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池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

勝海舟記念館

2019-09-22 17:19:06 | 地域情報

昨日、勝海舟記念館に行ってきました。

9月7日の開館後、平日に一人で行くつもりでしたが、奥さんも行きたいと言い出したので、週末に行くことになりました。

もちろん、日頃散歩で洗足池に歩いて行っている私は徒歩。

奥さんは、電車で。(洗足流れに沿って行けば、うちから2km、3,000歩くらいなのに、わざわざ1km逆方向の池上駅まで行って、、、)

 

なお、勝海舟は幕臣でありながら、佐幕派ではなく、むしろ新政府寄りの人物という私の認識から、

福島出身の私としては、(鳥羽伏見の戦いで、寝返って会津を後ろから砲撃した)津、(会津を朝敵にした)薩長、(大阪を敵前逃亡、江戸で保身に走った)慶喜、の次くらいに歴史的には好ましくない人物(幕府に心血を注いだ会津を見殺し、というか時代が変わったことを知らしめるための生贄にした)であったので、

明治維新における勝海舟の功績のような展示の仕方であれば、あまり観たくはないような事をこのブログで書いたことがあるのですが、さて、どうだったしょうか。

 

場所は、洗足池駅(東急池上線)を出て、中原街道を渡って、右手の図書館の先にあります。

元の鳳凰閣(清明文庫)の建物がリニューアルされています。

週末であったので、そこそこ人出はありましたが、開館から三週間なので、落ち着いた感じでしょうか。

一般の入場料300円を払って中に入ります。

リーフレットのフロアマップです。(画像をクリックすると、HPのリンクに飛びます)

1Fの展示は、

  • 海舟ブレイン:海舟自身の言葉等から、海舟が何を考えていたかを解き明かし、その想いと人物像に迫ります。
  • 海舟クロニクル:実物資料等をもとに、幕末から明治時代を駆け抜けた海舟の一生を巡ります。
  • 時の部屋:CG映像を中心に、大海原を進む咸臨丸の航海を体験できます。
  • 企画展示室:定期的にテーマを変え、展示を行います。
  • 全国行脚:海舟が訪れたゆかりの地をモニターで紹介します。全国各地を駆け巡った海舟の足跡をご覧ください。

海舟ブレインは、海舟の言語録ですが、坂本龍馬など幕末の中心人物たちの人物評などもあって、面白いです。

ただ、一人で、モニターを操作して名言を選ぶとシステムが喋り出すので、誰かが操作していると、結構待ちます(待たせます)。まあ、その間、パネルや資料を見学していればいいのですが、タイミングが取れません。

海舟クロニクルは、その名の通り、勝海舟の生涯における、イベントのパネル、関連資料の展示です。

なかなかよく出来ていると思ったのは、

パネルの上で、関連資料の、注目すべき部分を指し示してくれているので、漫然と資料そのものを眺めるだけで終わらずに済むこと。展示されていない資料についても、パネル上の写真に、注目すべき部分を矢印でハイライトしてくれています。

他方、展示資料には、資料としてのポイント解説が付されています。

そして、展示資料は触れないので、開かれたページしか見られないものですが、デジタルアーカイブで他のページも見ることができます。

(家系図なんか、展示されているページに加えて、全11ページをデジタルアーカイブで追うことができます。追ってどうする(笑))

時の部屋は、咸臨丸でサンフランシスコに渡航する模様が映像で描かれています。長崎で操船技術を学んで、自信を持って臨んだ太平洋横断での、海舟の挫折、反省、進歩への心の動きなども描かれていて見応えがあります。ただ、部屋が小さくて、座席が3席+立ち見で2名程度というのはもったいない。

2Fの大型モニターで、映像作品を公開しているので、そちらに加えてもいいのではないかな。

 

そしてその2Fへ移動します。

なお、1Fは写真撮影不可ですが、2Fは大型モニターの映像作品以外は、写真撮影可です。

  • 旧貴賓室:貴賓室をして使用されていた当時の造りを復元した部屋です。海舟の鏡像を設置しています。
  • 清明文庫ゾーン:勝海舟記念館として活用している清明文庫の模型や、当時の講演の様子等を紹介しています。
  • 洗足池ゾーン:海舟が愛した洗足池の紹介や別荘「洗足軒」のジオラマ等を展示しています。その他、タッチパネルで所蔵資料の検索等が可能です。
  • 海舟ゾーン:海舟に関する資料等の展示や、タッチパネルで海舟ゆかりの人々の検索や海舟クイズなどで楽しみながら学べます。
  • 大型モニター映像展示:3つの作品を放映しています。「東京はこうして生まれた」12分、「洗足池の四季」6分、「若き日の海舟」6分

階段で2Fに上ると、旧貴賓室への侵入を防ぐが如く(笑)、海舟の胸像があります。

旧清明文庫の建物なので、現在、模型の2F部分にいて、講演者のところが大型モニターになっています。

洗足軒の模型です。(私の好きな、模型・ジオラマが少ないけど、テーマが勝海舟だから仕方ないですね)

こんなにたくさんの印章を使っていたそうです。世が世ならLINEスタンプにはまっていた?

 

大型モニターの映像作品ですが、

「洗足池の四季」は、洗足池の四季折々の風景ですが、雪が積もっている映像には驚きました。数年前の大雪の時でしょうか。映像としてはすごく綺麗です。

「若き日の海舟」は、1Fで見学した”海舟ブレイン”と”海舟クロニクル”をさっと復習できます。

そして、「東京はこうして生まれた」はオススメです。(名前をメモるのを忘れましたが)小説家の方の解説は、非常に参考になりました。

 

というのも、先に書きました通り、言うなればアンチ勝海舟派、江戸無血開城を功績というなら、会津戦争で焼かれて、殺されて、朝敵故に埋葬も許されず、生き残っても、松前(斗南藩)で辛い開拓事業に従事させたのは罪ではないのか、と言いたい私ですが、

江戸城で戦っていれば、薩長を支援していたイギリスと、幕府を支援していたフランスの代理戦争を日本で行うことになり、どちらが勝っても、外国に抑えられて、近代独立国家への道はなかったところ、

なんとか主戦派を追い出して、江戸無血開城によって、外国の関与なく、政権交代を成すことができた、

という解説には、頷くことができますし、

その為にというか、武士の世が終わって、近代独立国家となったことを、万民に知らしめる為に、会津が武士の世の象徴として血を流さざるを得なかったのもやむなしという気持ちの落とし所もあります。

ただねぇ、、、

勝海舟は、国際的な視野と、近代的な考えを持っていたことは疑いようもないものの、その犠牲が、会津、長岡であり、徳川ではなかったことは、この人が、完全に武家のしきたりから抜け出せず、旗本として、徳川家への忠義に生きていたのだと思わされます(悪いわけではないのですが)。

