chuo1976

心のたねを言の葉として

「小さな頃 シャーマンが居たよ」       結城幸司

2019-05-09 05:33:55 | 文学

「小さな頃 シャーマンが居たよ」       結城幸司

 

 

 

小さな頃 シャーマンが居たよ

病気を治す婆さん

 ばばちゃん亡くなって泣きに来た ババたち

 いつも 家にやって来て

亡霊の話をする婆さん

 なんか怖くて 聞きたくて

婆さんたちを見ていたなぁ

不思議な世界に連れていってくれた

今の想像力をくれたのも あの頃だったかな

 

爺たちもユニークだった

 コウモリが シャツの中にいて

身体中をはい回っていたりしたのも見たなぁ

酒飲みでへべれけになるけど

 ストーブに まず酒をちょんちょんとつけて

 なんか かんかいや塩辛をストーブに

少し乗っけたりして ストーブに一言言ってから

飲みはじめる爺

みんな子供好きだったんだろうね

優しい顔しか浮かばないなぁ

不思議だったんで その事を聞くと

頭を撫でて くれた 爺さん婆さんズ

 

それだけじゃない 家で飼っていた

首輪なしの樺太犬(だったと思う)ゴロ

必ず戻ってくるし

遊んでいて 気がつくとゴロはどこかで

見守っていたような

 

昔 野球帽に 必ずへんなプラスティックの

 サングラスみたいなのがついていて

 それを掛けながら歩くと周りがぐらんぐらん

何故か そのシャーマン年寄りの話が

降りてきて あわてて走り出した事を

思い出したなぁ 

 家の暗い部屋には何か居るんじゃないかと

思っていたり と きっとあの家も

 シャーマンだった感じがするなぁ

高い草を棒で切りながら 歩いて

一人妄想チャンバラしていたら

 その切った草に頬を切られた時には

草が怒ったと思ったりさぁ 

みんなシャーマン年寄りズ達の世界が

染みていたんだろうなぁ

 ユカラを聞かせてくれたから と言うより

 ものには 魂があるのだと

直接な言葉より 雰囲気で伝えてくれた

気がするなぁ  生活の中にそれがあったのも

 きっと伝承だったのかも知れない

 

素晴らしい語り部が居たわけじゃない幼少時代

でも カムイの世界を信じる人たちが

釧路 春採には 居たよ きっとね

 

時代の名前をつけるだけで 大騒ぎな社会

 長いこと生きたなぁと 思うだけだが

途切れないで 変わり続けるものは

 どこかで あの家の暗い所みたいな場所で

潜んでいるのかな

 

私は 淡々と 物語を引き出している

 

それも 今も アイヌの時代に変わりは無いが

 シャーマンに囲まれた子供時代を

宝物にしたいねぇ

 

 

結城幸司    2019/4/1 FBから

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf