ⅭⅩⅩⅧ「明日は日本晴れ」を観る聴く、 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ 2023/11/1
山間のバス、戦後の混乱期、バスの運転手、車掌さん、そして、乗客たち、サングラスの娘、車掌の娘は、知った人らしくて、運転手に問い掛ける、曖昧な返事の運転手、バックミラーのサングラスの娘、そして、客たちの語らい、運転手の横に座った車掌、二人は、フロントを見て、バスの前方を見つめながら、人々の語りを聞いている、笑み、噂話、仕事の帰りの人、按摩さん、二人の笑みとバスの揺れ、此のシーンこそが、映画の全て、戦後の多様な人々が、乗りあわせて、駅に向かう、その狭間の、山の中、前を見つめる二人、その後ろで、語らう者達、孤独に外を見つめる者、何とか、帰りの列車に間に合うか、山での仕事とは、なんの仕事なのだろうか、占い師、サングラスの女は、派手な衣装で、着飾って、美しい、町の女、こうして、映画は、按摩の語りに収斂して、彼のショット、隣に座っている者たちの姿、女と男の数当て、下駄の人、靴の人の数、按摩さんは、音で全てを聞き分けて、なかなかのもの、だが、人の数が合わない、少年が、無銭乗車、見つかったと思ったか、窓から飛び出す少年、バスを止め追いかける運転手、札を手渡して、戦争孤児なのだろう、当てもなく、彷徨うばかり、これで、数は合った、流石按摩さん、サングラスの娘のタバコ、車掌は禁煙ですと、捨てる娘、バスは故障でストップ、皆に降りてもらって、修理、どうにか動いて、また乗ってもらって走り出す、だが、どうも怪しい、やはりストップ、ついに動かないままに、降りたって、修理の運転手、だが、まずは無理と運転手の判断、皆に押してもらって、按摩さんも、娘さんも、夫人たちが、後ろから、着いてくる、峠の車のすれ違いの出来るところまで、ここでならば、通り過ぎる車に、迎えを頼める、車も行かせることが出来る、人々を乗せたバス、だが、辿り着かずに、壊れてしまうバス、まさに、戦後間もない日本そのもの、替えのバスに来てもらわなくては、あるいは、部材を運んでもらって、直さなくては、さてさて、それまで、皆降り立って、時間つぶし、片足の労働者、見つめる紳士、戦時中の部隊を尋ねる紳士、彼こそは、隊長、負傷兵の怒り、突撃、突撃と、満足に武器もないままに、突撃させて、このざまだ、多くの者たちが死んだのだ、怒りから取っ組み合い、殴りつける負傷兵、詰る負傷兵、隊長はそんな過去故に、今、一人一人、部隊の者の墓を参って廻っているのだと、取っ組み合いの中、止めに入る運転手、彼もまた、帰還兵、閣下の下で戦った兵士なのだと、降り立った人々で、歩いていく人は、バス賃を戻しますと車掌、歩き始める人、産婆さんは、速く行かないと、生まれてしまう、男の人が、心配して、おんぶして、山越えだ、先ほどの、閣下も、歩いていく、乗りませんかと運転手、いや、歩きますと、確かに、壊れたバス、これが日本だが、今の閣下には、乗りあわせる立場が無い、申し訳ない、が、謝っても今さらに、祈るしかないのだ、見送る運転手、そこにハイキングの娘さんたちのバス、町の踊り子たち、歌い、踊る娘たち、サングラスの娘を知っていて、サングラスの娘は、町でそこそこに、名を成して、一人の知り合いの娘は誘ってとばかり、笑みの二人、別れ、いまどきのハイキングとは、アメリカ軍のキャンプに向かうのだろうか、そんな車は快適に走り去る、材木を積んだトラック、荷台に乗せてくれと、負傷兵の片足の労働者と仲間が乗り込んで、去っていく、諦めて、元来た道を帰る人は居ますかと、夫人たちは、帰っていく、明日のバスを利用すべく、こうして残ったのは、按摩さんと、聾唖の老人と、サングラスの娘さん、バスの中、運転手と二人に成れて、語りかけるサングラスの娘、判らなかったかと、いや、初めから判っていたと、過去に関係の在った二人、だが、徴用から逃れるために、町に、飛び出して居た娘、生き抜くために、今町では踊り子に、が、死した赤ん坊を墓に埋めに来たのだと、全てを語ったうえで、誘う娘、街で一緒にと、だが、今さらに、戦争が、全てを壊してしまった、今さらに、悲しみ、怒り、運転手、外では、按摩さんと、聾唖のおじいさんの三人の手ぶり、身振りの語らい、清水映画の、足の悪い人物の登場、足を引く人はいつも現れる、そして、朝鮮の人も、やはり、サングラスの娘さんは、朝鮮の人ではないか、また、踊り子たちもまた、在日の人々のハイキングのバスではなかったか、壊れた日本のバスの横で、美しい景色とばかり、楽しんでいる、だが、日本人は、何も言えないのだ、しかも、バスには誰も乗ることもなく、このバスの運転手は乗せもずに、走り去るばかり、十五キロの道、山道でも、小一時間、ハイキングなのだから、余裕で、乗せられるはず、少なくとも、帰っていった人たちは、乗せられる、だが、誰も、語らない、運転手も、車掌も、先に歩き出した人々を乗せて遣ってくれとも、アメリカ軍関係の仕事なのだろう、老人の元気、按摩さんの優しさ、疲れたと車掌、もう少し、二人にしてあげてと按摩さん、二人の過去を知っているのだ、だが、運転手に恋する車掌さんは、この言葉に溜らない、知ってしまった、前に通り過ぎた反対方向のバスの車掌さんも、迎えのバスを寄越すと言ったバスの車掌さんも、運転手に恋していないか、いいわね二人で残ってと、冷やかしていた、按摩さんの言葉を聞いて、泣いてしまう車掌さん、立ちあがり、歩きだし、そのまま、座り込み、泣いてしまう、察したバスから降り立ったサングラスの娘、理解して、別れ、覚悟、果たして、遣ってきたバス、迎えのバスが、乗り込む按摩さんたち、残る二人、笑みの乗り込んだサングラスの娘、按摩さん、聾唖の老人、山、空、雲、あまりの素晴らしさ、光、輝き、風景、日本、日本晴れ、だが、此の日本の敗戦後の地獄の現実の中の日本晴れ、今の日本、コロナ下の後、3.11のあと、過去の敗北同様に、敗北していないか、、敗北を認めて、先進国などから、去ろう、そして、小さく、小さく、再生を考えよう、さて、壊れた日本よ、どこへ行く、運転手よ、車掌さんを連れて、どこへ行く、いや、やはり、東京にサングラスの娘を求めて、飛び出すか、足を失った労働者は、その怒りをどこに、ストライキか、革命か、閣下は彷徨い歩くばかり、その最中に、ハイキングのバスは行く、アメリカは行く、此の日本晴れの中、アメリカが飛んでいるばかり、の、にっぽん、ちゃ、ちゃ、ちゃ、
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