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メルサがあるがね

名古屋郊外・春日井で暮らす日々

与三郎で年越しそば

2005年12月31日 | 地元の話
高蔵寺農協へ買い物へ行ったところ、店頭で与三郎そばが出店を出していた。年越しそばである。ここのそばはお気に入り。色の黒い田舎そばで、とてもコシが強い。特にザルは最高だ。というわけで迷わず買った。与三郎には甘口と辛口のつゆががある。私は辛口派だが、甘口も悪くない。ザル用のつゆ甘口と辛口と1つずつもらっておいた。

食べて見た。お店でいただくのと同じ黒くてコシのつよい麺。つゆは辛口。薬味はネギ、ゴマ、わさび。シンプルにおいしい。2005年はあまりいい年ではなかったが、これで一年の厄を落として、来る2006年へ期待をつなごう。

マルサンのどて焼き

2005年12月28日 | 地元の話
ずいぶん前に保存食として買っておいた。レトルトのどて焼きである。作っているのは本場岡崎の味噌メーカー・マルサン。会社名はマルサンアイというらしい。名古屋地方以外の人なら、どて焼きは赤だしみそで濃いめに作ったモツ煮だと思えばいい。鍋の縁に味噌を土手のように盛って、少しずつ溶かして味を調節したところからこの名前がついたという説がある。本当かどうかはわからないけど。なお、同じく名古屋名物の味噌カツは、串カツをこの土手焼きのタレに浸して食べたのが起源だという。

さて、このマルサンの土手焼き、さすがに味噌メーカーのものとあって、しっかり濃い味である。甘味もしっかりしている。モツも柔らかく煮えていてよろしい。「ホルモンたっぷり」と銘打っているが、たしかにレトルト製品としてはボリュームも合格点。庶民的な料理なので、もったいぶって量が少ないのはいけない。こういう料理はドカドカッと食べるものだ。私はご飯にかけて食べたが、汁がややゆるめで、ちょうど汁かけご飯のようになった。この食べ方がいいと思う。酒のつまみにするなら、もう少しトロみがでるぐらい煮詰める方がよいだろう。

結構よくできているので、名古屋方面以外に住む気軽な友達へのおみやげによいと思う。きっと喜ばれるだろう。

人込み

2005年12月24日 | 地元の話
食糧の買い出しのためアピタへ行った。食料品売り場は人であふれている。買い物カートの間をぬうように小さい子供がちょろちょろする。しつけの悪いアホ家族ばかりだ、と心の中で文句を言う。とはいえ、ぶつかればケガをさせる危険があるので、子供をよけてゆかなくてはいけない。そのことで頭がいっぱいになってしまって、何も考えられない。ずいぶん前になるが、混雑する電車の中で、人込みから出ていた子供に気づかず、モロにひざげりしてしまったことがある。私は背が高いので、足元には死角が多い。(さいわい子供にケガはなかった。)そのとき以来、人込みで子供がちょろちょろするのは、とても気を使うのだ。すっかりそれでヘトヘトになってしまって、あまり買い物できなかった。なんだかな。

また大雪

2005年12月23日 | 地元の話
昨日の夕方ごろから大雪が降った。よせばいいのに、モロに雪の降る中、私はココストアまで酒を買いに行った。昼までも歩いている人は多くないのに、夜中、この雪の中を歩いているバカは私だけである。目の前にはきれいな新雪が広がっている。風がないせいか、それほど寒く感じない。静かな雪だった。




いちっこ

2005年12月23日 | 地元の話
いちっこ板東リサーチで紹介された尾張旭のお菓子。尾張旭はいちじくの栽培が盛んだそうで、その特産品を材料に地元の菓子屋が合同で作ったという。高蔵寺農協で売っているので買って食べてみた。私はお菓子に詳しくないのでうまく言い表せないが、基本的には洋菓子で、表面はやや固く、中が柔らかい。軽い食感で、あまり甘くなく、口の中に残らない。イヤみな感じがまったくなく、甘いものをあまり口にしない私でも食べやすかった。なかなかよくできている。日ごろのお茶菓子にいいと思う。

