進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

5分の証

2012年02月11日 | 信仰メモ
私は現在、川口市で 卒業生と共に罪人の友・主イエス・キリスト教会を開拓伝道中です。

救われる以前の私は前科7犯の元ヤクザです。 学歴も手に職もありません。おまけに小指もありません。

あってはならない前科と刺青があります。 こんな私が、どこからどうやって救われたのかを証いたします。

18歳の時からやくざ一筋の人生の中で、10年後 組のナンバー2に出世しましたが覚醒剤の打ちすぎで組を破門になってしまいました。

ヤクザになる・・・ということは、社会から信用を失っているということです。 だからヤクザはヤクザの掟の中に生きるのですが、そのヤクザがヤクザから破門される・・・ということは生きる術を失うということです。


そんな中で逮捕されます。 私にとっては、お先真っ暗・・・ しかし、この出来事が救いの始まりでした。

刑務所の暗~い、くら~い独居房のなかで聖書と出会います。

人生をやり直したい!この一心で聖書を読みました。 そこで イゼキエル33:11 に、出会い回心したのです。

わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。かえってその悪人がその罪を悔い改めて生きるのをわたしは喜ぶ。立ち返れ!立ち返れ!お前の悪しき道から。進藤龍也よ!どうして、おまえは死んでもよいのだろうか。


この御言葉で私は 生まれて初めて悔い改めたのです。 今までの自分勝手な生き方を恥じたのです!憎んだのです! 

私が悔い改めたから愛されたんじゃない! 神様の愛を知って 生まれて初めて悔い改めることが出来たのです。


こ~~~~んな 私が救われたのだから、救われたのならば いかに生きるべきか!

救われた者としての生き様が本当の証であると私は思います。


分かりやすい罪人の代表として、ここに立っています。 


死骸であった、ロバの顎の骨のような私であっても イエス様の十字架と復活によって清いもの者とされた。


どんなハンデがあったて、イエス様によって用いられるようになったんです。


ただいま、開拓伝道中ですが 幼い私の説教をきいて、教会を支えて下さる一人一人が 本当の開拓者だと思います。


私はJTJの卒業生の一人として この ITCNを 応援し、祈っていきます。自己紹介も兼ねまして証させて頂きました。感謝します。 

麦の会 発行の和解誌に寄せた記事です(2年前)

2012年02月09日 | 刑務所伝道
麦の会のみなさんへ、

はじめまして。
前科7犯の元極道牧師がすっかり定着してしまった進藤龍也です。
私も刑務所伝道を始めて七年になりますが、当初はもちろん一人で、自分の兄弟分にイエス・キリストを伝え、更正させ、永遠のいのちを得させるために始めたものでしたが、やがて私の兄弟分の姿を見て(刺青を入れて聖書を開き、祈っている姿)文通をしている兄弟分の牧師を紹介してくれという同囚がつぎつぎと現れ、文通の相手が広がって行ったのです。そこで神学校の同窓生の何人かに文通を依頼したのがきっかけで、今も私の他に文通をしてくださっている人が10人ほどいます。そして今現在、名簿に残してはいないので、確かな数字は出ませんが、60〜70人くらいの受刑者と文通をしています。短期刑の人も多いので人数は流動的です。
中経出版「人はかならず、やり直せる」でも、新書「極道牧師の辻説法」(学研パブリッシング)でも書きましたが、人生やり直しの鍵は本気度でしょう。

