気温は低い。今日は雨が降るのだろうか。
「電車の中----を」連載をしているが少しおかしい人の考えがあるので削除した。
韓国人だから差別されているからそんな書き方をするとか----。
おかしな考えかたをする人だ。
この人何も私のことはしらない。しらなくてあたりまえだが、日本人の韓国人差別意識、あいもかわらず五万といるということを再認識し日本社会の相変わらずの世相に嘆かわしいとまた思った。このホームページーを見ている在日コリアンの次世代には見せたくないと考えてそうしただけである。
まったく日本の歴史をご都合のいいところしか教えてもらったのか私が韓国人だからそんな感情になったのかと-----。
アホ、アホと叫びたい。
ある日特急に乗っていたときに携帯電話がかかってきた。もう西大寺で奈良に着く前だった。電話のかかっているのを待っていた。
所用で用件の電話を待っていた。ようやくかかった電話だった。しかたなしに座席で聞いた。デッキにいくよりもう奈良につく前だった。
民団関係者だったので韓国語であいさつして少し韓国語で話しをしていた。
そして電話を切った時に少し前にいた50代後半の女性が叫んだ。大きい声で叫んだ。「あなた。あなたね。ここは電車の中、500円の特急券を買って特急にのっているのです。電話ではなされたら乗って入る意味がない」と叫んだ。そして私は言った。「電車の中だから電話はすぐに切っています」と言った。
「あなた。あなたね。デッキにいったらいいでしょう」とまた大きい叫んだ。
その叫び方になんと品のない人と思って黙って見ていた。
コメントを書いた人はこんな舞台裏も知らないでよく書くこととアホらしいと思うことと在日コリアンの子どもは舞台裏を知らないのにこんなの読んでもらっては困ると考えて削除した。削除したらまた同じ人が4件ものを入れて削除したと抗議している。
何も知らない人にそのページで言い訳をするのがあほらしくなった。
特急電車でも金持ち風のマダムだったら彼女は私に「あなた。あなたね」と人を侮蔑したように言葉は使わない。黙っていただろう。私が韓国語を使ったために差別意識の対象になった。
そして近年、拉致被害者の問題が浮上してからは日本人の中で大韓民国も北朝鮮の国の区別もつかない多くの日本人を知ることになった。
大抵の人は在日コリアンを拉致被害者疑惑と関係あると見ているのか日本人の中には私に拉致被害者問題で抗議する人がいる。そのたびに朝鮮半島の地図を書いて38度線の軍事境界線を説明しなければならなかった。
「あなた。あなたね」という言葉にコメントを書いた人は韓国人だからそう思ってていると言っているが日本人には説明してもわからないだろう。
長いこと日本社会で在日韓国人として生きてくるとその言葉のニュアンスに直感で根底の差別意識が見える。
そしてこのコメントを書いた人はまったく日本の歴史を知らない。
韓国生まれだったらこんなに日本の文字で文章がかけない。
私は日本で生まれて日本で育ち日本の学校教育をうけている。第1言語が日本語で母国語が韓国語です。不十分な韓国語でソウルの町をタクシーでかけまわっているのが現実です。在日コリアンの歴史を知らない人が日本にまだ五万といるという現実をまた認識した。
それに私、親は差別を受けて生きてきた1世かもしれないが私は片田舎で育ち親が必死に真面目に生きたのたで他の人が話しをするような酷い差別は受けていない。親が必死で経済構築をして町では信用されていたのでそんな大それた差別にはあっていない。
長い間の人生の中で親からは民族意識をきっちり植え付けてもらったが民族に興味がなくて息子が大学に行ったときに帰化申請の準備をしていた。
それが先祖さんは私にそうさせなかった。
日本の出版社で楽しく雑誌記者をしていたのに4年過ぎると日本人のふりをして日本の記事をかきたくないという葛藤に明け暮れる日が続くことになった。
この答えをどうして解決すればいいのか1年間悩んだ。
この気持も日本人は理解できないだろう。
そして悩んでいたときに父親の言葉を思い出した。
「言葉は使わなくても覚えておいたほうがよい」
この言葉を思い出して息子が大学に入学した年の4月に韓国語を習いに教室のドアをたたいのです。
初めて見るハングル、丸も棒もわからない記号が黒板に並んでいた。
まだ日本に赴任して間もない韓国政府派遣教師が「黒板のハングルを読んで下さい」と言う。私はすぐに言いました。「私はその丸も棒の意味もわかりませんので読めません」と答えた。教師は首を傾げて「本当に読めませんか」と言って首を傾げていた。しかし私のような在日コリアン、これが現実です。
