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音訳ボランティア サークル声

音訳ボランティアについて活動内容の紹介や課題などについて紹介してまいります。

お詫び

2018-07-03 20:30:00 | 旧ブログ記事

長らくご購読ありがとうございました。

また機会がありましたら、再公開させて頂く事があるかもしれません。

その際にはまたよろしくお願いいたします。

 

またサークル声の通常活動は平常通り継続しています。

このブログの更新のみについて、お休みさせていただきます。

今後とも、ご理解・ご支援をお願いいたします。

 

               2018年 7月 2日


視覚障がいを持つ方への音訳ボランティア

2018-06-30 06:00:00 | 旧ブログ記事

20180629

当初は障がい者に関連する情報を全く持っていなかった。誤解を恐れず申し上げると、障がい者や視覚障害について特別関心があったわけではない。2年ほど前は電車のホームから転落する事故が割と頻発した時期でもあったと覚えている。そう云った事故のニュースに接し、何と痛ましいと思った程度でした。

退職後でもあった時期だったので、何かボランティアを!と漠然と思っていた程度。何か社会に接点を持ちながら少しでもお役に立てればという程度でした。

司馬遼太郎や池波正太郎の歴史ものをじっくり朗読してみたいなあと当初は思っていたのですが、講習会受講をきっかけにして、未知の世界「音訳ボランティア」に足を踏み入れる事になったのです。

今回、音訳講習会を行ったのですが、「誰のために読んでいるのか」「聞いていてくれる人をイメージして読んでみよう」という指摘を何度も聞かされた。

これまで、誌の発行する広報を云われたように、読んでいたにすぎないなあと、ハッとしたのでした。ブラックボックスに声を出していただけだったように思ったのです。「利用者」「視覚障がい者」という一般名詞で表現するような人たちに向けて読んでいたのだが、固有名詞の障がい者がイメージできないで読んでいた。

何故こう読むのか、何故このルールで編集するのか、解らないまま、云われた作業を処理していただけかもしれない。しかし技術的にいろいろ知らなかった知識が増えたり、できなかった読みができるようになったり、いろいろな面で向上している時は、充実感ややり甲斐もあった。

今、音訳の壁にぶつかってみると、原点に戻ってみる事も大切だと思っている。

そんな時に、先日ラジオで聞いた話が、とても新鮮だった。

NHKラジオで、村上里和アナ(見出し画像)が「朗読のススメ」なる話をしていた番組だ。

その番組のHPはこちら

村上里和さんは、NHKの深夜番組「ラジオ深夜便」のアンカー。札幌の暮らしが長かったというが、出身は静岡県。読み聞かせの活動をされているらしい。彼女の話を聞くにつけ、何かとても楽しそうな話だ。読みを聞いてくれるのが、目の前にいる子供たちなのだ。反応も遠慮がなく、ストレートだという話。さらに子供によっては思春期まで長い時間をかけて、話をじっくり自分のモノにしていく子があるという。

読み聞かせの魅力とはどんなものだろうか。


6月の音訳講習会

2018-06-29 06:00:00 | 旧ブログ記事

掛川中央図書館で6月火曜日の午後、3週にわたり音訳講習会が行われました。講師は、ご自身も視覚障害をお持ちだという地元放送局の元アナウンサーでした。

周辺市町で視覚障がい者向けの音訳活動を行っている仲間も参加して下さり、受講者が40名程の大きな講習会となりました。参加された皆さん、お疲れ様でした。

3回の講習会のうち、2回しか参加できなかった私の個人的な印象・感想なのですが、「読み方教室」「声の出し方教室」という感じでした。サークル声のメンバーの公式見解ではありません。視覚障害をお持ちの方に文字情報をどう伝えるかというより、アナウンサーのように抵抗や違和感なく音声を聞く方にどう伝えるかが主だったようでした。の講師の前で半分近くの参加者が、課題のアナウンス原稿や各自が用意した原稿を読み上げ、様々な指摘をしてもらいました。その指摘部分の言葉を芽もしたのですが、以下書上げさせていただきます。

