鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

寒い。寒いから暖房をいれていると気分が悪くなってきた。

2007-01-19 17:41:31 | 直言!
明日の現場の地図をインターネットで探していると気分が悪くなってきた。
なかなか詳細の地図がでてこない。歩いて行くと道は分かるがタクシーに乗ると道が分からない運転手が最近多くなった。なんのために運転手をしているのかと思うほどイライラするときがある。
いつかテレビでタレント夫婦も最近喧嘩するのがタクシーの運転手だと言っていた。
道を説明しても道順が分からないからイライラすると言っていた。
最近本当に乗車するものがおおまかな道路状況を言わないと動けない運転手が多い。私はテレビを見ながら分かる。分かると頷いていた。
明日もそうである。
時間があればぶらぶらと歩いていくが明日はその前に旅行会社や銀行のキャッシュコーナーにたちよらなければならない。
今回の旅行代金は私の小遣いが吹っ飛びそうだ。
それでもしかたがない。
息子は親のこんな苦労はわからないだろうな。それでも親としての役目をしておいて後からまた息子に何なりと言える。
そんなことで親子関係は遠くにいても切れない。
こんなことで私のライフワークの仕事は後回しになっている。
韓国にも行かないといけないがそれは後回しで家族優先になっている。
暖房のせいだったのだろうか。
パソコンで長いこと検索しすぎたのりだろうか。
気分が悪くなって暖房を消して布団の中でウトウトと居眠りをして少しすっきりとした。
明日の現場は京都市南区で2時から5時までの仕事、そのまま直接、夫の兄の家に行く。伏見区だったのを引っ越しをして少しだけ宇治よりになって宇治市だがほとんど伏見区になる。京都から電車に乗って丹波橋で降りてタクシーに乗ることにする。
明日は夫の母の法事である。本当は21日だが土曜日の方が勤め人はいいということで20日になった。息子が大学3年か4年のときに亡くなったのでもう何年もなるだろう。
そのときの正月、夫の兄の家に行くともう姑は弱っていてもう持たないなと私の直感だった。息子もそれを直感していたようだった。
正月が済んで私の実家で息子はアルバイトをして学業のために沖縄に戻った。那覇空港に着いたときに隣に止まっている飛行機におそらくまた乗るのではという直感をしたという。下宿に着くなり私からの電話で那覇空港にとんぼ帰りした。そして乗るだろうと思った飛行機に乗ってまた奈良に戻ってきたことがあった。あのころは私の母親がまだ生きていたので息子の飛行機代は影でずいぶんと助けてもらった。
こんなことを思い出したら母親をもっと大事にすればよかったと思う。
車椅子になった母親は私と話し相手になってほしくて連日私の家に電話ほしてきていた。
つい毎日のことなので「うるさいな。もう今仕事している」と言って電話を切った。母親が亡くなって2回目の10月が過ぎていった。息子の小遣いや沖縄往復の飛行機代などずいぶん母親が助けてくれたのにと今は母親に感謝している。

明日は夫と夫の兄の家で合流して奈良に戻ってくる。

21日も現場、大阪市立北鶴橋小学校で子どもたちの韓国語の弁論大会がある。日本公立学校に通う子どもが多いだろう。
初めての試みだから写真が絵になる。心して仕事をしなければならない。
今日はおかずの献立が浮かんでこない。
なすびを炊いてピーマンを炒めようか。
夕食の支度をしたくないときもあるがしなければならない。

夕方の5時半、外は夕闇に包まれてきた。
旧正月が明けるまではまだこの時間は夕闇に近い。旧正月が明けるまでまだ1ヶ月もある。寒いし暗いしやっぱり冬は嫌い。
そろそろこのへんでおいて夕食の支度をしよう。
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