日本語を第1言語に育った世代の現実で日本語しかできない苦しい在日コリアンです。
しかし父親が言っていた「使わなくても覚えておいたほうがいい」と言葉の意味がわかった。文字と文字の間から文化や歴史が見えてくる。祖父母・父母のルーツが見えてきた。これでルーツを知って帰化申請することにいったん保留をした。
雑誌記者をしていて5年もたつと私の知名度は奈良県内であがっていたがコメントを書いたような差別意識の人がいっぱいいた。派遣教師のところに訪れる奈良市民の言葉の端々に在日韓国人の差別実態を知って私がずっと記者の仕事ができるようにと在日韓国人の新聞社に入れてくれたのがきっかけでこうして今も在日コリアンの中で取材して仕事をしていることにやりがいのある仕事だと思っている。
在日韓国人の新聞社で記者になったころは在日コリアンの現状も歴史もしらなかつたので失敗の連続だった。それでも先輩が気長く指導してくれたことと気長く私を見守ってくれたので今日まで仕事を続けることができた。
失敗の連続と環境の悪さで何度も元いた職場に戻ろうと足を1歩踏み出すがしかしそうさせなかったのが「日本人のふりをして日本の記事を書きたくない」というこの固い意思があったから今日まで在日コリアンの間で取材を続けることができた。
人の一生はそれぞれ違う。その人が一生懸命に生きた人生がある。
マナーの悪い人がいる現在の日本、日本の政治家も秩序がなくなった。
私みたいななんの権力ももたない者はマナーも放置しておいてよいのかもしれない。しかし鉄道会社の矛盾を何度かみてきたので今回思い切って電話のマナーを書いた、抗議のコメントが多いことはそれだけ関心をもって見ていることだ。それには感謝をしておこう。
もうすこし在日コリアンの歴史史実を知ってもらいたいものである。
日本の学校教育の歪みがこうした形ででていることを日本人は知ってもらいたい。
そして電車の件のブログを読んだのでしょうか。かけてこられた人はそれから最新の注意をはらって電話をしてくれていますことも伝えておきます。
「電車の中----を」連載をしているが少しおかしい人の考えがあるので削除した。
韓国人だから差別されているからそんな書き方をするとか----。
おかしな考えかたをする人だ。
この人何も私のことはしらない。しらなくてあたりまえだが、日本人の韓国人差別意識、あいもかわらず五万といるということを再認識し日本社会の相変わらずの世相に嘆かわしいとまた思った。このホームページーを見ている在日コリアンの次世代には見せたくないと考えてそうしただけである。
まったく日本の歴史をご都合のいいところしか教えてもらったのか私が韓国人だからそんな感情になったのかと-----。
アホ、アホと叫びたい。
ある日特急に乗っていたときに携帯電話がかかってきた。もう西大寺で奈良に着く前だった。電話のかかっているのを待っていた。
所用で用件の電話を待っていた。ようやくかかった電話だった。しかたなしに座席で聞いた。デッキにいくよりもう奈良につく前だった。
民団関係者だったので韓国語であいさつして少し韓国語で話しをしていた。
そして電話を切った時に少し前にいた50代後半の女性が叫んだ。大きい声で叫んだ。「あなた。あなたね。ここは電車の中、500円の特急券を買って特急にのっているのです。電話ではなされたら乗って入る意味がない」と叫んだ。そして私は言った。「電車の中だから電話はすぐに切っています」と言った。
「あなた。あなたね。デッキにいったらいいでしょう」とまた大きい叫んだ。
その叫び方になんと品のない人と思って黙って見ていた。
コメントを書いた人はこんな舞台裏も知らないでよく書くこととアホらしいと思うことと在日コリアンの子どもは舞台裏を知らないのにこんなの読んでもらっては困ると考えて削除した。削除したらまた同じ人が4件ものを入れて削除したと抗議している。
何も知らない人にそのページで言い訳をするのがあほらしくなった。
特急電車でも金持ち風のマダムだったら彼女は私に「あなた。あなたね」と人を侮蔑したように言葉は使わない。黙っていただろう。私が韓国語を使ったために差別意識の対象になった。
そして近年、拉致被害者の問題が浮上してからは日本人の中で大韓民国も北朝鮮の国の区別もつかない多くの日本人を知ることになった。
大抵の人は在日コリアンを拉致被害者疑惑と関係あると見ているのか日本人の中には私に拉致被害者問題で抗議する人がいる。そのたびに朝鮮半島の地図を書いて38度線の軍事境界線を説明しなければならなかった。
