池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

鹿児島旅行記(3/3)

2020-04-09 16:54:00 | 遠足・旅行

いい天気が続いていますが、

人間界の暗さに対して、自然界の明るさ、元気さは皮肉な感じもします。

そう言えば、数日前、ある動物園で飼育員から虎にコロナが感染したとの報道がありましたが、

うちの子にも遷さぬよう、手洗いはしっかりしないと、と肝に命じました。

なお、悩みの種であった、ペレットの食わず嫌いは、

ペレット(と乳酸菌タブレット)だけあげるようにしたら、渋々なのでしょうけど(苦)ちゃんと食べきるようになり、

残さず食べたら、ご褒美のドライフルーツをあげています(なんか、睨まれているような・・・)

 

さて、鹿児島旅行の第三回(最後)です。

今回、一泊したホテルは、4000円台、そして予約サイトで朝食が好評だったので決めましたが、

内装がオシャレかつ綺麗(新しい?)で、当りでした。

朝食もびっくりする程のグレード!(麦とろ定食を選択)

予約サイトの評価通り、美味しく頂きました(感)

と、普通なら、ここでホテル名を紹介するところなのですが、

この後、とんでもない下痢に見舞われ、、、全然治る気配がなく、しばしホテルで安静。。。

まあ、雨も降っていたので、強制自粛されてちょうどよかったかも。

なので、ホテル名は伏せておこうかと。

(”麦とろ”で検索した出てくるでしょうけど)

 

それでも、まあなんとか治って、雨も止んで明るくなってきたので、ちょっと早いかな?とは思いつつチェックアウト。

昨日が最後の営業であったドルフィンポートですが、

設備や店舗の撤去作業が行われていましたが、

なんだか西部劇のゴーストタウンのような。。。

お店やお客で賑わっていた時もあったでしょうけど。

海側は公園になっていて、桜島も目の前ですしね。

フェリーポートとの間には、水族館もあって、一大商業エリアであったことに間違いはないのでしょうけど、この閑散感は、コロナだけではないのでは。

まあ、水族館に人気がないのは、(平日ということもありますが)コロナのせいでショーが中止だから。

まだ、ちょっと早いので(5分前ではないが)、フェリーターミナルを通り越して、

(昨日、シティービューで通った(下車しなかった))石橋記念公園に行ってみました。

バスの運転手さんの説明では、江戸時代のアーチ橋を移築した公園で、写真のが一番古いと言っていました。

 

と時間が潰れてそこそこいい時間になったので、フェリーターミナルに行きましたが、

15分前で、人気がありません。。。

クルーズ以外の便に乗る人はちらほらいるのですが、観光客がここまでいないとは。。。

確かに、余裕でチケットは買えました(誰もいない。しかも、通常のフェリーは桜島側での着払いなので)

よりみちクルーズのチケットです。

昨日のシティービューの一日券で、600円→480円でした。

加えて、桜島でのバス乗り放題のアイランドビューのチケットも購入。

ただ、昨日のシティービューも3回しか乗りませんでしたが、こちらも結果としては3回しか乗らず、一日券の必要があったかどうかは・・・

 

さて、定刻になり、フェリーに乗り込みますが、

展望デッキに行きましたが、私以外、誰もいません。

クルーズ中に判明しましたが、乗客は、なんと!私を含めて3名。

桜島でも各所で顔を合わせましたが、おじいちゃんと孫。

ちょいちょいデッキに上がってきては望遠鏡を覗いていました。

車も乗っていなかったなあ。。。

 

ともあれ、出発です。

桜島フェリーとしては5隻あるようで、ポートには2隻停泊でき、順繰り廻っているようです。

クルーズ便は50分ですが、通常便は15分で行き来していますからね。

ところで、フェリーには前後がなさそうです。

回頭はせずに、そのまま行って戻ってなんですね。

ファーストガンダムのゾック(ジオン軍の水陸両用モビルスーツ)を思い出しました(笑)

 

鹿児島市(薩摩半島)を離れていきます。

見えている山は、昨日登った城山です。

前方は言わずもがな、桜島です。

港に停泊中はそれほどでもなかったのですが、

沖に出ると、流石に風が強く、寒い、寒い。。。

それでも、折角の50分なので、スピーカーから流れる案内に耳を傾けながら、展望デッキで我慢しました(苦)

 

種子島に向かうフェリーが並走中です。

なお、もうちょっと値段のするクルーズは、錦江湾を結構広く廻るようですが、

よりみちクルーズは、その名の通りちょっと寄り道するくらいのものなので、

神瀬(かんぜ)という、満潮時には沈んでしまう瀬に建った灯台を回って、

沖小島を眺めて、桜島港に向かいます。

天気が良ければ、昨日、仙巌園から見えた薩摩富士と呼ばれる開聞岳が見えるようですが、

生憎の天候で、海上では、特に見応えのあるものはなかったのですが、

桜島に近づくと、

溶岩が固まってできた海岸線の生々しさに目を奪われました。

右手に桜島港が見えてきました。

こうして海峡(?)を見ると、鹿児島と桜島の近さがよくわかります。

シンガポールに住んでいる時、ジョホールに歩いて渡って、シンガポール側をみた時、近っ!と思った事が思い起こされました。

逆に、佐渡島は随分と遠いですね。

時代物の小説で、佐渡島と越後がトンネルで続いていて、なんて騙す悪党の話が出てきますが、佐渡島はありえないけど、桜島はありうるかも。

でも、錦江湾って、水深がかなり深いらしく、こっちは距離より深さでありえないか。

 

とか考えているうちに、桜島港に近づいてきました。

(一隻出るのを、ちょっと待たされた)

バックファイヤー(バックウォーター?)蒸しながら、桟橋に近づき、

接岸。

ぴったし50分でした。

 

鹿児島のフェリーターミナルに比べると、ちょっと新しい感じの桜島港。

でも、人気の少なさは一緒(苦)

 

さて、アイランドビュー(バス)の路線に沿って、歩いたり、バスに乗ったりして観光するつもりです。

まずは、桜島港近くの月詠神社。

1300年の歴史というから、奈良時代に建てられた?

展望台があり、遠目には鹿児島市、手前は温泉に入られる国民宿舎かな(温泉に入る時間の余裕はなかった)

次は、道の駅に向かうのですが、桜島港前の駐車場の寂れ感、というかレトロ感がいいですね〜

(いいと言ってはダメか)

道の駅「火の島めぐみ館」

お土産とお食事処で、ちょっとだけお土産候補をみましたが、これから観光なので荷物は増やさず(ここでは買わず)。

そして、ちょっと歩いて桜島ビジターセンター。

ここで桜島を勉強して、バスで観光(展望)ポイントをみて回るつもりです。

 

無料の施設ですが、展示はかなりしっかりしていて、桜島の生い立ち、噴火の歴史など勉強になりました。

最近、難しい、専門的な説明より、子供向けの展示や説明パネルが快適に感じます。

身体の老化と共に、精神の若年化も進んでいるのかしら。

桜島大根でかっ!

