進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

詩篇‬ ‭26:1-3‬ ‭JCB黙想

2019年03月09日 | デボーションシェリング 2016年から

「私に対する告発をすべて却下してください、主よ。 私はいつもおきてを守ろうと心がけ、 迷うことなく主に信頼してきましたから。 きびしく調べて、お確かめください。 ああ主よ、動機も愛情も探ってください。 私は、主の恵み深さと真実を 理想として歩んできました。」
‭‭詩篇‬ ‭26:1-3‬ ‭JCB

黙想
人生には、どうしてこんな災難が?
どうしてこんな根も葉もないことが?
潔白に暮らしていても、ふりかかる災いがある。
大切なことは、このみことばのように、いつでも祈れるように生きること。
私たちの人生には神のご計画があり、通るべき道のりもある。
完成された人格の形成には欠かせない訓練と思って乗り切るしかない。
ヨセフの人生を思いおこそう。

 

主が教会を建てる 詩篇124:1


「ペテロの力の源は失敗からの回復」ルカの福音書‬ ‭24:12‬ ‭JCB‬‬

2019年01月25日 | デボーションシェリング 2016年から

「ペテロの力の源は失敗からの回復」

こんなタイトルで、昨夜ザアカイでメッセージをした。
ペテロは罪に泣き、罪を憎み、その罪を赦してもらうことで回復して、再召命をもらう。
これは私たちにあてはまることである。

ルカの福音書‬ ‭24:12‬ ‭JCB‬‬
「しかしペテロは、それでも一応は確認しなければと墓へ行き、身をかがめて中をのぞき込みました。すると、どうでしょう。亜麻布のほかに何も見あたりません。それで、この出来事に驚いて家に戻りました。」
‭‭ルカの福音書‬ ‭24:12‬ ‭JCB‬‬

リビングバイブルでは「一応確認のため」と、かかれているが、意訳だと思う。

私はそうは思わない。
ペテロは「まさか」とか
「もしかしたら会えるかも」という期待に、いや、俺も会いたい!という気持ちで彼は走って行ったのではないだろうか!?

ヨハネの福音書では、ヨハネも走っていったとある。
彼のリーダーとしての
資質はこんなところにも表されているのではないだろうか。
他のものは「たわごと」と片付けて、取り合わなかったのに、ペテロとヨハネだけは走っていって墓を見に行く。

適用
主イエスのことに関しては、走って確認したい。
行動を素早く起こす。
イエスの証をする人の話に感謝する。

祈り
今日から日本橋ミニストリーが始動します。導いてください。インフルエンザも流行っていますので群れをお守りください。ペテロのような純真な気持ちと、罪に泣くものでありたいです。アーメン


「信仰が増すトレーニングは従うこと」ルカ17:12-14

2019年01月18日 | デボーションシェリング 2016年から

「信仰が増すトレーニングは従うこと」

ルカ17章で主イエスは弟子たちに赦すことについて戒められた。すると
「私たちの信仰を増してください」と、言った。

赦すことにおいては「信仰」が必要なことがわかる。赦しとは自分自身のためでもあるのだ。

そして、「信仰を増してください」という願い事に対して、主イエスが話したことは、有名な「からし種ほどの信仰」の話で、その後に、しもべの話をする。しっかり仕えなさい!と。

そして10人のツァラート(思い皮膚病)の人々の癒しの現場になる。
この癒しは、ただ、主イエスの言葉に従っただけで癒されるという現場である。

ルカ17:12-14(新改訳三版)
ある村に入ると、10人のツァラートに冒された人がイエスに出会った。彼らは(隔離されていたので)遠く離れた所に立って、声を張り上げて「イエス様、先生。どうぞあわれんでください」と言った。
イエスはこれを見て言われた。
「行きなさない。そして自分を祭司に見せなさい」
彼らは行く途中できよめられた。

観察
信仰を増してくださいという使徒たちの願いに、回答した「からし種」の話につづいて、給仕するしもべの話。そして、従うことによって、癒された10人のツァラート(ハンセン病)の話。

適用
ルカ17章の一連の話は、「従うこと」が、信仰を増すトレーニングであることがわかる。

ルカ17:19
「あなたの信仰があなたを直したのです」

信仰は自分自身を直すもの。
病だけではない。
考え方、捉え方、あきらめ、ふてり、生き方そのものを直す「信仰」である。

人が人に仕える、人が人に従うということは、互いが人間だから「不満」も出でくるが、結局「愛」で結ばれた関係でなければ乗り越えてともに生きることはできない。
夫婦であろうが、キリストの体なる教会であろうが同じである。

