真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

「うちにくる助手さんはみんな病気になっちゃうのね」~土門拳という鬼

2008-11-03 | 読書-2008
土門のエッセイを読んだもので(10/30参照)、写真集なんかも見てみるか、と。
図書館の書庫から出してきてもらう。よっこらしょ。

tsukiji-shokan.co.jp『筑豊のこどもたち』
撮影は今から50年ほど前ね。
小学校のお弁当の時間の教室(給食などというものはまだない)。
貧しくて弁当を持ってこられない子供がクラスに2~3人いる。
周囲の子らが弁当を食べている間、その子たちは目のやり場がないので、一心に漫画を読んでいる(漫画に目を走らせている)。

~昨今は、「ギムキョーイクなんだから給食費なんか払う必要はない」などとぬかし、支払能力があるのに払わない馬鹿親があるというね。
こんな日本に誰がした。

そういえば、あの辺の炭鉱のオーナーだった人が外国で日本の外交官と知り合って気に入られ、その娘を嫁に貰うんだったよね。
豊富な資金をその後政治家になった岳父に供給したんだっけ(本人も議員に)。
そのまた息子が最近、TVやラジオのCMにしつこく出てきて五月蠅い・・・はまた別の話。
なで肩を怒らせて闊歩?

tsukiji-shokan.co.jp『生きているヒロシマ』
「先生、写真を撮ってください・・・・・・」
昭和20年8月、妊娠5ヶ月だった女性(被爆していない)が叔母を捜して広島市内を6日間歩き回った。でも何ともない。
昭和21年に生まれ、ずっと元気一杯だった少年は12歳で突然発病。青天の霹靂!
ようやく2次放射線被害による白血病とわかり、原爆病院にまわされて入院していた少年。
衝撃を受けた土門が「(病室の家族らと一緒に)記念写真を撮ろうか・・・」などと口走ったのに対して、少年が土門にかけた言葉。
僕はもう死んでいきます、僕の姿を撮ってください、という意味だよね。
少年は翌日亡くなったという。1957年。

tsukiji-shokan.co.jp『死ぬことと生きること』[正・続]
土門関係本のあれやこれやに引用されているエッセイの元。そのまた大元は別だったりして(写真集の解説等)、それらを集めたもの。
ずっと昔から(上記写真集と同様に)書名だけは何度も目にしていたのだが、読んだ事がなかった(このパターン、とても多い!)。
ようやく・・・。

お寺、仏像関係はまたいつか。

評伝方面も読む。
土門拳―生涯とその時代 (新装版)
阿部 博行【著】
法政大学出版局 (2007/08/10 出版)
~ご苦労様でした。労作。
「初の伝記」だそうで、へえ、そうだったの。
土門を論じた本は多数あると思っていたが、生涯をきっちりと追ったものはなかったということなのか。

『土門拳の格闘』2005年
~写真雑誌の連載ということで、アマチュア写真家との交流などにも詳しく言及。
見所のあるアマチュアにはマメにコメントを書き送るなどした由。家宝にしているヒトいるんだろうな。代が替わってゴミになったかもしれんが。

そういえば、昔友人が淀川長治さんの雑誌のコメントか何かに対して質問だか何かを投書したら、葉書で返事が来たといって大感激、学校に持ってきて見せてくれたことがあったっけ。

こんなものがあるのね。
http://www.domonken-kinenkan.jp/
いつか行ってみたい。

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