フエスブックに今朝、更新したものはりつけておきます。
5月2日(水)曇、奈良新聞の天気予報では朝、9時ごろから雨の予報です。そして今日から明日、未明まで激しい雨が降るという。
今朝、8時前の室温は25度で50%。今日は午後3時にリハビリの先生が来られる。
昨日、夫にカレーをリクエストした。家で作るとジャガイモや玉葱がごろごろしていて美味しい。水加減は私がみた。水入れすぎてカレーのルーが少ないとしゃぶしゃぶになってしまう。おいしかった。しかしカレーのルーは夫好みで激辛のようだ。辛いのがなかなか消えない。それでもレトロカレーより美味しかった。
昨日の夕食で作り今朝もカレーを食べた。ご飯をいれて370カロリー程度。ほうれん草のおひたしとで380カロリー。
いつも夕方、6時からラジオはラジオ大阪にして懐かしい歌謡曲を聞いている。それが7時前後に寝ていて全部は聞いていない。9時前にトイレに行き、12時ごろにトイレ、そして1時半頃トイレ、トイレから戻るとたいてい寝ているが、夕べは1時半のトイレから眠れなくて2時過ぎまでスマートフオンを見ていてそれから寝た。今度のトイレは3時前、戻ってきてラジオはNHKにした。そして日本の歌を聞いた。橋幸夫特集である。
夕べは股旅演歌ばかり、懐かしかった。私が高校1年の時にデビューした。
その歌から始まった。潮来傘、おけさうたえば、いそぶしげんた、ほかにも知らない歌が何曲がでてくるが1度は聞いたことがある。さくのさくたろうなど。最後は懐かしい沓掛時次郎、これは大好きでよく歌っていた。木曾節三度笠も好きだったがこれはでていなかった。久しぶりに昭和35年から36年が私の頭を駆け巡った。
日本は高度経済成長に向かっていたがまだまだ、暮しは楽ではなかった。弁当に私も含めて麦ごはんがはいっていた。たいてい弁当を隠して食べていた。弁当を堂々とひろげている人は裕福な家、そして家業が農業の人だった。あのころに食べた麦飯は後遺症になっていまだに雑穀米のご飯も麦ごはんも食べられない。若い人の雑穀米を食べている光景にあきれている。
何もなかった時代だったが皆、希望と夢を持って生きていた。日本の国は必ず、夜明けが来ると信じていた。経済成長した今日の日本、たくさんたくさん、人が生きる道や心を落してきた。
昭和35年代の歌に在りし日と私の故郷、木津川市を思いだしていた。
メールはドコモメールで送れるところは送っていた。そして携帯電話はメーセッジーで送信していた。ジーメールも友人に作ってもらったのになかなか使い方がわからなくて使えなかった。今朝、息子に送りたいものがあって、メッセージに貼り付けて送信するが遅れたのかどうか分からない。
そしてすぐにジーメールのアドレスが入って送信をすると送ることができた。できないと思って詳細に見なかった。今日は見てみると、なんのこと、そこをみればできるのだった。また友人に「あほやな」と言われそう。
ラインをしている人も多いが私はそれは今はしたくないので使わないことにしている。長いこと、仕事で多くの人にあって取材して電話もかかせない仕事道具だった。現職を離れて、なるべく一人静かに過ごしている。
大病して、介護支援者や福祉施設の訪問で、お世話になっている人はすべて人である。雑談をしてにぎやかな私をしている。本来は一人で過ごすことが好きだが、現在はそんなことをいっておられない。人と人のコミニュケーションである。今日はこれまで。
5月2日(水)曇、奈良新聞の天気予報では朝、9時ごろから雨の予報です。そして今日から明日、未明まで激しい雨が降るという。
今朝、8時前の室温は25度で50%。今日は午後3時にリハビリの先生が来られる。
昨日、夫にカレーをリクエストした。家で作るとジャガイモや玉葱がごろごろしていて美味しい。水加減は私がみた。水入れすぎてカレーのルーが少ないとしゃぶしゃぶになってしまう。おいしかった。しかしカレーのルーは夫好みで激辛のようだ。辛いのがなかなか消えない。それでもレトロカレーより美味しかった。
昨日の夕食で作り今朝もカレーを食べた。ご飯をいれて370カロリー程度。ほうれん草のおひたしとで380カロリー。
いつも夕方、6時からラジオはラジオ大阪にして懐かしい歌謡曲を聞いている。それが7時前後に寝ていて全部は聞いていない。9時前にトイレに行き、12時ごろにトイレ、そして1時半頃トイレ、トイレから戻るとたいてい寝ているが、夕べは1時半のトイレから眠れなくて2時過ぎまでスマートフオンを見ていてそれから寝た。今度のトイレは3時前、戻ってきてラジオはNHKにした。そして日本の歌を聞いた。橋幸夫特集である。
夕べは股旅演歌ばかり、懐かしかった。私が高校1年の時にデビューした。
その歌から始まった。潮来傘、おけさうたえば、いそぶしげんた、ほかにも知らない歌が何曲がでてくるが1度は聞いたことがある。さくのさくたろうなど。最後は懐かしい沓掛時次郎、これは大好きでよく歌っていた。木曾節三度笠も好きだったがこれはでていなかった。久しぶりに昭和35年から36年が私の頭を駆け巡った。
日本は高度経済成長に向かっていたがまだまだ、暮しは楽ではなかった。弁当に私も含めて麦ごはんがはいっていた。たいてい弁当を隠して食べていた。弁当を堂々とひろげている人は裕福な家、そして家業が農業の人だった。あのころに食べた麦飯は後遺症になっていまだに雑穀米のご飯も麦ごはんも食べられない。若い人の雑穀米を食べている光景にあきれている。
何もなかった時代だったが皆、希望と夢を持って生きていた。日本の国は必ず、夜明けが来ると信じていた。経済成長した今日の日本、たくさんたくさん、人が生きる道や心を落してきた。
昭和35年代の歌に在りし日と私の故郷、木津川市を思いだしていた。
メールはドコモメールで送れるところは送っていた。そして携帯電話はメーセッジーで送信していた。ジーメールも友人に作ってもらったのになかなか使い方がわからなくて使えなかった。今朝、息子に送りたいものがあって、メッセージに貼り付けて送信するが遅れたのかどうか分からない。
そしてすぐにジーメールのアドレスが入って送信をすると送ることができた。できないと思って詳細に見なかった。今日は見てみると、なんのこと、そこをみればできるのだった。また友人に「あほやな」と言われそう。
ラインをしている人も多いが私はそれは今はしたくないので使わないことにしている。長いこと、仕事で多くの人にあって取材して電話もかかせない仕事道具だった。現職を離れて、なるべく一人静かに過ごしている。
大病して、介護支援者や福祉施設の訪問で、お世話になっている人はすべて人である。雑談をしてにぎやかな私をしている。本来は一人で過ごすことが好きだが、現在はそんなことをいっておられない。人と人のコミニュケーションである。今日はこれまで。
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