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さかな

魚屋さんの店先のささやかな素話...。

流木。

2005年06月16日 | 店先から
我が家の店先に置いてあるオブジェ。

これは、今は亡き義父の友であり、主人もお世話になったお客さんが造ったもの。
彼もまた故人。彼の名は「石やん」。石やんは流木を使っていろいろな物を造る。石やんだけど石は使わない。

石やんが亡くなってしばらくして主人が売りに行った時、石やんの家族がこれを家にと譲ってくれた。何でも家を建て替えることになり物置を壊すので、石やんの作品を処分することになったらしい。
 「これは是非魚屋さんに・・・」と、家族の人は言ってくれた。
主人はうれしそうだった。

もらってきた時には、ほこりをかぶってかなり古めかしかった。
主人はそれを毎日磨き、ピカピカにした。魚が泳いでいるように見える。店に飾ると店の雰囲気ががらりと変わったような気がした。

義母は毎朝これを磨く。
 「磨いていると、いいことがありそう・・・」と。

実はこの魚のオブジェの下には、もうひとつオブジェがある。
主人がこれを境に流木に目覚めてしまったのだ。と、言っても下にあるのは木の根っこ。
これもまた、お客さんにもらったものだが、毎晩ヤスリをかけて店に飾った。

でも義母は魚のオブジェしか磨かない・・・。

おととし、下久保ダムで流木の無料配布があると新聞で見て、主人は張り切って出かけた。
かなりの人が集まり、順番待ちに2時間。30分の制限時間で好きなのを拾ってよいというものだった。それは家の庭に飾られている。

主人の変な趣味・・・。

テレビのちから。

2005年06月14日 | 店先から
昨日の『あるある大辞典』見ましたか?

今日は「ところ天」を買いに何人のお客さんが来たのか・・・。皆、『あるある』を見たと言っていた。私は見ていなかったのでわからないが、昨日仕入れたばかりの「ところ天」が完売。いつもなら売れ残ってしまうのに。問屋さんにももうないと言う。

以前、みのもんたの『思いっきりてれび』だったか、「らっきょう」がテーマの時は「らっきょう」が。「にんにく」がよいと言えば「にんにく」が。「たまねぎ」が血液サラサラにと言えば「たまねぎ」が。「納豆」が。「いわしの缶詰」が。「さんま」が。「さば」が。「マグロ」が・・・。

最後にお客さんは必ず言う。
 「まあ、良いと言われればそうするけど、結局なんでも食べろってことよね。」

それにしても「テレビのちから」はすごい

『あるある大辞典』様・・・
どうか、「つぼ鯛」の特集を。旦那がセールで仕入れてきたけど売れません。
ここのところ「つぼ鯛」ばかり食べています・・・


ふっく。

2005年06月14日 | 店先から
今日のトマト。フック付。
ハンガーに掛けられそう。やってみようと思ったら、義母に切られてしまった。
 「なんだか、アオヤギみたいで気持ち悪い・・・」と義母。

お義母さん、かなりの職業病ですよ・・・

たしかにアオヤギに似ていたが・・・

小話。

2005年06月06日 | 店先から
その1
お客さんが刺身を注文してくれた。
「刺身の寄せ集めおくれ~。」
(よせあつめ?盛り合わせ???

その2
亡き義父は生さばを酢で〆てしめ鯖をよく作った。
義父はしめ鯖が大好きだった。
しめ鯖を食べた翌朝は熱を出し、口がたらこになった。食べなきゃいいのに。
義父は『しめ鯖好きのしめ鯖アレルギー』だった

その3
娘たちが「回転寿司に行きたい!」と言った。
お父さんは首を横に振り、刺身を持ってきて「家にはネタがたくさんあるんだから、これ乗せて(こたつの)天板まわしとけ。」
「・・・・・・

