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死を自覚する…認識論と死 2005/11/23

2020年04月06日 08時59分39秒 | ノート note
ちゅうたしげるのPoemStation
2005年11月23日(水)

小論 思うのは勝手(認識論と死)


----外的原因は(外的作用に依存して形成されつつあるところの)
内的諸条件をとおして作用する。
(エス・エリ・ルビンシュテイン「存在と意識」青木書店)


 わたしは凡暗(ぼんくら)だからまともに勉強しなかった。本気で学問をしていたのは小学校の3年から6年生まで、それから「マルクス主義」と出会って19歳から30歳で発病するまでの10年間だけ。中学校と高校では授業中も帰宅してもうわの空でまともに勉強しなかったから成績もかんばしくなかった。

 わたしは学生時代に教育学部だったのでマルクス主義の「集団主義教育」だとか「人格」の「発達」(?)論だとかやっていたのだ。人間はそれぞれの個人や集団が法則的に「発達」してそれは社会の進歩、社会変革につながるという命題をつねに抱え込んでいた。(卒論はJ・ピアジェ論)

 個人の発達は人間の意識、認識の生成と発達につながる。わたしはマルクス主義を学びながら、意識論、認識論の考察に没頭した。
 マルクス主義は強固なスターリニズム的外枠を取り外せば個々の考察や事実への認識において今でも有用だと思っている。だからわたしの学んだものは無駄だったとは思わない。

 わたしが至りついた認識論の究極テーゼは

 「思うのは勝って」

 という単純な命題だった。だがこれはわたしの敵に向かってこそ放つ言葉なのだ。

 世界を強権的に支配しているのに「民主主義」だとか「自由」だとかを実現しているのだと思い込んでいる者たち、一度も自らを疑ったことも否定したことも無くただ「自分は正しい」とだけ信じ込んでいる者達に向けて

 「あなたがそう思うのは勝ってだから自分の思いたいように思って、さっさとあの世に行ってまで後生大事に信じ込んでいろ」と。

 「すべての結論を疑う」という学問的態度を知らず。自己の価値観を否定したこともなく自己の意識を毫も疑うことなく。親だとか教師だとか世間だとか「党」だとか、有名人とか、権威だとか、外から与えられた「価値」に埋没して、ただ自分の意識内に自足している者たちに向けて投げ撃つ言葉なのだ。それは埴谷雄高の「自同律の不快」に通じる。

 実際、わたしがHPを開設しようが、それを見ようが見まいが、ぜんぜんそんなことは知るまいが。……。
 わたしが告示三日前に突然議会選挙に思いついて無投票をひっくり返そうが、選挙中に「死を見つめ、時間を見つめよう」などと演説してまわろうが……。人が誰それの候補者の応援をしようが、誰それの候補者に投票しようが投票すまいが、有権者がどの候補者を当選させようが落選させようが、そもそもくだらない選挙など行くまいが、そんなことはその人の責任と選択というにすぎない。

 思考には具体的材料が必要だから「勝手に思う」ことなどできもしないのだが、人はただ他人の言うことやテレビやラジオや新聞やインターネット情報やに直接に影響され(だまされ)たまま「自分は中庸だ、正しい」などと強固に思い込んでいる。

 「思うのはカラスの勝手」ではあるのだけれど、自分の意識とは関わりなく自然も、社会も、他者も、別の論理で動き存在している。そして意識は現実のすべてを認識することなどできない。「思うのは勝手」というテーゼは一片の真実であるが、意識とは離れた実在を前提にしている。自分の都合だけで世の中が出来上がっていないことなど誰でも知っていることだ。思いもよらず成立した現実によってしばしば意識は裏切られる。意識は自己とは関わらない実在から強烈なしっぺがえしを喰らう。どんなに精密な科学を動員しても現実は「思ったようには」いかないのだ。

 だから「意識は誤る」ように出来ている。意識はつねに虚偽意識だと言って良い。間違っているのは自分自身なのだ。

 そして死を前にしてからも人は「勝手に思っている」。死はつねに迫っているのに、人は明日とか数ヶ月先とか何年先とか思っている。無数の死の原因に取り巻かれているのにもかかわらず平然とのんきなのだ。「思うのは勝って」だから。

 「確実な自己の死」を見つめない者の言葉などわたしは相手にしない。死を自覚するとは生を自覚することだ。自覚の無い生は愚かなけだものの生命に過ぎない。

 埴谷雄高は40歳代前半で死にかけている。黒田喜夫は30代で「除名」を前にして死にかけていた。当然ながら死を覚悟していた。ウィトゲンシュタインは戦場の体験があり思考をその後大きく転回する。ハイデッガーも軍隊経験があり「存在と時間」は死を自覚した者の書だ。A・グラムシも監獄で死を自覚していた。原民喜の原爆体験にせよ。ドストエフスキーの死刑判決から「死の家の記録」にせよ。

 三島由紀夫の「自決」行為などは猿芝居だ。自己の死の宣伝利用。大げさな見世物にすぎない。自死する者などありふれているではないか。「自己の確実な死」を見つめた者の行為ではない。自分の死を世間に向けて強引にイデオロギッシュにプロパガンダし、軽薄なヒロイズムに陶酔して自身を手段に貶めた愚劣な行為に過ぎない。極端な右翼思想はしばしば「死を演技」する。

 アウシュヴィッツで抵抗したユダヤ人たち、ファシズムと闘った対独レジスタンスの若者たち、イラクで、パレスチナで抵抗する民衆、日本帝国軍と戦った抗日中国人兵士、抗日朝鮮パルチザン、韓国光州で蜂起した人々、ベトナム独立革命に命を捧げた人々……。名もない多くの人達こそ自己の死に対して勇敢だった。そしてそれは、「靖国の死」に対峙する。

 ファシズムと戦ったそれぞれに生きていたいはずの彼らにとって、その時そこで死を選び取る主体の論理と必然があったのだ。彼らの生はみなともに同じくささやかなものだろうが、その死は真に偉大だ。人間の名において真に闘った彼ら無名の死者に対して世界は生者の独占物ではない。

 わたしの意識がどんな状態にあろうと、楽しかろうが不快であろうが、明るかろうが暗かろうが、夢中だろうが、安楽だろうが苦しかろうが、そんなことにはまったく関わりなく死は在る。死とは言語と意識という現象とは間接的に離れている存在と肉体の滅亡だ。生命の上に浮かんでいる言語と意味の現象に反して、突然に肉体の死が訪れたとしてまったく不思議は無い。一個の「生き物」である以上わたしにとって死はもっとも確実なことだ。死は本来「いまにも訪れる」ものとしてある。そのことを見つめていたい。

 そこから、「時間」という概念に向かう道が拓ける。生きるとは自己とともにある「時間」という概念をこの身で問うことだ。
 
 ささやかだがわたしは自分に問うていたい。

 「おまえは本当に生きたか、闘ったか? 」

 ………、と。



                     (2007.3.23 加筆訂正)

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