※文書にある言葉の最初(語頭)は高い音で読み出す。

高く読み出すのは、文章全体が暗いシャベリにならないようにするため。明るい話題は明るく聞きたい。

※地名・数字はより明確な発音を

ニュース原稿では内容の最も正しく伝えるべき項目は、聞き間違い去れないように、明瞭に読上げる。

※主役は原稿・中身

「約30人」などでも「およそ40人」と読む工夫もある。「約30人」を「130人」と、「YakuとHyaku」で聞き間違われる可能性がある。情報を正しく受止めてもらえる工夫だ。

※大きな声で

今の声の3倍くらいの大きさに。大きな声で伸び伸びと。笑顔をシャベリに乗せて話して欲しい。

※大きく息を吸う。

呼吸が細かいと言葉途切れ途切れになる。

ゆっくりと大きめの呼吸をすることで、聞く人は頷く間が取れる。頷けると言葉が腑に落ちる。

※原稿を早く読むことが良いのではない

大きな声になるとスピードが速くなる。早くとちらない読みが良いわけではない。ゆったりと、丁寧に、隅々まで。

淡々と読む。バランスが大切。作るな!気取るな!偉ぶるな!!

※誰に話し掛けているのか、イメージしていますか?

※原稿を読み込んでいるか。内容をよく理解しているか。

句読点通りでなくていい。内容を正しく伝えるためにどこで区切るかを考える。いかに聴きやすく、わかり易く読めるかがテーマ。

※ブツ切り読みは、内容が伝わりにくい。

読むことではなく、内容理解が進むとスムーズな読みとなる。

※語尾は伸びない、伸ばさない

流し読み。語尾を伸ばすのは、とちらないようにという工夫。ごまかしの手法。

※文末をささやく人が増えている

※聴きやすい、解りやすいアナウンサーを探してみよう

 

➡どうでしょうか、あなたの隣にメンバーの癖に、何か気が付く事ができますか?原稿を読む人の癖に気を付けて聞いてみましょう。

 


随分と長いお休みでした

2018-06-28 21:00:00 | 旧ブログ記事

20180628

ブログの更新が何と3~4ヶ月もお休みしてしまったのです。そのあたりの事情を説明しようとしても全てが言いわけになってしまいます。だから素直にお詫び申し上げるしかありません。そんなブログですが毎日20~40名の方がご覧頂いていたようです。毎日、毎日、何度見ても更新がされていないブログです。本当にそういう方には申し訳ない思いです。このブログはほとんど私の個人ブログのようになってしまっていました。

もちろん毎月の活動は休むことなく継続していましたし、毎年恒例の「音訳講習会」も6月に行いました。そういった活動の報告も更新すべきでしたが、いろいろな事情で更新されていませんでした。毎日このブログを覗いて頂いた皆さんにはお詫び申し上げます。

最近の活動の様子や愚痴も投稿させて頂く事にしましょう。

 


点字を教えてみて

2018-03-30 21:57:37 | 旧ブログ記事

5年生の孫が春休みだからと遊びに来ました。

待ち構えていた私は、早速、孫に点字の手ほどきを始めました。以前からパズル等がとても好きな子でしたから、興味を持つのは想定していました。小学生に判るように、点字五十音のしくみを解りやすく、母音(あいうえお)の表し方・特徴を説明。さらに、か行、さ行、た行、な行、は行、ま行、ら行の表し方・共通性を説明しました。

や行、わ、を、ん、っ は法則性が無いので覚えるしかない。ですよね。

すると、簡単な言葉は点字表記(6つの点を●と〇で表示)した音は、五十音で読めるようになります。さすがに小学生は頭が柔らかいというか、感心させられます。

彼女は6つの点が全て●だと「め」になる事、これは講習会の黒崎先生も教えてくれました。しかし左の縦3つ(①②③)が●だと「に」、でも右の縦3つ(④⑤⑥)が●の点字はない、という指摘をしてしてきました。面白い気付きです。

数符を教え、数字の1から0までは6つの点のうち、①②④⑤の4つを使い表す事を教え、1から順に0までは、「あいうるらえれりおろ」で表すことを説明すると、私も当初、心配した<数字と次につながる単位が「あいうるら・・・」で始まる場合>はどうするか、という疑問を持つ。「円」「列」という単位などでの数字と単位の区別には「つなぎ符」をつかうルールも説明。

