徳川美術館で行われている源氏物語絵巻の展示を見てきた。そのついでに近所をぶらぶらしてきた。
かつてこの近くの学校に通っていて、徳川園は通学路だった。ただしそのころは今のように整備されておらず、ただ単にモシャモシャ木々が茂っているだけのところだった。
今では池のある立派な庭園がしつらえてあるが、そこはもともと何もない原っぱだった。よく駆け回ったりソフトボールをしたりしていたものだ。そのころのことを思い出すと、あの庭園の何もかも嘘っぽく思えてくる。気分は「のび太のくせに!」である。まあそれを差し引いても、あの庭園はちょっと作りすぎで嘘っぽいと思う。誰が設計したか知らないが、ハッキリ言って駄作だ。もっとも、おばさま方には人気のようだが。
平日にもかかわらず、大変な人出だった。私は背が高いので、美術館や博物館では常に人の後ろの方からのぞき見るようにしている。たいていそれで困らないのだが、今回はよく見えないところが多かった。それぐらい人が多かった。多くが中高年の人で、要するにヒマな人たちである。かつて自分では1円たりとも年金を納めず、それでいて今ノウノウと年金をもらっているおばさま方がくぎ付けで展示物を見て、わずかな収入の中から彼女たちのために必死に年金を納めている人が後ろから申し訳なさそうに展示物をのぞき見る……とまあこういう構図だ。年金制度の矛盾点を観察したければ、ぜひとも美術館に足を運ぶといい。
それはさておき、少し前にやはり徳川美術館で源氏物語絵巻の復元画の展覧会を見たおかげで、今回の展示はおもしろかった。正直なところ、復元画を見ていなければ、源氏物語絵巻はただ色あせた古い絵である。復元画と、それを作る過程のドキュメンタリーを見ることで、何百年も前の古ぼけた絵の奥に昔の人たちの綿密な計画と細かい絵の技術が見えてくる。
美術館を出て、南の出来町通りへ出た。私が学校に通っていたころとずいぶん様子が違う。右、すなわち西へ進み、赤塚の交差点まで行く。ここを左折し、さらに南下する。左側に古めかしい
名古屋陶磁器会館がある。
かつて名古屋で輸出用の陶磁器の絵付けが盛んだったときに作られたものらしい。昭和7年(1932年)に完成した建物だそうだ。時代を感じさせる重厚感である。
国道19号線はこのあたり片道4車線。つぼいのりおの名曲「名古屋はええよ、やっとかめ」に「ナ・ゴ・ヤ・は・えぇ~よ、道が広いがね~」というフレーズがあるが、まさにこれである。よそから来た人、特に東京から来た人には驚きらしい。
本日第2の目的地は平田町の交差点にあるお風呂屋さん「平田温泉」である。20年ぐらい前、中学生のとき、クラブの合宿で学校に寝泊まりしたとき、近所のお風呂屋さんを利用した。(そのころ利用したお風呂屋さんのうち、いくつかはすでになくなっている。)そのとき以来である。やや学校から遠いものの、明るくてきれいなお風呂という印象だった。
久しぶりに入ってみると、やはり今でも明るくてきれいなお風呂だった。ただ、思ったよりも小さく、こじんまりとしていた。中央にあるお湯がいい具合にぬるめで、のんびりゆったりすることができた。
お風呂を出て、しばし近所を歩き回る。ナフコ(はせがわ)があったので入ってみる。珍しい品物はあるだろうか?
ごく当たりさわりのない品ぞろえで、あまりおもしろくなかった。
次の目的地は、一部筋で有名なラーメン屋「巨泉」である。東区役所と平田町の交差点の間ぐらいにあるはずだ……と思ったらすぐに見つかった。多少なりともこのあたりの土地勘があるからわかったが、まったく初めて来る人にはわかりにくいだろうな、ここは。
思い切って「オールスター麺」(醤油味)を注文。全体的な感想としては、「神は細部に宿る」という格言にあてはめていうと、いろいろなところに神様が宿っているという感じ。スープは鶏ガラと魚介類のミックスと思われるが、とてもおだやかで、念入りにダシをとってある。スープの色がかなり黒いが、醤油からい感じはなかった。麺は細くちぢれていた。個人的な印象では、つるつるのストレート細麺でも合いそうだ。トッピングの味付け半熟卵はその火の通り具合といい、芯まで味が染みているところといい、とてもよくできている。肉は柔らかくできている。全体としてインパクトはないが、細かいところまでよく作ってある。おいしくて、お腹がふくれた。
大曽根へ戻る道すがら、ぶらりとナフコ(不二屋)大曽根店へ立ち寄った。会社が違うとはいえ、1日に2軒もナフコへ入ったのは初めてだ。
坂下のナフコと同じ会社ということで、品ぞろえが似ている。魚売り場で刺し身が安くなっていた。かわはぎとはまちを買った。さっそく帰って食べよう。