現に、伯爵として政府の要職に就きながらも、目立った働きはせず、むしろ、西郷隆盛、徳川慶喜の名誉回復、徳川幕府の功績認識などに尽力したとあります。

でも、江戸無血開城の後、東北での戦いの回避に動いたとか、会津や長岡の赦免に動いたような話は、何処にも見あたりません。

新政府ですら、その後は、国営事業として、北海道開拓事業の次に、安積開拓事業(福島県郡山市)を起こし、何かしらの便宜というか気遣いをしているようなのに。

なんか、それが引っかかるんですよ。

まあ、あくまで私見なんですけどね。

 

それはともかく、博物館としてはよく整備されているのではないでしょうか。

子供、学生が観ても、パネル展示、映像作品は面白く、分かりやすいですし、幕臣としての働きよりも、世界に目を向けていた人物像にフォーカスしているようなので、私的にもOK。

より細かく知りたければ、展示資料とその解説を見ればいいし、さらに専門的に知りたければ、デジタルアーカイブで隅々まで見られます。

もっと言うと、所蔵品の多さに驚きました。

本人が洗足軒に持っていたものでしょうから、それはそうかもしれませんが、明治32年に亡くなっているので、その後(戦中、戦後)、大田区でよく保管出来ていたものだと。

お近くの方は是非。お近くでなくても是非。洗足池込みで。

2、3日に一度は歩いて一周している私ですが、年一も来ない奥さんに、洗足池の勝海舟夫妻のお墓と、

勝海舟が西郷隆盛を悼み、自費で建立した南洲留魂詩碑を紹介。

奥さんから「勝海舟は、なんで西郷隆盛の為にこんな事したの?」と言う尤もな質問があり、

「仕事でもお客さんやベンダーのカウンターパートと友情みたいなものを感じることあるでしょ。」

「カウンターパートって何?」

「辞書で調べなさい。。。」

(この人、会社ではそれなりの立場のはずなんだが、、、)

で、洗足駅前で別れて(奥さんは電車、私は歩きで)帰ってきました。

その後は、昨日の記事で紹介した、豆腐のおでん作りでした。

ではでは


雪ヶ谷八幡の連合渡御を空振り

2019-09-15 14:28:27 | 地域情報

先週は、朝の散歩で丁度、千束八幡の神輿渡御に出くわし

来週(つまり今日)は雪谷ヶ八幡例大祭で、また神輿渡御を見ようかなどと語っていましたので、

今朝、行ってきました。

 

出がけに、空振りのなきよう、Webで8:00から神輿渡御が始まることを確認しました。

しかも、今年は5年に一度の連合渡御であると。

連合渡御とは?

どうやら、町内神輿が連なって、宮入することらしく、

とすれば、今年行こうと思ったのは、幸運。

神の御告げか?などと勇んで出かけました。

 

ただ、時間はまだ早かったので、直接雪ヶ谷八幡に向かわず、呑川を上って洗足池を周る毎度の散歩コースを歩いて、石川台駅の近くの(雪が谷大塚駅ではない)雪ヶ谷八幡に立ち寄れば丁度いいかな、と思いながら、中原街道に出ると、

 

御神輿と法被を着た人達が集まっています。(しかも、朝の7時前なのに、もうビール飲んでる。羨ましい)

ここが、連合渡御のスタート地点の様ですね。

しかしまあ、、、毎度、後から思うのですが、もうちょっと調べてから出かけろよ、と己に言いたい。。。

その理由は最後に(苦)

 

氏子町内会の神輿が三基、スターティンググリッドに。

(御神輿は、何と数えるのだろうと調べて、原則、基(き)と数えることを知りました。駕籠の様に担ぐので、挺(丁)と数えることにもあると) 

これは希望ヶ丘(もちろん、横浜の、ではなく石川台駅前の商店街の名前)。

東雪と書かれてあるので、東雪ヶ谷でしょうね。

こちらは石川台。

他に、御神輿は見当たらなかったものの、鳳凰と書かれた法被の人たちもいました。

後で、HPで確認すると、氏子六町会と言う記述がありましたので、後、三基集まる予定だったのでしょうか。

”でしょうか”と言うのが、事の顛末を暗示しています(苦)

 

まだ早いので、洗足池を周る前に、初めてではないものの、散歩コースからは外れたところにあるので、滅多には立ち寄らない雪ヶ谷八幡を下見することに。

神輿渡御の一時間前で、さぞかし、準備に慌ただしく、人もたくさん集まっているかな、と思ったら、なんか閑散としています。

(雲行きが怪しくなってきましたね)

テキ屋さんは、日中の家族イベントに合わせてでしょうから、まあ、開いていないのも不思議はないかな。千束八幡もそんな感じだったし。

境内に入ると、舞殿があり、

更に一段昇ったところに、

拝殿がありました。

声が聞こえてきたので覗いてみると、宮司さんが祈祷をしているようです。

(もう過ぐ、始まるからなぁ、と思うものの、人が居なさ過ぎるのが気にかかる、、、)

神社の規模(敷地とか、建物の仕様)としては、結構大きめです。

そして、拝殿の隣に、お稲荷さんがあって、

その奥に、単独でも成り立つような、立派な天満宮も。

裏手には、元は村内各所に散らばっていた庚申塚が集められ、供養塔になっていました。

(写真一枚には収まらない範囲にもっとあります)

 

ここで、一旦、洗足池を周って時間を調整して、開始時間の8:00に戻ってくることに。

神社前にも御神輿が一基ありましたが、こちらは連合渡御に向かわなくていいのかな?

 

そして、先週例大祭だった千束八幡は、友情出演しなくていいのかな、などとアホな事を思いつつ、洗足池をのんびり歩いて雪ヶ谷八幡に戻ったのですが、、、

 

8:00前なのに、全然、人が居ません。

おかしいな???と思って、貼ってあったチラシを確認し、よくよく考える(理解しようと試みる)と、、、

 

確かに、「8:00 御神輿連合渡御」とあります。

が、「10:00 宮入」ともあります。

そして、写真左手の「連合渡御巡行図」。。。

 

なるほど。これから、あのスタート地点で、「出発式」をやって、練り歩いて、10:00にここに集まるんだ。。。

 

先週の千束八幡の神輿渡御が、その時間に境内で行われていたので、完全な勘違いをしていました。

千束八幡の時は、一基だけですから、8:00に神輿渡御と言えば、8:00に神社境内で神輿渡御があって、それから練り歩きますが、

連合渡御は、別の場所に神輿が集まって、練り歩いてから宮入する(神社に入って)ってことですか。

そりゃ、2時間も前の8:00に神社に来ても、誰もいないわ。。。

盛り上がっているのは、別の場所だもの。

連合渡御のスタート地点に戻って、そこから2時間、御神輿に付き添い、10:00に宮入して、11:00の奉祝大祭を観る気力は湧かず、、、帰ってきました。。。

 

でも、日中、他の神社の御神輿が、マンションの前を通ったのをベランダから眺めて、ヨシとします。

 

私って、きっちりしている気でいながら、結果何かしら抜けてしまいます。

八幡様も「連合渡御も始まっていないのに、もう来ているよ。」と笑っていた事でしょう。

わざとオチを着けている訳ではありませんよ〜(泣)