旧ココストアくしだ

2005年12月23日 | 地元の話
愛知県コロニーから高蔵寺駅北口へ向かうバスの、白山のバス停の前でマンションの工事をしている。ここにはかつて「ココストアくしだ」があった。このココストアはかつてこのあたり唯一の商店だった。バス通りが現在のようになる前、大きく蛇行しながら朝日橋を通って駅へ向かっていたころには、「やましん」という酒屋だった。現在のパブ「慕情」があるあたりだったと思う。新しい道が通ったのをきっかけに場所を移し、ココストアになった。もう30年ぐらい前の話である。ここは日本酒もワインもよく取りそろえてあり、また野菜も多くおいていたので便利だった。しかし、地元の人たちは近所で買い物するよりも車で遠くのショッピングセンター(アピタやジャスコなど)へ行くのを好むようになり、ココストアの客が減り、少し前にその長い歴史に幕を下ろした。(店主は中部大学の近くに別の店をやっていると聞いている。)今では、街灯に残った看板だけが、ココストアくしだの名残である。(写真の中で、電話番号のところは修正してある。)

山ちゃん金山総本店

2005年12月23日 | 地元の話
金山駅からガード下を鶴舞方面へ少し行ったところにあった。金山周辺は山ちゃんが多いが、ここがその元締めらしい。問答無用の飾り立て。もう金ぴか。なんだこりゃ。店の前に自動車が何台か路上駐車してあるのもちょっと気になるぞ。なお、写真の上の方にある光の筋はエクトプラズマではなく、中央線の電車が走っているのだ。

アーバンクア

2005年12月22日 | 地元の話
一部筋でとても評判がいいということで、温泉施設のアーバンクアへ行ってきた。東別院から歩いて少々である。1番出口から出て直進、女性会館という建物をすぎて、橋の手前を左折。巨大な建物が目に入る。第一印象は「風呂屋が何でこんなに大きいの?」。エスカレータで上階の受付へ。平日の入浴料600円なり。普通の銭湯よりやや高い。広々とした待合室。ホテルのロビーのように広い。階段を昇って浴室へ。階段の途中で男湯と女湯にわかれるようになっているが、この階段も必要以上にでかい。脱衣所もやはり広い。1つ1つのロッカーもでかい。浴室は「向こうがどうなっているのかわからない」ぐらい広い。真ん中に囲いがしてあるのが洗い場で、そのまわりを囲むように広大な浴槽がある。むやみに広い。私は入らなかったが、乾燥サウナとミストサウナがあり、これまた広々としている。とにかく、何もかもが大きくて広い。「風呂屋が何でこんなに大きいの?」という疑問の答えは、「風呂がでかいから」であった。さらに階段を上ると、屋上の露天風呂へ出る。階段を出たすぐのところと、ぐるりと回って反対側と、お風呂が2つある。温かいお湯に使って、頭だけ冷たい風に吹かれるのもオツなものだ。ここは全て天然温泉のお風呂だそうだ。お湯にほのかに色がついている。これだけお風呂を満喫して600円はお値打ちだと思う。それから、洗い場にはボディーソープとリンスインシャンプーがおいてある。基本的にはタオル1本もって入ればいい。

丸愛納豆3パック入り

2005年12月22日 | 地元の話
われらが(?)丸愛納豆といえば今も昔も黄色い紙パック。



コンビニ用と思われるパック入りもあるが、それは黄色とはグレードの違う普通の小粒納豆だ。



しかしこのたび黄色の大粒納豆のパック入りを発見した。



紙パック入りと同じ黄色に赤の色使い。そして「食卓の主役!!」と気合い充分だ。

蓋を開ける。いつもの大粒だ。しかし何か違和感がある。そう、量が少ないのだ。いつもの紙パックは2~3人分入っている。丸愛の大粒といえば、いつもそういう分量で目にしていた。それが1人前の小分けパックになっていると、ずいぶん少ないように思われる。粒が大きいので、さらにそう感じられる。なるほど、これが「公式な1人前」か。なお、味はいつも通り。おいしい納豆だった。

なお、納豆については納豆学会というページにいろいろ詳しい。

魚松(合掌)

2005年12月21日 | 地元の話
東京に長くいて、何年か前から実家(すぐ近く)に転がり込み、そしてこの春に藤山台団地に移った。ここを選んだのは、まず家賃が格安であること、バスの便(藤山台南)がいいこと、そして近所にコンビニ(サークルKとココストア)とスーパー(エスワン)があることだった。私は自動車に乗らない。そして高蔵寺は自動車に乗ることを前提にして街ができている。街の通りには立派な歩道が設けてあるが、歩く人など誰もいない。このあたりの人が移動手段として歩くといえば、自宅から駐車場までだけである。そんな中で、自動車なしで暮らすためには歩いてゆける範囲に基本的なインフラが揃っていることが大事である。特に日々の食料品を扱うスーパーは生命線といっていい。ここに引っ越してから、私は毎日足しげくエスワンに通った。6月下旬にエスワンが突然倒産するまでは。

