真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『帰れなかったドイツ兵―太平洋戦争を箱根で過ごした誇り高きドイツ海軍将兵』 (新井恵美子さん)

2011-01-07 | 読書-歴史
光人社NF文庫
帰れなかったドイツ兵―太平洋戦争を箱根で過ごした誇り高きドイツ海軍将兵
新井 恵美子【著】
光人社 (2010/04/22 出版)

横浜港ドイツ軍艦爆発事件

【第63回】神奈川県に存在するナチスドイツの史跡 ~箱根編~

松坂屋本店/ご案内・・・この項リンク切れ
【ドイツ兵との交流】
「連合国による攻撃を受け」と書いちゃってるけど、大胆ではないの?
何を根拠に?

停泊中の事故で船が沈むほどの大爆発が起きるとはイメージできないHP請負業者さんの創作?
旅館経営者の代が変わるとそんなものか。

再検索して貼り直した:旧石器時代から記載のある松坂屋歴史年表・・・この項もリンク切れ
1943年(昭和18年)第二次世界大戦下
当時同盟国であったドイツ海軍の仮装巡洋艦と輸送船が横浜港で大爆発を起こす大惨事があり、海軍従軍画家であった当館13代目松坂康(故人)を頼り、ドイツ兵隊の宿舎となった。昭和18年4月23日から昭和22年2月20日までの約4年間ここ芦之湯で過ごしました。集団疎開で来ていた横浜の小学生と旅館の従業員とドイツ兵の不思議な集団生活でありましたが、ドイツ兵が子供にお菓子を買ってあげたり、一緒に歌を歌ったりと心温まるエピソードもあったようです

ドイツ海軍将兵の松坂屋本店の滞在は、1943(昭和18)年4月から1947(昭和22)年4月までの4年間。

休館中の由

こんな本もあるようなんだが、図書館にないわ。
横浜港ドイツ軍艦燃ゆ・・・この項リンク切れ
駐日ドイツ大使館武官ご推薦!
<じつは別ルートで借りることができたので、明日ね>

なお、横浜市立図書館には、各館にザクザク(多数)ある模様。
著者が属する新聞社が寄贈したものか?

詳細目次

山猫文庫第3版
神奈川新聞の記者である著者は、もともと1992~94年の3回の連載記事として、この事件を調査しました。それにさらなる調査を加えたのが、本書です

阿字ヶ池と芦之三碑 (神奈川県箱根町) ドイツ兵が作った池と朝日弁天山遺跡
太平洋戦争中には芦之湯には同盟国であるドイツ軍が駐留しており、阿字ヶ池は彼らが村の防火用水として掘られたものです

「駐留」ねえ。
まあ、彼らは指揮命令系統もしっかり維持しつつ軍艦乗り組みと同様の規律を保って頑張りましたということなので、駐留といえないこともない・・かもしれない?

行動を制約されていたものの、自由であることは自由…というのは何といえばよいのかな。
抑留では制約がきつ過ぎ?

箱根・芦の湯にある“阿字ヶ池”はドイツ海軍兵が余りに暇すぎて作ってしまった池だった「ドイツ人がsteamで土木ゲー好きな理由が分かった」

酒類は飲めなかったようなので、池の造成への礼として海軍当局から樽酒を贈呈された際は、受け取りに行った兵たちがあまりの匂いの良さに我慢できなくなり、途中で盗み酒をしたという。
営倉(といっても旅館内の小部屋だったようだが)入りとなったが、他の兵が羨ましがった、と。

じつは酒に関しては悲しい事件も。
終戦後だが、使いに出た兵が入手したメチルアルコールを飲んでしまい、1名死亡。
これが箱根滞在中の唯一の死亡者。

こんなの見つけた。
独逸の森 (ドイツ編) ─翻訳家の独り言─
横浜港ドイツ軍艦爆発事件の生き残り
「その後、ドイツから迎えにきた船に再び乗り込むまでの約一年間、日本に滞在した」

それホント?
箱根に抑留されたドイツ将兵が帰国の途に就いたのは1947年2月ということらしいのだが、上記翁は重傷を負って病院に収容されたようなので、箱根組とは別だったのだろう。

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