この模型、よくできています。

桜島は富士山のような成層火山ではあるものの、火口は一つではなく、長い歴史で別のところから噴火したので、三つの火口が見てとれます。

写真で見ても、北岳、中岳、そして煙を吹いている南岳(昭和火口)がわかります。

 

と、一通り展示物を見て、さらにビデオルームで、紹介ビデオを観賞して、事前勉強はバッチリ。

(自宅でネットでも勉強できますが、現地の方が記憶に入りやすいよね)

アイランドビュー(バス)に乗って、最初の展望ポイントへ。

烏島展望所です。

大正時代の大爆発で、烏島が溶岩に呑まれて、”この下”にあるそうです。

ちょっと小高い展望台になっています。

さて、

運転手さんから、次は30分後ですよ、と言われたのですが、

烏島展望所は、まさかのこれだけでしたので(冷汗)

次の赤水展望広場までは歩くことに。。。

 

道沿いに、溶岩石がゴロゴロしていて、

こういう自然の脅威も凄いな、と。

ちなみに、私の故郷、福島の裏磐梯も、噴火といより爆発だったので、道路沿いには岩石がゴロゴロしていました。

これは石垣ではなく、溶岩石を使った(?)河川工事かな。

あるいは、元々水を流す想定ではなく、噴火の時、溶岩流を海に流すためかな?

 

赤水展望広場に着きました(烏島展望所からずいぶん近い)

長渕剛のコンサートの記念モニュメント出そうで、、、あらそう。。。

烏島展望所よりは高台かな。

フェリーから見えた沖小島を望めます。

が、ここもそれだけなので、、、バス待ちが長い。。。

しかも、寒い。。。

でも、足がないので、バスを待って(一日券買ったし、タクシーなんて通りがからんわ)、次の展望ポイントへ。

 

予定より一本早いバスなので、観光の時間に余裕はあるのですが、

バスの経路は二つあって、火山防災センターに寄り道するのと、しないのとが交互に回っているので、

火災防災センターに立ち寄ると、そこで一時間費やさねばならなくなるので、

火災防災センターはスルーして、予定より早い展開ですが、湯之平展望所へ。

(なお、乗客は私一人)

北岳を間近に見られます。

噴火というより、爆発であったことが、抉れ具合から感じられます。

裏磐梯も、噴火ではなく爆発と呼んでいて、磐梯山って裏から(猪苗代湖と反対から)見ると、ぐっさり抉れています。

お土産も売っている展望所があり、そこから広く錦江湾と薩摩半島を望めます。

が、願わくは、天気がよくて、風がなくて、暖かかったらよかったのに〜

 

なお、湯之平展望所では、バスが10分停車してくれたので、

幸いなことに次のバスを待って時間を潰すことなく、乗ってきたバスで、桜島港へ向かうことができました。

助かった。。。もう、身体が冷えてしまって。。。

 

予定より一時間早いのですが、桜島港に戻ってきました。

シティービューは、古いバスの外装を派手に塗装したレトロ感の強いものでしたが、

アイランドビューの車両は新しいものでした。

ターミナルもそうですが、桜島の設備は、最近どこかで一新したのかな?

 

帰りのフェリーは通常便で。

そして、寒いのでデッキに出ることもなく、客室の先頭に、子供さん達と陣取って(笑)

鹿児島のゲリーターミナルに帰ってきました。

余談ですが、DQWを船上で見ると、

海に浮いている。。。

いえいえ、こちらこそお疲れ様でした。

 

ということで、桜島観光は以上です。

後は飛行機に乗って帰るだけではあるのですが、時間があるので、

昨日、バスチケットを買った天文館ではなく、鹿児島中央駅までフラフラ歩いて行って、空港連絡バスに乗ることにしました。

駅の近く、甲突川には、大久保さんの銅像が。

銅像も、西郷さん、篤姫、島津齊彬公、久光公、そして大久保さん、と結構見たなあ。

大河ドラマの篤姫で、瑛太が演じていた小松帯刀の像も見たかったけど、今更仕方ない。

(後で調べたら、西郷さんの近くにあったらしい。。。)

 

時に、、、

この鹿児島旅行をこの時期に計画した理由の一つですが、

桜の開花予想が三月末だったんです。

(東京より二週間遅く)

昨年も、同じ時期に福岡の大濠公園で満開の桜を見ましたし。

ところが、この二日間、桜はロクに咲いているところを見ませんでした。

この甲突川も桜並木の名所のはずなのですが、、、

さっぱり、でした。

東京に戻って、大田区、多摩川は満開でしたので、

開花時期に二週間のずれがあれば、鹿児島はまだ咲き始めなのかもしれませんが、

すでに四月。。。遅すぎない?

一週間経った現在はどうでしょうね。

 

以上、なんとなく、スッキリしない鹿児島旅行でした(苦)

最後に、鹿児島の印象は、、、桜島!

よく言えば”限る”、悪く言えば”だけ”かな(汗)

空港からのラストショット。

(二日間、雨曇りだったのに、帰る頃に晴れやがって)

ではでは


鹿児島旅行記(2/3)

2020-04-08 16:06:17 | 遠足・旅行

昨夕、非常事態宣言が出ましたが、我が身に特別な事はなく、普段通り、朝は散歩に出かけました。

行先の洗足池は、外出自粛になってむしろジョギング、ウォーキングの方々は増えたような感じは変わりませんね。

人間界はコロナで大変なことになっていますが、

自然、季節の移り変わりに変わりはなく、真っ赤なツツジが、弁財天の赤の併せて綺麗でした。

 

また、帰りに寄ったOKストアも、お客さんが多いようでもなく、

皆さん、割と落ち着いているのかもしれません。

ただ、OKストアでは、お客さんは多くはないと感じたものの、店員のシフトは減らしたのでしょうか、

開いているレジが少なく、レジ待ちは長くかかりました。

まあ、仕方のないことです(礼)

 

さて、昨日は、先週の鹿児島旅行の一日目、

齊彬公が祀られている照国神社、城山の展望台から眺めた桜島、そして鶴丸城跡の黎明館を紹介しましたが、

本日は、その後に向かった、仙巌園と尚古集成館の紹介です。

 

まず、告白しておきますが、(私に、よくあることながら)ある勘違いに、現地に行くまで気がついていませんでした(恥)

 

というのは、

鹿児島に行くことを決めてから、観光ポイントをあれこれネットで調べましたが、

城山(鶴丸城、黎明館)、桜島、西郷隆盛像などの定番の観光地名に加えて、

”世界遺産認定”という文字もよくみられました。

鹿児島の世界遺産って、屋久杉以外にあるんだ、くらいの感じでしたが、一応、行ってみようと、さっと調べると

”仙巌園”という場所が出てきました。

島津家の別邸で、綺麗な庭園と御殿、そして桜島の風景画美しいらしく、

私は、安直に、その庭園が世界遺産に認定されたものと信じてしまったのでしたが、その顛末は如何に(苦)

 

