2010年が明けていい年であるように願ったのに何1ついいことはなかったのでは----。
私はいつもの平凡な生活です。
しかし日本は政権が変わったのに政治の仕方が慣れていないのかほころびが出てくる。特に外交下手、そして民主党政権も2つに割れている。
小沢一郎と菅直人派、なにせ周りの取り巻きもよくないな----。
そう私なりの素人の判断です。
韓国と北朝鮮、11月23日には北朝鮮から延坪島に砲弾、太陽政策で何を約束したのか知らないが3代世襲のために金を使い軍備にお金を使ってきた。
太陽政策は統一したときに北朝鮮の軍備は韓国のものになると思っていたかもしれない。これは甘い。甘い。そんなことは絶対にならならい。
北朝鮮を客観的に見ている在日韓国人はけっして韓国の対話のために投じていると思っていなかった。やはりその予想は当たった。
金大中が北朝鮮に行ったときに夫はものすごく怒っていた。
「いくらお金を持っていって平壌に行ったかもしれないが平壌にまんまんと騙されているのは金大中、この人は自分だけの手柄のために北朝鮮にお金を運んでいる。あの金は軍備に使われて必ず韓国に向けて打ってくる」と話していた。太陽政策を鼻で笑っていた。
やはり夫の思うようになった。
「北朝鮮の考え方はそのまま朝鮮総連が受け継いでいる。在日コリアンが南北の和解と言っても必ず朝鮮総連に騙されるのが民団や」とも言って民団と総連の和解に血相かえて私に怒っていた。
和解するときに編集局からの要請でコリアタウンに取材に入った。
それを知った夫、普段は私の仕事にそう干渉しないのにこのときは干渉した。
「民団と総連の和解は誰が決めたんや。なんで上が勝手にせんとあかんのや。団員の承諾もなかったはずや。各地方本部で意見の採択とっていないのに何で上が勝手にそんなことするのか」と、もう頭に血が上って怒っていた。
和解が解けて夫はほっと安心していた。
普段は民族、民族と言わない。
この人の民族といえば幼い頃から食べている韓国料理を食べていることが民族と私は思っていた。
夫は父親の言葉を何も聞いていないと思っていた。父親の話を仕方なしに聞いていると思っていた。馬の耳に念仏と思っていた。
しかし父親の話をちゃんと聞いていた
朝鮮総連の活動も民団の活動もそれなりに把握していた。
今も夫は言う。
「太陽政策でお金を運んでそのお金で核を作っている。北朝鮮を見る目がなかった。本人が北朝鮮寄りだから北朝鮮を支援することしか考えていなかった。李明博大統領は北朝鮮にお金なんか運ばないし渡さない。運んでも無駄ということをよく知っている。この考え方が普通である。北朝鮮にいくらお金運んでも無駄。あの国は同じ民族なんて甘いことを言ってはいけない。考えが違う。韓国人もまだまだ甘い。北朝鮮という国をもっと掘り下げて考えないといけない」と、11月23日の延坪島の砲弾でまた文句を言っていた。
京都市立上鳥羽小学校の同級生が北朝鮮に帰って行った。
今も同窓会になると北朝鮮に帰った同級生の話をする。
「家にも北朝鮮帰国の誘いがあったが大きい兄さんが一言で断った。私の故郷は韓国です。なんで北朝鮮に帰らないといけないのか」と言って帰国を断っている。後にこの話をした夫の兄は「大きい兄さんの考えは正解だった」と。
夫は北朝鮮に帰国した同級生のことをたまに話す。
本人は帰りたくなくて日本に残ったようだった。しかしまた後日、先に帰った姉が迎えに来て北朝鮮に連れて帰ったという。夫の同級生は女の子、小学6年の子どもは子どもなりに帰りたくない直感があったのだろう。
夫は「もう死んでいるだろう」と、言っていつも悲しそうな顔をしている。
2010年のニュースとなると11月23日の北朝鮮の延坪島に砲弾したことがまっさきに浮かんでくる。