でも、結果、美味しいかも(苦)

ではでは


宝幢院の落語とフェスにみるお寺さん事情

2019-09-12 18:16:32 | 地域情報

台風の後、猛暑が続き、生活インフラが復旧していない方々にとっては辛い日々が続いていることと思います。

決して不謹慎な事を言うつもりではないのですが、今日はそれでもマシな方ではなかったでしょうか。

久しぶりに、多摩川大橋から下流に向かって歩き、六郷橋の袂から、一直線に池上の自宅に帰ってきましたが、

(マップの経路検索で、本当に一直線に帰れる道が表示されて(知らなかったので)驚きました。)

日陰のない川っぺりを歩いての2時間コースでしたが、風が心地よく、それ程汗もかかずに済みました。

 

その”川っぺり”について、

先日来、大田区の自然観察路をネタにしており、昨日は「海と埋立地のみち」の一部を歩きましたが、

川と干潟のみち」にも行こうとは思っており、これまで何度もその一帯には行っているものの、川から離れた土手を歩いていたので、川辺の生きもの、植物に注意がいっていませんでした。

そこで、「川と干潟のみち」で指定されているのは、六郷橋と大師橋に挟まれたエリアで、六郷橋から下流ではあるのですが、その前に、多摩川橋と六郷橋の間の川辺はどうなっているのか、ちょっと歩いてみようと思った次第です。

 

それで、どうだったかと言うと、多摩川大橋に近いあたりは、草木が生い茂っているものの、台風の影響か、随分と薙ぎ払われていて、川っぺり(川縁)を覗き見ることができました。

しかし、まあ、ゴミだらけな感じなので、草木をかき分けてまで川縁にいく気は起きませんでした。

ただ、土手に比べると、川筋に近いせいか、本日の涼しさ以上に、涼しいような感じは受けましたね。

途中、用水路なのか、人工の池なのか、がありました。

釣りをしている方々が結構います。

釣れているところは見られませんでしたが、何が釣れるのかな?

何十度となく歩いている土手から、見えないはずはないのですが、、、気付かぬものですね(汗)

 

この辺りから先(下流)ですが、

川縁は林のように樹木が連なっています。

そして、まるで長屋のように、樹木の中に作られた住処が続きます。

ただ木々が途切れているだけ入口もあれば、石やコンクリートブロックで階段を作っていたり、

塀、門、扉に鍵までつけている家(家というのか?)までありました。

先日、等々力緑地のくだりで、そういう人が川崎側に多いような事を書きましたが、

大田区にも随分いらっしゃいますね(汗)

その玄関先(?)のゴミを掃いていたり、迷惑となって撤去されたりしないよう気を使ってはいるように感じました。

扉とか鍵も、占拠というよりは自衛のためでしょうか。

今は聞かなくはなりましたが、オヤジ狩りとか、実際は起きていそうですもんね。

(あおり運転、老齢ドライバーなども、最近起き始めた訳ではなく、報道で取り上げるかどうかですから)

いずれにしましても、自分の見識、見えている範囲が狭いものであったと反省する次第です。。。

 

さて、最初に触れた一直線で帰る途中、興味を惹かれるお寺さんがありましたので、ここで紹介しようかと。

宝幢院(ほうどういん)という真言宗のお寺です。

真言宗ですから、弘法大師さまの銅像。

旅装なのは、私がここでちゃちゃっと四国八十八か所の霊場を巡る代わりに、現地に行っていただいたからですね。

これは川崎大師にもありました。

 

区内で最も古い水船(手水石)、区内最古の梵鐘(多摩川の河原で鋳造)があります(区指定文化財)。

新大田区百景にも選ばれていました。

不動堂で、毎月二十八日に護摩を焚くらしく、誰でも参加できるようです。

毎月第四日曜は、本堂で”二十分修行”というものがあると。

座禅でしょうか。こちらも誰でも参加できると。

と、ここまでは、お寺の生業として純粋に紹介できるものですが、

私の気を惹いたのは、、、

 

まず、落語やってます。

「宝寄せ」といってFacebookページがありました。

 

それと、「宝フェス」というお祭りのチラシも貼ってありました。

こちらもFacebookページがありましたが、今年のパンフはアップされておらず、

頂いても来なかったので(これだけやる寺なら、ちゃんとしたHPがあるだろう、と思い、実は無かった)、

去年のパンフを参考に貼ります。

馬車周遊、乗馬デモ、テニス、音楽演奏会と、内容及びパンフの写真は一緒でしたので(苦)

内容の違いは、開催日は、10月19日(土)のみ(笑)

 

なんだか凄いですね(好きです、こういうの)

近所の養源寺も、紫陽花祭りに移動動物園呼んだり、境内で竹を組んで流しそうめんやったり、櫓組んで盆踊り開催したり池上七福神の御朱印帳に東京オリンピックバージョン作ってみたり、、、と色々やりますが、

最近のお寺、とりわけ都会のお寺は、大変なのかもしれません。

檀家が増えることはないでしょうし(新しく住民が増えても、私のように実家にお墓があるし、東京に永住する気持ちはないのでは)、

土地が高いから墓地もそう売れず(作れず)、分骨と位牌だけ預かるようなお墓サービスだったり、まとまった土地が不要の樹木葬とか、

私の世代ですら、さほど宗派にこだわりはなく、檀家として縛られてもいないので、お寺さんの間での競争も激しく、法事で得られる収入の単価は下がっていることでしょう。

とすると、このようなイベントで、近所の方々の親近感による囲い込みや、新しい、若い住民に対する知名度を上げて、商売の裾野を広げていく必要があるのではないでしょうか。

個人的には賛成です。

私や奥さんの実家の方で、檀家として何かと寄付を募られ、厳密に法事を重ねて、ちょっとお経を唱えただけで、お布施云万円のような時代でもないと思います(気を悪くされたお寺さんがいたらすみません。でも、昨今の多数派意見ではないですかね)

諸事、リーズナブルでオープンにやりたいものです。

ではでは


偶然、堤方権現台古墳と万両塚

2019-09-10 17:53:06 | 地域情報

今日も猛暑日でした。

台風後のこのシナリオ、おかしいよね。。。

昨日、蒔いたベビーリーフの種が渇かぬよう、鉢を日陰に移動し、霧吹きを何度もかけましたが、大丈夫かな。。。

 

それでも、朝は、呑川を下流へ蒲田まで散歩に出かけ、そして本門寺にも立ち寄りました。

と言うのは、昨日、呑川から洗足池に向かうと、街路樹が抜けたり、公園樹が折れたり、台風の被害が酷かったので、

呑川の下流、本門寺は大丈夫だったのかとチト心配に思ったので。

 

