鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

いよいよ木津町と山城町と加茂町が合併して木津川市になる。

2007-01-10 18:14:28 | 直言!
今年の年賀状で同級生からの年賀状で合併になるから今度の住所は木津川市------と記述されていた。いよいよその時がきたのかと感慨深いものがある。
私の高校時代と言えば1960年から3年間である。
「木津市」になることを切に願っていた1人の教師がいた。
人文地理の教師で授業時間の間でちょうど居眠りをする時間の授業のときに話した。
校舎は内田山の丘の上にあったので校舎の窓から関西線を走るジーゼルがよく見えた。急行はそれもベージュと朱色の車両で遠くからでもよく見えた。たぶん関西線での通勤だったのだろう。
「関西線のあの急行はなぜ木津に停まらないのだ。奈良まで1駅(当時は平城山という駅はなかった)だが木津には停まらない。木津は京都に行く奈良線、長尾に行く片町線と連絡している。主要の駅である。木津駅の駅長に抗議したら停めることは出来ないという。私は急行で奈良にでてまた各駅停車で戻ってくる」と言っていたので伊賀上野から通勤しておられたのだろうか。
いつもこの話しをされて「木津市になれば急行は停まる。そのためには木津市の人口を5万人にしなければならない。木津は必ず5万都市になる」と話していた。もうこのとき木津川台の開発を知っていたのだろうか。
生徒の私たちは田舎の木津で人口5万人になるはずがないと思って木津市になるのははるか遠い夢だと思って聞いていた。
それから40数年してから「木津川市」が現実になった。
はるかな時間が経過したかもしれない。
精華町は合併しなくても木津川台の開発でいずれ人口の増加で市になるという。そして財政が豊かと聞いている。
木津町は財政があるというが他の2町は赤字だという。その町をかかえての合併だという。はたして「木津川市」としてうまく地方社会が築くことができるのだろうか。
隣接する笠置町、和束町、南山城村は相楽郡としてそのままの自治体になるのだろうか。過疎に近いこの町は運営ができるのだろうか。
余計なことを考えている。
3月12日、木津の町は変わる。
「木津川市」になる。
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