そしたら仕事が入った。電話取材である。
高齢者に関する問題のため在日コリアン関係に中央本部の編集局と手分けをすることになった。
そしたら他の電話が入り現場取材が入ってきた。またその資料の手配などの電話連絡をしているといつのまにか3時になっている。
このまま寝ないでブログを書こうと思ったら睡魔である。
これは体を休めということなのかもしれない。
昨日はネットの会合で5時半頃から会場に入っていた。
そして7時から会議に入った。8時20分、まだ会合が終わらない。ある程度のところでキリがついた。8時20分にでた。
地下鉄西梅田駅に向かう。発車寸前の電車に飛び乗って車両の後ろに向かって歩いた。難波についたのが8時45分、近鉄難波駅に行くと8時50分、9時5分の特急券を買った。
特急電車まで久しぶりに少し時間があった。快速急行奈良行きのホームも大勢が並んでいる。
奈良に着くと8時42分、市内循環45分のバスがある。急いで階段を上ると市内循環バスがこれまた発車寸前だった。息を切らしながらバスに乗っている。
家に着くと10時過ぎ、簡単にシャワーを浴びてパソコンを広げた。
昨日は阪神が西武に勝ったので夫は機嫌良くて起きている。
阪神が勝ったと言ってはまたうるさいがパソコンに座った。
受信メールの処理をしているともう時計は12時、それからまたブログのテンプレートを探してみたが気に入るのがなくてまた前のままにした。
写真を入れるとよみにくいテンプレートになるのでまた変えることになった。
寝たのが2時半。道理で今日は眠い。
6時に起きて家事をして夕食の支度をした。今日はそうめんにした。
昼間は夫がいたので焼き飯を作った。
夕食はそうめんを湯がいて、卵を焼いて細切りにして胡瓜も千切り、トマトはくし型に切って皿に並べた。海苔は鋏で細く切った。
そうめんの汁を入れて具をのせて食べた。今年初めての冷やしそうめん、美味しい。
そして仕事の電話が入る。電話取材を申し込んでいたところからの電話、メモを取りながら電話を聞く。
そうしているとネット仲間からの電話、用件を済ませて台所で洗い物をしてそれから今日はゆっくり風呂に入った。
電話取材をしたメモを仕上げないといけないが今夜は集中力がつかないので明日朝からしょう。明日からまた現場取材が連日入っているので体力をつけないといけない。
大阪梅田、あの第1・2・3ビル街というのでしょうか。多くの居酒屋が入っている。夕方からの会合で居酒屋の前を通っていくがサラリーマンが会社帰りに小遣いで少し至福の時間を味わっておられる背広姿の男性たち、家に帰るまでひと息ついて帰りたいのだろう。
私は少しでも早く自宅に戻りたいので会合の途中で退席する。
遅くなるのが嫌で早々とこの居酒屋の暖簾街を急ぎ足で歩いて地下鉄の駅に向かっている。大阪はやはり食べるところが多い。
共倒れしないのかと思うぐらいに多い。
奈良にはこんな暖簾街がない。ほとんど地上にでるが昔からしている人、近年されている人、それぞれである。
しかし会社員が立ち飲みするところは最近できたがほとんどない。
女性はまあ不似合いのところだ。
何も食べなくてもいい。落ち着いたところで座りたいのが本音である。
そんなことを思いながらの急いで通り過ぎている。
ただ5時半ごろ、ビルの5階から外を見ると黄昏時の時間、大阪の町を少し味わった。黄昏時になると急いで大阪から奈良に戻った。洋裁学校に急いで向かった。そんな若い頃を思い出していた。
あれから時代は変わった。
私も年を重ねた。
ぼんやりとしていてどこにいるのかわからないぐらいおとなしくて存在感のない私の子どものころである。高校になっても明るくてお転婆だったがいつも厳しい父親の目が光っていたのでお転婆なわりにおとなしい方だった。
この間、高校時代の女友達と4人で1泊旅行に行っている。
私は何を言われても黙っていると思っていただろう。
旅の初めは何を言われても黙っていたが帰る朝、化粧をしながら少し私なりのことを言った。自分はいいと思ってストレートに話している。他の人は大人だから受け止めて黙って聞いている。しかし私はそうはいかなかった。
今言わないと彼女はもっと増長するだろう。みんな仲良く今後も付き合っていくなら自分のことばかり話さないで他の人の話しを聞いていく訓練をしてもらいたいと思った。私は彼女の性格ということは分かっている。彼女は気が着いていないだろうが私は分かる。いくら日本国籍をとっても民族気質がそのままにでていることを自覚しなければならない。それが民族とわかったら韓流ドラマで韓国を分かった気になっているその心が私から見るとしんどい。