呑川の下流は、そもそも強風に煽られるような樹木が少なく、特に変わった様子はありませんでした(堵)。

むしろ、心配するなら桜並木の旧呑川緑地でしたかね。

ただ、呑川沿いに蒲田に行って帰ってくるだけででも、ちょっとしたお土産がありました。

JRの線路の下を通って、東側に出て直ぐのところに「鈴木旗染店」と言うお店がありました。

(何度も前を通っていたのですけどね(汗))

旗、暖簾、幟を手染めで染めている創業50年の老舗の染物屋さんでした。

ちょっと中を伺いましたが、染料の入れ物とか、道具が見えて、、、

取材とまで言いませんので、ちょっと見学はできないものでしょうかね(興)。

家に帰ってから調べたら、HPインスタがありました。

それと、数年前ですが、ぶらり途中下車の旅にも出演していたようです。

いいなぁ〜、こんな職人気質の下町のお店。

今の所、注文するネタはないけど、死にそうになったら、うちの家紋(梅鉢紋)で陣幕でも染めてもらおうかな。

 

続いて、本門寺ですが、

境内をふらふら歩いて、大きな木が倒れてはいませんでしたが、大小の枝が折れて、散乱していました。

昨日の今日で、片付けに手が回っていないのでしょうかね。

そんな中、こちらもお土産がありました(笑)

こちらは随分と大きなお土産で、

本門寺の五重の塔の裏の方に行くと、佐伯矩氏の碑、本門寺公園の入口があり、妙見堂池上七福神の樹老人)の裏手に出るのですが、

その裏手から、妙見堂に行ったことも、妙見堂に登って(かなり急な石段)、裏手に抜けたことがなかったので、

いきなり、こんなのに行き当たって驚きました。。。

 

説明板には、永寿院と言うお寺の「万両塚」と書かれてあります。

まず、目の前のオブジェですが、初代紀伊藩主、徳川頼宣公の娘(徳川家康の孫)、芳心院の墓所です。

裏から入ったので、正面に回ります。

なお、「万両塚」とは、建設費が一万両に及んだとの俗説から生じた芳心院墓所の俗称だそうです。

外堀は、水を蓄えられていた形跡がなく、当初から空堀であったので、蛇よけに水が張られたというのは”伝説”です。と、わざわざ説明書きがありましたが、”伝説”とは何でしょう?

これは芳心院が、生前蛇嫌いであったため、没後も蛇を遠ざける目的で外堀を作ったという伝承があるようです。

そもそも蛇は泳げるので、眉唾ですが、この伝承から、芳心院を「ヘビヒメ」と呼称している地元の方も多いとか。


そして、この墓所を囲むように、弥生時代、古墳時代の遺跡があります。

これは弥生時代の住居跡だそうです。

半円になっているのは、住居跡の上に墓所が建てられたからだそうです。

江戸時代に考古学はなかったでしょうからね。

こういうのを”歴史の重層”と言うようです。

(実際、弥生時代の住居跡の上に、古墳が作られ、その上に、江戸時代の墓所が建てられ、その上に現代のお墓が造られていますからね)

なお、この復元方法は、本物の住居跡は埋め戻して、石膏で型をとって樹脂モルタルで作ったレプリカを真上に設置する「原位置再生」と言うようです。

 

その先には、復元地層のトレンチが作られています。

これも同じで、この壁面を剥がすと、チバニアンのような、そのままの地層が見られるのでしょうかね。

何れにしても、このような地層がここに存在し、各時代の遺物が発掘されたようです。

一番深いところは、先の弥生時代の住居跡の端に当たります。

さらに先には、さらに弥生時代の住居跡が顔を出しています。

そして、こちらは時代が古墳時代に移って、堤方権現台古墳です。

馬具、木製の鞘に収められた鉄製直刀、鉄鏃のついた矢などの副葬品、

それと埋葬者の下半身の骨格が見つかったそうです。

なぜ、下半身だけか?

昭和7年、住居建設のための整地で、古墳の主体部と一緒に、ごっそり削られたのではないかと。。。

 

もののけ姫のこだま?ではなく、私の好きな埴輪が覗いています。

弥生時代の住居跡に並行して建てられているのは、古墳遺跡内合祀墓。

発掘された骨とか収められているのかと思いましたが、1500年前の先人と一緒に眠るための、現代の人の納骨堂とのことでした。

(古墳の被葬者の遺骨(の混じった土)は、復元古墳に埋葬されているようです)

 

遺跡の発掘の模様、墓所の由緒など、歴史的な情報は、永寿院のHP(歴史の扉)に詳しく載せられていて、とても参考になりました。

ただ、「万両塚」だけ観て、お寺には寄らずに帰ってきましたが、、、実は、出土品が本堂に展示されているようです。

これは、改めて行かんとね。

 

その後、妙見堂の方から降りて、池上会館の前にでたところ、「大田地域遺産写真展(大田ユネスコ協会、大田区主催)」の看板を見かけ、そちらにも立ち寄ってきました(お土産のおまけ)。

見慣れた風景、まだ見ぬ風景の写真を鑑賞し、今日、偶然、行き当たった「万両塚」もそうですが、まだ見ぬ色々な史跡があるんだろうな、、、と思いました。

うちの近所でこれですから、まだまだですね。

ではでは 


晩夏の松濤園一般公開

2019-09-05 18:04:07 | 地域情報

朝の散歩で呑川を歩いていると、流れる水、川底がきれいだな、と思うことがままあります。

東急目黒線の緑ヶ丘駅近くの放流口から、第二京浜あたりまでは、割と流れが早く、川底も浅いので余計そのように思えます。

魚影はなく、鴨がたくさん、友禅染のごとく、上流に向かって口を開けて、流れてくる(餌になる)何かを食べています。

そこから下流へ、池上通りあたりまでは、川幅も広くなり、水かさも増し、鯉、亀が多く見られます。

更に、河口に向かっては、海水が上ってきて、水は濁って、ボラが大量にいます。

 

その上流の方の、川底がきれいなのは、下水が混じらず水がきれいなのと、流れが早いので水草、藻がつかないからかな?程度に考えていたのですが、今朝は、ちょうど、川底を洗浄している風景に出会いました。

定期的に、このような重機で磨いていたのですね。

とすると、これより下流は、川底が深くなるので、このような洗浄の仕方は無理ですね。

 

これを見て、学生時代にしていたフロア掃除のバイト(”かっぱぎ”と呼んでいた)と、ハノイの道路洗浄車を思い出しました。

バイトの方は、電動ブラシのついた器具で、ぎゃーっとタイル床を磨いていました。

もう30年くらい前の話ですが、一日7,000円くらい貰えたので、体力的にはしんどいものの、割のいいバイトでした。

ハノイの道路洗浄車については、

ハノイに仕事で行くようになった2006、7年あたりは、まだ本当に何もない街で、夜も9時を過ぎると、飲食店も閉まって、人も車も通らないような、首都とは思えない田舎っぽさでした(HCMCは全然違っていましたが)

