家内とシベリア旅行(8.26~8.29)。新婚旅行のドイツ行きを湾岸戦争開始とともに取りやめてしまったため、この旅行が海外での新婚旅行となった次第。
行きは成田からS7(シベリア)航空でウラジオまで。派手な色の機体。旅行者として職場である空港を利用するのは変な気分だね。
機内は意外や満席。
CAさんはニコリともしなかった。ウ~ン。ロシアやね。
約2時間でウラジオストク。新千歳に行くのとたいそう変わらず。この距離でヨーロッパの町並みを味わえるのです。
機内軽食。
間もなくウラジオストク着。シベリアの大地だ。
ウラジオストク空港。半袖には少し肌寒かったかな?
空港から車で50分。市の中心部に到着して、レストランで夕食。日没は20時頃(日本との時差は1時間。モスクワは7時間)。宿泊は「ヒュンダイ」ホテル。
2日目。快晴。
前日到着時は既に日没でホテルの周囲がよく分からなかったが、見えました。
市内見学。
ウラジオ駅に隣接するフェリーのターミナル。指差しオヤジは現地ガイドのMr.ゲルマン。生粋のスラブ人でドイツは無関係らしい。
レーニン像が目を引く。
アドミラーラ・フォーキナー通り。
店舗でこんなの見ッけ!ヤバくない?
ウラジオ駅前のレーニン像やソ連の旗もあり、郷愁もあるのかね。ま、是非は兎も角、歴史の1ページを彩ったものではあるのも確か。
続いて、鷹の巣展望台から金角湾に架かる黄金橋。定番ですね。
潜水艦C-56博物館脇と「永遠の火」(大祖国戦争の戦没者を慰霊する聖火。海軍の兵士3名が警護。火の絶えることは無いという。)にアンドレイ教会。
潜水艦C-56博物館内で、スターリンの肖像画と(汗)
パレードの女性
怪しい露店。売っているのは、ハンバーグでなくケバブ。ガイドさんは、食べるとお腹を壊すと言っていた。駅近く。
ディナーのレストラン。快くシャッター受け入れのお嬢さん。
夜20時発のシベリア鉄道《オケアン号》でウラジオと別れ、一路ハバロフスクへ。767㎞11時間の鉄道の旅。
4人用コンパートメントを2人で使用するも、狭さは否めず。行程の殆どが夜の睡眠で助かった。こんな景色が延々と続いたのだろう。
3日目。朝8時前にハバロフスク到着。
前日のウラジオストクと真逆の曇天。天気予報も荒天。肌寒く、ジャケットを着る。
展望台からアムール川を望む。年中茶色い濁流らしいが、中ロ国境の大河である。
街中でトローリバス。
抑留者で異国の地に倒れた日本人墓地に参る。
午後、アムール川の遊覧船に乗るも、出発して間もなくの豪雨。船内に待避し、観光どころでは無かった。
船上から望むウスペンスキー教会。
ホテルは、スパソ・プレオプラジェンスキー教会に隣接する「プレステージホテル」。立地も良いが、築1年の真っ新が気持ちよし。
ウラジオストクに続き、買い漏れをハバロで購入。もう、チョコとウオッツカとマトリョーシュカは定番。小生は、プーチンの肖像マグネットをご褒美に...
4日目。帰国の日。11:55ノビイ空港(ハバロフスク)からS7航空567便で帰国の途につく。
さようなら。ロシア。
2時間少しで成田着。お疲れさんでした。
《後記》
今回JTBさんの御世話になったが、何故ロシア? 周りの人も怪訝な顔をする。
ビザは要るし、色んな意味で融通利かないし、日常生活不自由だし...
でも、であるからこそ行ってみたくなったのです。家内も最初は、ウ~ンという感じでしたが、「地球の歩き方」を繙き事前対策してました。
行ってみての結論。
行って良かった。また、機会あれば行ってみたいですね。
確かに、お店のレジでも仏頂面とは行かないまでも笑顔は無く、ピンと張り詰めた感じ。お国柄か、ソ連時代の身を守る術なのかは分からない。
街中有料トイレは15ルーブリ払って汚いし。(全てではないケド)
でも、幻想的かつ綺麗なロシア正教の教会で一心に祈りを捧げる人々。
街中に多数見られた先人・偉人の彫像。そして、幾多の戦火に散った英霊のお祀りの為の施設。
これはもう、日本人に失われ過ぎたものであり、こうした民族国家のアイデンティティーを重んずる国民であるからこそ畏敬の念も生まれる。
いい加減日本も民族としてアイデンティティーを追求するべきはではないかな?
