音訳ボランティア サークル声

音訳ボランティアについて活動内容の紹介や課題などについて紹介してまいります。

音読の重要性についての一見解

2017-07-31 09:00:00 | 旧ブログ記事

20170731

朝日新聞にとても興味深い記事が掲載された。「政治家の皆さんも音読をしていれば、こんな恥をさらすことはなかった」という記事でした。

最初にお断りするが、私は自民党支持でもないし、安倍さんも好きな人ではない。だから彼を中傷するためにこのブログ記事を書こうと思ったのではない。ここに日本語の現状が垣間見られる良い記事だと思ったからということです。注目も集めている公人の発言がきっかけになったということです。

さて肝心の内容ですが、

この発言(インタビュー記事と思われる)をした山口さんは、「この時代、言葉が空疎だ」と指摘する。安倍首相やトランプ大統領の発言を題材にしている。

国会でもめた「テロ等準備罪(共謀罪)」についての安倍総理の国会答弁(今年1月)から始まっている。野党からこの法案の取締り対象を質問された際に、安倍さんは「そもそも罪を犯すことを目的とする集団でなければならない」と答弁したという。

「最初から犯罪を目的とする集団のみが対象なら、オウム真理教のような宗教団体は対象から外される」と指摘を受け、「そもそも」という言葉の使い方を誤ったと謝罪すれば済んだであろうものを、『「そもそも」とは「基本的には」という意味だ』と強弁した。

安倍さんはそう云っても、主要な辞書の項目「そもそも」には「最初から」「はじめ」「元来」といった意味が並び、「基本的な」という意味など見つからない、と更に指摘を受ける。

すると驚いたことに、『「そもそも」には「基本的には」という意味がある』とする見解を内閣として閣議決定(5月12日)。つまり辞書にはないが、内閣としてはそういう意味で<そもそも>という言葉を使う と恥の上塗りをするに至る。

「こうなるともはや喜劇だ」と山口氏は表現。「裸の王様」そのものではないか。

更には、かつて安倍さんは「云々(うんぬん)」という答弁書を「でんでん」と読み間違えたて注目を集めた事例なども書かれている。

こういう現状を山口氏は「今の政治は、言葉をあまりにも蔑ろにしていると感じています。民主主義の基本は対話です。異なる価値観を持つ人たちが共存するには、お互いの違いを尊重しあうことが不可欠で、尊重しあい、理解しあうためには言葉がもっとも重要なのですが、その前提が共有できなければ、民主主義は危機的状況に陥りかねません。言葉が軽んじられ、空疎な言葉が飛び交う社会では、短絡的な思考が消費されていくだけになってしまう」と指摘する。

音読の重要性ついて

さて「言葉をあまりにも言葉をあまりにも蔑ろにしているにしている」を音読できるだろうか。残念ながら私は「蔑ろ」で言葉が詰まる。我々は様々な記事や本を音訳をする際に読めない、読み間違える可能性ある場合は調べる作業が必要になってくる。これが黙読と音読の違いだろう。ちなみに「蔑ろ」の読みは「ないがしろ」だ。

山口氏も次のように言う。

 未曾有を「みぞゆう」、便宜を「びんせん」、云々を「でんでん」と、政治家の言い間違いが止まらないのは、政治家が自分の言葉で語っていない、官僚が用意した文書をただなぞっているからだ、という批判も出ているが、山口さんは「たとえ自分で用意した文書でなくとも、政治家自身が「云々」といった漢字を読めないということ自体、由々しき事態だと思いますし、まして言葉の意味を閣議決定で歪めてしまう姿勢など、教養以前の素養すら、きちんと養われていないのではないかと思えてなりません

全くごもっとも。ここまではっきり言ってもらえると胸のつかえがスッと下りる思いがする。

更に音読の重要性について山口氏は持論展開。

 「漢字をうっかり読み間違えてしまうということは、誰にでもあるものだと思います。あるいは、間違った読み方を正しいと思い込んでしまっていることも少なからずある。そうした間違いを気づかせてくれるのも”音読”です」

 子どもの頃、国語の教科書を音読した経験は、誰にでもあるだろう。しかし、大人になるにつれて、声に出して本を読むことは少なくなり、目で文字を追うだけの黙読がメインになる。そこに落とし穴がある、と山口さんは語る。

 「目は嘘をつきます。ごまかすんです。わからない漢字があっても、わからないまま適当にごまかして、目は先へ先へと進んでいきます。途中で立ち止まらずに流してしまうので、自分が読み間違えているとか、実は読めずに飛ばしているといった自覚すら持てません。

 ところが、音読をすると、ごまかしようがありません。読み方の怪しい漢字では必ずつっかえてしまう。あるいは勘違いして覚えていたとしても、声に出して読むことで周囲から間違いを指摘してもらえます。政治家の皆さんも音読を習慣づけていれば、こんな恥を晒すことはなかったでしょうね」

この記事の最後にライターは次のようにまとめている。「政治家と有権者は合わせ鏡」というところでも大きく頷かされる良い記事でした。我々もそうですが政治家にも是非読んでもらいたい記事・本でした。