その4
毎週水曜の朝、店の電話がなる。
私「はい、さかなやです。」
Sさん「もしも~し、さかなやさん?今日来てくれるでしょ?」
私「今日は別の場所に行ってるのでうかがえないかと・・・」
Sさん「来るときに食パン持ってくるように伝えてくださ~い」
私「6枚切りと8枚切りどっちですか?(って、聞こえないか・・・お父さんに電話して帰りに寄ってもらおう・・・)」
Sさん「8枚切りでお願い。」
私「・・・(なんだ聞こえてるのか)」
8枚切りの食パンを持ってSさん宅に行った主人は、呼んでも出てこないので窓越しに覗くと
テレビ画面から10センチまで顔を近付けて昼のドラマを見ているSさんがいた。
やっぱり聞こえないのか・・・

おそまつさまでした・・・

おっと、もうひとつ。
私はその昔・・・秋刀魚と鯵の区別がつきませんでした(恥

わかさぎのおばあちゃん。

2005年06月04日 | 店先から
今日も人生劇場のようなお話です・・・
店のお客さんは昼間はお年寄りが多いです。若い人は仕事なので留守番しているのはおばあちゃん。夜は家族で食べるので、昼間のうちに自分の好きなものを買っておく。今当店のおばあちゃん人気商品ランキングは・・・
 5位・・・きんとき豆(ひじき豆も人気)
 4位・・・味噌にんにく(体にいい!)
 3位・・・ぶつ(家族のために買っておく人もいる)
 2位・・・おなめ(金山寺みそ。ごはんにはかかせない)
そして輝く第一位は・・・ソフトわかさぎ!わかさぎの佃煮です。なんといってもやわらかい!

この『わかさぎ』が大好きなおばあちゃんがいます。歳は90を超えていたかな・・・
普通に歩いて5分くらいの所に住んでいるのですが、押し車を押しながら、途中で休みながら来るようだったのでかなり時間をかけて来てくれます。しかも雨や風の日は勿論、雨の降りそうな時も来れないので完全に晴れた時に来店してくれます。
おばあちゃんは全く耳が聞こえません。
 「これ、(私に)食べられるかねぇ?」品物を持っては聞く。
 「ちょっと硬いからむりかなぁ」と言っても聞こえない。しかたなく首を横にふり、NOサインを出す。腰も曲がり、一人で立っているのはキツイらしく、陳列棚にもたれながら、ゆっくりと店の中を見てまわるのだ。結局買える物と言ったらいつも『わかさぎ』だった。
 「生きてるうちは食べなきゃならない。早く死にたいよ・・・」と、ため息をつく。声が震えてるので泣いているようにも思えた。こっちから何か言っても聞こえないので私も黙って聞くだけ。
おばあちゃんの家には家族がいる。同じ敷地の離れに一人で住んでいる。(家族は何をしているのか?)と思ったこともあるが、義母は「あのおばあちゃんは若いもんの言うことをきかないんだよ」と言っていた。きっと今までだれにも頼らずに生きてきたから今更頼れないのだ。家族は手がだせなかったんだと思う。
それでも買ってくれた品物を押し車まで運ぶと「すいません」と目を細めてお辞儀をしてくれた。

この4月、わかさぎのおばあちゃんは亡くなりました。店に買い物に来て、ソフトわかさぎを買った2日後でした。後で主人が家族の方に聞いたのですが、部屋には袋に入ったままのソフトわかさぎがあったそうです。
お得意様が一人減りました。寂しいことです。

わかさぎのおばあちゃんのご冥福をお祈りしています・・・

トマトおじさん。

2005年06月03日 | 店先から
 「とまとちゃんは、いないかなぁ~

去年の今頃からだろうか・・・
妙な節をつけながらトマトを買いに来る。値段の高い時は買わないが安い時には必ず買っていく。
身なりは裸に薄汚れたシャツを一枚はおっているが黒くて丸いお腹はだしっぱなし。