「あなた。あなたね」という言葉にコメントを書いた人は韓国人だからそう思ってていると言っているが日本人には説明してもわからないだろう。
長いこと日本社会で在日韓国人として生きてくるとその言葉のニュアンスに直感で根底の差別意識が見える。
そしてこのコメントを書いた人はまったく日本の歴史を知らない。
韓国生まれだったらこんなに日本の文字で文章がかけない。
私は日本で生まれて日本で育ち日本の学校教育をうけている。第1言語が日本語で母国語が韓国語です。不十分な韓国語でソウルの町をタクシーでかけまわっているのが現実です。在日コリアンの歴史を知らない人が日本にまだ五万といるという現実をまた認識した。
それに私、親は差別を受けて生きてきた1世かもしれないが私は片田舎で育ち親が必死に真面目に生きたのたで他の人が話しをするような酷い差別は受けていない。親が必死で経済構築をして町では信用されていたのでそんな大それた差別にはあっていない。
長い間の人生の中で親からは民族意識をきっちり植え付けてもらったが民族に興味がなくて息子が大学に行ったときに帰化申請の準備をしていた。
それが先祖さんは私にそうさせなかった。
日本の出版社で楽しく雑誌記者をしていたのに4年過ぎると日本人のふりをして日本の記事をかきたくないという葛藤に明け暮れる日が続くことになった。
この答えをどうして解決すればいいのか1年間悩んだ。
この気持も日本人は理解できないだろう。
そして悩んでいたときに父親の言葉を思い出した。
「言葉は使わなくても覚えておいたほうがよい」
この言葉を思い出して息子が大学に入学した年の4月に韓国語を習いに教室のドアをたたいのです。
初めて見るハングル、丸も棒もわからない記号が黒板に並んでいた。
まだ日本に赴任して間もない韓国政府派遣教師が「黒板のハングルを読んで下さい」と言う。私はすぐに言いました。「私はその丸も棒の意味もわかりませんので読めません」と答えた。教師は首を傾げて「本当に読めませんか」と言って首を傾げていた。しかし私のような在日コリアン、これが現実です。
日本語を第1言語に育った世代の現実で日本語しかできない苦しい在日コリアンです。
しかし父親が言っていた「使わなくても覚えておいたほうがいい」と言葉の意味がわかった。文字と文字の間から文化や歴史が見えてくる。祖父母・父母のルーツが見えてきた。これでルーツを知って帰化申請することにいったん保留をした。
雑誌記者をしていて5年もたつと私の知名度は奈良県内であがっていたがコメントを書いたような差別意識の人がいっぱいいた。派遣教師のところに訪れる奈良市民の言葉の端々に在日韓国人の差別実態を知って私がずっと記者の仕事ができるようにと在日韓国人の新聞社に入れてくれたのがきっかけでこうして今も在日コリアンの中で取材して仕事をしていることにやりがいのある仕事だと思っている。
在日韓国人の新聞社で記者になったころは在日コリアンの現状も歴史もしらなかつたので失敗の連続だった。それでも先輩が気長く指導してくれたことと気長く私を見守ってくれたので今日まで仕事を続けることができた。
失敗の連続と環境の悪さで何度も元いた職場に戻ろうと足を1歩踏み出すがしかしそうさせなかったのが「日本人のふりをして日本の記事を書きたくない」というこの固い意思があったから今日まで在日コリアンの間で取材を続けることができた。
人の一生はそれぞれ違う。その人が一生懸命に生きた人生がある。
マナーの悪い人がいる現在の日本、日本の政治家も秩序がなくなった。
私みたいななんの権力ももたない者はマナーも放置しておいてよいのかもしれない。しかし鉄道会社の矛盾を何度かみてきたので今回思い切って電話のマナーを書いた、抗議のコメントが多いことはそれだけ関心をもって見ていることだ。それには感謝をしておこう。
もうすこし在日コリアンの歴史史実を知ってもらいたいものである。
日本の学校教育の歪みがこうした形ででていることを日本人は知ってもらいたい。
そして電車の件のブログを読んだのでしょうか。かけてこられた人はそれから最新の注意をはらって電話をしてくれていますことも伝えておきます。
他の日記を読み、日本語の表現がおかしいところが少し見受けられたので
日本語が堪能な、韓国育ちの方かな?との印象を受けたのですが、
間違っていたようで申し訳ありません。
私の書いた、「電車の中----を」に対してのコメントに、韓国、あるいは、韓国人に対して
侮蔑的な表現があったでしょうか?
