりウサギちゃん(ロケット)だな」
「あ、俺も昔SKD観にいった」

細切れだし、残念ながら芝居に関する感想はきけませんでしたが、基本的にはエンターテイメント性の高さに大満足のようでした。
男性が注目するのはやはり娘役ですね。どの子も本当にきれいでした。愛原美加がかなり大人っぽくなってました。

「赤と黒」DVDと原作

2008年06月20日 | ”う”茶の間
 男性が映画等のDVDを買う時は、映画を見逃した時で、女性の場合は映画が気に入った時だそうです。気に入ったから買うって、当たってる~。そう、「赤と黒」は(も!)保存版のつもりで買いました。若干古い言い方ですが高品位、高品質の舞台の感動がよみがえります。アップ画面では安蘭けい本人の美しさと、野心に燃えるジュリアンの表情が堪能できます。
 ところで舞台を観に行く前に原作を読み直しました。読み“直した”と言っても、学生時代の記憶は曖昧だし、読み直して思ったことは、社会背景や男女の駆け引きが難しくて、当時わからなかったのは当然だったなということ。とくに後者。なかでもジュリアンとマチルドとの関係。愛=愛されること=相手の心を支配すること。自分の心を支配した相手を憎んで軽蔑したり、相手の心を掴むために、相手を軽蔑し、嫉妬の炎を燃やさせるという大人の世界が、当時はまったくわかりませんでした。しかし、これが文芸作品のおもしろいところなんですよね。

 原作は副題に“年代記”とあるように、一人の青年の生きざまを通して、作者の生きた時代を描いています。最後の法廷での下り。もともと平民には不利な陪審員メンバーだったので、彼がしおらしくしていたとしても有罪だったかもしれませんが、刑が軽減される可能性はゼロではありませんでした。しかしジュリアンは最終弁論で貴族社会への侮蔑とナポレオン賛美をぶちまけまてしまいます。それは皮肉なことに彼が生まれて初めて思想を吐露できた場所だったのです。その結果、彼は貴族を襲った殺人未遂の罪よりも、厚顔無知な危険思想の持ち主として裁かれてしまいます。
 柴田宥宏の作品ではそんな思想的背景は最小限に押さえ、愛してはいけない人を身分を越えて愛してしまった罪ゆえに裁かれるという恋の悲劇に凝縮されていました。通常の裁判であればジュリアンが法廷でレナール夫人との馴れ初めや恋愛感情の変化を説明したり、使用人エリザが不倫現場の目撃談を証言する必然性はないし、原作にはありません。しかしそこは現実の法廷ではなく、彼の身分を越えた恋心を裁く法廷。実に見事な宝塚化の手法だと思います。
 余談の上にさらに余談ですが、暗い場内に裁判長の「被告!」という声が響くと、その度に反射的に「ルイジ・ルキーニ」を連想して苦笑しました。