 「言葉がこれだけ軽んじられ、蔑ろにされている時代ですが、我々市井の人間にとって、教養こそ最大の武器だと考えます。事象を短絡的に考え刹那的に消費してしまうのではなく、いにしえの人々の思考を紐解きながら、多角的に物事を考えて判断する。それを可能にするのが、教養に裏付けられた思考力です。
 政治家と有権者はいわば合わせ鏡のようなもの。言葉を軽んじ、『安倍首相は言葉を知らない』と嘲笑しているだけでは、民主主義は機能不全から脱することはできず良質な政治家は育っていきません。政治家の無教養をあざ笑うよりまず、自分たちの教養を育むことが、回り道にみえて民主主義を回復させる最も近い道のりなのではないでしょうか」

朝日新聞デジタル版より一部引用させてもらいました。

 


8月号広報

2017-07-30 21:00:00 | 旧ブログ記事

20170730

6月に音訳講座に参加してくださった方々の一部も加わり、広報音訳活動が続いています。

 

中川さんの講座を受講されたメンバーの中からも有志の方が加わり、定例活動が行われています。8月号についても活動日は3日あるのですが、今回は3日とも参加できるメンバーが少なくフル出勤できる方は少ない状況です。

私自身も1日(火)は関西に用事で出掛ける予定が以前から入っており欠席。通常は定例会が3日目に行われていますが、3日目参加できる方も少ないという状況でしたので定例会は2日目(1日)に繰り上げて行う事になりました。

皆さんボランティアで参加してくださる人たちなので、今回のように都合でメンバーが集まり難い月もあるのは頷けます。すべきことは今月も「声の広報」をお待ちくださる利用者にきちっとした声の広報が届けばいいことです。都合を調整し合ったり、合意を得て日程を変更したりという調整はあって然るべし。

そのため先日の27日(1回目の活動日)には毎回音訳している記事に加えて、少し多めに録音し、編集をこの日のうちに完成、収納してしまう必要がありました。次の活動日が欠席だからです。1日に参加するメンバーに迷惑が掛からないようにというつもりで早めに、録音もいつもより前倒しで取り組みました。

新しく加わったメンバーも、午前中だけとか、午後だけとか云って都合のつく時間に活動に加わってくれるのは有り難い事です。

今月思った事・感じた事

簡単な誤読や間違いは、デイジーの録音機で聞き返しながら、ある程度修正しておくとその後の処理が簡単に済む。但し録音機をある程度の時間占有してしまう事になるので、その場合には録音室が空いている時間帯に行う方がよい。

個人的問題だが、少し老眼が進んできた場合には、眼鏡の上から掛ける拡大メガネは非常に便利で重宝する。目の疲れが少ないように感じる。想像読み(こう書いてあるのではないかという推測で記事を読むことになり、後で直す箇所が増えてしまう。

 


WEB情報のバリアフリー

2017-07-16 07:30:00 | 旧ブログ記事

20170716

7月11日付朝日新聞に掲載された内容だ。

(ネット点描)誰もが利用しやすいサイト 音声機能、配慮まだまだ

ヤフーは先日の東京都議会議員選挙で、視覚障害者に配慮した特設サイト「聞こえる選挙」を公開した。選挙公報などの情報を音声で読み上げられるようにして、情報格差を問題提起した。あえて内容が目に見えないページを用意し、障害者の現実を体感できるように工夫しているという。

ウェブアクセシビリティー ;ウェブサイトの情報を利用しやすいかどうかの指標。読み上げソフトに対応しているか、動画音声に代わる文字情報があるか、など。約60の基準を定め、サイトを制作するときに達成するようウェブの国際団体が推奨しているらしい。

このサイト、「聴こえる選挙とは」はこちら

このサイトには次のような意見が文字で出されている。

選挙には、見えない格差がある。視覚障がい者にとって。
選挙はみんなに平等である、はずなのに。残念ながら、視覚障がい者は、参加の障壁を感じていました。彼らは普段、「画面の読み上げ機能」を利用し、インターネットから様々な情報を音声などに変換して聞きとっています。ただし、PDF形式は対応できないことがあります。選挙情報において重要な「選挙公報」は、PDF配信が義務付けられており、彼らにとっては何も聞こえない空っぽなページ同然なのです。一見、真っ暗に見えるこのサイト。実は視覚障がい者が、選挙情報を耳で聞きとれるしくみになっています。選挙を、もっとみんなのものに。そのために、ヤフーができることを。テクノロジーで貢献できることを。1歩ずつ、確実に。

差別解消法以降、やっとこいう意見が目に入ってくるようになったのでしょうか。小さな一歩でしょうが、私は(こういう現実を知らなかった)のだなあと、思い知らされました。

このブログも、視覚障がいの方は読めるのでしょうか。写真は当然見られないのですが、情報格差がなくなるような世界になったらいいと思います。

ブログやHP、メールを作成するときは、「正しい日本語表記」をするようにと新聞にはありました。確かに!

ネットの利用者に心がけてほしい配慮として「言葉を正しく使うこと」を挙げる。たとえば、この記事冒頭の「スマ-トフォン」は、正しくは「スマートフォン」。「-」はマイナス記号で、音声機能は「スマ・マイナス・トフォン」と読みあげてしまう。

 だれでも使えることがウェブの真価。アクセシビリティーは技術だけでなく、気遣いにも支えられる。多くの人が配慮を積み重ねることで、だれもが少しずつ快適になっていく。

と記事は締めくくっている。

このブログ記事は、毎回掲載する画像をあえて使用せず作成しました。