本気度と言えば、無期囚や死刑囚の本気度には私も感心します。信仰に対する駆け引きがないからでしょうか。早く出たいがために牧師との文通を希望するのではなく、本気で赦されたい、愛されたい、という気持ちが込められています。もちろん短期の人に本気度がないといえば、そうではなく、誰しもがよくなりたいという欲求があります。このままでいいのだろうか、人生を刑務所と社会と行ったり来たりの人生で本当によいのだろうかと考えるでしょう。そこが運命の分かれ道だと思います。そこで全てを投げ打って裸になって、価値観もステイタスも積み上げて来たものも全部を捨てて、一からではなく、ゼロからやり直してみようと思う本気度があるかないかだと思うのです。「極道牧師の辻説法」の中で無期囚からの手紙を引用しておりますが、毎年の面会で彼に言う御言葉があります。「あなたの良い行ないをみて、天の父があがめられるように。」たとえ、社会に出れなかったとしても塀の中で生まれ変わり、その囚人が天の父をあがめるというクリスチャン的生活、平たく言えば、明るくなり、模範囚となって行き、そしてその姿を見た刑務官たちあるいは同囚が神を知るということです。私たちの良い行ないというのはつまり、生けたる真の神を礼拝している事なのだと私は思います。

短期刑の人にとってやり直す鍵は社会に出てからのことでしょう。社会に出た途端に様々な誘惑との戦いがあります。その誘惑に勝つために出所するまで聖書と向き合い、神の言葉を蓄え、信仰を養い、準備運動しなければなりません。私の教会にもたくさんの人が出所して来て、電話をかけてきます。でも実際に教会に来る人はほんのわずか。その中からまたほんのわずかが救われて行くのです。もっと私たちに生活を提供する場所や経済力があれば電話だけではなく、教会にやって来る人はもっと増えて来るでしょう。今でこそ30人ほどの教会に成長していますが、教会に転がり込んで来る人たちがいた時は10人程度であったと思います。流動的に来て自立するか刑務所に逆戻りするかどちらかです。圧倒的に逆戻りが多い。しかしそれは彼らに信仰がなかったと言う事ではありません。私はそう思いたいです。

行く所がないだけであればこんな小さな教会でなくてもよいと思います。ようするに誘惑に負けてしまったのでしょう。選民イスラエルでさえエジプトを脱出してたくさんの奇跡と救いを体験しながらもちょっとした試練でエジプトに帰りたいと嘆く、、、そんな姿は人間の本質なのでしょう。

今現在、教会には一人の青年が、寝泊まりして工事現場に通っていますが、私たちができることは教会で寝泊まりさせてあげることくらいです。もっともっと多くの方にこの働きを知ってもらい、出所者の社会復帰のために生活する場、就職の斡旋などができればと切に思います。一人の犯罪人が社会復帰して犯罪をしなくなれば、犯罪人一人にかかる税金も節約できます。犯罪者の私が言うのだから切実に感じて欲しいです。ほとんどの被疑者は国選弁護人を求めます。そしてこの弁護士料はすべて税金でまかなわれます。ひいて言えば被疑者や服役者にかかる衣食住費、それを管理する刑務官の給料などです。犯罪増加で刑務所の増築がすすむなかで、刑務官の数も増え、さらに税金がこのことに投入されています。つまり日本の犯罪を減らす事が国の税金対策になると真剣に私は考えます。しかし日本の慣習では悪い事をした人については後回しというのが現状です。日本をよくするには、犯罪に手を染めなくてはならなくなったような人たちのこころの入れ替えと、社会復帰する場所と職を提供することではないでしょうか。私はそんなことを真剣に考え、社会にいくらかでも訴えようとしているのです。




神学生の学び会議事録

2012年02月07日 | 議事録
神学生の心得と説教学
5 pm ~
February 13, 2011
@進藤宅
参加者:進藤龍也、白、千、石、S、進藤由美、平田、鷲尾

イザヤ58:13,14

神学生に何が求められているか?神様から、教会員から
石:神学校にかようになってどう変わったか、こういう気持ちだったけど、こういうになったとか?
牧師科を選択したい。刑務所ミニストリーの手伝い。自分にしかできないことをしたい。
白:カウンセラーのほうに行きたい。先生を支えたい。陰で支える仕事をしたいです。
千原:信とのなかで分裂したりするなかでひとつになるように、人と人をつなげる。キリストの体をたてあげるために神様に目を向けられるように導いて行きたい。教会で会うだけでなくて、日頃の行ない心が神様にきよめられないと信徒に悪い影響をあたえてしまうので、日頃から従順にならないといけない。牧師を支えて守っていかなければならない。いのり、行動によって。
S:牧師志願かにはいっている。人生経験も浅く,年若く人見知りしてしまう。人生で悩んでいる人に対して具体的な導きアドバイスはできないこともある。より主とともに歩んでいるかどうか、その姿を見せるしかないと思う。まだ十分ではないが、、、純福音のときはなかなか言えない事もあった。今はぽろぽろだせるようになった。罪友ではそれが許容されているという意味で、真の意味で罪友なのだと思う。人間の交わりとして機能していると思う。自分も欠点もあるし、苦しい事もあるけど、全部それを出せばいいというわけではないけど、自分がどうやって成長すればいいのか、と思う。本格的に牧会するのは進藤先生の年になってからでもいいかと思うけど、それまでは人格的に成長したいと思う。
進藤:スモールグループで教える事。牧師夫人
平田:牧師夫人としてみている。神学校にいってるものを神学生としてみられるのと同じである。
鷲尾:生きるのが精一杯。日替わり。その日によって全く違う。4、5日間ひきこもりなので、誰かを支える、ということはできない。店長経験をしてるときには与えるだけの仕事。守ってあげる,教えてあげる、ばっかりでもらうことがなかった。自分は与えてばっかりで、と思った。進藤先生に、自分の目標としては与えられるものになりたい。目標。
平田:こういうミーティングをもてるのがいいと思う。じゃぁまずは鷲尾さんの話を聞いて、鷲尾さんのために祈りましょう、と言える事がいいと思う。この教会の神学生がひとつになることがいいと思う。いままでにはわからなかった事があった。まず進藤先生を囲んで,神学生が進藤先生を支えて一つになる。そしてmみんなそれぞれの状態をわかってあげて、祈る。奉仕も何々を誰かやってくださいと決めると苦しくなるので、基本は喜んでやる。教会に来るのも楽しいし、時間をさいてやることも楽しいというのが基本だと思う。だから苦しい時は苦しいと言える神学生の交わりとなってほしい。そこが出発点かな、と思う。そういう意味で進藤先生を支え、神学生が柱となって、新しく来た人にできることをしていきたいと思う。たとえ素晴らしい公義メッセージができなくても悲しんでいる人たちに寄り添うだけで、あとは神様がメッセージをさせてくださる。すばらしい人間に神様がしてくださる。今日は本当に教会に来て良かったと思える雰囲気づくりをすればいい。
疲れちゃったら疲れちゃったと言えて、祈れる環境づくりをしたらいいと思う。
喜んで話し合えて、喜んで支えられるようになりたい。
進藤先生もゆみさんも忙しいと思うけど、それを言って、この仕事を誰にとか言わないので、自分たちができることを喜んでやって、できなかったらでは誰それに頼むね、と言えるような雰囲気がいいと思う。
初めて神学生の交わりがなかった。
S:交わりがないと優等生になってしまう。神学生はきよいものというように装わなければならないと思う。犠牲ってバックボーンがあってこそできるもの。ある程度余裕をもって犠牲をはらって教会の奉仕ができると思う。

