今の地球社会って、どうなんでしょう。好き嫌いの二者択一で言ったら、皆さんはどちらですか?
世界では、9.11の同時多発テロが起き、根拠のない疑いによって戦争が開始され、戦争を仕掛けた国の軍隊も1,000人以上の死者を生み出す社会。国際機関や様々な民間の努力むなしく、貧富の差が解消されない社会。国内では、小学生の殺人事件から頻発する自然災害まで、嫌なニュースが日本を覆っています。社会主義経済は崩壊し、グローバリズムという名の地球規模の分業化は今もなお収まる気配がありません。もはや社会のための経済なのか、経済のための社会なのか、首を傾げたくなってきます。本当に今の社会は、私たちが求めてきたものだったのでしょうか?そして、このような資本主義経済を続けていて、平和で快適な明るい未来は果たしてやってくるのでしょうか?
では、今の資本主義経済社会を否定して、どんな社会をめざすのか?
私は『全員の中位の幸福』をめざす社会だと思っています。そう、それは村社会日本が求めてきた価値観で、私たち日本人の得意かつ特異なところです。かつて日本経済の礎を築いた渋沢栄一氏は、「道徳経済合一説」を提唱し、アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・セン氏は、日本から多大な影響を受け、倫理ある経済を提唱しました。同じくインドの経済学者ラビ・バトラ氏は、西欧的合理主義と東洋的精神主義の融合した経済『プラウト』の到来を予測しています(『日本的精神の可能性』を書いた呉善花(O Son-fa)氏が、文化的側面から同じ結論に至ったのは興味深い出来事です)。
「全員の幸福なんて無理だ」と言う人もいるでしょう。そう、そのとおりです。全く同感です。豊富な財力を持ち、その財力によって意のままの生活をしてきた、もしくは求めてきた一部の人々にとっては、無理な話です。価値観が己の煩悩に支配されていますから。いいのです、そのような人は。哀れですが放っておきましょう。豊かさを勘違いしている可哀想な人として同情してあげて下さい。
ミヒャエル・エンデの言葉を借りるまでもなく、これからは「身の程を知って、身の丈にあった生活、いわば人間サイズの経済社会」に戻るべきなのです。そのような社会では、「お金」は新聞やテレビと同じように、人と人を繋ぐ「ただのメディア(媒体)」に過ぎません。そして、物事のたくさんある側面の、わずかたったの「一面を測る物差し」でしかないのです。
本題に戻りましょう。これは”まちづくり”のブログです。この”まちづくり”という手段が、対話を伴ってコミュニティ(人と人のつながり)を再生し、人と自然の調和と地域の自立を促すことで、日本の再生につながるのです。あなたがこの日本に住むのなら、日本と何らかの縁があるのなら、せっかくなら元気な日本の方がいいじゃないですか。でも、日本が元気になるためには、大きな都市だけ元気なればいいのではなく、それぞれの地域が元気になるしか道はありません。そして、日本が再生することは、ついては地球の再生に向かうのです。そのようにして得られた社会こそが、実はいつの間にか『全員の中位の幸福』に辿り着くのだと、私は思います。
★参考★
カズミ氏作成「埼玉が生んだ偉人 渋沢栄一」
アマルティア・セン氏紹介(内坂翼氏作成)
ラビ・バトラ氏からのメッセージ(どなたかが作成されたQ&A。出版社?)
呉善花氏の著書『日本的精神の可能性』
世界では、9.11の同時多発テロが起き、根拠のない疑いによって戦争が開始され、戦争を仕掛けた国の軍隊も1,000人以上の死者を生み出す社会。国際機関や様々な民間の努力むなしく、貧富の差が解消されない社会。国内では、小学生の殺人事件から頻発する自然災害まで、嫌なニュースが日本を覆っています。社会主義経済は崩壊し、グローバリズムという名の地球規模の分業化は今もなお収まる気配がありません。もはや社会のための経済なのか、経済のための社会なのか、首を傾げたくなってきます。本当に今の社会は、私たちが求めてきたものだったのでしょうか?そして、このような資本主義経済を続けていて、平和で快適な明るい未来は果たしてやってくるのでしょうか?
では、今の資本主義経済社会を否定して、どんな社会をめざすのか?
私は『全員の中位の幸福』をめざす社会だと思っています。そう、それは村社会日本が求めてきた価値観で、私たち日本人の得意かつ特異なところです。かつて日本経済の礎を築いた渋沢栄一氏は、「道徳経済合一説」を提唱し、アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・セン氏は、日本から多大な影響を受け、倫理ある経済を提唱しました。同じくインドの経済学者ラビ・バトラ氏は、西欧的合理主義と東洋的精神主義の融合した経済『プラウト』の到来を予測しています(『日本的精神の可能性』を書いた呉善花(O Son-fa)氏が、文化的側面から同じ結論に至ったのは興味深い出来事です)。
「全員の幸福なんて無理だ」と言う人もいるでしょう。そう、そのとおりです。全く同感です。豊富な財力を持ち、その財力によって意のままの生活をしてきた、もしくは求めてきた一部の人々にとっては、無理な話です。価値観が己の煩悩に支配されていますから。いいのです、そのような人は。哀れですが放っておきましょう。豊かさを勘違いしている可哀想な人として同情してあげて下さい。
ミヒャエル・エンデの言葉を借りるまでもなく、これからは「身の程を知って、身の丈にあった生活、いわば人間サイズの経済社会」に戻るべきなのです。そのような社会では、「お金」は新聞やテレビと同じように、人と人を繋ぐ「ただのメディア(媒体)」に過ぎません。そして、物事のたくさんある側面の、わずかたったの「一面を測る物差し」でしかないのです。
本題に戻りましょう。これは”まちづくり”のブログです。この”まちづくり”という手段が、対話を伴ってコミュニティ(人と人のつながり)を再生し、人と自然の調和と地域の自立を促すことで、日本の再生につながるのです。あなたがこの日本に住むのなら、日本と何らかの縁があるのなら、せっかくなら元気な日本の方がいいじゃないですか。でも、日本が元気になるためには、大きな都市だけ元気なればいいのではなく、それぞれの地域が元気になるしか道はありません。そして、日本が再生することは、ついては地球の再生に向かうのです。そのようにして得られた社会こそが、実はいつの間にか『全員の中位の幸福』に辿り着くのだと、私は思います。
★参考★
カズミ氏作成「埼玉が生んだ偉人 渋沢栄一」
アマルティア・セン氏紹介(内坂翼氏作成)
ラビ・バトラ氏からのメッセージ(どなたかが作成されたQ&A。出版社?)
呉善花氏の著書『日本的精神の可能性』
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