自分をしっかり見つめると在日コリアンであることを自ら認めてもっと違う韓国の映画にも目覚めてもらいたい。
もう多く年を重ねてきたのでそんな負けん気の意地を張ってどうする。
もっと自分に優しくなって人にも優しくなって自分の器というものを知るとそんな知った被りもしなくていい。知らないことにも分かったふりをしなくてもいい。知らないことは知らないという素直な心に磨いてほしい。
私は彼女がそれがありのままといわれればそうかもしれないがしかしその毒気のある言葉の数々に自分の品格をなくしていきそのだした言葉は必ず子どもたちに影響していく。
仲のいい友だち、ぶさいくだったらもてへんと劣等感の塊になって話す人がいる。しかし彼女が1番魅力のある人になっている。
今度会った時に言ってやりたい。
今のあんたが1番の魅力といってやりたい。ずっと人の話しを聞役してきた彼女は1番幸せに老後を送っている。
1番いい主婦になっていいお母さんをしている。
それが結婚して生きてきた財産である。地域には大勢の友人知人に囲まれている。それが彼女の生きた証である。けっして毒舌をはかないで相手のことを思って話している。私は彼女の半分も及ばない。まだまだ私は彼女に見習うところがある。
多弁であることが決していいことではない。人の話しを聞くというほうがもっと心の多弁で相手に安らぎを与えている。
私は子どもの頃からずっとおとなしかったがもともと性格は楽天家で明るい。話しだしたら結構おしゃべりである。父親にはよく怒られた。女は黙って品格がついてくると。それができない私はできそこないの子とよく言われた。
女は黙ってという厳しい躾の中で育ったので発言できない心の不満を大学ノートに書いて心の消しゴムにしてきた。
これが今の仕事につながっている。
多弁がけっして賢いと思ってはいけない。
小奇麗に着飾っていても娘さんを朝早く起こして会社勤めをする躾をしていないことに家庭のあり方が垣間みるようである。
私の一番嫌いな生活スタイルである。人それぞれと言われるだろうがこれは家庭生活の基本である。これができていないから秩序が乱れた社会になっている。
家族のために働いている大黒柱のお父さんの食事をつくらないのと同じようなものである。朝は家族が時間になると食卓にそろう。これが家族の基本である。朝、夕の食卓を通して私は家族の顔を見て健康状態など見てきた。朝の食卓、家族が並ぶということが生活の基本、これをしっかりしていない家族のあり方が近年、さまざまに行き過ぎたマナー違反に発展している。
どんな着飾っていても家庭のあり方が見えてストレートの言葉は民族性であることも自覚してもらいたい。
「在日コリアンのどこが悪いの」と私は問いかけたいがあの毒気の入った言葉でやり返されると思うともっと心が傷つく。黙っているほうが樂と考えて黙っていたが旅の2日目の朝には彼女にははっきり言った。
「きついな」
最初彼女は「どこがきついの」とそのきつさのところを説明してといいかけたがもう1人が「きついよ。言葉をもうすこし柔らかく話してみたら。いいかたがきつい」といってくれたので彼女はそれから黙った。私には何もいわなかった。彼女は負けず嫌いだからプライドが傷ついているだろう。
しかしもう還暦も過ぎてこれからは相手の心を思いやることのできる言葉の訓練をしてほしいと願ってあえて苦言をした。そうでないと彼女が原因で離れていった友達ももとにもどってきてほしいから。昔のようにもう1度原点に戻ってみないといけない。
60歳を過ぎたのだからもうありのままの自分になればと思う。
彼女は「これがありのままの私」というだろう。
振り返って見ると高校時代のときも彼女の何気ない言葉に私は傷をついたことがあった。他の人と仲よくしていると意地悪したことを思い出した。
それで何度か悲しくて心を打ちひしがれたことを思い出した。これが性格といえばそれまでだが老後は元気な間はまたこの高校時代の友人と旅行にいくことになるだろう。もうそろそろ周りの人の話しを聞く訓練をしてもらいたい。そしたらもっと人間的に角がとれてくるだろう。
今更繕ってどうなるの。
ありのまま生きることがずっと魅力的になると私はおもっている。角がとれるともっと魅力的になると思っている。
