進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

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「旧約聖書に見る異邦人の救いの予型」 ルカによる福音書‬ ‭4:25-30‬

2019年01月05日 | デボーションシェリング 2016年から

「旧約聖書に見る異邦人の救いの予型」

ルカによる福音書‬ ‭4:25-30‬ ‭JA1955
「よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、 エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。 また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。 会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、 立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。 しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。」
‭‭
観察
イエスキリストが故郷ナザレでの言葉。

子供時代を知る人たちにとってはつまずきであった。

そのキリストの答えがこのテキスト。

旧約聖書の奇跡のオンパレードは出エジプト記と、列王記のエリヤとエリシャである。
また、列王記の奇跡の数々は滅びゆく北イスラエル国家に起こる出来事である。

神の愛が示される列王記は読み応えがある。

旧約聖書における異邦人の救いを引き合いに出した時に、なんと故郷ナザレの人たちはキリストを殺そうとまでした。

その背景には、バカにしてんのか!というプライド。

俺たちは選民なんだ!というプライド。俺たちは滅びるわけないだろ!という間違った神学。

当時、イスラエル人として生まれてた選民は救われてるという神学。また、異邦人と出来る限り交際しないという分離。

現代に適用するならば、クリスチャンも選民意識を捨て、もちろんクリスチャンとしてイエス様の顔に泥を塗るような真似はしないが、プライドを捨てることを心がけること。

プライドと怒りはセットのようなもの。恥と怒りもコインの裏表。

我々は異邦人で救われた。
その感謝を持って、ノンクリスチャンに伝える。

祈り
新年新たに一つとなることを志して、互いに愛し合う!新しい戒めの中で生きて行けるようにおたすけください。アーメン

 

主イエス恵みの教会の証しその1@罪友教会(2018/11/04)


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