他の方々が書かれていた内容については、確かに感情的に書き込んだと
思われるものもありました。
しかし、私は、韓国に関する全ての事柄に着いて、何の嫌悪感もないことは書き込んだとおりです。
むしろ大好きで、何度も足を運んでいますし、韓国語も勉強し、在日・在韓問わず、韓国人の友人もいます。
日本人による、在日韓国人に対する差別があるのは重々承知しています。
同じ日本人として、残念な限りです。申し訳なく思います。
しかし、それとこれとは話が別ですよね?
あなたの主張する、
「いっこうにとまらない優先座席付近の携帯電話の使用。自分さえ良ければ良いという風潮がまだまだはびこっている日本社会の世相」と
同じあなたが主張する
「そして電車の中はマナーボードにすることは分かっているがいつ仕事のことがはいるのかわからないでやはりオンにしてある」
という持論が一致しないのです。
記者というお仕事をされて、世の出来事を広く伝えることは、大変すばらしい事だと思います。
しかし、そうして主張を広く発信する立場にいるならば、まずは自らが
襟を正さなければ、読み手に対して何の説得力もない事をお伝えしたかったのです。
何度でも言います。日本語でも韓国語でも英語でも、特急でも普通でも、
車内での携帯電話の通話はマナー違反です。
鄭容順さん、あなた自身、
http://blog.goo.ne.jp/chung-y/e/e1b8fd770b3068872581a1e790bc2f5b
http://sarada.blog.so-net.ne.jp/2008-08-23#more
この二つを読んで、矛盾をお感じになりませんか?
「ペンは剣よりも強し」・・・すばらしい言葉です。
あなたからの剣より強い主張、私からの剣より強い主張を交し合う為に
昨日も今日も、こうして書き込んでいるのに、削除とはあんまりでは
ありませんか?それがジャーナリストとしての正しい姿勢ですか?
鄭容順さんの、記者としての誠意に期待いたします。
長文失礼いたしました。
残念ながら文明機器に弱くてマナーモードにすると仕方がまちがっているのか電話がつながらないと言う苦情が多くなりしばらくオンにしていたのですが今は必要に迫らない時は電源を切っています。またこれはこれで電話がつながらないといわれているので最近はメールでしていますがメールをするときは優先座席を離れています。これ以上のコメントはいりません。このブログは甥や姪がよんでいますのであなたからのこうしたコメントは次世代の子どものために削除させていただきます。ご指導、ご指摘は心してうけとめておきます。日本語がおかしいのは変換間違いも多々あります。失礼していますがこれからはあなた様のコメントは削除させていただきます。ご理解のほどわ。
私も、「人を裁く前に、まずは自ら襟を正せ」という思いを、次世代の子どものために書き込んでいます。鄭容順さんだけを攻撃する意図は毛頭ありません。
世間の様々な意見や出来事を、隠さずにと伝えることが、ジャーナリズムの原点だと思います。気に入らない、見方が違うことを削除、抹消してしまうのではなく、こうしていろいろな意見があるんだよ、という事も、甥っ子さん、姪っ子さんに伝えていただけることを切に願います。
誰かの文章に似ているらしいですが、私は昨日の2件と、今日のコメントしか書いていません。そして、このコメントを残していただけるなら、もう書き込みはいたしません。今回も、鄭容順さんの、記者としての誠意に期待いたします。