さて、黎明館を見学後、薩摩義士碑前のバス停から、シティービューに乗り、20分程度で、

(直接行けば、もっと早いと思いますが、色々な観光ポイントを伝って行くので)

仙巌園に到着しました。

庭園だけなら1000円、御殿の入ると1500円の入園料。

そりゃあ、世界遺産は隈なく観なければ、と1500円。

(券売機ではクレジットカードが使え、日本にしては、行政にしては珍しい、とちょっと感動)

 

園内に入ると、「世界文化遺産オリエンテーションセンター」というものがあり、

そこで基礎知識を得る際に、ようやく、気付きました。。。

世界遺産なのは、仙巌園ではなく、併設というか、このエリアに建設されていた産業施設の尚古集成館の方(汗)

 

欧米列強に負けぬよう、大砲を鋳造すべく建設した反射炉の跡、

日本での鉄鋼業だけではなく、世界に認められる(輸出できる)工芸品を、と薩摩焼や薩摩切子の製造を進めた窯跡、

そして洋式機械工場である旧尚古集成館本館など、

明治の産業革命を支えた、設備跡こそが”世界文化遺産”でした。

これを推進したのが齊彬公で、若くして亡くなったのに、すごい人物だったのですね。。。

 

ということで、世界遺産の見所は、庭園や御殿ではなく(世界遺産でもない)

この反射炉跡、です。

オランダ語の技術書を、翻訳しつつ、トライ・アンド・エラーで、自分たちだけで開発、建設したというのは凄い。

敵ながら天晴れ、感心しました(感)

薩摩でこんなことしている時、会津はまだまだ侍の世の中でしたからね。。。

反射炉のために、水力発電もしていたそうな。

 

なお、仙巌園は世界遺産ではありませんでしたが、

(これから紹介していきますが)美しい庭園と御殿ですし、

工業設備跡、和式庭園+洋風文化が共存している、この仙巌園と尚古集成館の敷地全体が、絵も言われぬ味わいを醸し出しており、

反射炉跡だけみても、偉業は偉業でも、感動は薄かったかもしれません。

 

仙巌園のエリアを巡ります。

正門です。(先に入ってきたところは、現施設の受付)

綺麗な日本庭園の始まり始まり。

御殿の敷地に入る門で、錫門(すずもん、現地では読めなかった)

江戸城の大奥になんか似ていて、ここから先は当主(と後継ぎの嫡男)しか潜れなかったと。

こちらの御殿は、よくいうところの”奥座敷”なんでしょうね。

門を潜って目に入った建物、これは御殿ではなく、(後で立ち寄ったら)薩摩焼や薩摩切子のブランドショップでした。

こちらが御殿の入口ですが、

まだ入らず、庭の方に回ります。

風情があります。。。

 

で、御殿から、庭先からは、桜島が望めます。

錦江湾を池、桜島を山に見立てた造りですから、優雅と言うか、、、むしろダイナミック。

ダイナミックといえば、この自然石を使った石灯籠、デカイ。。。

獅子乗大石灯籠というのですが、傘の大きさは畳8畳分あると。

望獄楼。琉球国王から贈られたもので、齊彬公と勝海舟の会談はここで行われました。

庭園内を進んで、振り返ると山肌に文字が見えます。

千尋巌、と読めます。

揚子江の”赤壁”の文字のように、岩肌に文字を書くのは中国文化で、日本では珍しいそうです。

(大名庭園としては、ここだけ)

 

御殿の庭園を離れて、広い意味での仙巌園の敷地を歩くと、

石を巧みに使った造形美が鑑賞できます。

自然なものもあれば、

人工的なものもあり、

また、尚古集成館の設備の名残もそこ彼処にみられます。

なんだか、ギャップというか、江戸時代の和風の中に、近代的な洋風が混じり合っているような、、、

この感じって、なんだろう?

と思いつつ、石垣が苔むしているところで、、、

そうだ!ラピュタだ!

異論反論はあろうかと思いますが、私がラピュタっていうのわかりますよね。

石の建築物が苔むして、、、って感じで(感)

いや〜いいですね〜(はるばる来た甲斐がありましたよ)

 

さて、敷地の先端は、桜島展望ポイントと案内がありましたので、行ってみました。

ほんと、近い。

この日は、ちょっと雨が降ったりして上の方が曇っていますが、山肌、街並みはくっきり見えます。

(それだけ距離が近い)

 

尚古集成館絡みの建築物以外にも、いろいろありまして、

これは曲水の庭とか(ここで宴を開いて、歌を詠んだのでしょうか)

御庭神社。いい感じに寂れていて、かつ木漏れ日で柔らかく明るい(感)

これは、、、猫神さま。

島津義弘が秀吉の朝鮮出兵の際に、猫を七匹連れていき(瞳孔の開き具合で時刻を測った?)、生きて帰った二匹を祀ったと。

猫神様は日本でここだけ出そうな。。。

 

さてさて、敷地は一周したので、〆は御殿内の見学です。

順路としては、祐筆(秘書、記録、代筆する人)の間の方から。

中庭をぐるっと回るように各部屋を拝見します。

祐筆の間とか、家臣の詰所は展示場のようになっていました。

ニコライ2世に贈った薩摩焼の複製とか、

雛人形とか、

神社に奉納されていた神馬(の模型)とか。

 

それらを眺めながら進むと、謁見の間があります。

畳の上に、洋風のテーブルと椅子、そしてシャンデリアってのはオツですね。

(畳、痛まなかったのだろうか)

ここで、ふと現れた係員の人が、掛け軸の書は、島津忠義(明治維新の時の藩主、齊彬の甥、久光の子)直筆の書だと言っていました。

が、そんな貴重なものを、海に面した屋敷で、そのまま掛けて展示しておいていいのだろうか?

と思い、訊ねてみましたが、「そうですよね〜」って、あなた何者?(笑)

以降、生返事をしながら(苦)、しばらく、庭園越しに桜島を眺めていたら、

また別の係員が話しかけてきて、先に述べた、錦江湾を池、桜島を山に見立てて、、、を話し出し、

そこから、コロナの話題などをしつつ(鹿児島に感染者がいないのは、検査していないだけですよ〜って、ちょっと。。。)

「折角来たのに、雨模様なので、桜島が曇っていますね」と言ったところ、

「いえいえ、山裾までこんなにハッキリ見えるのはなかなかないですよ」と。

南の方を指差し「向こうに見えているのは、薩摩富士と呼ばれる開聞岳で、薩摩半島の南端ですから、天気には恵まれましたよ」と。

そうなのかな?

個人的には、青空をバックに、桜島から噴煙が上がっている方がよかったのだけどね。。。

 

御殿の見学に戻り、残るは生活スペース。

寝室。

先ほどの洋風テーブルから、ベットを期待したけど、布団でした。

なお、島津忠義さんは、近代化を推進し、科学や新しもの好きだったらしいのですが、

終生、髷を結って、日本文化や侍としての矜恃は損わなかったらしく、

そう言われてみると、ベットではなく、布団というのも納得(していいのか?)

