音訳ボランティア サークル声

音訳ボランティアについて活動内容の紹介や課題などについて紹介してまいります。

ボランティアをやってみて

2018-03-19 00:56:44 | 旧ブログ記事

20180318

とても昨今の価値観は多様化している。

人は均一ではないのだから、いろいろな考え方の人が居るし、人さまざまは当然のことだ。しかしここに私は、私達は、という共通性を求めたり要求していくと差別になったり、排除になったりと困った事も起きてくる。

私は多様性というか、違いを認め合うあり方が普通になったら有り難いと思う。多様性もいろいろあるが、グローバルの時代でもあるから出身の国や地域、地方もある。言葉や習慣、好みが違う人たちもいる。

また別の切り口になるが、障害のない人から見ると障害のある人もひとつの多様性だと云えると思う。障害も視覚障害だけでなく身体障害もあれば聴覚障害もある。障害も多様だ。

ボランティアも多様だ。人間は均一ではないのだから、参加しやすい日時は様々、参加動機も十人十色です。求めるモノも違えば、喜びや悲しみも別だと理解した方が間違いは少ないと思うのです。

何が云いたいのか?

自分の立場や意見、考え方、見方、等々。自分は少数派なのです。自分の常識は全体から見ると非常識と思っていた方が間違いは少ない。善意好意でしたことがその通りに理解されない、誤解されるというのはよくある話というか、日常茶飯事。

いろんなボランティアがあっていいじゃないか。認め合って、理解し合うことに労力を費やした方がいいボランティになると思います。意に沿わないから感情的になるとか、形に合わないから、責める・諦める・排除するというような事がないようにしたいですね。

”私は少数派”ですから。

サラリーマン時代は、こんな考え方はしたことが無かったと思います。30年以上習慣化してきましたから体質になってしまっていたでしょう。時々元に戻ることもあるかもしれません。

自分の考え方は極めて常識的で、間違っていない。今から思うと極めて傲慢だったと思います。でもボランティアや畑の作物や微生物のあり方を知って、そういうところに気付かせてもらったようです。

自分は”少数派”。正しいか間違っているかではなく”小数”だということです。多数が正しいとは限りません。

だからお互いの多様性を認め、相手を尊重し、理解しようとするのだと思います。



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