彼女が疑問に思った事は答えましたが、「私は」を「わたしわ」とすることや、「豆腐」を「とーふ」とするルール、更に分かち書きについては説明していません。それを教えるのは本格的に点字を覚える際でいいと思っているからです。小学校の今の「国語」と混乱させてもいけないかなとも思っています。

とにかく、今の段階で彼女に伝えたかったことは、点字や視覚障害者の存在について理解して欲しい。点字は6つの点だけで五十音を表現しようと様々な工夫をしていることも知って欲しい。そして単語だけでも読めるようになったらすばらしいと思ったからです。

点字の手紙は無理でも、点字で言葉をやり取り出来たら面白さが分かってもらえるかもと思っています。

彼女からの思わぬ質問がありました。

目も耳も不自由な人はどうやって思いを伝えたり、他人の思いを理解したりするのか、というものでした。以前、歌を手話で表現しながら、歌を歌った事があるということでした。聴覚障害についてはその際に教えてもらった事があるそうです。

私は視聴覚両方の障害を持つ方のコミュニケーションは知らなかったので、調べてみると私の宿題になっています。ご存知の方はこのブログへのコメントでも結構です。どうぞお教えください。

孫とは目や耳の機能が、不自由なく使えることは大切で、有難いことだという話をする機会にもなりました。

 


自主防災新聞の音訳

2018-03-21 06:00:00 | 旧ブログ記事

20180318

静岡県危機管理部が発行する「自主防災新聞」。2018年3月号が発行され、「広報かけがわ」を毎月音訳している私達は、広報と一緒に配布されたこの「自主防災新聞」も併せて音訳することになった。

この自主防災新聞の今回の主な記事、”特集”は「東海地震に関する情報」に関するこれまでのしくみや対応手順などが無くなり、昨年11月よりは「南海トラフ地震に関する情報」が出されるようになったことを伝えるものでした。地震をめぐる国民・県民への情報提供の形が見直されるという内容です。

これは一般県民にとっても、もちろん視覚、その他多くの障害を持つ人たちにとっても大切な情報です。この情報を私たち音訳者は視覚障がい者にどう伝えるべきなのでしょうか。そんな事を考えました。

内容について詳しく見ても、伝えたいことは、うーん、イマイチよく理解しきれません。こういう場合に”情報”が発せられます、という説明の図ですが、この図をどう音訳するのか。

こちらのPDF(地震防災新聞)でその内容が確認頂けます。

右ページ「自主防災新聞No99」と青地に白抜きで題字がある下の地図です。”情報”が出される例として2つのパターンが地図を使って説明されています。「南海トラフ沿い」と称される海域は西日本全域をカバーする程の広い海域です。

例示されたパターン1は広い南海トラフ沿いの西半分(和歌山より西海域)でM8クラスの地震があった時に、静岡を含む東側海域で連動して地震が発生するかどうかと云うような場合。

 パターン2は 想定のM8~9の地震に比べ小さな規模の地震(M7など)が海域内で発生した場合、南海トラフ大規模地震の前兆か と思われる場合。

こういった場合に「南海トラフ地震に関する情報」が発表されるという事例が示されています。県は防災会議を開始し、住民の事前避難・学校企業の休校休業・公共交通機関の運行停止 等を検討する。

そのため、自治体・学校・企業等の事前防災対応が必要であり、住民は慌てず落ち着いて日常の備えを再確認しましょう。

というものです。ご覧のように「東海地震に関する情報」が発表された時、政府が主導して社会活動に制限を加えて、地震に備えるという「大規模地震対策特別措置法」の内容と比較すると、「国は地震予知に責任を持てないので自分の判断で地震に備えなさい」という内容になったと個人的には受け止めています。

地震対応への大きな方針転向を正しく利用者に伝えたいが、この防災新聞の内容だけでは伝えきれないのではないだろうか と悩むところです。

しかし音訳の務めは、当然のことながら主観や憶測をもって内容を説明するのではなく、書かれている内容をそのまま伝える事が期待されています。しかし防災新聞にある図では、これまでの地震情報の出され方と大きく違ってきた事をそのまま伝えたいところです。何とも悩ましい。