祈り
どうぞ、神の知恵と愛によって一体となる罪人の友 主イエス・キリスト教会でありますように。仕える心、従う心、愛する心をますます伸ばして活き活きと聖霊様が働かれる一人一人となりますように。アーメン

 

デニス牧師の預言〜進藤由美


「旧約聖書に見る異邦人の救いの予型」 ルカによる福音書‬ ‭4:25-30‬

2019年01月05日 | デボーションシェリング 2016年から

「旧約聖書に見る異邦人の救いの予型」

ルカによる福音書‬ ‭4:25-30‬ ‭JA1955
「よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、 エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。 また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。 会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、 立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。 しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。」
‭‭
観察
イエスキリストが故郷ナザレでの言葉。

子供時代を知る人たちにとってはつまずきであった。

そのキリストの答えがこのテキスト。

旧約聖書の奇跡のオンパレードは出エジプト記と、列王記のエリヤとエリシャである。
また、列王記の奇跡の数々は滅びゆく北イスラエル国家に起こる出来事である。

神の愛が示される列王記は読み応えがある。

旧約聖書における異邦人の救いを引き合いに出した時に、なんと故郷ナザレの人たちはキリストを殺そうとまでした。

その背景には、バカにしてんのか!というプライド。

俺たちは選民なんだ!というプライド。俺たちは滅びるわけないだろ!という間違った神学。

当時、イスラエル人として生まれてた選民は救われてるという神学。また、異邦人と出来る限り交際しないという分離。

現代に適用するならば、クリスチャンも選民意識を捨て、もちろんクリスチャンとしてイエス様の顔に泥を塗るような真似はしないが、プライドを捨てることを心がけること。

プライドと怒りはセットのようなもの。恥と怒りもコインの裏表。

我々は異邦人で救われた。
その感謝を持って、ノンクリスチャンに伝える。

祈り
新年新たに一つとなることを志して、互いに愛し合う!新しい戒めの中で生きて行けるようにおたすけください。アーメン

 

主イエス恵みの教会の証しその1@罪友教会(2018/11/04)


〈どM信仰〉1ペテロ2:23

2018年12月29日 | デボーションシェリング 2016年から

1ペテロ2:23
「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しく裁かれる方にお任せしました。」

1ペテロ3:9
「悪を持って悪に報いず、侮辱を持って侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなた方は祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」

使徒5:40-41
「使徒たちを呼んで、彼らを鞭で打ち、イエスの名によって語ってはいけないと言い渡した上で釈放した。そこで使徒たちは御名のために、はずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。」

適用
匿名のインターネットの私への悪口に悩まされていた時期もあった

一貫してヤクザが昔の自慢をするな!刺青を見せるな!いい気になるな!である。

私の恥さらしは、私のようなダメ人間のための希望であるという私の主張は無視されている。

違いを認め愛し合うのがキリスト者であると思うが、正しく裁かれる方に任せるということに徹した。

実際の私の実践は彼らのために毎食前の祈りに赦しと祝福を宣言した。

それを続けただけである。

そうすることで記憶にあるだけで、3名の方が自分から謝罪に来た。うち2人は全く知らない人。

泣きながら来た人もいる。

空想話まで書いて後悔しています!あまりにも進藤龍也が好きすぎて、、、と。

(一年ほど教会にいました

ある方は、履いている靴が片方がサンダルでジャージ姿で電車に乗ってやってきた。

あまりに注目されていて妬んでしまったと。八つ当たりでごめんなさいと、、、

ある人は電話があり謝罪してきた。

その後、その方の近くに伝道にゆくことを告げると空港まで来てくれて土下座された。

本当にごめんなさいと、、、

私は感謝しています。それが神が望んでいることだから。

そして、和解を求めてきた人を受け入れ和解した。

こうして、私は他人においては、キリスト者としてまずまず?の態度をとれていると思う。

他人に激しい言葉で、怒りをぶつけることはなくなりましたが、正直、夫婦喧嘩をすると、ちょっとでも大きな声を出そうものなら、妻からたしなめられます
もちろん、脅し文句や威圧をしているのではなく、主張したい思いの時についつい大きな声になってしまうのです。家庭においての自分が本当の自分でしょう。1人の時が本当の自分であるように。

祈り
私の父、神よ。私を変えてください。あなたの造られた目的を果たす者として。また、家庭においても夫婦は一体の奥義がなされていくように。全く新しい人に変えられた聖書の主人公のように。アーメ

 

妻の足を洗足