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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

朝から仕事の所用を大方仕上げた。

2007-11-01 19:18:15 | 直言!
このままパソコンを閉めれば事なきを得るがそうはいかない。
パソコンの受信メールを確認すると仕事の問いあわせが入っている。その処理をして顔を洗うのにパソコンを閉めるとトイレに行きたい。
そしたら大がでる。お腹がゆるんでいる。また軽い胃腸障害を起こしている。
何を食べて悪いのだろうか。
やはり辛いおかずがあかん。
またトイレが長い。
この間に思い出す。
問い合わせのメールに関係する人の近くまで今日は取材にいく。
だったらゲラをプリントしてもっていこう。もしあえればここですませると考えた。
とりあえず編集局には私はこれから現場に入るので連絡は私からできないのでと、連絡先をパソコンに入れて送信したものの気になる。
こんなことは早いこと処理してもらいたいのに---と心の中で鬱積している。
もしと、心の中で叫びが入る。
(だが会えなかった。携帯に留守電をいれたがあえなかった)
だが我慢をする。
いろいろ都合があると考えることにしょう。こんなことが度重なると私はプツンとなる。そんなときは在日韓国人としてのプライドをきっちり言わしてもらう。私はめったにおこらないが仕事の立場もある。そして在日韓国人の記者の誇りもある。
日本人と同じ仕事をしている。している方法は同じである。
ただ取材対象が違うだけである。
この体験は私が身をもって体験している。
日本の雑誌記者時代を体験して関連企業の地方紙との記者との接点もたくさんあった。多くのことを学んだ。
地方紙の先輩が在日韓国人の新聞社に転職をする時、私にはなむけの言葉を送ってくれたことは今も忘れていない。
「組織は組織のやり方があるから組織のやり方にさからったらあかんで」
最初はこの意味の内容が分からなかった。
仕事をしているうちに先輩が言ってくれたことが少しずつ分かってきた。
地方紙そして奈良県の雑誌と在日韓国人の仕事の現場はまったく違った。
雑誌記者の中と在日韓国人の中と記事の書き方も取材対象も違った。
しかし仕事の基礎から取材の交渉そして現場と記事設定など新聞を作る作業は日本の新聞も雑誌も同じだった。
ただ違うといえば在日韓国人の記者たちはスタッフの少ない中での活動で取材がフル回転だった。
しかし新聞を作る作業も工程も同じである。
だから私は日本人の報道関係者が「なんだ。在日韓国人の新聞記者か」と一別した目でみられると背筋が寒くなる。
在日韓国人の若い記者には仕事の内容は日本の記者と何も変わらないから自負心をもつようにと言っている。
私は同胞の中で記事を書くことは記事を書いたその人の人生をプラスに変えることにもなると考えて自負心を持って現場に入っている。
だから在日韓国人の新聞記者か。と怪訝な眼で見られると私はその人を冷めた眼でじっくり観察をしている。
長いこと記者生活をしていてありのままに記事がかけるほどやりがいのあるものはない。
私が雑誌記者時代、楽しかった仕事が「日本人のふりをして日本の記事を書きたくない」というジレンマに悩んだ自分を振り返るとありのままにかける記事が今の自分の生き方と思っている。
そんなことでちょっと呼吸が合わないことになってくると、どうしたものかと考えてしまうが始めは黙ってみておこうと言う気持ちで落ち着くことにしている。
そんなことでこんな所用のために自宅を出るのが10時30分、急いでバス停に行くと2・3分待つとバスが来た。近回りの中循環、コーヒーを飲む時間はない。
急いで近鉄奈良駅に向かうが北口は長い階段を降りる。エレベーターもない。こんな階段を何回か利用するとやはり膝が痛む。医師が階段の上り下りも控えてといわれた意味がこんなときに分かる。
鶴橋に着くと11時25分、鶴橋の駅で立ち食いうどん1杯食べてタクシーに乗り込んで通称御幸森コリアタウンに向かう。
現場に入ったのが12時20分前、2時過ぎまで取材して鶴橋の駅にまたタクシーで向かう。近鉄奈良行き急行に乗った。後ろなら席が昼間ならなんとか3・4席あいているので飛び込んで座る。
学園前で本を読んでいたが眠くなってつい寝てしまった。
ガタンと言う大きい音で眼が覚めて気がついたら終点の奈良駅、乗客が降りようとしているところだった。眼が覚めてよかった。
3時5分前、急いで銀行に入ってなんやかんやの税金を支払った。やれやれ、そして行きつけの喫茶店に行くが満席、5分ほど待つと空いたのですわった。コーヒーを飲みながら新聞を読んでいるときが1番至福の時間である。

さてスーパーに買物に行く。携帯に電話が入る。
世の中にはいろんな人がいるものだ。私に性のあわない人もいるがさてこんなときどうしたらいいのか悩むが------ありきたりの回答しかできない自分の力量のなさにまたまだまだ私はあかんなと思いながらバスに乗り込む。
若いときは強烈なバワーで押し切ることをしても世間はまだ優しく見てくれるがもうある程度高齢に入り始めると力量にあった活動をしていかなければならない。後輩育成もあって自分は蔭にいても必ず光ってくる。それなのにまだまだ自分がという押し出しに私は閉口してしまう。
そしてもう私が私がと入って力を半分、半分で活動することもないのに私が私がという自己主張は周りに迷惑を撒き散らしている。
どうしたらいいのか。
私の力量のなさにこれという答えが出せない。
ただ申し訳ないと思っている。

今日は雨が降りそうだ。と言っていたが本降りになった。降った。傘は長い傘を持って行った。
今日は忘れなかったです。
どうやらこの赤い傘が気に入っているのか大事に持って帰ってきました。
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