当時も、現在も、ゴミは路上に投げ棄て放題で、大きなトロッコを押した清掃員が拾って回っるのですが、必然的に、道路は汚れまくり。

さらには、店先、家先で子供におしっこさせていましたし。。。

それを、夜になると、ごっつい道路洗浄車が出てきて、道路の両端を、水を撒きながら、巨大なブラシで、がーっと掃くのですよね。

掃かれた汚れは、汚した人の家に向かって、飛び散り自業自得ですが、

まあ、その音がうるさくて、ホテルで眠れませんでしたっけね。

赴任してからは、早朝からのクラクション含めて、すぐ慣れましたが(苦)

ちょっと意識が、思い出に飛んだ今朝の散歩でした。

 

さて、本題は本門寺松濤園の一般公開でした。

松濤園とは「本門寺の旧本坊の奥庭として、桂離宮の建築と造園で名高い小堀遠州によって作られたものである。作庭に当たっては、この四千坪に広がる庭に遠州茶道の極意を具現し、渓流と池を回遊する名園とした。それはまた本坊客殿より渓谷美を俯瞰できるように作られたものであるといわれている。」ものです。

 

ここ暫く、iCloudの空きがなくなるというワーニングをAppleから受け取って、

iCloud上のの写真をMacのローカルディスクに落として、フォルダ分けしながら、日付、タイトルを付けていたのですが、

GWに撮影した「松濤園(しょうとうえん)」、松涛園と松濤園のどっちだったっけ?と、本門寺のホームページにアクセスしたところ、

たまたま、本日、9/5(木)から8(日)まで一般公開することを知りました。

毎年、GWに一般公開するのは、あちこちのWebサイトで見ているのですが、この時期にも一般公開されるとは知りませんでしたので、写真整理をしてラッキーでした(写真整理のうんちくは、別途ブログに書きます)。

週末に、奥さんとまた行くとは思うのですが、人が多いと情趣が失われるので(観光客が多いと嘆く、観光客の一人感覚)、平日の本日、公開直後にまずは一人で行ってきました。

 

本門寺の朗峰会館に付設の庭園で、

普段は、今半で食事をしないと見られなそうですし、庭園に立ち入ることもできないのですが、

一般公開時は、庭園を散策することができます(今半で食事する必要もなく、無料で)。

 

今半の窓際の席アングルから、全体を見渡して、

庭園をぐるっと散策します。

湧水だけで水を張っているので、園池は水がきれいです。

ここから水が出ていますが、湧き水はこんなには噴き出さないでしょうね。循環(濾過)しているのかな。

 

本日は、曇り空でしたが、明るかったので問題なし。

蒸し暑くもありましたが、夏が短かったので、むしろ残暑も惜しみたい気分です。

蝉の鳴き声がしますが、それ程うるさくも感じず、ツクツクボウシの鳴き声も混じり、晩夏の趣も漂います。

これは「西郷隆盛と勝海舟会見の碑」です。

今はありませんが、ここに建っていた四阿(あずまや)で、二人が江戸城明け渡しに関した会見をしたと伝えられています。

そういえば、勝海舟記念館の開館は、今週末、9/7(土)でしたね。

洗足池公園、商店街で色々イベントが開かれるようなので、あえて、そこは避けて、来週末以降に行こうと思います(苦)

(通院はしなくなりましたが、人が多いと相変わらずしんどいので)

 

園内、楓も多くありますが、紅葉の時期には一般公開しないのかな。。。

 

花は百日紅が少しだけ。そろそろお仕舞いですね。

 

以上、松濤園の散策でした。

9/8(日)まで一般公開(10:00−15:00)していますので、お近くの方は、心穏やかに晩夏の趣を感じられてはいかがでしょうか。

ではでは


池上まつり

2019-08-25 18:04:58 | 地域情報

朝方、散歩している時は、今日は涼しいかも、と一瞬思ったのですが、

池上まつりの日が、涼しい訳がない。

と言う事で、今年も暑い中、池上まつりの開催です。

 

会場の池上会館は(超)近所なので、昨年も行きましたが、

昨年は余りの暑さに、野外ステージを観る気も起きず、建物内で落語を聞いて、伝統工芸の展示、昔の池上の写真、東急さんが作った鉄道模型を観て、早々にに退散しました。

そして、夕方、野外ステージのトリを務める原田真二は、、、

暑いからいいや、になってしまいました。

 

しかして、今年は、、、

(祝)二年連続スペシャルゲストは原田真二!

しかも、登場は、午前中!

去年盛り上がらなかったのかな?

と言うのは、午前から昼時にかけて、人出が多く、出店やイベントブースが盛り上がっていましたが、

午後遅くから夕方にかかると、もうお仕舞いの雰囲気が漂いますせん?

日曜の夕方は、家でご飯食べるし、サザエさんシンドロームもありますからね。

まして、とんでもない暑さだったので、日中、池上外から来た人は、一日中、池上会館にいるとは思えませんし、

私のように、家が近いので、一旦帰ってしまったら、また出かける気にもならなかったのでは。

 

なので、今年は、開会式の後、池上太鼓があって、

次が原田真二(感)

池上仲通り商店街を出発した、パレードが到着するまでの約30分間、野外オンステージです。

 

「だって、外なんでしょ・・・」と言う奥さんは放っておいて(笑)、

池上太鼓から(ポジショニングも兼ねて)観に出掛けました。

 

この池上太鼓、お寺さんのイベントなどでよく観ますが、迫力もあって、見応えがあります。

まあ、お祭りですから、野外ステージのオープニングは、これでないとね。

 

そして、太鼓が片付けられ、司会者が原田真二の経歴の紹介をしていると、

おもむろに、原田真二がステージに、、、

ステージの前に立って待っていた観客は、私も含めて、息を呑んだような一瞬の間が、、、

太い。。。(腹が出ている。。。)

まあ、私が小学生の頃、ベストテンとかで観ていた人ですから、年相応の体型にもなりましょう

でも、大田区のホームページは、この写真です(苦)

(確か、去年もこの写真でした)

 

しかし、パフォーマンスが始まると、凄く迫力があって、

初めて生声を聞きましたが、昔のイメージとは異なり、ちょっとハスキーでパワフルでした。

(黒いブーツ履いてた)

エレキで歌った、オープニングの歌名を知りませんでしたが、

続く、キャンディ、タイムトラベルは懐かしい限りです。

キャンディのところでは「皆さん、知っていますか?」と言う自虐(苦)、

キャンディキャンディ(アニメ)のイントロを弾いて笑いをとったり、

原田龍二ではないと言ったり、

一部のファン(?)が、間奏のところでかける「真二〜!」を、

昔は嫌でしたが、今は、自分からリクエストします、と観客に練習させたり、

タイムトラベルでも、サビの「時間旅行のツアーはいかが?いかがなもの?」をリフレインさせたり、

とても親近感の高いMCぶりでした(感)。

丸い顔もいいよね。

そして、てぃーんずぶるーす。

最後は、時間を気にしながらも(パレードが到着しますから)、メッセージと、これも歌名を知らないのですが、素敵な楽曲を聞かせていただきました。

ただ、曲の最後の方は、パレードが到着してしまい、子供達の鼓笛隊の音が被ってしまい、本人もちょっと苦笑いでした。

 