在日韓国人も韓半島に行方をいつも心配して見ている。
平和に統一することを一日千秋の思いで見ている。
南北分断国家になったその経緯を考えるとどうしても日本政府を責めたくなる。
日本で生まれて日本で育った私は2世、1世の気持ちをどこかで受け継いで生きているようだ。韓半島は1つの国だったのにといつも思う。
誰がしたのか。何がこうなったのか。
つい矛先は日本に向いている。
ついでにアメリカ、当時のソ連にも矛先がむいていく。
今年も後3日、北朝鮮のことを書いているとまた脱北者が言った言葉を思い出した。北朝鮮に帰国した在日朝鮮人のすべては日本に戻りたいと思っている。
日本政府はこの言葉にどう思うだろうか。
胸を痛める人が何人いるだろうか。
朝鮮総連関係者の帰国運動にも1つの罪を作っている。
帰国運動をした日本のある政党の国会議員、この責任はどうして取っていくのだろうか。日本人拉致被害者の問題も含めて私はそう思って見ている。
年の暮れにまたこんなことを思い出した。
もう5時前で夕食の支度です。
今日は12時半ごろから横になって新聞1紙読んだ。眠たい。うとうとと良く寝た。起きると3時半、起きてまだ少し残っている棚を拭いた。
電子レンジも何度か普段、よく拭いているが今日は動かして拭いた。
気持ちがすっとした。
昨日、食事処で牡蠣フライを食べて美味しかった。
今夜は牡蠣フライをすることにしている。
美味の牡蠣フライを食べた以前にあった金剛学園近く、西成区梅南の牡蠣フライをまた思い出している。
韓国の知人が奈良に赴任していなかったらおそらく私は在日韓国人の新聞社で仕事していなかった。知人は人育ての教師だった。
人生の巡りあわせで私の人生は180度変わった。
人生は生きてみないと分からないものとつくづく思う。
外で雷が鳴っている。パソコンをきらないといけない。
私はいつもの平凡な生活です。
しかし日本は政権が変わったのに政治の仕方が慣れていないのかほころびが出てくる。特に外交下手、そして民主党政権も2つに割れている。
小沢一郎と菅直人派、なにせ周りの取り巻きもよくないな----。
そう私なりの素人の判断です。
韓国と北朝鮮、11月23日には北朝鮮から延坪島に砲弾、太陽政策で何を約束したのか知らないが3代世襲のために金を使い軍備にお金を使ってきた。
太陽政策は統一したときに北朝鮮の軍備は韓国のものになると思っていたかもしれない。これは甘い。甘い。そんなことは絶対にならならい。
北朝鮮を客観的に見ている在日韓国人はけっして韓国の対話のために投じていると思っていなかった。やはりその予想は当たった。
金大中が北朝鮮に行ったときに夫はものすごく怒っていた。
「いくらお金を持っていって平壌に行ったかもしれないが平壌にまんまんと騙されているのは金大中、この人は自分だけの手柄のために北朝鮮にお金を運んでいる。あの金は軍備に使われて必ず韓国に向けて打ってくる」と話していた。太陽政策を鼻で笑っていた。
やはり夫の思うようになった。
「北朝鮮の考え方はそのまま朝鮮総連が受け継いでいる。在日コリアンが南北の和解と言っても必ず朝鮮総連に騙されるのが民団や」とも言って民団と総連の和解に血相かえて私に怒っていた。
和解するときに編集局からの要請でコリアタウンに取材に入った。
それを知った夫、普段は私の仕事にそう干渉しないのにこのときは干渉した。
「民団と総連の和解は誰が決めたんや。なんで上が勝手にせんとあかんのや。団員の承諾もなかったはずや。各地方本部で意見の採択とっていないのに何で上が勝手にそんなことするのか」と、もう頭に血が上って怒っていた。
和解が解けて夫はほっと安心していた。
普段は民族、民族と言わない。
