真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『二式大艇空戦記 海軍八〇一空搭乗員の死闘』 (長峯五郎さん 1998年)

2015-10-13 | 読書-歴史
旧光人社版で。
二式大艇空戦記 海軍八〇一空搭乗員の死闘
光人社NF文庫
著者/訳者 長峯五郎/著
出版社名 光人社
発行年月 1998年11月
画像は2007年刊の潮書房光人社新装版ね。

(長峯良斉 本名長峯五郎「死にゆく二十歳の真情」著者・読売新聞社1976年刊)の加筆修正。

直筆サインと、出版紹介の新聞切り抜き!

「二式大艇空戦記」~トラック島増槽輸送任務~

特攻隊員達が見ていた空 【詫間海軍航空隊基地 空撮】

群を抜く長身で(2007年新装版でなくて1998年版の表紙カバーで、向かっていちばん左の人物が頭完全に一つ抜きんでている。これが著者)操縦技能は超優秀、長いものに巻かれないで反発する傾向あるものの、機内各担当者もよく掌握していて、頼りになる飛行艇操縦職人の下士官だったよう。
機長は将校が務めるのだが、経験も少なくて、著者はあまり相手にしていない感じ。

「そういう人、いるけどね」というくらい?
機長側も、ベテラン職人の顔色を窺わないと任務が遂行できないし。

これね

著者紹介に「横浜在住で長峯水産の会長」とあり(出版当時)、これか。
塩干物・練物を中心に販売する横浜の会社
当代は、著者の次々世代くらいだろうか。

横浜南部中央市場水産仲卸協同組合の初代の理事長を務めた模様。
長峯 五郎 昭和49.10.25就任
人望篤い理事長だったのだろう。

長峯氏は戦後も自衛隊にも入隊せずかの上司らが主催した慰霊祭にも出られていないそうです

第二級活字中毒者の遊読記さん

(4)-7 詫間海軍航空隊
 
零戦が1機七万円のところ、二式大艇は140万円と、日本軍機中最高価だったと。
エンジンの配番が欧米式と全然違ったと知る。

Aircraft engine position number
Four-engined aircraft[edit]
#1 - port outer - on the left furthest from the fuselage
#2 - port inner - on the left nearest to the fuselage
#3 - starboard inner - on the right nearest to the fuselage
#4 - starboard outer - on the right furthest from the fuselage

操縦席(機長ポート側)に座って、
#1,#2 胴体 #3,#4 ね。

これが、旧日本海軍は、主操縦席スターボード側だし、
#4,#2 胴体 #1,#3 なのだったと。

クルー一同のことをペアと呼んだ。
複座に限らず、12人でもペアとはこれいかに、だけどね。

メレヨン島こと
ウォレアイ環礁(ウォレアイかんしょう、Woleai Atoll)

米海軍機多数の嬲りモノになる二式大艇。
US Navy shoots down an Emily 1943

静止画集

九七式は美しいわね

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