精霊の宿り

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Schizophrenie への道

2014年08月13日 06時42分26秒 | PoemStation 過去ログ

ちゅうたしげるのPoemStation
2006年3月7日(火)
Schizophrenie(分裂病)への道


 昨年(2005年6月7日)に紹介したわたしの結婚パーティー(1983/3/19)http://www1.harenet.ne.jp/~chuta/newpage2417.html

 もちろん実行委員をやってくれた若い友人たちのおかげで、会はなごやかに進んだ。会場を世話してくださった人が、たまたまわたしの親戚の人だった。(その方はすでに亡くなられた。)

 その会場に数人の制服の警官が来て、別の部屋でパーティーのアナウンスを聴いていたのだ。それは会場を世話してくださった人に後日わたしが確かめた。

 「高知から活動家が帰って、集会を開くという情報があったので、来た」と警官は言ったらしい。なるほど、わたしは学生時代からマークされた人間だった。

 問題は、その情報は誰が警察に伝えたのか。高知からの情報かと思ったがその可能性は低いとわたしは考えた。身近に警察と通じた人間がいる。

 ちょうどそのあくる4月。一斉地方選挙があった。そこで選挙告示前に共産党の県議候補夫人と現職市議会議員が公職選挙法違反のフレームアップで逮捕された。80年代はじめ、中曽根内閣が発足し「日本列島不沈空母」発言で世間が騒いだころだ。当時の警視総監が警察も一斉地方選挙に影響を与えることは可能だと訓示して、取締りが強化された。警視庁には大型のコンピューターが導入されたと当時わたしは「文化評論」という雑誌で読んだ。

 結婚パーティーの情報を警察に流した人物は誰か。わたしには思い当たる節があった。昨日の日記帳で書いた「蛇を踏んづけたような不気味な」党専従の活動家。その人物だった。

 わたしは党事務所に出かけた。その人物と一対一で結婚パーティーと警官のことをわざと打ち明けた。その人物はそ知らぬ顔でパーティーに出席していたのだ。

 その反応は、黒だ。とわたしは見た。

 しかしわたしは、相手を強く牽制しただけで、それ以上、ことを追及しなかったのだった。スパイというものは二重でも三重でも可能なのだ。

 スパイ。諜報。情報機関。それは歴史上長い人類の裏面史であり、情報化時代の現在もさらに強化され各国、世界中で暗躍している。

2006年3月8日(水)
Schizophrenie(分裂病)への道
---その瞬間


 アメリカ大統領選挙の時こと。ブッシュがテレビ討論のとき、遠隔の通信機を身体に装着して別の場所からの助言にしたがっていた。という新聞記事が背広の背中が少しふくらんでいる写真とともに報道されたことがある。
 携帯電話で男を誘い出し女性が別の場所からの遠隔の通信機で助言を受けながら、男を篭絡し、そこへ男の彼女が現れて浮気の現場を取り押さえる。というテレビ番組がはやったことがある。
 あの遠隔の通信機は、80年代からその筋(諜報)で使われていたようだ。

 わたしが一瞬にして狂気(妄想)の世界へ飛躍したのは、わたしがこの機器をある場で発想したためだ。

 田舎選挙のことは、別の機会に書くだろうが、わたしの青春の全エネルギーを投じた1987年の妻が当町で史上はじめて共産党の公認候補として出馬した議会選挙は、敗北に終わった。わたしが28歳、妻が27歳。長男が3歳、長女が1歳。次男はまだ生まれていない。

 その選挙でわたしは党の地区指導機関と激しく対立した。あれこれあって、選挙後「自己批判書」を機関に提出するなどという滑稽な落ちがあって、わたしはかろうじて党内に留まった。

 それから町内はあわせて行われた激しい町長選挙のしこりが引き続いて、現職町長が選挙法違反で逮捕されたり、新たに町長選挙が行われてわたしの家の親戚の親父が町長選に立候補して当選。その後、町内で青年たちのめざましい大衆運動が起こったりした。わたしもその渦中にいた。