これは風呂場。湯船ではなく、掛け湯のためでしょうね。

これは、、、居間だったかな?化粧の間だったかな?

どちらにしても、ここはソファですね。

正座するより、腰掛ける方が絶対に楽だろうし。

そこは洋風?

玄関先の間(玄関の間)は、元々は世継ぎの部屋。甲冑は忠義着用の複製品とのこと。

というところで、御殿を一周して玄関まで戻ってきましたので、御殿見学おしまいです。

全般的に面白かった。。。ラピュタっぽさが特に(笑)

 

雨曇りで、身体が冷えてきたので、ここで帰るかどうか迷いましたが、、、

尚古集成館の本館もみなければと、バスは30分後の便へ。

中は、撮影不可でしたが、工場の機械などが展示されていました。

反射炉のところで書きましたが、輸入してきた機械ではなく、手探りで作ったのって、やはり大したもんです。

そういう先人の努力と苦労の先に、日本の未来があったのですね(感)

 

さて、シティービューに乗って、鹿児島市内に戻ります。

(本日の観光はおしまい)

ホテルは天文館の方なのですが、手前のフェリーターミナルでバスを降りて、翌日の予習です(苦)

15〜20分間隔で、フェリーが頻繁に行き来しています。

24時間運行って凄いけど、そんだけ需要があるのだろうか?

翌日乗るつもりの、よりみちクルーズ(一日一便、15分で桜島に着くところ、50分かけて湾内をクルーズして桜島に到着する)は、何分前くらに来れば、余裕を持って乗られるのか、念のために切符売り場の人に聞いてみたところ、

「5分前に来れば、十分ですよ」

「切符を買う時間とか含めてですか?」

「ええ(笑)」

その理由は、別途、そのくだりで書きますね(苦)

 

フェリーポートから歩いて何分でホテルに着くか、というより翌日、ホテルから何分でフェリーポートに着くか測るため歩いてみたところ、

途中、ドルフィンポートという海沿いのショッピングセンターに通り掛りました。

「15年のありがとう!グランドフィナーレ」とありますが、この時は一体なんのことかわからなかったのですが、

ホテルに着いて、テレビのローカルニュースを見ていたら、

運営会社と鹿児島県の、県有地使用契約が15年で切れるので、この日が最後の営業だったと。

それほど儲かっていないところ、県から値上げ求められて折り合わなかった、ってところかな?

グランドフィナーレにしては、あまり人がいる雰囲気ないし。。。

 

で、天文館の方に向かって歩き出したら、すぐ天文館でした。

フェリーポートから15分も歩いていない近さ。

なお、事前情報で、鹿児島イチ、九州で有数の娯楽・歓楽街と聞いていたのですが、

コロナの影響もあってなのか、あまり栄えてはいないような?

東京に帰ってきて、改めて天文館をネットで調べると、空洞化が進んでいると、、、ドルフィンポート合わせて、繁華街のエリアが別の場所(鹿児島中央駅の方とか)にシフトしているのでしょうか。

なお、ホテルは通り過ぎていたので、引き返しました(ドルフィンポートからすぐだったので、フェリーターミナルへは10分かからないな)

 

ところで、テレビでは、ドルフィンポート廃業のニュースと同時に、御楼門の修復が本日完了し、4/11に式典を行うとのニュースもありました。

旅行の日程として、3/31故に、年度替わりのイベントを間近にできたと喜ぶべきかどうか微妙なところです(苦)

では、次は、二日目、桜島の紹介です。

ではでは


鹿児島旅行記(1/3)

2020-04-07 15:32:05 | 遠足・旅行

東京は非常事態宣言が出るようですね。

でも、小池さんのロックダウン発言からしばらく経って、当初は買い占め、買い溜めに走った方々も、

そんな事をする必要がなく、またすべきでない事を報道から学んだのか、

今朝のOKストアは、ちょっと混んではいましたが、それ程ではありませんでした(堵)

先週は品切れだった納豆も、いつもとは別ブランドですがたくさんありましたし。

 

でも、ティッシュとかトイレットペーパーも、あるとは言っても、違うブランドの商品が並ぶのは、何故なんでしょうね?

普段、売れているブランドのは、何か別に優先度のあるところ(店、施設、販売チャネル)にまわされるのかしら?

 

まあ、それはさておき、

すでに一週間が経ってしまい、その間、別のイベント(奥さんの実家の法事)もあったので、

記憶に、やや新鮮さが薄れた恐れはありますが、

ようやく鹿児島旅行記を始めます。

 

まず、何故、この時期に鹿児島だったのかですが、

JALのマイルが切れるので、どこかに飛行機で行こうと計画したのが二カ月前。

行ったことがないところへ、と思い、一月には高知へ行き、

今回は、鹿児島にしました。

土佐、薩摩と行ったので、次は長州(山口)かな(後一回分のマイルがあるので)

敵地巡礼とでも言いましょうか(苦)

そして、コロナに関してですが、

決して甘くは考えていないのですが、私の日常は、散歩で出歩くものの、他人と接する機会はほぼなく、

奥さん以外からの感染確率は非常に低いので、おそらくキャリアにはなっていないはず。

(奥さんにも、そんなに近づかないし(笑)、奥さん自体かなりの潔癖症で、手洗いばっかやっているし)

それに、鹿児島の感染者が一名で、あちらで罹る確率も低いかな?

そして、人混みで不安症が出てしまう私ですが、人が少ないなら、むしろ今がチャンスかも。

折角、重たい腰をあげたので、行く前は自制、行っては自衛することにして出かけようかと思った次第です。

 

当初、旅程としては、

空港から路線バスを乗り継ぎ霧島神宮をお参りし、

電車で鹿児島市内に移動したら、午後に市内、二日目の朝に尚古集成館に行き、

一日一便のクルーズフェリーで桜島に渡って、ぐるっと回って、帰ろうと、

路線バス等の時刻表と睨めっこし、それはそれは綿密(厳密)な旅程を組んだのですが、

(これほど公共交通機関で観光地に行けないのは、、、車前提なんでしょうね)

直前で、予約したJALの鹿児島行き第一便が減便してしまったことにより(汗)

結局、空港連絡バスで鹿児島市内へ。

初日は、鹿児島市内観光、

二日目は、桜島という、割と余裕、余白の多い大雑把な旅程にしました。

また、鹿児島市内も桜島でも、観光ポイントを勝手に回ってくれるバスを使ったので、あれこれ行先、行き方も考え込む必要はなくなり、

私にとっては珍しく、公共交通機関の時間に追われぬ旅行になりました。

 

では、始まり始まり〜♪

 

朝一のフライトがキャセルされ、後の便に混ぜられたので、

普段起床している時間に起きて、羽田へ向かいました。

久しぶりの電車でしたが、時間が早いせいもあるとは思いますが、人は少なかったですね。

そして、空港も。

 

飛行機は、減便の影響もあるのか、そこそこ乗客はいましたが、

それでも、二人がけ、三人がけに一人以下、って感じで、ゆったり。

機内の飲み物サービズも、接触を避けるためでしょうか、コップに注いでではなく、紙パックのお茶が配られました。

(行きも帰りも、私は二個ずつ貰ったのですが、あれは何故だったのだろう?周りの人はもらっていなかったけど。。。)