ボランティアをやってみて

2018-03-19 00:56:44 | 旧ブログ記事

20180318

とても昨今の価値観は多様化している。

人は均一ではないのだから、いろいろな考え方の人が居るし、人さまざまは当然のことだ。しかしここに私は、私達は、という共通性を求めたり要求していくと差別になったり、排除になったりと困った事も起きてくる。

私は多様性というか、違いを認め合うあり方が普通になったら有り難いと思う。多様性もいろいろあるが、グローバルの時代でもあるから出身の国や地域、地方もある。言葉や習慣、好みが違う人たちもいる。

また別の切り口になるが、障害のない人から見ると障害のある人もひとつの多様性だと云えると思う。障害も視覚障害だけでなく身体障害もあれば聴覚障害もある。障害も多様だ。

ボランティアも多様だ。人間は均一ではないのだから、参加しやすい日時は様々、参加動機も十人十色です。求めるモノも違えば、喜びや悲しみも別だと理解した方が間違いは少ないと思うのです。

何が云いたいのか?

自分の立場や意見、考え方、見方、等々。自分は少数派なのです。自分の常識は全体から見ると非常識と思っていた方が間違いは少ない。善意好意でしたことがその通りに理解されない、誤解されるというのはよくある話というか、日常茶飯事。

いろんなボランティアがあっていいじゃないか。認め合って、理解し合うことに労力を費やした方がいいボランティになると思います。意に沿わないから感情的になるとか、形に合わないから、責める・諦める・排除するというような事がないようにしたいですね。

”私は少数派”ですから。

サラリーマン時代は、こんな考え方はしたことが無かったと思います。30年以上習慣化してきましたから体質になってしまっていたでしょう。時々元に戻ることもあるかもしれません。

自分の考え方は極めて常識的で、間違っていない。今から思うと極めて傲慢だったと思います。でもボランティアや畑の作物や微生物のあり方を知って、そういうところに気付かせてもらったようです。

自分は”少数派”。正しいか間違っているかではなく”小数”だということです。多数が正しいとは限りません。

だからお互いの多様性を認め、相手を尊重し、理解しようとするのだと思います。


企業での障碍者雇用率について

2018-02-12 13:00:00 | 旧ブログ記事

20180212

私の地元、静岡・掛川から2つ隣の磐田市に住む青年だ。以前から顔を合わせることはあったが、話し込んだのは初めてでした。

現在、同じ市内にある総菜メーカーの調理工場(聞いているとどうも全国企業のセントラルキッチンで従業員は400名以上だという)で3年前から働いているという。工場は年中無休で稼働、休みはシフトが組まれて不定期だと云うが働き甲斐があり楽しそうだった。どうも個別のコミュニケーションはうまく取れないようだが、前に立って自分の意見を述べることはしている。浜松市内のコーラスグループにも参加、現在は時々指揮棒も振っているらしい。そのため私は彼が障碍者であるという認識はしていなかったが手帳を持っているらしい。何とか失調症という病気だったという。

大学までは障碍がなかったようで、特別支援学校ではなく普通の学校に通っていたという。高校時代には年末に京都で行われる高校駅伝にも出場、大学時代は箱根駅伝を目指していたというので驚いた。

その彼が障碍者雇用枠で仕事についたこと、それまではA型事業所というところで働いていたこと、A型事業所には昨年いろいろな問題があったことなど話を聞いたのは、1月の下旬だった。

そんな時に、NHKラジオで「障碍者雇用の現状」の話を聞いた。以下その要約と私の印象。

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今年の春から障がい者雇用率が見直され、2%から2.2%に改定されるという。企業は一定率(民間企業で2%)の障碍者雇用が義務付けられている。その制度は知っていたし、現役時代の名古屋勤務の時には社内に2人の障碍者が総務の仕事をされていた。今回詳しい情報をラジオから得た。いま全国で50万人の障碍者が働いているが、法定雇用率を達成している企業は約半分、3割の企業では全く雇用していない(短時間雇用の障碍者は0.5人、重度障碍者は2人とカウントし、達成できていない企業は1人当たり毎月5万円を支払)状況だそうだ。