この人の民族といえば幼い頃から食べている韓国料理を食べていることが民族と私は思っていた。
夫は父親の言葉を何も聞いていないと思っていた。父親の話を仕方なしに聞いていると思っていた。馬の耳に念仏と思っていた。
しかし父親の話をちゃんと聞いていた
朝鮮総連の活動も民団の活動もそれなりに把握していた。
今も夫は言う。
「太陽政策でお金を運んでそのお金で核を作っている。北朝鮮を見る目がなかった。本人が北朝鮮寄りだから北朝鮮を支援することしか考えていなかった。李明博大統領は北朝鮮にお金なんか運ばないし渡さない。運んでも無駄ということをよく知っている。この考え方が普通である。北朝鮮にいくらお金運んでも無駄。あの国は同じ民族なんて甘いことを言ってはいけない。考えが違う。韓国人もまだまだ甘い。北朝鮮という国をもっと掘り下げて考えないといけない」と、11月23日の延坪島の砲弾でまた文句を言っていた。
京都市立上鳥羽小学校の同級生が北朝鮮に帰って行った。
今も同窓会になると北朝鮮に帰った同級生の話をする。
「家にも北朝鮮帰国の誘いがあったが大きい兄さんが一言で断った。私の故郷は韓国です。なんで北朝鮮に帰らないといけないのか」と言って帰国を断っている。後にこの話をした夫の兄は「大きい兄さんの考えは正解だった」と。
夫は北朝鮮に帰国した同級生のことをたまに話す。
本人は帰りたくなくて日本に残ったようだった。しかしまた後日、先に帰った姉が迎えに来て北朝鮮に連れて帰ったという。夫の同級生は女の子、小学6年の子どもは子どもなりに帰りたくない直感があったのだろう。
夫は「もう死んでいるだろう」と、言っていつも悲しそうな顔をしている。
2010年のニュースとなると11月23日の北朝鮮の延坪島に砲弾したことがまっさきに浮かんでくる。
在日韓国人も韓半島に行方をいつも心配して見ている。
平和に統一することを一日千秋の思いで見ている。
南北分断国家になったその経緯を考えるとどうしても日本政府を責めたくなる。
日本で生まれて日本で育った私は2世、1世の気持ちをどこかで受け継いで生きているようだ。韓半島は1つの国だったのにといつも思う。
誰がしたのか。何がこうなったのか。
つい矛先は日本に向いている。
ついでにアメリカ、当時のソ連にも矛先がむいていく。
今年も後3日、北朝鮮のことを書いているとまた脱北者が言った言葉を思い出した。北朝鮮に帰国した在日朝鮮人のすべては日本に戻りたいと思っている。
日本政府はこの言葉にどう思うだろうか。
胸を痛める人が何人いるだろうか。
朝鮮総連関係者の帰国運動にも1つの罪を作っている。
帰国運動をした日本のある政党の国会議員、この責任はどうして取っていくのだろうか。日本人拉致被害者の問題も含めて私はそう思って見ている。
年の暮れにまたこんなことを思い出した。
もう5時前で夕食の支度です。
今日は12時半ごろから横になって新聞1紙読んだ。眠たい。うとうとと良く寝た。起きると3時半、起きてまだ少し残っている棚を拭いた。
電子レンジも何度か普段、よく拭いているが今日は動かして拭いた。
気持ちがすっとした。
昨日、食事処で牡蠣フライを食べて美味しかった。
今夜は牡蠣フライをすることにしている。
美味の牡蠣フライを食べた以前にあった金剛学園近く、西成区梅南の牡蠣フライをまた思い出している。
韓国の知人が奈良に赴任していなかったらおそらく私は在日韓国人の新聞社で仕事していなかった。知人は人育ての教師だった。
人生の巡りあわせで私の人生は180度変わった。
人生は生きてみないと分からないものとつくづく思う。
外で雷が鳴っている。パソコンをきらないといけない。
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