「はしたない」「みっともない」
私たちが子どものころはこの言葉を近所の日本のおばちゃんたちがよく使っていた言葉だった。「はしたない」「みっともない」と言う言葉を多く使ってしつけをされていたように思う。
私は「在日」の2世、父親は日本の学校を卒業しているので日本語の言葉を多くしっていたが男親だったので「みつともない」「はしたない」と言う言葉を使わなかった。
母親も1世、学校の門もくぐったことのない無学の人で「みっともない」「はしたない」と言う言葉はおそらく知らなくて使わなかったのだろう。
向かいの日本のおばちゃんはよく使っていた。
「そんなことしたらみっともない」「そんなことしたらはしたない」
ちょっと行儀の悪いことや言葉遣いがおかしいと「そのことばはみっともないからつこうたらあかん」と言った。
品のないことをすると「はしたないからやめとき」と注意をした。
私は「はしたない」「みっともない」と言う言葉はこの向かいのおばちゃんから聞いて育った。それが近年、電車の中の化粧や飲食、大声で話したりする。
向かいのおばちゃん、天国で「なんとみっともない世の中になったんや。親がはしたないから子どももしつけができてへん」と嘆くだろう。
近年、電車の中の化粧が飲食をしているのを昔の人がみたら「はしたない」「みっともない」という言葉を使ってなげくだろう。現代の親は「はしたない」「みつともない」と言う言葉は使わなくなった。「はしたない」「みつともない」という言葉をしらない世代が多くなったのだろうか。電車の中で髪を平気でといたりしている。「はしたない」「みっともない」と言う言葉を教える人もいなくなったのだろうか。
そういえば先日、5月24日、12時過ぎに近鉄奈良駅から1番後ろの車両にのった。まだ出発まで時間に余裕があった。
そしたら私よりずっと年輩の女性が電車の中で鏡を見ながらご丁寧に筆で口紅を何度も塗っていた。60歳後半の女性のものすごい光景に汚らしさを感じた。
私は年輩の女性に言った。この女性は京都行きの電車に乗っていた。私はこの後すぐくる難波行きに乗ろうとホームで待っていた。
私はその口紅の塗る光景に大人の汚さを感じた。ホームにいた私は電車の中にいる年輩の女性に「ちょっと電車の中ではやめて下さい。汚いですよ。はしたないですよ」と言ったらすごいきつい顔つきで私を睨んだ。私は思わず「なんでにらまれなんあかんの」と言ったら向こうからきた車掌は「何か」と聞いてきた。
私は車掌に「いい年して電車の中で口紅ぬっているからやめて下さいといったらにらまれています」というとその女性はまた口紅をこれみよがしに塗っていた。
さすが車掌もあきれたのか私の言うことをうん。うん。とうなずいて1番後ろの車掌室に戻った。さすが車掌に見られたのは恥ずかしかったのかずっと顔を横に向けたままだった。
この人の年代こそ「はしたない」「みつともない」の言葉を聞いて育っているはずです。
「はしたない」「みっともない」の言葉は死語になってしまったから「何してもいい」という風潮なのだろうか。
日本語の見直しが急がれる日本社会の乱れたモラルに思う。
私たちが子どものころはこの言葉を近所の日本のおばちゃんたちがよく使っていた言葉だった。「はしたない」「みっともない」と言う言葉を多く使ってしつけをされていたように思う。
私は「在日」の2世、父親は日本の学校を卒業しているので日本語の言葉を多くしっていたが男親だったので「みつともない」「はしたない」と言う言葉を使わなかった。
母親も1世、学校の門もくぐったことのない無学の人で「みっともない」「はしたない」と言う言葉はおそらく知らなくて使わなかったのだろう。
向かいの日本のおばちゃんはよく使っていた。
「そんなことしたらみっともない」「そんなことしたらはしたない」
ちょっと行儀の悪いことや言葉遣いがおかしいと「そのことばはみっともないからつこうたらあかん」と言った。
品のないことをすると「はしたないからやめとき」と注意をした。
私は「はしたない」「みっともない」と言う言葉はこの向かいのおばちゃんから聞いて育った。それが近年、電車の中の化粧や飲食、大声で話したりする。
向かいのおばちゃん、天国で「なんとみっともない世の中になったんや。親がはしたないから子どももしつけができてへん」と嘆くだろう。
近年、電車の中の化粧が飲食をしているのを昔の人がみたら「はしたない」「みっともない」という言葉を使ってなげくだろう。現代の親は「はしたない」「みつともない」と言う言葉は使わなくなった。「はしたない」「みつともない」という言葉をしらない世代が多くなったのだろうか。電車の中で髪を平気でといたりしている。「はしたない」「みっともない」と言う言葉を教える人もいなくなったのだろうか。
そういえば先日、5月24日、12時過ぎに近鉄奈良駅から1番後ろの車両にのった。まだ出発まで時間に余裕があった。
そしたら私よりずっと年輩の女性が電車の中で鏡を見ながらご丁寧に筆で口紅を何度も塗っていた。60歳後半の女性のものすごい光景に汚らしさを感じた。
私は年輩の女性に言った。この女性は京都行きの電車に乗っていた。私はこの後すぐくる難波行きに乗ろうとホームで待っていた。
私はその口紅の塗る光景に大人の汚さを感じた。ホームにいた私は電車の中にいる年輩の女性に「ちょっと電車の中ではやめて下さい。汚いですよ。はしたないですよ」と言ったらすごいきつい顔つきで私を睨んだ。私は思わず「なんでにらまれなんあかんの」と言ったら向こうからきた車掌は「何か」と聞いてきた。
私は車掌に「いい年して電車の中で口紅ぬっているからやめて下さいといったらにらまれています」というとその女性はまた口紅をこれみよがしに塗っていた。
さすが車掌もあきれたのか私の言うことをうん。うん。とうなずいて1番後ろの車掌室に戻った。さすが車掌に見られたのは恥ずかしかったのかずっと顔を横に向けたままだった。
この人の年代こそ「はしたない」「みつともない」の言葉を聞いて育っているはずです。
「はしたない」「みっともない」の言葉は死語になってしまったから「何してもいい」という風潮なのだろうか。
日本語の見直しが急がれる日本社会の乱れたモラルに思う。
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