 「今日はこれで一杯だぁ~はいはい~

他のお客さんがいようがいまいが節をつけて歌っている。
義母などは完全に警戒している。

我が家では彼を『トマトおじさん』と呼ぶ。

トマトおじさんの身元は間もなくわかった。店の駐車場に車を止めたとき中を覗き込んだ。車の中には、毛布、ガスボンベ、鍋、衣類、ダンボール、新聞紙・・・。
そう、トマトおじさんは車の中で生活をしている・・・つまりホームレス。いつも橋の下にいるらしい。仕事はしている。毎朝大きなトラックが土手に迎えに来る。鉄くずを運搬しているようだ。
仕事帰りには洋服が錆だらけ。あれだけの鉄くずを運び疲れている様子だが、トマトおじさんの
「とまと節」は止まらない。

 「あれっ、今日はトマトないの?ありゃま~と~まとちゃんはいないのか~い

初めのうちは、あまり話さないようにした。怖かったし、あまり歓迎できるお客さんとは思えなかった。義母はトマトおじさんが見えると店の奥に消えてしまった。

去年の夏、この地域の夏祭りのこと・・・お囃子の太鼓が夜空に響く。私は市街地の華美なお祭りよりもこっちのお祭りが好き。みんなで屋台を引いていた。ふと前を見ると、屋台を引く人の中に
トマトおじさんがいた!いつものように丸いお腹を出して、草履を履いて綱を引いている。
きっとお囃子の音色が橋の下まで響いてきたのだろう。その姿は少年の様にも私は思えた。
(トマトおじさんの生まれ育ったところにもお祭りがあったのかなぁ・・・今はホームレスでも昔は家もあったし、親や兄弟もいたんだろうな・・・)そんなことを思いながら私はトマトおじさんのうしろ姿を見ていた。

最近トマトおじさんを見ていない。トマトは甘くてしかも安いのに・・・。住む家が見つかったのかな?そうであってほしいと願います・・・

なみだ橋。

2005年06月02日 | 店先から
なんか演歌の曲名みたい・・・。

店先でよくお客さんが立ち話をする。
刺身を注文している間話に華が咲く。私は聞き耳を立てているわけではない。小さい店なのでレジに立っていると自然と耳に入ってくるのだ。

先日も・・・60代半ばか70代かというお客さんが偶然店でばったり。

 Sさん 「あら、久しぶり!」
 Iさん 「まあ!お元気でしたか?なかなか会えないですね。」
 Sさん 「お互い忙しいですもの。」
 Iさん 「ほんと・・・」

二人の会話は弾んだ。どうやら嫁にきて苦労した昔話をしているらしい。
刺身はとっくにできていたが、私はそれをそっと冷蔵庫にしまった。

 Sさん 「あの頃はねえ・・・」
 Iさん 「苦労がたえませんでしたよね。」
 Sさん 「実家にお客に行って、また家に帰る時には涙が出たもんです。」
 Iさん 「私も!あの橋を渡る時には涙を流したもんですよ。」
 Sさん 「あの橋は『なみだ橋』ですよ。」
 Iさん 「まったくです。『なみだ橋』ですねぇ・・・」
 Sさん 「・・・・(しんみり)」
 Iさん 「・・・・(またまたしんみり)」

SさんとIさんは店の裏手を流れる川にかかっている橋を渡ってお嫁にきたのだ。
(そうか~、あの橋にはそんな名前もあったのか・・・)

私も実家からここまで来るのにひとつ橋を渡る。この地域は川に挟まれているのだ。
(そういえば私もお嫁に来た当時、橋を渡るたびにため息がでたなぁ。じゃあこっちの橋は『ためいき橋』か・・・。)