それと、ちゃんと換気しています、と言うようなアナウンスもありました。

気圧、気温の関係があるので、飛行機の中の換気ってどうなんだろう?とは思っていたのですが、

後日、ネットで調べると、新幹線よりは飛行機の方が、ちゃんと喚気できているそうな(驚)

 

ところで、たまに飛行機に乗って、雲海とか眺めると、自然の造形美を感じられていいですね(感)

それと、いい写真は撮られなかったのですが、

着陸間際に、鹿児島の街並みが台地の上にあることがよくわかりました。

わかったと言うより、むしろ驚きかな。

私の田舎、東北地方は山あいですが、人が住んでいるのは盆地なので、山の間々に集落が見られるものですが、

鹿児島など九州南部では、海岸線から急に土地が盛り上がって、その上に街並みが広がっていて、

その異なる雰囲気に驚きました。

(そのシラス台地の成り立ちは、桜島の噴火の歴史と一緒に、今回勉強できましたが、それはまた別途)

 

そして、定刻通りに飛行機は鹿児島空港に到着し、

市内に向かうために、空港連絡バスの乗り場へ急ぎます。

飛行機が10時に到着し、バスの時間は10時10分。

ただ、どの空港も、到着便の時間に合わせるので、急ぐこともないかと思いつつも、

トイレにも寄らずに、直行して実は正解でした。

バスは、私を含めて、乗客僅か2名で定刻に出発(驚)

急いでやってくるお客さんに運転手が「後続のバスをご利用ください」って。。。

でも、その意味はわかりました。

時刻表を見ると、連絡バスの運行会社が複数あり、10時10分のバスと、後続のバスは異なる会社でした。

なので、お客さんを待ったりすると、後ろのバス会社のお客さんを奪うことになるので、是が非でも定刻に出なければならないのでしょうね。

でも、そう言う競争(?)があるなら、値段(を含むサービス内容)も変えればいいと思うのですが、そこは共通のチケット1300円なんですよね、なんか変なの。

 

空港から鹿児島中央駅へは45分位で到着。

一日目の市内観光は、シティービューと言う観光バスを使おうと思っていたのですが、

(主要な観光ポイントをぐるぐる巡回している)

30分に一本なので、11:00のバスに乗りたくて、空港連絡バスの降り場から、ダッシュ!

で、なんとかセーフ(青いのが入ってくるところ)

市電、市営バス、シティービュー(観光バス)乗り放題で600円。

でも、結果的にはシティービュー(190円/回)に3回乗っただけだったので、運賃としては損しました。

が、黎明館の割引、翌日のフェリーの割引があったので、ちょっとだけお得でした(苦)

ちなみに、まち巡りバスと言う、ルートはほぼ一緒、でも共通ではない別の観光バスがあり、乗り間違えしないよう注意が必要でした。

 

そして、シティービューで最初に向かった場所は、照国神社

幕末に、西郷、大久保などの人材登用を行い明治維新への道筋を作り、薩摩藩だけでなく日本の近代化をはかり、日本の産業革命を牽引した第11代藩主、島津齊彬公が祀られています。

”西郷どん”では、渡辺謙が演じたのかな(観ていないので)、私にとっては、”翔ぶが如く”の加山雄三のイメージが強いですね(弟の久光が高橋英樹で、その組み合わせもバッチリ合っていた記憶があります。ただし、西田敏行が西郷隆盛役だったのは、福島出身者としてはいただけなかったな(苦))

 

で、照国神社へは、その西郷隆盛像前で降ります。

軍服なので、上野の浴衣に犬を連れた西郷さんとはちょっと印象が違って、キリッとした感じがしますね。

なお、DQWの鹿児島土産を拾うポイントにもなっています、念のため。

 

そこから通りをちょっと駅の方に戻るところに(バス路線ではなく)

照国神社の大きな鳥居があります。

敷地も広いですね。

裏手は、城山(麓の鶴丸城の後詰の城、また西南戦争で西郷隆盛が籠って、自刃した場所)ですが、厳かなはずの神社を見下ろすホテルがなんかアンマッチに思えて。。。

 

さて、山門を潜って、

拝殿があります。

山門からの境内はそれほど広くなく、拝殿(本殿)もそんなに大きくはないのですが、

空間的には、なんだか開けた感じで、不思議です。

一応、お参りしました。

 

入口の方に引き返すと、資料館があり、齊彬公や島津家に関する資料の展示、それといくつかのビデオが上映されています。

時間があれば、ビデオをそれぞれ鑑賞することをお薦めします。

わかりやすく、面白かったです。

しかも、入館はタダですし。

ただ、展示そのものは、パッとしたものではなかったな(残念)

国宝の国宗、レプリカでもいいからモノで観たかった。。。

 

境内から、鳥居の方へ向かって左の方へ出ると、齊彬公の銅像があり、

その先は、ちょっとした庭園になっていて、そちらには久光公(弟で、藩主の息子と一緒に、兄の遺志を引き継いだ)の銅像があります。

 

そして、次は城山に登って、展望台から桜島を望観するのですが、

ネットで調べると、この庭園の裏に遊歩道の入口のひとつがあるとあったので、多分こっちかな?と右へ右へと歩いて行くと、標識があったので、それに沿って歩くと、城山公園の入口がありました。

そこから遊歩道を進むこと、約1キロで展望台につきます。

途中、チラチラと桜島が見えます。

そして、展望台からの雄姿です。

まあ、空港連絡バスに乗っていても、見えてはいたのですが、こうして見ると雄壮ですね。

想像より大きいし、そして近い、です。

後ほど、資料館等の説明書きを読んでなるほどと思うのですが、

県庁から4キロの距離に活火山があるところは、他にないと言いますか、最短らしいですね。

まして、麓には人が住んでいますし(汗)

いずれにしても、驚きです。

 

しばらく眺めて、遊歩道をもうひとつの入口(出口?)の薩摩義士碑の方へ降ります。

この”義士”ですが、明治維新絡みかと思い込んでいたのですが、違いました。

幕府から命じられた木曽川などの改修工事で命を落とした人達の慰霊碑でした。

で、こちらから降りた理由は、

次の目的地、鶴丸城跡、

そして、黎明館(博物館)の入り口にあるからです。

鶴丸城は江戸時代に入って、薩摩藩が成立した時にできた城で、

戦国時代好きの私に馴染みの内城(戦国時代の島津氏の本拠)ではないのが、残念ではあります。

天守も再建されていないし、御楼門(大手門ではない?)も修復工事中でした。

上は敷地内から、下は外から。

石垣やお堀も、九十万石の大大名にしては小振りのような(内堀だから小さいのかな?)