説教を語るものに先ず必要なもの
平田:羽鳥明の説教の心得をみて、テクニックをもっていてもだめ。わからないとテクニックに走りたいと思ってしまう。説教を語るものは何が必要かというと、いいことを言ったからそれがいいというわけではない。学校でもそうだけど、うまく教えても生徒がならわなければならない。生徒との関係が大切。授業でもならうことがあるけど、やっぱり教会に来てる人たちとこころを開いて話をして、関係をつくることが大切と思う。
進藤:聖書を読む事と祈る事によって人格成長がなされる。人格がなければ言ってる事とやってることが違うという事になってしまう。
平田:これからも進藤先生が他の教会に行く時に、それをどうするか。急に振られても大変なことになっちゃうので、進藤先生にいないときを確認して、話合いで決める。祝福されてやったほうがいいので、強制ではないと思う。順番で割り振る、今日みたいなところがあたって、
鷲尾:ゆくゆくは午後を神学生がするとか。4人いれば一ヶ月の準備期間がある。
石:話せるだけいい。話せない教会もあるから。
S:説教が得意でなくて苦手だった、主が与えるからと思っても、それは無理だった。日頃の生活、みことばのともなった生活が血肉となって、それが現れるので、結局みことばでいきるしかない。説教がうまい得意というは、口がへただといいわけしてるところもあった。そういうものではないかなと思う。
平田:ぼそぼそと話したとしても神様によって響く事がある。話し方教室のようになめらかに話すより、本当に神様が言えということ話せば人に届く。
S:説教者がみことばでいかされているかということが一番大切。そうでなければ最悪、害になるかも。(冗談だけど)
平田:比較する事もない。神様がみんな違っていいって言ってるので、みんなそのときそのときに生かされると思えばいい。神様に愛されているものは試練を与えられる。自分も左手を使えなくて、つらかった。しかし主を信じるものにはその先のものがある。鷲尾さんも今は辛いけど、鷲尾さんにしかわからない信徒があって、神様の計画があると思う。神様を愛せば愛すほど、試練を与えられる。予備校のとき図書館と家の往復だったけど何もしなくて一年過ぎてしまった。元気君は若いというけど、元気君は元気君でいい。
千:病気の時に苦しみの中にあったときに、日頃、神様がいるってことをわかっているのだけど、信じていたのに、病いのなかにあったときに神様がいて、一体化して下さってるということがわかって、自分がなんておろかだったな、と思った。元気な時には神様になんで迎えないのかな、と思った。日との言葉にとらわれやすいものだったけど、人のことばではなくて神様がどう思っておられているのかが知る事ができてよかった。病気のときに礼拝にいくこともできないとsサタンの声を聞いて、自分を責めることもあったけど、そうではなくて、k神様を喜んで苦しい時にも賛美して礼拝する時にそれだけでいい、と神様が言って下さって、教会にいって支える事も大切だけど、神様はそのこころを喜んで下さって、自分ができることはなにかな、と思った時に祈る事だなと思った時に祈れる事を感謝した。文通してるときも質問があったんだけど、セラってなんですか?って言われて、調べた時に詩編は音楽となっているので、オーケストラのようにひとりひとりが賜物があって、それを奏でて音楽となる。あなたに今はセラっていう休止符を与えられているけど、他の姉妹たちが他の楽器があたえられて、音楽をかなでているというメッセージを与えられた。その人がその質問をしてくれてそのことがわかって感謝した。
平田:詩編のセラっていうメッセージ、ブログがよかった。
千:その文通相手の人は単純な質問をしてくるのだけど、それを調べる時に自分も恵まれる。文通も体調がいいときにかくけど、祈る事ができるということがwわかって感謝して、神様にしがみついて行くという事を今回の事でも教えられた。いつも神様はこころを見てるんだな、と教えられた。
平田:メッセージはどうですか?先生がいないときに。無理ならいいのですけど。
白:みんな一通りしたんです。
平田:みんな千原さんの
千:罪友に来てから神様に従う事を訓練させられているなと思う。神様に従うという事は教会の指導者である牧師に従うという事なので、言われればはいといいたい。
平田:まとまっていないのですが、時間なのですが、こういう交わりがとてもいいと思うのですが、この時間がいいか。毎週でなくても月一でも月2でもいいですが。
この次ぎやりたい事、リーダー会と神学生会との関係。一つになればいいと思う。
日曜日に月一で12時くらいに集まる。ごはんを持ち寄って、みんなで食べながらとかでもいいと思う。時間は?5時でもいいけど、、、
石:終わってからのがいい。肉体労働をすると朝起きるのが大変なので。仕事が決まっちゃえばいいんだけど。
平田:では5時で。月何回?
S:月二。
平田:月一で。夕方5時。千原さんは、毎週来る予定ですか?
千:はい。
石:月初め。聖餐式だから忙しいかな。
白:月末。
平井:月末で、
s:5があるときは5。
鷲尾:今月は月末やりますか?
平田:やってもいいんでないですか?神様がやれといったのなら。2月から。

御祈り:石