レジをうちながらしんみりした私でした・・・。

ちなみに今はここの主のよう・・・慣れとは恐ろしい。




ぶつ。

2005年05月31日 | 店先から
  「おう、ぶつくれや。」
  男は人差し指をつきだしながら言った。
  「は、はいぶつですね。お待ちください。」

これは危ない会話ではない・・・って、写真を見ればわかりますね。

そうです!今日はぶつ、マグロのぶつ切りの話。
これは我が店のぶつ。お値段は¥1000也。正確には税込み¥1050也。
¥200から量り売りしている。
別に買いに来てくれと言っているわけではないが
うちでは、ぶつがよく売れるのだ。

よく来てくれるお客様のなかには
 「ここんちのぶつでないと。」と、言ってくれる方もいる。
多い時には売り切れてしまう時もある。先日も売り切れをお客様に告げると
 「なによ~せっかく来たのに。」とがっかりさせてしまった。

ぶつの好きな人は毎日食べたいと言う。
痛風を患っているにもかかわらず、毎日買いに来てくれる。
大丈夫だろうか・・・。
また中には1キロとか2キロ買ってくれる人もいる。
大家族なのだろうか・・・?

珍客もいる。
 「ここの店のぶつしか食べないのよ。」と、困った顔で奥さんは言う。
それは・・・猫。
生で食べるそうだ。猫のためにぶつを買いに!?
ありがたいことです。

珍客は昼間も来る。
 「ぶつ、おくれ~。¥200ね。わさびはいらない。」
数人の男の人が、いれちがいに来る。聞いてみれば・・・
店の裏に県境を流れる川があるのだが、そこで釣りをしているのだ。
うちのぶつで、さくらますやでかい鯉がよく釣れると言う。
またまた、ありがたい。

店の入り口に貼り紙でもしようかな・・・

 「猫にも人気!さくらますや鯉にも人気のぶつあります!」

ぶつが売れる日・・・主人は、
 「刺身が売れねえ・・・」と、ぶつぶつ文句を言っている。






商い屋。

2005年05月30日 | 店先から
いらっしゃいませ!
今日は主人の仕事について・・・。

主人は毎日保冷車で、お客さんの家を一軒一軒まわり魚を売っている。
この辺りでは農家も多く、仕事が忙しいので売りに来てもらえると助かるという。
またお年寄りは外へ買い物に行けず、主人が来るのを楽しみに待っていてくれる方も少なくない。
でもやっぱり外へ売りに出る一番の理由は店で待っているだけではやっていけないのだ。
厳しい・・・。
大体は昔からのお得意様で、主人の父の時からまわらせていただいているお宅が多い。

我が家では、それを「商いに行く」と言う。
義母は「商い屋はこうでなければ・・・」と、よく言っている。

四月の終わり頃だったか・・小5の娘の参観日に行った時
先生から「○○ちゃん、いいですね~」と言われた。
(何だろう?)と思ったら・・・

 先生 「○○ちゃんのおとうさんどんな仕事してるの?」
 娘  「商い。」
 先生 「・・・○○ちゃんちは何屋さん?」
 娘  「商い屋。」

胸を張って答える娘に、先生は感激したそうな・・・。

(お前は何時代の子じゃぁぁぁ~)と叫びたかった

主人は今日もせっせと商いにいったのである。

さかなやです!

2005年05月28日 | 店先から
はじめまして!
我が家は商店を営んでおります。
食料品をいろいろおいてますが、おもに魚。つまり「さかなやさん」です。

はるか昔。主人のおじいちゃんが子供の頃、魚屋の小僧(奉公のこと)をしていた。
終戦後、戦地から帰ったおじいちゃんが、経験を生かしはじめたのがきっかけ。
おじいちゃんのさかなや時代は、朝早く起きて電車に揺られ、築地まで仕入れに行った。
店に魚が並ぶのは午後の2時ころからだというから驚く。
主人の父の代からは車で20分のところにある公設市場に行くようになった。
今はおじいちゃんもお父さんも他界し3代目の主人が頑張っている。

この写真は開店当時、魚河岸の卸問屋からいただいたものだそうで
店に飾られている。看板に書かれている問屋さんは今でも築地にあるのだろうか・・・。