石垣に、ボコボコ穴が空いているのは、西南戦争時の銃痕とのこと。

会津戦争での、会津と薩長との火力の違いは凄かったようですが、西南戦争は、更に武装の違いは大きかったでしょうね。

なお、内城跡地は、鹿児島駅(栄えている鹿児島中央駅の隣の駅)近くの学校になっているらしく、あえて観には行きませんでした。

 

敷地内には、西郷隆盛、島津齊彬、島津久光に続いて、篤姫の銅像がありました。

(観光ガイドには、銅像巡りコースが紹介されていました)

 

さて、黎明館に入ります。

(シティービューの乗車券で、400円→300円)

他県の博物館同様、時代を追って展示が進みます。

こう言うコロナの影響は、残念ですね。

入口でも、係員からチケット受け取る時、「ルールなので」と、まず手のアルコール消毒を求められましたし。

仕方ないけど。。。

 

館内、やはり、一番じっくり観たいのは戦国期ですね。

でも、ここで係員の方から注意を受けました。

このような展示物(↓)は撮影可なのですが、ショーケースの資料は撮影不可だと。

え〜、なんで〜、複製や説明パネルなのに、、、と言う気もしますが、これも仕方ないです、ルールなので。

まあ、私の好きなジオラマや模型は撮影していいので、じっくり鑑賞し、撮影もさせていただきました。

なお、これは”内城”の模型です。

戦国期の山城のスケールとしては、結構大きい方ではないかな。

模型から感じられる雰囲気は、春日山城に近い。

この城跡を周りたいものですが、、、土地が造成されてしまい存在しないものは、これも仕方ない。。。

 

なお、模型、ジオラマは精密なもの、大きく迫力のあるもの様々でした。

昔の家屋の造りがわかる細かな模型。

九州最大(?)の繁華街、天文館のレトロな街並み(1/2スケールくらいで、かなり大きい)

街並みかな?城内だったかな?

これは城館。

という事は、外の石垣、堀、楼門は城郭のではなく、城館のだから小さいのかも。

(でも、外堀とか、大規模な石垣は街を歩いていて目に入らなかったな。。。)

なお、写真に撮ることができた模型やジオラマに限らず、パネル展示、資料展示も豊富で、総合的にかなり楽しめる博物館でした。

 

二階に上がると、文化、風土系の展示が充実。

このフロアはどこまで撮影可なのかよくわからなかったのですが、

ショーケースに入っていないものは大丈夫だろうと。。。

 

いろいろ面白かったので、一時間くらいの予定が、三階の展示(刀、絵画、書など撮影不可なものがほとんど)も含めて、二時間以上鑑賞しました。

で、ちょっと時間が押した感があり、次の目的地、仙巌園へ(というかバス停へ)慌ただしく向かうことになりました(汗)

 

というところで、長くなりましたので、今日はここまでをさせていただきたく。

次回は、島津家別邸であった仙巌園と、世界文化遺産の尚古集成館を紹介したいと思います。

ではでは


余滴

2020-01-29 16:26:00 | 遠足・旅行

今日は、朝方は雨が残り気温も低かったのですが、

午前中、早いうちに青空が見え、気温も18℃くらいまで上がったので、

(一末とは思えない、空と雲)

朝の散歩だけでは、気持ちが収まらず、午後も出かけてしまいました(苦)

 

さて、タイトルに”余滴”などと格好つけて書いていますが(小説の後書きとかにあるように)

高知旅行記の、”はじめに”がJALのスマホスタンドについてで、

終わりに(余滴)は、お土産の話です。

 

会社員だった頃は、年休を取って旅行に行ったり、盆正月の帰省した時は、

周囲が、どこかに行ったと認識していて、お土産を配るのが常識的な雰囲気があり、

また、職場の皆さんがそうしていたので、

駅で、パッケージはその土地っぽいが、中身はどこでも一緒の、配りやすいお菓子を買っていましたが、

週末に出かけたところでは、強いてお土産を配って、どこどこ行ったと周知する必要もなく、

また、自分のために買う必要性もないので、普段は何も買わないのですが、

(奥さんは違って、会社へのお土産としてのお菓子、地名やゆるキャラのグッズ等々、呆れるほど買います。で、荷物の少ない私が持たされます。そんなに買うなら、持ってくる荷物をもっと減らせよ、と言っても、そういうマネジメントができない人はは言うだけ無駄です。。。)

 

さて、この高知旅行で、土地のものとしては、

日曜市で田舎寿司は食べたものの、ひろめ市場では、その活気と混雑ぶりから不安障害が出てしまい、

土佐と言えば、、、鰹

を食べず仕舞いであったところ、

空港連絡バスを待つ高知駅でも、龍馬空港の荷物検査場前でも、

これでもか!と鰹の加工品がお土産として売っており、

こればかりは、買わない訳には、家で食べない訳にはいきませんでした。

 

そして、気持ちを惹かれたのが”生節”

これは鰹の燻製ですね。

鰹節も燻製と言えば燻製ですが、ソフトな燻製です。

本当に色々な商品が売られていました。

四つ割の大きさで、650円から700円。

空港の売店で、帰って自分ですぐ食べる用(大蒜しょうゆ漬け味)、後で奥さんと食べる用(ゆず醤油味)を購入。

(高知駅はキャッシュレス還元がありませんでしたが、空港の売店は5%還元だったので、”うまくやった”気分)

 

帰宅後すぐに一本を開けて食べ始めましたが、

ソフトと言っても、シーチキンのように柔らかいものではなく、

結構、固めで、味が凝縮されており、食べ応え、味共に申し分なく、旅行で疲れた身体に、ビールを共に吸収されていきました。

自制しないと、一本食べ切ってしまい、さらにビールが進めば、奥さんと食べるためのもう一本にも手を出しそうだったので、半分食べたところで、そばを茹でて、強制ストップをかけました(苦)

 

そして、半分は翌日の夕飯として、ダイニングテーブルのMacを囲む、いつものフォーメーション。

 

お土産としてでなければ、晩酌の肴に650円は、ちょっと高いかなというところですが、十分満足の美味しい一品でした。

 

なお、残りに一本はまだ手付かず。

先週末に食べるつもりでしたが、何故が”カレー魂”が湧き上がってしまい、久しぶりにカレールーからのカレーだったので(家でカレールーから作るカレーって、一食では終わらないし)、生節はお預け(一緒に食べてはもったいない)

今週末こそ、和風な何かと合わせて食べるつもりで、

冷蔵庫を開けても、目に留まらないよう気をつけています(目に留めたら、食べちゃいそうで)。

ではでは


高知旅行記⑥(岡豊城跡、歴史民俗資料館)

2020-01-28 17:06:56 | 遠足・旅行

さて、いよいよ高知旅行記の最終回です。

高知城もいいのですが、戦国マニアの私としては、長宗我部氏の居城であった岡豊城は外せません。

ここまで、高知での長宗我部元親の扱いがあまり良くないと感じていましたが、岡豊城跡に建つ歴史民俗資料館ではそんなことはない、と期待しましょう。

 

高知駅バスターミナルから”とさでん”の路線バスに乗って30分くらいの郊外に、岡豊城址、歴史民俗資料館があります。

降りるバス停は、”学校分岐”というのですが、そこまでの土地勘は全くのゼロですから、うっかりスルーしないように、歴史民族資料館のHPに記載のあった、料金440円を参考にします(料金が440円に上がったら、近いと)

 

で、外の風景そこそこに、料金パネルを注視していたのですが、、、

440円になっても、学校分岐という案内(あのバスの中で流れる「次はあ、〇〇〜、次はあ、〇〇〜」)がなく、440円を超えて上がっていきます(焦)

えええ?間違ったバスに乗ったのか?でも、とさでんのカウンターの女の子、2番ですって言ったよな。。。

酷い不安に駆られ、信号で停まった時、運転手さんに「これ、学校分岐に行かないんですか?(泣)」と聞くと、

「お城のところ?全然、まだだよ(笑顔)」

はあ?

