また私はあの震災が起きたときと同じように新聞を見ながら涙がこぼれてしょうがない。あれから幾年も経つのに震災の記憶はまだ真新しく私の記憶の中にある。
あの時幼かった子どもたちが立派に成人して医師になっている子どもがいた。
在日コリアン女性医師にまた涙があふれてきた。
震災の後遺症はまだまだ続いている。
立派に成人してたくましく生きている姿にまた感動して涙を流している。
あの震災の中で数々の悲劇があった。
悲劇を乗り越えて生きてきた日本人の姉と弟の話にも涙がでた。
親戚に気づかいながらも立派に成人して親と一緒に住んでいたところで家を建てて住んでいる若い女性、結婚して紙工作の教室を開いている。
紙をさわっていることが理解できる。何もないところに形をつくっていくところに自分の家族を作っていく楽しさが理解できる。
震災の起きた朝がまたやってくる。
あの震災の怖さは生涯忘れることはできない。
それまでは微動に揺れた地震にそう恐怖を感じなかったのにあの震災から微動に揺れてもゴオーと音を立てて揺れていたあの時の恐怖がよみがえってくる。
何の前ブレもなくに揺れる。怖いとしかいいようがない。
今日は夫が家にいる。
家にいるとうるさいです
しかし本人は顔をほころばせてビールを飲んでいる。
テレビは自分の好きなところばかり見ている。ちょっと気にいらないとすぐチャンネルを変えている。だから一緒にテレビ見ていると気分が悪くなってくるので一緒にみないことにしている。
今日も私は外にでていないが朝ベランダにでて洗濯を干しているとこのまま春がくるような暖かさだ。しかしまだ1月の半ばである。まだまだ寒い時がやってくる。油断は禁物。
韓国ソウルは寒いという。そりゃ寒いだろうな。
先日、新年会で韓国の公館職員にあった。10何年かまえに来られた時まだまだ若いと思っていたらなんと子どもさん2人は大学生という。年月の経つ早さを痛感する。
そして1人は軍隊に行くという。これが韓国の現実なんだとまた思い知ることになる。韓国はまだまだ軍事境界線が現実に韓半島を半分に横切っている。
日本にいると在日コリアンのイデオロギーで意思疎通も多々あるが韓国の人にはそうはいかない。
日本は自衛隊というのがあるらしいが戦争放棄した日本に何を意味するのだろうか。とかく日本の国はあいまいな位置に置かれているものが多い。
あいまいな日本人の特徴だろうか。
日本文化にわびとかさびとかという言葉があるがはて、どこがさびでとこがわびなのかわからない。あいまいなところでわび、さびというものがあるらしいが一般のものはわからない。その道に長けないとわからない。
こんなところでもあいまいなところが好きな日本人だなと思う。
意味不明の言葉に玉虫色ともいう。
あいまいなところが年金問題というものが生まれたのかなと話は飛躍して考えてしまう。あいまいにぼやかすことが美的文化と言う日本にたぶん韓国のはっきりした民族衣装はあわないだろうな。
それがいまや、韓流ブームで韓国の民族衣装を好む人が増えている。
こんなときに私は思う。日本人もどこかでDNAがつながっているのだろうかとまた考えてしまう。
中には日本人、日本人の顔をした人をたまに見る。京都に行くとそんな風情の顔を見る。やはり昔から日本人の血で交じりがないのかと思ったりする。けれどほとんどは見分けがつかない日本人、やはり大陸の血がつながったDNAがあるのだろうかとし思う顔、顔である。
どこかで区別するのが難しくなっている。
これから他の外国人が増えてくると外国人からは日本人が韓国人に見えて韓国人が日本人に見たりしているのではないだろうか。外国人就業者の増加にますます外国人が日本社会で首をひねっていることだろう。
1月15日、正月は今日で終わり。
明日からまた平常まの生活になっていく。
あの時幼かった子どもたちが立派に成人して医師になっている子どもがいた。
在日コリアン女性医師にまた涙があふれてきた。
震災の後遺症はまだまだ続いている。
立派に成人してたくましく生きている姿にまた感動して涙を流している。
あの震災の中で数々の悲劇があった。
悲劇を乗り越えて生きてきた日本人の姉と弟の話にも涙がでた。
親戚に気づかいながらも立派に成人して親と一緒に住んでいたところで家を建てて住んでいる若い女性、結婚して紙工作の教室を開いている。
紙をさわっていることが理解できる。何もないところに形をつくっていくところに自分の家族を作っていく楽しさが理解できる。
震災の起きた朝がまたやってくる。
あの震災の怖さは生涯忘れることはできない。
それまでは微動に揺れた地震にそう恐怖を感じなかったのにあの震災から微動に揺れてもゴオーと音を立てて揺れていたあの時の恐怖がよみがえってくる。
何の前ブレもなくに揺れる。怖いとしかいいようがない。
今日は夫が家にいる。
家にいるとうるさいです
しかし本人は顔をほころばせてビールを飲んでいる。
テレビは自分の好きなところばかり見ている。ちょっと気にいらないとすぐチャンネルを変えている。だから一緒にテレビ見ていると気分が悪くなってくるので一緒にみないことにしている。
今日も私は外にでていないが朝ベランダにでて洗濯を干しているとこのまま春がくるような暖かさだ。しかしまだ1月の半ばである。まだまだ寒い時がやってくる。油断は禁物。
韓国ソウルは寒いという。そりゃ寒いだろうな。
先日、新年会で韓国の公館職員にあった。10何年かまえに来られた時まだまだ若いと思っていたらなんと子どもさん2人は大学生という。年月の経つ早さを痛感する。
そして1人は軍隊に行くという。これが韓国の現実なんだとまた思い知ることになる。韓国はまだまだ軍事境界線が現実に韓半島を半分に横切っている。
日本にいると在日コリアンのイデオロギーで意思疎通も多々あるが韓国の人にはそうはいかない。
日本は自衛隊というのがあるらしいが戦争放棄した日本に何を意味するのだろうか。とかく日本の国はあいまいな位置に置かれているものが多い。
あいまいな日本人の特徴だろうか。
日本文化にわびとかさびとかという言葉があるがはて、どこがさびでとこがわびなのかわからない。あいまいなところでわび、さびというものがあるらしいが一般のものはわからない。その道に長けないとわからない。
こんなところでもあいまいなところが好きな日本人だなと思う。
意味不明の言葉に玉虫色ともいう。
あいまいなところが年金問題というものが生まれたのかなと話は飛躍して考えてしまう。あいまいにぼやかすことが美的文化と言う日本にたぶん韓国のはっきりした民族衣装はあわないだろうな。
それがいまや、韓流ブームで韓国の民族衣装を好む人が増えている。
こんなときに私は思う。日本人もどこかでDNAがつながっているのだろうかとまた考えてしまう。
中には日本人、日本人の顔をした人をたまに見る。京都に行くとそんな風情の顔を見る。やはり昔から日本人の血で交じりがないのかと思ったりする。けれどほとんどは見分けがつかない日本人、やはり大陸の血がつながったDNAがあるのだろうかとし思う顔、顔である。
どこかで区別するのが難しくなっている。
これから他の外国人が増えてくると外国人からは日本人が韓国人に見えて韓国人が日本人に見たりしているのではないだろうか。外国人就業者の増加にますます外国人が日本社会で首をひねっていることだろう。
1月15日、正月は今日で終わり。
明日からまた平常まの生活になっていく。
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