結局、5曲を歌われて、特別ファンでもない私ですが、子供の頃聞いたヒット曲が3曲。

盛り上げ方も上手で、自分でも意外なほどテンション高く楽しませてもらいました。

なんだか、昔のヒット曲目当てでコンサートに行くのもいいかな、と。

歌だけではなく、当時の自分の思い出も重なるような。

ただ、二、三時間は持たないでしょうね。

30分で5曲、内、その世代の人が知っているヒット曲が3曲のミニコンサートってのが塩梅がよろしかったのでしょう。

(ファンの方には、失礼かもしれませんが、ご容赦ください。原田真二さんの国連関係の活動などには感銘を受けています)

 

MC部分で、自転車で通っているところで歌を歌うのは変な感じが、とか

知っている人が通りがかるので、と言っていたので、

この辺りに住んでいるのが切っ掛けで呼ばれているのかもしれません。

(出身は、広島と言っていましたから)

 

そして、原田真二コンサートが終わるのを待っていたパレードが、ピーポ君を先頭に動き出し、

私は、自宅に一時避難です(苦)

暑いし、パレードの参加者も加わって、人出が凄いので。。。

 

そして、自宅で、奥さんに昼ごはんを食べさせ(笑)

今年は、再出動します!

室内ステージで、こどもミュージカルを観て、落語を聞くために。

これらは室内ですからね。

伝統工芸などの展示コーナーは、まあ、今年はいいかな(毎年変わるものでもないでしょうから。すみません)

 

こどもミュージカルは、劇団みるき〜うぇいによる「オズの魔法使い」。

それに先立ち、職員20名が準備を手伝ったと言う、税務署の署長さんの挨拶とe-Taxのプロモーション(スマホでできるようになりました、とか)。

子供向けのステージなので、親が付いてきていますから、ターゲティングとしては間違っていないようにも思えますが、

小さい子供を連れた若い親御さん達が、e-Taxを使う自営業か、と言うとどうでしょう。。。

起業家ってことでもないと思えますし、次のステージの、落語の観客の方が合っているような気も。。。

ともあれ、子供向け設定だと思うのですが、「オズの魔法使い」面白かったです。

最近、複雑に凝ったストーリー、難しい世界観のドラマや映画より(付いていけない)、

子供も対象にした映画、アニメ、TV番組(Eテレとか)が、構えずに観ることができ、楽しく感じるんですよね。

身体の老化と同時に、精神の退化も起きているのかな(苦)

 

そして、落語です。

噺家は、大田区出身の茂手亭小丸(もてていこまる)さん。

去年も大田区出身の噺家さん。

池上本門寺の石段を造った加藤清正にちなんで、「荒大名の茶の湯」でした。

さて、今年は「片棒」。

枕は「始末の極意」の「六日知らず」と「うなぎの匂い」のくだり。

ところどころ、地名を池上、寺を本門寺にアレンジしたりしてはいました。

この「片棒」と言う噺ですが、ごく最近、何かで聞いた記憶があったんですよね。

何で聞いたのか思い出せないのですが、

あるとすれば、Tokyo FMの立川談笑の「落語千金」(お金にまつわる落語(古典、創作)を紹介。みずほ証券がスポンサーなので)のポッドキャスト。

でも、この番組は終了してからしばらく経つし。。。

で、何が言いたいのか、と言うと、

「片棒」のストーリー、オチまでしっかり記憶しているのに、

この茂手亭小丸さんのは、ものすごく面白かったということです。

周りにいた方々も終わった時「上手だったね〜」とか言っていました。

ただ、この方の情報がWebで見当たらないんですよね。

主な演目は、古典落語のようですので、また聞いてみたいですね。

 

以上、池上まつりでした。

今年は、野外ステージ2本、室内ステージ2本、パフォーマンスに特化した楽しみ方でした。

暑いことは暑かったのですが、観たかった野外が午前中で、観たかった室内が午後に当てられていたもの、私にとって都合が良かったです。

さて、来年はどうかな。

原田真二は来年も来るのかな?

ではでは 


養源寺の盆踊りと池上仲通り商店会の「ちびっこ大集合」

2019-08-18 16:15:03 | 地域情報

一昨日は、アクアパーク品川で疲れてしまい養源寺の盆踊りには、お祭り好きの奥さんも流石に「明日にしよう。。。」

と言うので、昨夜、暗くなるのを待ち、夕飯後に出かけました。

(私は、夕飯を作りながら、金麦飲んでしまったので、ちょっと足取りが重かったのですが)

 

とても盛り上がっていました♪

 

ところで、先日ニュースで「盆ダンス」が流行っているというのを観ました。

  • いわゆる盆踊りの”何とか音頭”ではなく、洋楽、Jポップなどをかけて、ノリノリで若者も参加しやすくしている。
  • ボン・ジョビのLivin' On A Player、荻野目洋子のダンシングヒーローなど、割と世代を超えて(むしろ古め)楽しめる音楽をかけて、年配の人も、若者も楽しめる。
  • 踊りそのものは盆踊りなので、年配の人も大丈夫。
  • アップテンポな曲なら、アップテンポに盆踊りを踊るだけなので、老若男女が入り混じったパラパラっぽく盛り上がりがある。
  • 若い人も浴衣で参加して楽しそうですし、普通のファッションでも、ポップな曲なので違和感もない。

という感じでした。

 

さて、移動動物園呼んだり、巨大な流し素麺やったり、境内にビニールプールを張ったり、仏事に限らぬイベントで地域を盛り上げる養源寺はどうだったか、というと(私の興味はむしろそこで(笑))、

流石にボン・ジョビはかかりませんでしたが、

東京音頭、チャンチキおけさなどの定番に加えて、ドラえもん音頭、何となく聞き覚えのある洋楽もかかっていました。

 

そして、ちょい凄いなと思ったのが、

かかる曲によって、踊りが変わるのですが、

きっちり浴衣を着こなした年配の方々が、踊りの輪の中に散らばっていて、

(なんとか連という、踊りのグループの方々でしょうか?)