結局、580円のところでした。

県立なので、県職員さんが管理元かな。HPの情報はアップデートしておいてよ。不安障害が発症しちゃうよ。

山城跡(隣?麓?)に作られた資料館なので、坂道を登っていきます。

途中、香川親和(長宗我部元親の次男)のお墓があり、寄り道しました。

(元親以上、というか元親以上に”以下”の扱い。まあ伝承らしいから)

親和は、嫡男の信親が、九州討伐の際、戸次川の戦いで討ち死して、家督を継ぐのは自分だと思ったでしょうね。

でも、元親が、四男の盛親を溺愛していて、盛親が家督を継いで、親和は失意のうちに亡くなったと言われています。

なお、三男の津野親忠は、関ヶ原の直前に盛親(の命と言われているが、私は家老の久武親直の独断だと思う)に殺されて、戦後、それを理由に改易されたんですよね。

なお、元親の家老であった、兄の久武親信は、自分が死んでも弟に家督を継がせないように(主家を害をなすから)と元親に言っていたのに、親信が死んだら、久武の家督を継いでしまい、盛親の家老になって、兄の懸念通り、主家を滅ぼしてしまった。司馬遼太郎の「夏草の賦」にも、このエピソードが出てきたと記憶しています。

信親はもとより、元親の親の国親、弟の香曽我部親泰、吉良親貞、そして四人の息子は、私が思うに優秀で、だからこそ、国親、元親兄弟で土佐を統一し、息子たちも信長みたいに近隣の豪族に配して、土佐を統一できたと思うのですが、

よくある、跡継ぎ問題で、家臣団も巻き込んでおかしくなって、滅びくして滅んじゃった気がします。

その点、似たような戦国大名家の島津とか毛利(薩長!)は、難局を親子、兄弟、一族の結束で乗り切った感があります(関ヶ原の戦後処理だけでなく、戦国大名として九州、中国を制する過程でも)

長宗我部も四国を制するまでは良かったのに、嫡男の信親が亡くなって歯車が狂ったかな。その点、毛利は隆元が亡くなっても、嫡孫輝元を立てて上手くいったから、そこが元就と元親の器量の差だったのかも。

 

この手の話は、語り出したら止まらなくなってしまうので、ここまで。

 

途中、(移設されてきた)古民家なども眺めつつ、

歴史民俗資料館に到着しました。(企画展の「遠流の地 土佐」って凄いね。それに関してはまた後ほど。それと、この時、もう少し丁寧にこの掲示を見ていれば、、、)

階段を登ると、資料館の入口、元親像(やっぱり、槍だね)、岡豊城跡の入口(更に奥の階段)があります。

まずは、資料館より、岡豊城へ。

 

ニノ段(曲輪だから二の丸とも言えますが、戦国初期の山城は、近世城郭とはちょっと異なります)に入るところの堀切。

こういうのに「おおっ」と声が出る私も、立派な城マニアでしょうか。

(高知城歴史博物館のビデオでは、城マニアとして名高い春風亭昇太が高知城の解説していましたね)

ニノ段はひらけていて、

かなり眺めがよろしい。

土佐を統一する、それ以前、外敵からの防御ということでは、立地の良い山城だったのでしょうね。

ただ、土佐を統一して、阿波、讃岐、伊予に侵攻するには不便で、

実際の本拠は、信長が美濃攻略のために那古野城から小牧山城に移ったように、

四国を結ぶ街道の要所、阿波の白地城でした。

そして、秀吉の四国征伐の時は、阿波、讃岐、伊予の前線は、各国衆に守らせ、

土佐勢は白地城にあって、友軍のように、各個撃破を目論んでいたと言われています。

(私が”信長の野望”でプレイする時も、そんな感じ)

でも、上方軍の物量が圧倒的すぎて、各個撃破の前に降伏。

被害は、阿波、讃岐、伊予の国衆ばかりで、土佐の長宗我部はほぼ無傷だったそうな。

一応戦わないと家臣に対しても、秀吉に対しても格好がつかないので、征服した領地の国衆に一当てさせ、

はなから降伏のタイミングを計っていたかのような狡賢さも感じられます。

まあ、土佐の軍勢が無傷ったことで、秀吉も土佐まで深追いして戦が長引くことを避けられ、その後の九州征伐への軍勢の温存ができたところで、元親も秀吉も落とし所が合ったのでしょう。

はい、この話も長くなる前にやめます。

 

(たしか)詰下段を経由して(詰が本丸。詰下段は武者だまりみたいなものかな?)

三ノ段。国分川の方面から登ってくる敵兵を迎え撃つ曲輪だったり櫓でしょうか。

そして、本丸の詰。

これは三ノ段の一部ですが、建物の礎石がみられます。

発掘作業で、地鎮祭(?)で埋めた銭貨が見つかったとありました(建前で撒いたのではなく)

石碑を仰ぎ見たとところで、岡豊城跡見学は終了、資料館に向かいます。

思ったより時間をかけてしまいましたが、昼ごはんを抜いて、予定より一本早いバスで来て正解。

岡豊城と民族資料館は、早足で終わらせたくないから。

 

歴史民俗資料館です。

入館料は、企画展があるので520円のところ、前日のMy遊バスの切符で420円。

入口から入ると、そこは2Fで、長宗我部氏に関する常設展示がありました。

伝承ながら、元親初陣の兜とか、信親の甲冑とか展示されていました。

滅んで後、200年山内氏が治めたとは言え、長宗我部氏興隆期の地元ですから、お寺とかに伝わっていてもおかしくはないかと。

(故に、後世に作り上げることも、またあり得ますけどね)

なお、写真撮影は、この本陣(再現)以外は不可でした。

上記のように、長宗我部氏にまつわる展示のレア度はなかなかでしたが、多くはありませんでした。

(それに、長宗我部元親の肖像画は、龍馬記念館に貸し出されているとありました。そう言えば、あちらの企画展で展示されていましたっけ)

まあ、改易されたので、高知(土佐)には先の支配者のものはそんなに残ってはいないのでしょうね(お墓の扱いから見ても)

 

3Fの総合展示室に上がると、さすが歴史”民俗”資料館”(岡豊城後にあるので、勝手に長宗我部ものが充実と思い込んでいましたが)、

土佐の考古、歴史、美術、民俗に関する展示が充実しています。

龍馬空港の辺りは、拡張工事の際に発掘された縄文時代の田村遺跡群があるそうですが、かなりの規模ですね。

それと、環溝(かんこう)屋敷跡も発見されていると。

佐賀旅行で吉野ヶ里遺跡に行った時、あちらは弥生時代ですが、環濠(かんごう)で曲輪(集落)が囲われていました。

集落を作りつつも、屋敷毎に溝を掘った縄文時代から、曲輪(集落)を濠で囲った弥生時代に、家族や個人の生計から、集団生活とか階層社会への変遷が見えて面白いですね。

 

これは1/800スケールの高知城下町の模型(天保元年(1830年))

狭い平地に、民家がぎっしり、という雰囲気。

 

このでっかい網籠は何だったっけ?