高齢者に関する問題のため在日コリアン関係に中央本部の編集局と手分けをすることになった。
そしたら他の電話が入り現場取材が入ってきた。またその資料の手配などの電話連絡をしているといつのまにか3時になっている。
このまま寝ないでブログを書こうと思ったら睡魔である。
これは体を休めということなのかもしれない。
昨日はネットの会合で5時半頃から会場に入っていた。
そして7時から会議に入った。8時20分、まだ会合が終わらない。ある程度のところでキリがついた。8時20分にでた。
地下鉄西梅田駅に向かう。発車寸前の電車に飛び乗って車両の後ろに向かって歩いた。難波についたのが8時45分、近鉄難波駅に行くと8時50分、9時5分の特急券を買った。
特急電車まで久しぶりに少し時間があった。快速急行奈良行きのホームも大勢が並んでいる。
奈良に着くと8時42分、市内循環45分のバスがある。急いで階段を上ると市内循環バスがこれまた発車寸前だった。息を切らしながらバスに乗っている。
家に着くと10時過ぎ、簡単にシャワーを浴びてパソコンを広げた。
昨日は阪神が西武に勝ったので夫は機嫌良くて起きている。
阪神が勝ったと言ってはまたうるさいがパソコンに座った。
受信メールの処理をしているともう時計は12時、それからまたブログのテンプレートを探してみたが気に入るのがなくてまた前のままにした。
写真を入れるとよみにくいテンプレートになるのでまた変えることになった。
寝たのが2時半。道理で今日は眠い。
6時に起きて家事をして夕食の支度をした。今日はそうめんにした。
昼間は夫がいたので焼き飯を作った。
夕食はそうめんを湯がいて、卵を焼いて細切りにして胡瓜も千切り、トマトはくし型に切って皿に並べた。海苔は鋏で細く切った。
そうめんの汁を入れて具をのせて食べた。今年初めての冷やしそうめん、美味しい。
そして仕事の電話が入る。電話取材を申し込んでいたところからの電話、メモを取りながら電話を聞く。
そうしているとネット仲間からの電話、用件を済ませて台所で洗い物をしてそれから今日はゆっくり風呂に入った。
電話取材をしたメモを仕上げないといけないが今夜は集中力がつかないので明日朝からしょう。明日からまた現場取材が連日入っているので体力をつけないといけない。
大阪梅田、あの第1・2・3ビル街というのでしょうか。多くの居酒屋が入っている。夕方からの会合で居酒屋の前を通っていくがサラリーマンが会社帰りに小遣いで少し至福の時間を味わっておられる背広姿の男性たち、家に帰るまでひと息ついて帰りたいのだろう。
私は少しでも早く自宅に戻りたいので会合の途中で退席する。
遅くなるのが嫌で早々とこの居酒屋の暖簾街を急ぎ足で歩いて地下鉄の駅に向かっている。大阪はやはり食べるところが多い。
共倒れしないのかと思うぐらいに多い。
奈良にはこんな暖簾街がない。ほとんど地上にでるが昔からしている人、近年されている人、それぞれである。
しかし会社員が立ち飲みするところは最近できたがほとんどない。
女性はまあ不似合いのところだ。
何も食べなくてもいい。落ち着いたところで座りたいのが本音である。
そんなことを思いながらの急いで通り過ぎている。
ただ5時半ごろ、ビルの5階から外を見ると黄昏時の時間、大阪の町を少し味わった。黄昏時になると急いで大阪から奈良に戻った。洋裁学校に急いで向かった。そんな若い頃を思い出していた。
あれから時代は変わった。
私も年を重ねた。
ぼんやりとしていてどこにいるのかわからないぐらいおとなしくて存在感のない私の子どものころである。高校になっても明るくてお転婆だったがいつも厳しい父親の目が光っていたのでお転婆なわりにおとなしい方だった。
この間、高校時代の女友達と4人で1泊旅行に行っている。
私は何を言われても黙っていると思っていただろう。
旅の初めは何を言われても黙っていたが帰る朝、化粧をしながら少し私なりのことを言った。自分はいいと思ってストレートに話している。他の人は大人だから受け止めて黙って聞いている。しかし私はそうはいかなかった。
今言わないと彼女はもっと増長するだろう。みんな仲良く今後も付き合っていくなら自分のことばかり話さないで他の人の話しを聞いていく訓練をしてもらいたいと思った。私は彼女の性格ということは分かっている。彼女は気が着いていないだろうが私は分かる。いくら日本国籍をとっても民族気質がそのままにでていることを自覚しなければならない。それが民族とわかったら韓流ドラマで韓国を分かった気になっているその心が私から見るとしんどい。