この方々がリードするような感じで、合わせて踊るので、

一般の参加者は、その方々に合わせて、一体感を持って踊れているように見えました。

 

そんな感じなので、奥さんも傍目にもわかりやすく”うずうず”しており、

「踊ってきなよ」と何度か言ったのですが、こういうのに一人で入っていけない人なので、かき氷食べながら眺めるだけで終わりました。

 

が、そこまでを考えて、段取っていたのであれば、さすが養源寺、なかなかの運営でしたね。

 

そして、本日、お盆ウィーク最終日は、

池上仲通り商店街で「ちびっ子大集合」というイベントに通りがかりました。

綿あめ、他に焼きそば、飲みのもなどの販売(奥さんと一緒だったら、絶対買わされているだろうな)

サイコロで景品。

紐を引いての景品当て。

風船釣りなど。

結構な人出でした。

スマホや専用ゲーム機で遊ぶことも否定はしませんが、

こういうのは、夏の思い出として子供心に残るのではないでしょうか(盆踊りも)。

 

池上仲通り商店街って、結構いろいろイベントをしています(日曜日に車両通行止めにして)、

というか、大田区の商店街って、季節ごとのイベントを丁寧に開催していますね。

昔ながらの下町文化というだけではない、今住んでいる人たちの心意気とでもいいましょうか。

池上に住んでまだ二年弱、マンション住まいで近所づきあいが疎遠ではあるものの、

住んでいる街への愛着、親近感は強く感じます。

ではでは


行きの天祖神社、帰りの鹿嶋神社

2019-08-11 18:25:11 | 地域情報

じゃがいもを沢山いただいた奥さんのお友達から、追加で、かぼちゃ、じゃがいもなどを頂き、

奥さんが私の調理した、かぼちゃやじゃがいもの料理の写真を送ったところ、喜んでいただけたようで(私も嬉しい)、

更に、追加の追加が、宅配便で届きました。

素晴らしい!お金払いたいくらいです。

ただ、最初のじゃがいもに加えて、追加のじゃがいももまだ沢山あるので、保存が心配でした。

が、シンシア、べにあかりは、常温で10月まで保つ、とのお手紙が入っていました。

そう言われてみると、インカのめざめとかインカルージュは芽が生えてくるのですが、シンシア、べにあかりは、最初にいただいた分もまだ芽が生えてきません。

となると、肉の黄色い、煮崩れしにくい方から、食べていくことになるので、最近はポテサラが多めでしたが、肉じゃがとかソテー系(酸辣土豆とかジャーマンポテトとか)で行きますかね。

ああ、煮崩れしないと言っても、インカ系は、コロッケにしてもまとまりがいいから、いろいろ作れるな。

こう言うことをあれこれ考える楽しみが、奥さんと共有できないのは。。。

 

さて、先日、品川歴史館大森貝塚遺跡庭園に行ってきましたが、

行きがけに天祖神社、帰りがけに鹿島神社なるところにも立ち寄りましたので、軽く、その紹介を。

天祖神社は、大森駅の西口、池上通り沿いにあります。

駅の真ん前に、急な階段があり、

看板で神社があることはわかるので、大森駅の西口から出る度、気にはなっていました。

駅への通勤路になっているので、この階段を、朝は結構、人が通ります。

タイルの階段の先から、石段を登ると、天祖神社です。

石段の途中、左手に赤鳥居がありますが、

伏見稲荷の稲荷社でした。

ただ、大きな灰皿が置かれて、喫煙所になっていました。

なんだかね。。。

駅前ですし、最近喫煙所もないので、こうでもしないと、階段の踊り場にポイ捨てとかされしてしまうのでしょうか。

しかし、神様にとっては煙たいことこの上なしですね(うまいこと言ったかな(笑))

 

天祖稲荷の境内に上がると、一対の狛犬がいます。

割とふっらした顔立ちの狛犬で、子供の狛犬を背負っていたり(立髪咥えてぶら下がっている)、抱えていたり、微笑ましいデザインです。

本殿はこんな感じ。

非常にコンパクトです。

結構、お年寄りがいて、涼んでいるようでした。

まあ、何度も言いますが、神社の境内って、なぜか涼しいものですからね。

ちなみに、天祖神社のFacebookホームページがありました。

そんなにupdateされている感はありませんが、例大祭は9/22との告知が載っています。

「八景天祖神社」とも書かれているのですが、大森駅の階段は裏口で、大きな鳥居のある入口が面している坂が、八景坂ということからのようです。

 

続いて、鹿嶋神社(または、大井鹿嶋神社)。

こちらも池上通り沿いで、品川歴史館に近いところにあります。

天祖神社と対照的に広い境内で、樹木が鬱蒼と茂っています。

境内にある二本のタブノキ(クスノキ科)は、どちらも樹齢約二百年で、品川区指定天然記念物に認定されています。

ちなみに、こちらは旧本殿らしく、

中心の大きなのが、言われなくてもわかる、現在の本殿です。

開いていたの、写真をパシャ。

舞殿かな。

品川歴史館の建設時に発掘された、大井鹿島遺跡と名前が一緒で、この一帯が遺構なのでしょう。

安和2年(969)の創建とのことで、この下にも色々眠っているのでは。

 

暑さ凌ぎにいい場所でしたが、この後、大森貝塚遺跡庭園も待っていたので、足早に。

次、通る機会があれば、もう少し時間をかけて、神域の何かを感じたいものです。

ではでは


大森貝塚碑と大森貝墟碑

2019-08-10 16:07:35 | 地域情報

先週、ルッコラを間引いて、サラダプレートにしましたが、

この猛暑の一週間で、見事、再生しましたね。

多めに収穫して(イタリアンパセリも一緒に)、

今日のブランチも、(奥様曰く)味の濃〜いサラダプレートです(メインのベビーリーフが見えん)。

後一回半分くらいはあるけど、今週末で食べ切るか、来週までに盛り返すのを期待するか迷うところです。

 

さて、貝塚は古代のゴミ捨て場なので、住居跡や古墳とは異なり、土器や装飾品よりは、貝殻とか骨(動物、魚)から古代の食生活、生態系を知るものであると、認識を改めて、大森貝塚に立ち寄ることにします。

 

大森貝塚は、品川歴史館の展示にあったように、割と広範囲に広がっているようですが(後年の発掘によって)、エドワード・S・モース(1838〜1925、東京大学初代動物学教授)が発掘調査を行った場所が、大森貝塚遺跡庭園になっているようです。

しかし、発掘調査報告書に正確な場所や周辺の地図が記載されていなかったことや、その後の景観の変化などで分からなくなっていたようで、二つの貝塚碑が存在します。

ひとつは、大森貝塚遺跡庭園にある「大森貝塚碑」

もうひとつは、NTTデータビル敷地内になる「大森貝墟碑」

です。

どちらも広域な発掘場所に入っているのですが、

品川区の「大森貝塚碑」か大田区の「大森貝墟碑」のどちらがモースの発掘した場所かの論争があったようです。

まあ、ありがちですね。

お店なら”本家”とか”真”とか。

自治体なので、どちらが”大森貝塚のふるさと”とか名乗って、饅頭、ゆるキャラを作るかみたいな(笑)。

で、結局、その後の調査で、品川区の「大森貝塚碑」がその場所であったと。

大森貝塚遺跡庭園は、国指定史跡になっていますが、大田区への配慮かな(苦)

ただ、モースの生まれたポートランド(アメリカ、メイン州)と姉妹都市になっているのは、品川区。

大田区郷土博物館、品川区立品川歴史館のどちらにも、あまりアピールがないのは、お互い気を使っているのかな。

それとも、国指定史跡なので、資料は国立博物館に集められているのかな。

 

