私は夜の「観相窓」は見たことがない。
ただ私は東大寺大仏での「昭和大修理」のとき工事現場の足場が組まれていたので足場を通って「昭和大修理」の瓦を敷かれている工事現場を見学した。そのとき案内される人が「観相窓」の前を通り、年2回、開けて見せていますが今回は工事現場の足場を組んでいることから、大仏殿の大屋根の近くにきている。ここから「盧舎那仏」を見えますと言って大仏様の顔を真正面から見た。
この見学は息子が小学校6年の時でPTA活動の1つとして見学に訪れた。
それから1年半後、縁があって奈良県の雑誌記者になった。
そして地方紙の記者たちも親しくなった。
報道カメマラマンだったK氏、会社の人事異動でペングループの担当デスクになりカメラマンから外れていた。
それでもカメラをいつも持って歩いていた。
東大寺が好きで大仏殿のおみ拭いの行事もよくとりにいった。
その写真を私に見せてはできばえを自慢していた。
そしてある年の年末、12月31日、初詣を兼ねて東大寺に来ると「観相窓」が開いている。この光景が素晴らしい。深夜の大仏殿は素晴らしいと言っていた。
私が一緒に行こうといえば即座に意中の彼女も誘って一緒に行くつもりだったのだろうか。
私は彼に「12月31日、私は奈良にいません。夫の兄の家に行くので奈良にいないから東大寺にこられません」と言ったら「ものすごくいいのやで」と何度も言っていた。
15日の盆も今年は早く帰れたが当時は夫の母親がいたので15日もそうそうに引き上げることができなかった。
最低限の嫁の立場をしていた。
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新聞に掲載された大仏殿の観相窓からの盧舎那仏にもう大方20年と少し前のことを思い出した。
あんなに仏閣の御仏を愛して写真を撮っていたのにどうして若くして逝去したのか。人間の命ははかないものである。
もし生きていたら---------。
このジャーナリスト・ネットで何か写真を載せているだろうか。
同じK氏でカメラマンがジャーナリスト・ネットにおられる。写真ほ撮る視点も構想も違う。
摩擦はなくても火花は散ったのだろうか。
いや、男性は厳しい社会構造を体験して重ねてきたのでめったなことではトラブルを起こさない。
そして同僚だったK氏とはどうだったのだろうか。
なんて想像していたが----。
亡くなったK氏は相当な我儘で高慢な人だった。
私の方が「スカン」といっていたかもしれない。
いや「俺がいらんわ」といって私がいるために見向きもしなかったのだろうか・
こういうことを「自意識過剰」というもんや。
と、彼は斜めに構えて私を天国から睨んでいるだろう。
「盧舎那仏」の写真に忘れていた若かったころを思い出した。
それにしても早く行き過ぎたものだ。
生きていれば病気をした体験で人間円くなっていたかもしれない。
残念である。円くなったところを見たかった。
ただ私は東大寺大仏での「昭和大修理」のとき工事現場の足場が組まれていたので足場を通って「昭和大修理」の瓦を敷かれている工事現場を見学した。そのとき案内される人が「観相窓」の前を通り、年2回、開けて見せていますが今回は工事現場の足場を組んでいることから、大仏殿の大屋根の近くにきている。ここから「盧舎那仏」を見えますと言って大仏様の顔を真正面から見た。
この見学は息子が小学校6年の時でPTA活動の1つとして見学に訪れた。
それから1年半後、縁があって奈良県の雑誌記者になった。
そして地方紙の記者たちも親しくなった。
報道カメマラマンだったK氏、会社の人事異動でペングループの担当デスクになりカメラマンから外れていた。
それでもカメラをいつも持って歩いていた。
東大寺が好きで大仏殿のおみ拭いの行事もよくとりにいった。
その写真を私に見せてはできばえを自慢していた。
そしてある年の年末、12月31日、初詣を兼ねて東大寺に来ると「観相窓」が開いている。この光景が素晴らしい。深夜の大仏殿は素晴らしいと言っていた。
私が一緒に行こうといえば即座に意中の彼女も誘って一緒に行くつもりだったのだろうか。
私は彼に「12月31日、私は奈良にいません。夫の兄の家に行くので奈良にいないから東大寺にこられません」と言ったら「ものすごくいいのやで」と何度も言っていた。
15日の盆も今年は早く帰れたが当時は夫の母親がいたので15日もそうそうに引き上げることができなかった。
最低限の嫁の立場をしていた。
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新聞に掲載された大仏殿の観相窓からの盧舎那仏にもう大方20年と少し前のことを思い出した。
あんなに仏閣の御仏を愛して写真を撮っていたのにどうして若くして逝去したのか。人間の命ははかないものである。
もし生きていたら---------。
このジャーナリスト・ネットで何か写真を載せているだろうか。
同じK氏でカメラマンがジャーナリスト・ネットにおられる。写真ほ撮る視点も構想も違う。
摩擦はなくても火花は散ったのだろうか。
いや、男性は厳しい社会構造を体験して重ねてきたのでめったなことではトラブルを起こさない。
そして同僚だったK氏とはどうだったのだろうか。
なんて想像していたが----。
亡くなったK氏は相当な我儘で高慢な人だった。
私の方が「スカン」といっていたかもしれない。
いや「俺がいらんわ」といって私がいるために見向きもしなかったのだろうか・
こういうことを「自意識過剰」というもんや。
と、彼は斜めに構えて私を天国から睨んでいるだろう。
「盧舎那仏」の写真に忘れていた若かったころを思い出した。
それにしても早く行き過ぎたものだ。
生きていれば病気をした体験で人間円くなっていたかもしれない。
残念である。円くなったところを見たかった。
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