手間ひまかけて作った記念のお菓子
いつもブログを見て下さってありがとう
ございますm(__)m
バブル崩壊直前の平成8年の春
美容室シンデレラはOPENしました。
バブル崩壊寸前の日本だったのにも
かかわらず、サロンをOPENしたその
理由は、世の中が不景気になっても
その悪条件のもとで、もしも生き残って
いけたなら、その後の自分の人生が
きっと楽に過ごせるんじゃないだろうか・・・
その時はただ、そんな事を思いながら
カッコつけていたんですね(~_~;)
店内はお祝いのお花で溢れかえり
ちいさなサロンの物語の始まりです
OPEN当時の店内は、エーゲ海のように壁一面真っ白で
「シンデレラ」というイメージを「大人かわいい」イメージで
デザインしていただきました
向かって左の方は「又吉さん」ではありませんよ!(^_-)
この方はサロンのロゴのデザイナーさんです
高知県で3本の指に入ると言われたちょっと有名な
方でした。デザイン料はけっこうお高いものでしたが、
お陰さまで、とっても素敵なロゴが完成いたしました♪
お高くて驚きましたが、だけど、この看板は一生背負って
いくものだから、逆にお金をかけてた方が「もったいない
から頑張ろう!」って気になるんではないかしら・・・
とにかく私はいつでもポディシブなんです)^o^(
オメデタイくらいに!
シンデレラOPEN直前まで勤めさせて
頂いたサロンのオーナーとツーショット
(OPEN前のセレモニーパーティにて)
私が3年後に独立したいと申し出ても
最後まで気持ちよく勤めさせて下さった
太っ腹なB型のオーナーには今でも
感謝しています
OPEN当時私を支えてくれたスタッフ
メインの美容材料やさんの営業マンの
K君も今は専務さんに昇格していま~す!
二人ともバブリー期の懐かしいヘアスタイル
がスゴイです(^_^メ)メガネフレームも
昭和な臭いがプンプンします
私の父と祖母です
OPEN当日から毎日、父はサロンの
前に立ち、一日中お客さんの数を心配そうに
数えていました(ちょっと怖いくらい愛されてる?!)
父とは喧嘩も絶えませんでしたが、こういう時は
急に血の繋がりを感じます(笑)
今はもう亡き母ですが、母は私の独立を本当に
心から喜んでくれていました
今も時々母に無性に会いたくなって涙する日が
あります
もっと長生きして欲しかったです(ToT)/~~~
最愛のひとり息子です
まだ幼稚園の年長さんでした
母親がスタイリストだとその子供や家族は
本当に犠牲になりまくりです
いつも仕事が遅い私を待ちかねて、学校帰りに
サロンの外からいつも覗いては寂しそうに
帰宅していた息子です(>_<)
今思い出しても胸が痛みます
ちょっと画像が小さいのですが
この手作りケーキはサロンのお客様が
スタッフが退職の際に焼いてくださった
ものです。スタイリストに贈るにふさわしい
ハサミとカットコームが描かれた素敵な
ケーキです
こちらが今年のバレンタインに焼いてくださった
チョコケーキです
本当に店頭に並べて販売できそうな素晴らしい
レベルでございます(゜o゜)
そして、今こうして20年の時を経て、シンデレラは奇跡的に
生き残り続けています。
本当にありがとうございますm(__)m
皆様が心の支えになって下さったからこそ
最愛の母の死にもなんとか耐えられました。
仕事をしていたからこそ救われました。
シンデレラはこれから先の未来に向かって
今もなお、日々前進しようと精進しております。
人生いろいろな山も谷も超えて参りました。
だからでしょうか?!
私はものスゴイたくましい、あつかましい、元気な
人格をとうとう手に入れてしまいました(゜o゜)
いっぱい泣いていっぱい笑ってきたので、もう、何事にも
動じない位しゃあしゃあとした元気なオバサマでございます(^_-)
だけど、このあつかましいオバサマは、きっとあなたの
お役に立てるような気がします。
特に「もう、死んでしまいたい」などと落ち込む
ような日がございましたら、その前にちょっとだけここに
立ち寄ってみてください。
多分そのようなお気持ちは一気に吹き飛んで
しまわれること間違いなしですよ!!
人生は振り返ると本当に切なくて、時には残酷で、
こころが痛む日もあるでしょう。
けれど、せっかくこの世に生まれて来たのですから
少しでも楽しんで生きていけるように考えたいものです。
私はもう、決して若くはありませんが、若作りしながら(笑)
残りの人生を日々大切に丁寧に丁寧に歩んで行こうと
思っております。
これから先もどうかよろしくよろしくお願いいたしますm(__)m
そして、ありがとうございますm(__)m
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