 党活動の矛盾(指導部との対立)をなんとしても承服しがたいわたしは、活動の打開を図って、共産党中央の訴願委員会に直訴した。一度目は県委員会の代表との話し合いが設定されて、訴願は一度は収束するのだが、なんとしても納得いかないわたしは再度訴願委員長(S氏、半年後に脳腫瘍で亡くなった)に手紙を書いた。

 そこで89年2月、党中央委員会中国四国出張所の責任者H氏がわたしの家に派遣された。(H氏はわたしの高知県在住時代の党県委員長。その後中央訴願委員長を務めた。)

 その会談の時のことだ。。

 対座しているH氏が、例の遠隔通信機を使っているのをわたしは見破った(と思った)のだ。その瞬時にわたしの脳は深く遠く妄想の世界に飲み込まれたのだった。

 妄想が妄想を呼び、あふれでる脳内麻薬で制御できないわたしの脳は疲れも知らずそれから4月まで世紀の芝居を現実のなかに見ていた。

 誰も異常に気づかなかった。3月に訴願委員長のS氏が東京から派遣されわたしは党地区事務所で会った。党中央の常任幹部会は、わたしの訴願を重視し「教訓を引き出せ」ということだったらしい。でも、そのときわたしは妄想と現実と区別のつかない”超人”だったのだ。

 4月に至ってやっと、暴れてでどうにもならなくなったわたしを思案しかねてついに妻は、となりの町の党員医師に相談した。薬を飲まされ、岡山の病院に強制的に連れて行かれた。

 *******

 権力機関だけではなく、どんな政党も「諜報活動」をやっていると、見るのが正確だろう。友人関係のなかでさえ、人間の関係は裏切ったり裏切られたり、子どもの世界でも”諜報”はありうる。

2006年3月9日(木)
Schizophrenie(分裂病)への道
---日本天皇制資本主義人民相互監視村より


 きょうはくもり

 どうやら脳が疲れたようだ。
 一日中ぼんやり、ショスタコーヴィッチの交響曲第4番を聴く。スターリン時代のソ連で抑圧され、作曲後二十数年経ってからやっと初演された曲らしい。不思議な交響曲だ。

 こそこそ話し。うわさ話。流言。
 スパイや諜報は、なにも「政治」や軍事の中枢だけの話しではない。われわれの日常だ。

 こんな話はどうか。実話だが。

 十数年前T市の市会議員選挙のこと。共産党公認のある女性候補が立候補した。ところがこの人、国民健康保険税などが隣りのN市の方が安いので、住民票をN市に移したままだった。T市には住民票がないから選挙人名簿にも載っていないはずだった。立候補の資格は無かったにもかかわらず、出馬して当選。文書はあとで党員の市職員がこっそり書きかえたか? そのまま任期をまっとうした。それをN市のこれまた党員の女性議員が知ってしまった。誰にも打ち明けられず悶々と悩んで、ついにノイローゼになり、原因不明の病気になった。

 ついでに病気になったN市の女性議員の父親が党員で、記者会見を行って、事実を公にしようとした。もちろん党内部で激しい圧力。女性議員の兄が党員医師で主治医。組織は兄にも圧力をかけ、ついに父親の老党員は敢えなく腰砕け、記者会見をとりやめて沈黙してしまった。
 
 T市の党女性議員はいまでもそ知らぬ顔で、現職。

 その話しは地域の党組織の間(党委員長の志位和夫も知っているはず)でかなり知られており、当地の新聞社や記者クラブは知らないはずがない。

 *****

 厳然たる貨幣経済の高度資本主義の世の中。われわれは一日たりとも経済活動を抜きに生きることは出来ない。たとえばある会社とある会社が激しく競争しているとき、その会社は相手の会社の内部事情を知りたいと思う。反対に自社の内部事情は厳しく隠そうとする。良くあることだ。諜報なんて人間の生活には日常だ。

 あなたの言葉はスパイ戦。プライバシーとはちょっと違った概念かもしれない。
 ほんとうに自らの自我をはぐくんだ者、自己の内部世界を形成し得た者の言葉は暗号化する。ルネ・シャールやパウル・ツェランやカフカのアフォリズムの難解さは真の必然。
 いつまでも「小学生の作文」しか書けないわたしは詩人ではない。

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