そもそもこの制度(障碍者雇用促進法)のねらいは、障碍の有無に関わらず均等に勤労待遇を確保し、それぞれの能力を有効に発揮する事ができるような公平な働く場を確保することだそうだ。昨年の障害者差別禁止法で企業も合理的な配慮をすることが求められており、身近に障碍のある人が働く事で障碍者への見方も変わってくることも期待できると思われる。障碍のある人たちが適材適所で働ける社会になったらいい。

しかし現状は様々で、当たり前に障碍者が仕事をしている企業もある。一方で従業員の中で手帳を持っている人(入社後取得、心臓ペースメーカーなどで)を探して帳尻を合わせる企業もあるという。また納付金を支払うことでこの問題に関わらない企業もあるらしい。

障碍者のための特例子会社を持つ会社の話。これについては思い当たる事がある。私の農業の先生は農法の講演で全国を回っているのだが、広島のスーパーの話を時々する。スーパーの店頭で販売するジャガイモなど野菜を子会社で袋詰めする作業をしているらしい。そこでは障碍者がたくさん働いているようで、それまでの作業とは違う作業をすると思わぬ能力を発揮している人がいるという。先生は人には様々な面があり、一面だけから判断しては間違えるという話をしたかった、その事例だったのでしょうが、こういう話はよく聞くし、よくある事だろう。障碍者自身も自分の別の面が発見できたら夢中になるし、楽しい。広島ではその状況をみた会社の人たちが障碍者を見る目が変わってきたという。そういう変化も期待できる。雇用経験のない企業にとっては「障碍者は単純作業しかできない」と思っている企業もあるようで、合理的配慮をすることでそれぞれの能力を発揮できることが理解されていないようだ。数合わせになってしまっており、根本的な解決には程遠いようだ。

コミュニケーションは苦手だがデータ入力をさせたらミスなく100%完璧だったり、箱詰めしかできないかと思っていたらハンダ付けが得意だったり、全盲者でも音声を聞いてPCで議事録を作らせると早くて間違いがない・・・。一緒に働くと様々な能力があることが判ってくる。能力が認められれば本人の意欲にもつながる。
解説者は「働き甲斐のある人間らしい仕事は障碍のあるなしに関係なくとても大切な事。障碍のある人が働き易い職場は、障碍の無い人にも働きやすい職場である。このような形で『働き方改革』は進んでほしい」と結んでいた。


点訳講習 数字とアルファベット表現

2018-02-11 16:00:00 | 旧ブログ記事

20180211

北陸や東北などは大雪に見舞われているニュースですが、静岡はお陰で雪がないので天気が続いてさえいれば田起こしができます。1月に1回目、2月に2回目、3月に3回目の田起こしを行い、代掻きを経て5月には田植えを行います。2月10日の天気予報で雨がしたので、7・8・9日を中心に田起こしを行いました。音訳のブログは久し振りの更新ですm(__)m。

2月6日(火)は田起こしの調整があり、点訳講習会始まる直前に図書館に滑り込みました。この日は2回目でしたが、前回より少し人数が増えていたような印象です。そして今回は数字とアルファベットの表現を6つの点でどう表現するのかがテーマでした。

かな表現も同じ6つの点で行うので、具体的にはかな表現とどう区別するかでした。

数字表現では”数符(③④⑤⑥の逆L)”をつけ、「ここから数字表現ですよ」というサインをつけておく。

アルファベット表現では”外字符(⑤⑥)”で、数字同様に「ここからはアルファベットです」というサインを付けます。

数符+アで「1」を表します。つまりかな表現のア(①)を数字表現の「1」と読むことになります。6点だけの表現なのでかな表現でも同じ6点を使うことから数字表現の際は同じ表現を使うことになります。

数符の後に、ア(①)で「1」、イ(①②)で「2」、ウ(①④)で「3」、ル(①④⑤)で「4」、ラ(①⑤)で「5」、エ(①②④)で「6」、レ(①②④⑤)で「7」、リ(①②⑤)で「8」、オ(②④)で「9」、ロ(②④⑤)で「0」を表現するそうです。