エスワンがスーパーの形式になる前、「藤山台センター」という独立した小売店が集まった施設だった。こういう「センター」形式の店舗は今でも各地に残っている。(それゆえ地元の古い人たちは、頑なにエスワンを「センター」と呼び続けた。)エスワンの青果売り場はセンターにあった八百屋のおっさんが切り盛りしていた。背が高くて野太い声のおっさんだ。(このおっさんはエスワン倒産後、藤山台郵便局の近くに自前の八百屋「アイコー」を開店した。もちろん、センター時代のままの店名である。)そして、エスワン内部にはエスワンの魚売り場とは別に魚松という魚屋が開業していた。もちろんセンター時代からある魚屋だ。この魚松の刺し身が値段の割においしくて、毎日1皿買って食べていた。これを「本日の魚松生活」などと称して喜んでいた。

エスワンが倒産し、ながらくその建物はもぬけの殻だった。一部筋の噂では、10月に新しい形でスーパーができるという話もあった。しかし何も起こらないうちに11月が過ぎ、そして先日エスワンの建物が取り壊しになった。がれきの山となったエスワンを見て、私はしばし呆然とした。「あのへんに魚松があった」などと、敷地の隅の方をじっと見ていた。



この写真は取り壊しになる数日前、作業用の幕が張られた中に侵入して写したものである。

今、私は日々の食料品を遠くまで買いに行く。よく行くのは坂下のナフコ(隣のスポーツクラブ・アミに通っているため)、東神明のバロー、アピタである。その他、仕事の帰りに高蔵寺農協、気噴のユーストア、そして大曽根のヤマナカやナフコにもゆく。スーパー好きとしては、いろいろ見て回るのが楽しいが、その一方で「かかりつけのスーパー」がないのは寂しい。根無し草になった気分だ。あえていえば「スーパー流浪の民」といったところか。

追記:どこか関連ページにトラックバックさせてもらおうと思って検索したら、エスワンという名前のエロビデオ・メーカーがあるらしいことがわかった。なんだかなぁ。

雪でござんす、ヒュルルルルルル~ン

2005年12月19日 | 地元の話
全国的に冷えているらしい。名古屋地方で本格的に雪が降るのは年に1回か2回、そして12月に降ることは極めて珍しいのだが、今年はよく雪が降る。まるで北国のように。寒い。いやはや参った参った。



とはいえ、わが家には食糧が乏しいので、バスに乗ってアピタへ買い物へ出かけることになった。なぜアピタかといえば、自転車や歩きでゆける範囲には食料品店がなく、バスで行けるといえば実質的にアピタだけだからだ。高蔵寺駅まで出て農協へ行くテもあるにはあるが、品ぞろえや値段を考えに入れるとあまり現実的でない。

天気の悪いとき、しみじみと自動車の運転ができる人がうらやしいと思う。高蔵寺は自動車に乗れない人にはとても住みにくい。昔はそうではなかった。歩いて行ける範囲でたいての用事が足りた。今や人々は駐車場までより一歩でも遠くへは歩かない。だから何万人も人が住んでいる地域の真ん中にあるスーパー(エスワン)がつぶれるのだ。まったくもって世の中の矛盾を感じないではいられない。





雪は強くなったり弱くなったりを繰り返している。雲の厚いところと薄いところが交互に動いているのだろう。このあたりは典型的な太平洋型の気候で、普通の冬型の気圧配置のときは乾燥した晴れ空になる。よほど普通ではない天気なのだろう。

トヨタカップの3位決定戦と決勝を見ながらモツ鍋(味噌味……おいしかった)をつつき、酒を飲み、うとうとした。夜中に目を覚まし、ちょいといい気分で外へ出見た。あいかわらず雪だ。







これまでホワイト・クリスマスというのは歌の世界の話だと思っていたが、今年に限ってはありえるかもしれない。だからといって、格別に盛り上がるわけではないけれど。

こんな雪景色の中で、ところどころ猫らしい足跡が残っている。このあたりの猫はだいたい住み家が決まっているようなので、寝床を探すというよりも、定時のパトロールの跡だろう。縄張り争いが結構あるらしく、日中でも夜中でも猫が喧嘩する声が聞こえる。昨日は近所で派手な抗争があった。

