監督の河瀬さんとは何度か近鉄近鉄奈良駅あたりで見かけたことがある。
下駄履きで歩いている光景が珍しかったがテレビで奈良町案内をしておられたときに下駄履きだったのでようやく下駄が大好きなことがわかった。
奈良の好さはそこに住んでいてじわじわとやってくる。
私は京都府の木津から結婚して奈良市内に住んだが最初はなかなか奈良の好さがわからなかった。
10年が過ぎていく頃に奈良のお寺に味があることが分かってきた。
ずっと1200年以上の文化を保存している奈良県人の粘り強さがわかってきた。
それが今日の河瀬さんの映画人を作ったのだろうかと思った。
奈良市内を歩くとなんのへんてつもない普通の町、土産物屋さんがあって美味しい食べ物は大阪にとられている。
しかし奈良公園の中に春日大社の森があって東大寺あたりは二月堂に戒壇院そしてその付近には行くとはっとする庭園や土塀がある。
そして若者と年寄りが一緒に歩いている。小さな町で行くところは若者も年よりも同じである。
そんなゴタゴタとした下町だが大阪や京都とまた違う。
そして薬師寺や唐招提寺など渡来文化の名残がいっぱいのこっている。
そんなところで奈良の人たちは暮らしている。
文化人が多く訪れていても気がつかないほどみんなゆったりして暮らしている。
しかし近年はそうではなくなった。
奈良市内にもいろんな事件が起きている。
子育てをしている人は電話1つでも気をつけているようだ。
女友達の話によると女の子の留守番には絶対に電話にでないようにしているという。私の子育てをしているころから見ると考えられない現実がある。
また反面奈良は文学散歩の道である。
まだ20年ほど前は文学好きが全国から訪れていたが今はどうだろうか。
20年ほど前は志賀直哉が住んでいた高畑サロンにも大勢のフアンが訪れていたが今はあまり聞かなくなった。
町はどんどん大型化されていく。
庶民の暮らしは大型店舗と一緒になった生活になりつつある。
奈良町は路地から路地の庶民の文化だったが大通りの大型店舗に人々の生活が回り始めている。
これからどうなるのだろうか。
大型店舗と奈良公園や春日野の森に東大寺はミスマッチに見えるがこのミスマッチと自然に暮らしているのが奈良である。
ミスマッチの象徴が奈良の鹿である。
ミスマッチなのに自然と人間ととけこんで違和感なく暮らしている。
奈良の風貌はこんなものだとミスマッチとも思わないでこれが神代の時代から奈良にある暮らしと信じてとけこんで暮らしている。
こんなミスマッチの中で暮らす奈良を素材にしてもっと撮影を期待している。
若くて行動力のあるそして決断がなければ映画制作ができない。決断力のある河瀬監督に今後も期待をしている。
ちなみに私はイベント行事などで遠くから見たことはあるが面と向かって挨拶も話しもしたことがない。
もし奈良で雑誌記者をしていたらまず先に跳んで行って受賞の喜びを取材したかもしれない。
今は奈良とはあんまり関係のないところで仕事しているのでまだお話をしたことがない。
下駄履きで歩いている光景が珍しかったがテレビで奈良町案内をしておられたときに下駄履きだったのでようやく下駄が大好きなことがわかった。
奈良の好さはそこに住んでいてじわじわとやってくる。
私は京都府の木津から結婚して奈良市内に住んだが最初はなかなか奈良の好さがわからなかった。
10年が過ぎていく頃に奈良のお寺に味があることが分かってきた。
ずっと1200年以上の文化を保存している奈良県人の粘り強さがわかってきた。
それが今日の河瀬さんの映画人を作ったのだろうかと思った。
奈良市内を歩くとなんのへんてつもない普通の町、土産物屋さんがあって美味しい食べ物は大阪にとられている。
しかし奈良公園の中に春日大社の森があって東大寺あたりは二月堂に戒壇院そしてその付近には行くとはっとする庭園や土塀がある。
そして若者と年寄りが一緒に歩いている。小さな町で行くところは若者も年よりも同じである。
そんなゴタゴタとした下町だが大阪や京都とまた違う。
そして薬師寺や唐招提寺など渡来文化の名残がいっぱいのこっている。
そんなところで奈良の人たちは暮らしている。
文化人が多く訪れていても気がつかないほどみんなゆったりして暮らしている。
しかし近年はそうではなくなった。
奈良市内にもいろんな事件が起きている。
子育てをしている人は電話1つでも気をつけているようだ。
女友達の話によると女の子の留守番には絶対に電話にでないようにしているという。私の子育てをしているころから見ると考えられない現実がある。
また反面奈良は文学散歩の道である。
まだ20年ほど前は文学好きが全国から訪れていたが今はどうだろうか。
20年ほど前は志賀直哉が住んでいた高畑サロンにも大勢のフアンが訪れていたが今はあまり聞かなくなった。
町はどんどん大型化されていく。
庶民の暮らしは大型店舗と一緒になった生活になりつつある。
奈良町は路地から路地の庶民の文化だったが大通りの大型店舗に人々の生活が回り始めている。
これからどうなるのだろうか。
大型店舗と奈良公園や春日野の森に東大寺はミスマッチに見えるがこのミスマッチと自然に暮らしているのが奈良である。
ミスマッチの象徴が奈良の鹿である。
ミスマッチなのに自然と人間ととけこんで違和感なく暮らしている。
奈良の風貌はこんなものだとミスマッチとも思わないでこれが神代の時代から奈良にある暮らしと信じてとけこんで暮らしている。
こんなミスマッチの中で暮らす奈良を素材にしてもっと撮影を期待している。
若くて行動力のあるそして決断がなければ映画制作ができない。決断力のある河瀬監督に今後も期待をしている。
ちなみに私はイベント行事などで遠くから見たことはあるが面と向かって挨拶も話しもしたことがない。
もし奈良で雑誌記者をしていたらまず先に跳んで行って受賞の喜びを取材したかもしれない。
今は奈良とはあんまり関係のないところで仕事しているのでまだお話をしたことがない。
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