数詞の後に「アイウルラ、エレリオロ」と覚えるしかないかな。

数詞自体は濁音・半濁音などのマーク(⑤)(⑥)を前に付けますが、そのマークの代わりに数詞符(③④⑤⑥)を付けることで普通のかなと区別しています。

PCのキーボード入力の際、「Shift」キーを押して入力する場合と、押さないで入力する場合で、違う文字入力をするような感覚でしょうか。

アイウルラ、エレリオロ。アイウルラ、エレリオロ。藍売るら、選れリオ路。「藍を売るだろう、選べ リオへの道」我流の覚え方ですが・・・。

数字表現ではかなと数字の入り混じった表現がたくさんあるので、その表現についてルールがあり、例外がありとここにも盛り沢山の覚えることがあります。とりあえず「漢字音と和語読みがあること」を覚えておきます。具体的な点字表現に向かい合った時にテキストプリントを読み返すことと致しましょう。

アルファベット表現も同じでした。偶然ではないでしょうが、abcdefghijklmn・・・・。aからjまでのアルファベット10文字は、数字表現の1から0までの「藍売るら、選れリオ路」と同じ表現を使い、その前に外字符(⑤⑥)をつけることのようです。アルファベット26文字がかな表現のいろいろな点字で置き換える、読み換える事でアルファベット表現に変えているようです。

ここにも大文字表現やTPPやOECDのような略字全大文字表現のルールを覚えておきましょう。

ここまで来ると、点字名刺を作ることができます。

名前、住所、電話番号 を点字で表現できます。見出し画像は参加者がマスクをして点字名刺を点字器で黙々と作成している場面です。私も初めて点字の名刺を作成しました。下がその画像。個人情報でもあるので一部塗りつぶし処理をしています。


点訳と逆点訳

2018-02-06 06:00:00 | 旧ブログ記事

20180205

先日1月30日に受講した点訳講習会。初めてのことでしくみをテキストで確認しただけで、他のメンバーでも少し点訳の経験がある方などは時間中に講師から出される問題を済ませてしまう方もいたようだ。

私は全くの初心者でしたので、スピードについていけませんでした。しかし出された課題を家に持ち帰り、スピードは上がらないのですがやってみると少し感覚が判ってきたような感じがしてきました。

6つの点のうち、①②④で母音を、③⑤⑥で子音をというローマ字のような大原則で音が組み立てられているのが理解できてくると、俄然点字を読むことが、そして読めることが楽しくなってきた。縦1列ではなく3点の三角形で1組になっている工夫も素晴らしい。

点字”モモタロー”をとてもゆっくりでも読めると、「ここまで読めた」と思いながら次を読み始められる。以前の点訳本をたくさん読んでいる小学生の話(ブログはこちら)にでてくるお子さんが、点字を読めるのが楽しくて指の先の油がなくなるまで点字を読む気持ちの一端が理解できたような気もしてくる。点字などの文字で自分の世界がグッと広がる感覚とでもいうのでしょうか、もっとたくさんの点字利用者がそういった感覚で点訳本を読んでいる気持ちが少しだけだけど判ったのは大きい。

同時に前回課題に出ていた「墨字を点訳する作業」。点筆と点字器を使って少し厚さのある用紙に凸凹をつくって点訳する作業もしてみた。この作業は点字の”モモタロー”を読めたことが経験となり、多少早く理解できたのではないだろうか。

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■■今日は■お母さんの■誕生日なので、■

弟と■二人で■大きな■ケーキを■買った。

■■大地震や■火災などは、■いつ■起こるか■

分かりません。■■お休みの■際、■非常袋は■

身近な■所に■置きましょう。

■■中学■時代は■野球部に■所属■

し、■彼は■キャッチャーで■僕は■ファーストを■

守って■いた。

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これを点訳するのだが、濁音・拗音・長音符・句読点などが次々出てくる墨字文章で大変だが、”モモタロー”より作業自体は早く処理できたと思う。画像は私が上の文章を点訳した用紙。

障がい者は墨字文字が見えないので、かな文字表記の点字の場合、音を正確に再現して意味も分かるかな文字でなくてはならない。そのために、助詞の”は””へ”は「わ」「え」と点字では表記する必要があるのだなあとやっと理解できた。

また大手門(おおてもん、オオテモン)と追手門(おうてもん、オーテモン)の区別も必要なのだなあと判ったような気がする。

さて翌日は 数字とアルファベットの点字表記だそうだ。また新たな世界が広がってくるのだろうか。