報徳湯

2005年12月17日 | 地元の話
大曽根から環状線を平安通り方面へゆき、平安通4丁目の交差点をすぎて右側、少し入ったところにあるお風呂屋さん。「ゆ」の字が光っているので、通りからもわかる。この名前はおそらく近所にある浄土真宗の宝徳寺から来ているのであろう。その反対は考えにくい。



新しい建物で、内装もきれい。廃業する銭湯が多いなか、改装して営業しているということは、地元の利用客が多いということだろう。銭湯といえば風情のあるレトロな建物がよいという考えもあるし、たしかにその気持ちはよくわかるが、建物うんぬんの前に、まず健全に営業できることが大事である。その点でいえば、宝徳湯は素晴らしい。

こじんまりとした玄関をくぐり、待合室のカウンターでお金を払って脱衣所へ。形としては典型的な名古屋式銭湯で、脱衣所と浴室の間に(全体のバランスからするとやや大きめの)中間スペースがある。案外と小ぶりな浴室は、やはり名古屋式で周りにカランが並び、真ん中に中州の浴槽がある。端の方に(後からつけたのか?)せいぜい1人しか入れない薬風呂がある。広々とした大浴場もいいが、これぐらいの小さめの風呂もまた落ち着くものだ。お湯は熱からずぬるからず。

この辺りには中華屋・ラーメン屋などがあるが、飲み屋はあまりない。風呂上がりの一杯をぷは~っとやりたければ、大曽根駅まで出るのがよさそうだ。(大曽根あたりも決して飲み屋さんが多くないが。)



大曽根東の交差点で猫を見かけた。環状線を渡りたかったらしいのだが、車が多く、タイミングを計ってうろうろしていた。私は猫が大好きだが、こういう困った様子の猫はとくにかわいいと思う。

名城の中華麺

2005年12月08日 | 地元の話
子供のころ、こちらで「3食いり焼きそば」といえば名城が基本だった。それが知らないうちにマルちゃんが入ってきて、次第に名城の焼きそばを見なくなってしまった。しかし今でも名城は健在なようで、こちらでもあまり見なくなってしまった3食入りもあるようだ。(関東・東北・北海道むけ、中部むけ、近畿中四国・九州むけと、3種類あるらしい。へぇ。)ちょっとうれしい。

さて、この中華麺はナフコ植田店で発見。汁ソバにしてよし、焼きソバにしてよし、鍋に入れてよしという万能タイプらしい。たしかにこれだけしっかりとした太麺なら煮込んでも大丈夫そうだ。

焼きそばにしてみた。この太麺は豪快な「男の料理」にぴったりだ。野菜なんてもうザク切り。キャベツなんて手でちぎってしまうのだ。よく炒めて風味を出したら、塩・醤油・カキソースでざざっと味をつけて、最後にごま油をたらりとやったらできあがり。このしっかりとした太麺は、こういういい加減で豪快な料理をしっかりと受け止めてくれる。しっかりアゴを動かしてモリモリ食べる。上品ではないが、これもまた食のよろこびだ。

この太麺であれば、焼きそばの他にも、あんかけのチャンポン風なんかもおもしろそうだ。このように、この中華麺は「こうやって料理してみたい」とおいうお料理インスピレーションをかきたててくれる。単に私がそういういい加減で豪快な料理が好きというだけなのかもしれないが、いずれにしても料理して楽しく、食べておいしい一品だった。

秋の名残

2005年12月03日 | 地元の話
12月に入り、いかにも冬であるが、近所で秋を名残惜しむような紅葉をみつけた。この秋はゆっくり紅葉を見て歩くという暇もなく、慌ただしく過ごしてしまった。来年はもっと余裕をもって過ごしたいものだ。




徳川美術館+ぶらぶら歩き

2005年12月01日 | 地元の話
徳川美術館で行われている源氏物語絵巻の展示を見てきた。そのついでに近所をぶらぶらしてきた。

かつてこの近くの学校に通っていて、徳川園は通学路だった。ただしそのころは今のように整備されておらず、ただ単にモシャモシャ木々が茂っているだけのところだった。





今では池のある立派な庭園がしつらえてあるが、そこはもともと何もない原っぱだった。よく駆け回ったりソフトボールをしたりしていたものだ。そのころのことを思い出すと、あの庭園の何もかも嘘っぽく思えてくる。気分は「のび太のくせに!」である。まあそれを差し引いても、あの庭園はちょっと作りすぎで嘘っぽいと思う。誰が設計したか知らないが、ハッキリ言って駄作だ。もっとも、おばさま方には人気のようだが。