訳分からんことのたまわったけど、最近ロシアで流行っているパサパサ御飯以外は全てウエルカムです。
来年は、不自由なシベリア鉄道でウラジオストクからモスクワまで行ってみるかな(笑)
行きは成田からS7(シベリア)航空でウラジオまで。派手な色の機体。旅行者として職場である空港を利用するのは変な気分だね。
機内は意外や満席。
CAさんはニコリともしなかった。ウ~ン。ロシアやね。
約2時間でウラジオストク。新千歳に行くのとたいそう変わらず。この距離でヨーロッパの町並みを味わえるのです。
機内軽食。
間もなくウラジオストク着。シベリアの大地だ。
ウラジオストク空港。半袖には少し肌寒かったかな?
空港から車で50分。市の中心部に到着して、レストランで夕食。日没は20時頃(日本との時差は1時間。モスクワは7時間)。宿泊は「ヒュンダイ」ホテル。
2日目。快晴。
前日到着時は既に日没でホテルの周囲がよく分からなかったが、見えました。
市内見学。
ウラジオ駅に隣接するフェリーのターミナル。指差しオヤジは現地ガイドのMr.ゲルマン。生粋のスラブ人でドイツは無関係らしい。
レーニン像が目を引く。
アドミラーラ・フォーキナー通り。
店舗でこんなの見ッけ!ヤバくない?
ウラジオ駅前のレーニン像やソ連の旗もあり、郷愁もあるのかね。ま、是非は兎も角、歴史の1ページを彩ったものではあるのも確か。
続いて、鷹の巣展望台から金角湾に架かる黄金橋。定番ですね。
潜水艦C-56博物館脇と「永遠の火」(大祖国戦争の戦没者を慰霊する聖火。海軍の兵士3名が警護。火の絶えることは無いという。)にアンドレイ教会。
潜水艦C-56博物館内で、スターリンの肖像画と(汗)
パレードの女性
怪しい露店。売っているのは、ハンバーグでなくケバブ。ガイドさんは、食べるとお腹を壊すと言っていた。駅近く。
ディナーのレストラン。快くシャッター受け入れのお嬢さん。
夜20時発のシベリア鉄道《オケアン号》でウラジオと別れ、一路ハバロフスクへ。767㎞11時間の鉄道の旅。
4人用コンパートメントを2人で使用するも、狭さは否めず。行程の殆どが夜の睡眠で助かった。こんな景色が延々と続いたのだろう。
3日目。朝8時前にハバロフスク到着。
前日のウラジオストクと真逆の曇天。天気予報も荒天。肌寒く、ジャケットを着る。
展望台からアムール川を望む。年中茶色い濁流らしいが、中ロ国境の大河である。
街中でトローリバス。
抑留者で異国の地に倒れた日本人墓地に参る。
午後、アムール川の遊覧船に乗るも、出発して間もなくの豪雨。船内に待避し、観光どころでは無かった。
船上から望むウスペンスキー教会。
ホテルは、スパソ・プレオプラジェンスキー教会に隣接する「プレステージホテル」。立地も良いが、築1年の真っ新が気持ちよし。
ウラジオストクに続き、買い漏れをハバロで購入。もう、チョコとウオッツカとマトリョーシュカは定番。小生は、プーチンの肖像マグネットをご褒美に...
4日目。帰国の日。11:55ノビイ空港(ハバロフスク)からS7航空567便で帰国の途につく。
さようなら。ロシア。
2時間少しで成田着。お疲れさんでした。
《後記》
今回JTBさんの御世話になったが、何故ロシア? 周りの人も怪訝な顔をする。
ビザは要るし、色んな意味で融通利かないし、日常生活不自由だし...
でも、であるからこそ行ってみたくなったのです。家内も最初は、ウ~ンという感じでしたが、「地球の歩き方」を繙き事前対策してました。
行ってみての結論。
行って良かった。また、機会あれば行ってみたいですね。
確かに、お店のレジでも仏頂面とは行かないまでも笑顔は無く、ピンと張り詰めた感じ。お国柄か、ソ連時代の身を守る術なのかは分からない。
街中有料トイレは15ルーブリ払って汚いし。(全てではないケド)
でも、幻想的かつ綺麗なロシア正教の教会で一心に祈りを捧げる人々。
街中に多数見られた先人・偉人の彫像。そして、幾多の戦火に散った英霊のお祀りの為の施設。
これはもう、日本人に失われ過ぎたものであり、こうした民族国家のアイデンティティーを重んずる国民であるからこそ畏敬の念も生まれる。
いい加減日本も民族としてアイデンティティーを追求するべきはではないかな?
訳分からんことのたまわったけど、最近ロシアで流行っているパサパサ御飯以外は全てウエルカムです。
来年は、不自由なシベリア鉄道でウラジオストクからモスクワまで行ってみるかな(笑)
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