いつまでもムシムシと暑い。ついアイスキャンデーを食べる回数が増える。そして連日の雨で日本列島のどこかしこで水浸しになっている。
昨日は土用で丑の日、うなぎを食べていても冷夏なのか夏なのかわからなくて「うなぎどんぶり」を食べていても実感がわかない。
それなのに行事は行われている。マンションの前にある地蔵さん、地蔵盆が行われている。雨模様の空に子どもたちが浴衣にも夏の実感がしない。
やはり暑くてもからりとしていれば浴衣姿を見ても気持ちがいい。花火をしてもしがいのないこのどんよりした曇り空、
なんか人間が悪いことばかりしてきたことを責められているような気がする。
さきほどテレビのワイドショウで誰かが話していた。
先日、ミサイルを打ったピョンヤンに住んでいる偉い人の話し、
雲隠れしてでてこなくなった。
あれはあかん。ミサイルはあかんわ。
それも日本に向けてはあかん。
日本に同胞がいるというのに、しかもその偉い人のいうことにウンウンとうなずく人もいるというのに--------。
あかん。天の見えない神さんも怒っていると思う。
今に何か起こりそうで安心できない。気がやすまらない。
日本に住んでいる在日同胞は日本の地域で共生してこの日本で暮していこうとようやく地に足をついているのに、ミサイル1本でなくて7本もうつなんて、これはあかん。日本に住んでいる同胞は日本社会から阻害されないかと気をつかっている。
本当に同胞のことを思うのなら兵器でなくてスプーンいっぱいのご飯がたべられるようにしてほしい。スプーンいっぱいのスープも食べられるようにしてほしい。
ミサイル打ってもスプーンいっぱいのご飯もスープもない。
私がかつて大好きでフアンレターを書き続けた作家の落合恵子さん、エッセイに「スプーンいっぱいの幸せ」があった。
私が20代の後半から30代の後半、夢中になって本を読みフアンレターを出した。数回、東京都と関西であっている。
かざらない、気取らない。それでいて気配りができてそれでいて感性が違う。
落合恵子さんが考えた「スプーンいっぱいの幸せ」の言葉、ふと今、思い出した。スプーンいっぱいの心のゆとりがほしい。スプーンいっぱいの-------と思いを馳せている。日本から帰国した在日同胞のために幸せになるための国家構造構築を願う気持ちである。
日本に住んでいる在日同胞は欲張らない。まずスプーンいっぱいのご飯を食べたい。そう思って生きてきた。1世の人生はスプーンいっぱいのご飯のために寝食を忘れて働いてきた。
2世も親の背中を見てきた。そして働いてきた。
2世は日本社会で生きていく。そのためには日本社会の共生に奔走してきた。今、ようやくスプーンいっぱいのコーヒーを分け合う気持ちが生まれてきている。3世は日本に土着して世界に向けて活躍する若者がでてきた。
それでも2世はスプーンいっぱいのご飯のために傲慢にならないで一生懸命に生きている。
落合恵子さんは「スプーンいっぱいの幸せ」のために1ミリでも前に進むことができたら----とよく言っていた。
今も通じる言葉である。
スプーンいっぱいの幸せを求めて明日も明後日も謙虚に1ミリでも努力をしよう。ミサイルと関係がないがふとスプーンいっぱいの幸せに重ねてしまった。
昨日は土用で丑の日、うなぎを食べていても冷夏なのか夏なのかわからなくて「うなぎどんぶり」を食べていても実感がわかない。
それなのに行事は行われている。マンションの前にある地蔵さん、地蔵盆が行われている。雨模様の空に子どもたちが浴衣にも夏の実感がしない。
やはり暑くてもからりとしていれば浴衣姿を見ても気持ちがいい。花火をしてもしがいのないこのどんよりした曇り空、
なんか人間が悪いことばかりしてきたことを責められているような気がする。
さきほどテレビのワイドショウで誰かが話していた。
先日、ミサイルを打ったピョンヤンに住んでいる偉い人の話し、
雲隠れしてでてこなくなった。
あれはあかん。ミサイルはあかんわ。
それも日本に向けてはあかん。
日本に同胞がいるというのに、しかもその偉い人のいうことにウンウンとうなずく人もいるというのに--------。
あかん。天の見えない神さんも怒っていると思う。
今に何か起こりそうで安心できない。気がやすまらない。
日本に住んでいる在日同胞は日本の地域で共生してこの日本で暮していこうとようやく地に足をついているのに、ミサイル1本でなくて7本もうつなんて、これはあかん。日本に住んでいる同胞は日本社会から阻害されないかと気をつかっている。
本当に同胞のことを思うのなら兵器でなくてスプーンいっぱいのご飯がたべられるようにしてほしい。スプーンいっぱいのスープも食べられるようにしてほしい。
ミサイル打ってもスプーンいっぱいのご飯もスープもない。
私がかつて大好きでフアンレターを書き続けた作家の落合恵子さん、エッセイに「スプーンいっぱいの幸せ」があった。
私が20代の後半から30代の後半、夢中になって本を読みフアンレターを出した。数回、東京都と関西であっている。
かざらない、気取らない。それでいて気配りができてそれでいて感性が違う。
落合恵子さんが考えた「スプーンいっぱいの幸せ」の言葉、ふと今、思い出した。スプーンいっぱいの心のゆとりがほしい。スプーンいっぱいの-------と思いを馳せている。日本から帰国した在日同胞のために幸せになるための国家構造構築を願う気持ちである。
日本に住んでいる在日同胞は欲張らない。まずスプーンいっぱいのご飯を食べたい。そう思って生きてきた。1世の人生はスプーンいっぱいのご飯のために寝食を忘れて働いてきた。
2世も親の背中を見てきた。そして働いてきた。
2世は日本社会で生きていく。そのためには日本社会の共生に奔走してきた。今、ようやくスプーンいっぱいのコーヒーを分け合う気持ちが生まれてきている。3世は日本に土着して世界に向けて活躍する若者がでてきた。
それでも2世はスプーンいっぱいのご飯のために傲慢にならないで一生懸命に生きている。
落合恵子さんは「スプーンいっぱいの幸せ」のために1ミリでも前に進むことができたら----とよく言っていた。
今も通じる言葉である。
スプーンいっぱいの幸せを求めて明日も明後日も謙虚に1ミリでも努力をしよう。ミサイルと関係がないがふとスプーンいっぱいの幸せに重ねてしまった。
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