まっ、それはともかく、

品川歴史館からの帰り道なので、まずは大森貝塚遺跡庭園から。

縄文っぽさを其処彼処でイメージしています。

入口の壁に続いて、公衆トイレ。

広場の回廊は、縄文っぽくもありますが、地層をイメージしているようです。

ところで、この広場は、噴水が上がってミスト状になる仕掛けがあるらしいのですが、

ポンプが故障中とのことで、、、「今でしょ!」と言いたい。

なので、ひとっ子一人いません(この炎天下、物好きなのは私だけ。歴史館も私以外の見学者はいませんでしたね)。

モースさんも暑そう。帽子くらい被せてあげたいね。後ろは品川区とポートランド市の姉妹都市の碑。

回廊に登ると、見晴らしはよろしいが、更に暑い。

裏手、線路の方へ行くと、謎の”波のオブジェ”

私には、ウルトラマンの怪獣に見えました(思い出しました)。

公園にある大森貝塚、縄文遺跡の説明板。

 

こちらでは、実際の貝層を見ることができます。

また、発掘した貝塚が、割と無造作にそのまま残されてあり、

埋まっている貝も触れます。

これ本物なのかな?無造作すぎる。

一番奥には、品川区側の「大森貝塚碑」があります。

 

そして、大森駅の方へ行くと、朝、通り過ぎた、NTTデータビルの前に「大森貝墟碑」のレプリカが。

建物の脇道を入って(ゲートは9:00に開くようです)

階段を降りると、

説明板があって、その裏に、

大田区側の「大森貝廃碑」があります。

こちらには、遺構などは特になく、これが線路沿いに建っているだけです。

 

まあ、貝塚碑を見たところで、何か感じるものではないので(苦)、

大森貝塚に触れると言う点では、大森貝塚遺跡庭園が一番かもしれません。

あとは、モースが動物学の教授だった東京大学の総合研究博物館か、、、上野の国立科学博物館はどうだったかな。。。

国立博物館では去年の今頃、縄文展が開催されていたようです。

その”見どころ”の説明文に「日本では明治時代になって、大森貝塚の発掘をきっかけにして近代的な考古学が始まり、「縄文」が発見されました。」とあるように、大森貝塚は、その出土品がどうのと言うより、古代史を紐解くきっかけとして大きな意味があったのでしょうね。

大森貝塚の自由研究は一旦おしまいで、大田区の豊富な遺跡巡りにシフトしていきます(暑さが緩んだら)。

ではでは 


枡形山展望台からの眺望

2019-07-13 12:05:40 | 地域情報

昨夕は、雨の止み間に散歩に出たのですが、

お尻に軽い筋肉痛を感じ、また、雨もパラつきだしたのを幸いに(自分への言い訳に)、目標歩数未達。

今月、既に2日未達なので、これ以上未達があると、月末にaruku&からTポイントもらえないなぁ〜。

 

さて、私は幼稚園に上がる前からずっと剣道をやってきましたが、

小学生の時は、母親が卓球をやっていて、夜間、小学校の体育館で母親が練習するのについて行き、卓球もやっていました。

母親は80近いですが、まだ卓球やっています。

学生時代に全国大会に出場して、あと1回勝ったら、世界選手権王者の松崎キミ代さんと当たるところだったけど、

隣の台の試合を見ていたら、友達がコテンパンにやられていたので、当たる前に負けてよかったとか言っていたので、

若い頃は、かなり強かったんでしょうね。(押し入れに、トロフィーとかカップがしまってあったし)

 

というバックグラウンドもあって、卓球の試合をテレビとかネットで見るのが好きです。

今、オーストラリアOPをやっていますが、何だか早めに日本人同士が当たっている気がします。

世界ランクが高い選手同士なんですけど、層が厚くなっているからですかねぇ。

でも、中国には勝てていませんね(勝つことはあっても、負けっぱなしの印象が強い)

もっと層が厚いし、トップランカーに上からずらっと中国選手が並ぶので、

(層が厚いのは、トップだけなく、裾野も広いので、トップと遜色ない実力の新人がどんどん引き上げられくる)

二段目に厚くても、団体戦ではストレートで負けちゃう。

ダブルスは、昔から中国人ペアは、個人技で強いから勝つけど、コンビネーションは悪い(ライバル同士で仲が悪い)ようなことを言われ、

それで、日本人ペアが勝負になっている感はありますが、、、

 

ともあれ、東京オリンピックでの打倒中国には、絶対的なエースが現れて欲しいですね。

2年前のアジア選手権で、平野美宇が中国に3タテ喰らわした時は、来たー!と思いましたが

その後、研究されて勝てなくなっちゃいましたしね。

 

東京オリンピックでは、

何人メダルかとか、団体で金メダルを目指して、

団体戦決勝でストレートで負けて銀とか、シングルスの準々決勝に4人残ったけど全員負けるとかより、

シングルスでの打倒中国、選手個人が強く金メダルを目指して欲しい、と個人的には思います。

その先に団体戦の金メダルがあるとも思いますし。

 

ところで、卓球の試合は、TV東京でもフルに放送はしてくれないので、

International Table Tennis Federation(https://www.ittf.com)のサイトで見ています。

サブスクする必要はあるのですが、無料ですし、変な広告とかも拾わないので重宝しています。

ただ、サイトが英語なので、動画を探すのがちょっと面倒かな。

それに、もちろん日本語の解説なんか入らないので、淡々と試合を観ることになります。

でも、それはそれで、音楽聴きながらとか、ラジオ聴きながらとか、奥さんの話を聞き流しながら、試合を観られて、私的にいいのですけどね。

 

さて、今日も枕噺が長くなりましたが(苦)、昨日の続きです。

aruku&のウォーキングコース、多摩・東生田の自然歩道は、一応、達成しましたが、

その流れ(コース)に従って、残るスポット

⑧生田緑地

⑨向ヶ丘遊園駅

に向かいつつ、

生田緑地内の枡形山展望台、日本民家園かわさき宙と緑の科学館にも行くことにします。

 

⑦広福寺でタヌキを見て、道なりに進むと、生田緑地に入ります。

程なく、広場に出ます。

一応、標高84mの山の山頂なんですね。

立派な展望台がありました。

エレベータも完備です。

普段なら、この程度の高さで、エレベータを使おうなどとは露ほどにも思いませんが、

この時ばかりは、、、使いました。足が疲れすぎていた。。。

 

展望台からの景色は良かったです♪

武蔵小杉の高層ビル群も見えます。

 

遠目に、よみうりランドも見えます。

あそこから歩いて来たのか、、、と余計に疲れを感じました(笑)

 

この枡形山は、多摩・東生田の自然歩道道の①薬師堂を建て、⑦広福寺が館跡であった、稲毛三郎重成がを構えたとのことです。

源頼朝の侍大将であったそうですが、広大な所領だったんですね。

広場から、日本民家園の方へ降りていきます。

日本民家園は、随分写真を撮ったので、枡形山とは分けて、明日紹介することにします。

ではでは 


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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