chuo1976

心のたねを言の葉として

しづかなる暁ごとに見わたせば まだ深き夜の夢ぞかなしき

2022-04-23 04:49:09 | 短歌

しづかなる暁ごとに見わたせば まだ深き夜の夢ぞかなしき


 式子内親王のこの歌は、いつ詠まれたかわからない百首歌のひとつです。家集では327番です。新古今和歌集にも選ばれており、1969番釈教歌の部に収められています。その詞書には、「百首歌の中に、毎日晨朝入諸定の心を」とあります。
 久保田淳氏の角川ソヒィア文庫では、この歌を「毎日の晨朝に入定して世界を見わたすと、衆生は無明の長夜の深い闇に沈んで迷妄の夢を見続けているのが悲しい」と解釈しています。つまり、詠歌主体が世界を見渡す側、闇に沈んでいるのは衆生と解釈されているのです。
 これに対して、佐佐木信綱氏の解釈(校註式子内親王集(補訂版))では、「経文の意は、地蔵菩薩が毎朝定に入るといふことであるが、 それから転じて、静かな暁ごとに澄み渡った心で思ひめぐらしてみると、また煩悩を脱しかねた身の、迷執の夢深い心境がしみじみと感じられて悲しさに堪へない、の意。」とされています。つまり、ここでは詠歌主体自身が思ひめぐらし、自らを省みて夢に沈んでいる者そのものであると捉えられているのです。式子の気持ちとしては、闇に沈む衆生を見下ろすような不遜な態度は似つかわしくなく、私は、佐々木先生の解釈の方がしっくりときます。     (海渡 雄一)

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