平日にもかかわらず、大変な人出だった。私は背が高いので、美術館や博物館では常に人の後ろの方からのぞき見るようにしている。たいていそれで困らないのだが、今回はよく見えないところが多かった。それぐらい人が多かった。多くが中高年の人で、要するにヒマな人たちである。かつて自分では1円たりとも年金を納めず、それでいて今ノウノウと年金をもらっているおばさま方がくぎ付けで展示物を見て、わずかな収入の中から彼女たちのために必死に年金を納めている人が後ろから申し訳なさそうに展示物をのぞき見る……とまあこういう構図だ。年金制度の矛盾点を観察したければ、ぜひとも美術館に足を運ぶといい。

それはさておき、少し前にやはり徳川美術館で源氏物語絵巻の復元画の展覧会を見たおかげで、今回の展示はおもしろかった。正直なところ、復元画を見ていなければ、源氏物語絵巻はただ色あせた古い絵である。復元画と、それを作る過程のドキュメンタリーを見ることで、何百年も前の古ぼけた絵の奥に昔の人たちの綿密な計画と細かい絵の技術が見えてくる。

美術館を出て、南の出来町通りへ出た。私が学校に通っていたころとずいぶん様子が違う。右、すなわち西へ進み、赤塚の交差点まで行く。ここを左折し、さらに南下する。左側に古めかしい名古屋陶磁器会館がある。



かつて名古屋で輸出用の陶磁器の絵付けが盛んだったときに作られたものらしい。昭和7年(1932年)に完成した建物だそうだ。時代を感じさせる重厚感である。

国道19号線はこのあたり片道4車線。つぼいのりおの名曲「名古屋はええよ、やっとかめ」に「ナ・ゴ・ヤ・は・えぇ~よ、道が広いがね~」というフレーズがあるが、まさにこれである。よそから来た人、特に東京から来た人には驚きらしい。




本日第2の目的地は平田町の交差点にあるお風呂屋さん「平田温泉」である。20年ぐらい前、中学生のとき、クラブの合宿で学校に寝泊まりしたとき、近所のお風呂屋さんを利用した。(そのころ利用したお風呂屋さんのうち、いくつかはすでになくなっている。)そのとき以来である。やや学校から遠いものの、明るくてきれいなお風呂という印象だった。



久しぶりに入ってみると、やはり今でも明るくてきれいなお風呂だった。ただ、思ったよりも小さく、こじんまりとしていた。中央にあるお湯がいい具合にぬるめで、のんびりゆったりすることができた。

お風呂を出て、しばし近所を歩き回る。ナフコ(はせがわ)があったので入ってみる。珍しい品物はあるだろうか?



ごく当たりさわりのない品ぞろえで、あまりおもしろくなかった。

次の目的地は、一部筋で有名なラーメン屋「巨泉」である。東区役所と平田町の交差点の間ぐらいにあるはずだ……と思ったらすぐに見つかった。多少なりともこのあたりの土地勘があるからわかったが、まったく初めて来る人にはわかりにくいだろうな、ここは。



思い切って「オールスター麺」(醤油味)を注文。全体的な感想としては、「神は細部に宿る」という格言にあてはめていうと、いろいろなところに神様が宿っているという感じ。スープは鶏ガラと魚介類のミックスと思われるが、とてもおだやかで、念入りにダシをとってある。スープの色がかなり黒いが、醤油からい感じはなかった。麺は細くちぢれていた。個人的な印象では、つるつるのストレート細麺でも合いそうだ。トッピングの味付け半熟卵はその火の通り具合といい、芯まで味が染みているところといい、とてもよくできている。肉は柔らかくできている。全体としてインパクトはないが、細かいところまでよく作ってある。おいしくて、お腹がふくれた。

大曽根へ戻る道すがら、ぶらりとナフコ(不二屋)大曽根店へ立ち寄った。会社が違うとはいえ、1日に2軒もナフコへ入ったのは初めてだ。



坂下のナフコと同じ会社ということで、品ぞろえが似ている。魚売り場で刺し身が安くなっていた。かわはぎとはまちを買った。さっそく帰って食べよう。