自分をしっかり見つめると在日コリアンであることを自ら認めてもっと違う韓国の映画にも目覚めてもらいたい。
もう多く年を重ねてきたのでそんな負けん気の意地を張ってどうする。
もっと自分に優しくなって人にも優しくなって自分の器というものを知るとそんな知った被りもしなくていい。知らないことにも分かったふりをしなくてもいい。知らないことは知らないという素直な心に磨いてほしい。
私は彼女がそれがありのままといわれればそうかもしれないがしかしその毒気のある言葉の数々に自分の品格をなくしていきそのだした言葉は必ず子どもたちに影響していく。
仲のいい友だち、ぶさいくだったらもてへんと劣等感の塊になって話す人がいる。しかし彼女が1番魅力のある人になっている。
今度会った時に言ってやりたい。
今のあんたが1番の魅力といってやりたい。ずっと人の話しを聞役してきた彼女は1番幸せに老後を送っている。
1番いい主婦になっていいお母さんをしている。
それが結婚して生きてきた財産である。地域には大勢の友人知人に囲まれている。それが彼女の生きた証である。けっして毒舌をはかないで相手のことを思って話している。私は彼女の半分も及ばない。まだまだ私は彼女に見習うところがある。
多弁であることが決していいことではない。人の話しを聞くというほうがもっと心の多弁で相手に安らぎを与えている。
私は子どもの頃からずっとおとなしかったがもともと性格は楽天家で明るい。話しだしたら結構おしゃべりである。父親にはよく怒られた。女は黙って品格がついてくると。それができない私はできそこないの子とよく言われた。
女は黙ってという厳しい躾の中で育ったので発言できない心の不満を大学ノートに書いて心の消しゴムにしてきた。
これが今の仕事につながっている。
多弁がけっして賢いと思ってはいけない。
小奇麗に着飾っていても娘さんを朝早く起こして会社勤めをする躾をしていないことに家庭のあり方が垣間みるようである。
私の一番嫌いな生活スタイルである。人それぞれと言われるだろうがこれは家庭生活の基本である。これができていないから秩序が乱れた社会になっている。
家族のために働いている大黒柱のお父さんの食事をつくらないのと同じようなものである。朝は家族が時間になると食卓にそろう。これが家族の基本である。朝、夕の食卓を通して私は家族の顔を見て健康状態など見てきた。朝の食卓、家族が並ぶということが生活の基本、これをしっかりしていない家族のあり方が近年、さまざまに行き過ぎたマナー違反に発展している。
どんな着飾っていても家庭のあり方が見えてストレートの言葉は民族性であることも自覚してもらいたい。
「在日コリアンのどこが悪いの」と私は問いかけたいがあの毒気の入った言葉でやり返されると思うともっと心が傷つく。黙っているほうが樂と考えて黙っていたが旅の2日目の朝には彼女にははっきり言った。
「きついな」
最初彼女は「どこがきついの」とそのきつさのところを説明してといいかけたがもう1人が「きついよ。言葉をもうすこし柔らかく話してみたら。いいかたがきつい」といってくれたので彼女はそれから黙った。私には何もいわなかった。彼女は負けず嫌いだからプライドが傷ついているだろう。
しかしもう還暦も過ぎてこれからは相手の心を思いやることのできる言葉の訓練をしてほしいと願ってあえて苦言をした。そうでないと彼女が原因で離れていった友達ももとにもどってきてほしいから。昔のようにもう1度原点に戻ってみないといけない。
60歳を過ぎたのだからもうありのままの自分になればと思う。
彼女は「これがありのままの私」というだろう。
振り返って見ると高校時代のときも彼女の何気ない言葉に私は傷をついたことがあった。他の人と仲よくしていると意地悪したことを思い出した。
それで何度か悲しくて心を打ちひしがれたことを思い出した。これが性格といえばそれまでだが老後は元気な間はまたこの高校時代の友人と旅行にいくことになるだろう。もうそろそろ周りの人の話しを聞く訓練をしてもらいたい。そしたらもっと人間的に角がとれてくるだろう。
今更繕ってどうなるの。
ありのまま生きることがずっと魅力的になると私はおもっている。角がとれるともっと魅力的になると思っている。
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