鰹漁に関係することは確かなんだが。これに鰹を入れたとすれば、そのインパクトから忘れるはずはないのだが(汗)

(一週間以上経ってしまったからな。。。)

鰹の一本釣りのジオラマ。

昔は、鰹の一本釣りの模様は、昔はテレビでよく観たけど、今はもう観ないね。。。

 

高知城歴史博物館では”おめでたい”企画展をしていましたが、

お殿様の所蔵品ではなく、こちらは民間の”おめでたい”日のグッズです。

朱漆が如何にもめでたい感じ。

左下の鯛の形の入れ物は、お造りを盛りつけていたそうです。

さすが”民俗”にフォーカス。干支のねずみグッズも充実。

そして、私の土佐のイメージのひとつ、民間信仰とか儀式とか妖怪とか。

一般的なイメージとしては、長宗我部氏、坂本龍馬、武市半平太、鰹、四万十川・・・

下段中央は、「坊さん、簪買いおった〜」の民芸品(企画展の方で、由来が説明されていました)

これも高知と言えば、ですね。

 

次に、1Fの企画展「遠流の地 土佐」。

なかなか自虐的(?)なテーマです。

ただ、私にはしっくりきます(苦)

 

うちの奥さんは和歌山の出身ですが、その和歌山をディスる時、

紀伊と土佐は、紀伊水道を介して実は近く、どちらも山隘で土地は痩せて、食文化(鰹)も似ていて、

紀伊は都を追われた人が逃げ込む土地で、土佐は都で捕まった人が流される土地、

とよく言っておりまして。(和歌山と高知出身、お住まいの方、すみません、すみません、すみません)

 

で、この企画展では、承久の乱で流された土御門上皇、関ヶ原で流された毛利勝永(真田丸で、岡本健一が演じていた武将)、伊達騒動で流された伊達宗勝などなど、

流された背景とか、流刑先での生活とかを紹介し、その社会的、文化的な影響などを解説していました。

 

資料館を出た後から、毛利勝永の兜が展示されているとの掲示を見て、そんなのあったっけ???

写真撮影可と表示のあるものだけ、撮影可とあり、基本的には写真、文書はNGで、モノはOKだったので、見逃すはずはないのですが、、、

毛利勝永の陣羽織はありましたけど。

そして、3Fにも展示されていた、純信(前日に行った、竹林寺の僧)とお馬の人形が展示されていました。

でも、はりまや橋が舞台なので、仮にお坊さんの道ならぬ恋としても、遠流先が土佐ではなく、土佐からどっかに流された?

土佐の流刑には、時代劇でよく聞く”江戸所払い”みたいなのもあったと説明がありましたが、

この純信がどうだったのか、なぜ人形が飾ってあるのかは、この辺りの説明文からは分からずじまいでした。

(後で、調べると、一応、土佐から国外追放になっていました)

それと、”毛利勝永の兜”同様、純信が買ったものかどうかはさておき、”お馬のかんざし”も展示されているとありましたが、これも気がつかなかったな。。。

歴史民俗博物館に着いて「遠流の地って(苦)」と思った時、ちゃんと掲示板を見ておくんだった。。。

 

というところで、そろそろバスの時間ですので、資料館を後にしますが、

「長宗我部氏を大河ドラマに!!(署名受付中)」がありましたので、きっちり署名しておきました。

今年の「麒麟がくる」は光秀の幼少期が不明なこともあって、成人してからのストーリーですが、大河って、幼少期は父親が重要な役割を担っていることが多く、元親の父親の国親も一廉の武将でしたし、

幼い頃は姫若子と侮らたものの、戦上手の槍の達人、しかし、戦よりも調略と外交で領地を拡げた頭脳派、と色々な展開が描けるのでは。

また、明智光秀、家老の斎藤利三との関係も深く、そちらを外交の軸としても描けますし、

そして、信長、秀吉の世をきっちり生き切っているので、大河に適しているのような。

(ただ、描く期間が長くて、展開が早くなり過ぎる恐れはありますが)

とりあえず原作は司馬遼太郎の「夏草の賦」かな。

 

というところで、私の高知旅行はお仕舞いです。

一泊二日で、市場、城、寺、博物館、景色をバランスよく堪能できたと思います。

 

最後は、龍馬空港に建っている像。

また、龍馬か?と思いましたが、吉田茂でした(高知県出身だったんだ)

 

さて、次はどこに行こうかな。来月にはまたマイルが切れ始まるから。

でも、あえて飛行機ってなると、、、いよいよ薩長に乗り込むかな。。。

とりわけ、鹿児島は行ったことないし。

ではでは


高知旅行記⑤(高知城歴史博物館)

2020-01-27 15:56:36 | 遠足・旅行

昨日、お迎えした新しい家族は、

早くもお部屋に馴染んだのか、夜中ぶっ通しでホイールを回していました。。。

最近、自律神経が不調らしく、暑くもないのに寝汗が酷く、しかも下半身だけ、それが気持ち悪く眠れず、更に明け方には濡れた肌着、布団が冷えて、凍えるという状況において、

カラカラカラカラ・・・という音で、余計眠れませんでした(苦)

でも、ハノイ赴任時、当初は夜が開ける前から鳴り始まる、車のクラクションで不眠でしたが、そのうち慣れてぐっすり眠っていたので、ホイールのカラカラ音もそのうち慣れるでしょう(多分)。

それより問題は、寝汗ですが、何科に診療に行けばいいのだろう?

 

さて、高知旅行記の第五回です。

気がつけば、一週間前の話になってしまいました。

なんとか、今日、明日で完成させたいものです。

 

高知城を観て回った後は、追手門前にある高知城歴史博物館で、知識のアップデートです。

1Fはなんかよくわからないスペースで、展示スペースがある3Fにエレベーターで上がります。

高知城天守でセット券を買いましたので、ここでその半券を見せて(日付を見せて)入館します。

導入展示室というエリアです。

右手が年表、左手が様々な土佐の地図です。

これは、たしか幕府に提出した地図だったかな(一週間前で記憶が曖昧)

デジタル化されるには400年くらい待たないといけませんから、解像度関係なく詳細に作るとこのくらいの大きさになるんですね。

ところで、年表の方で、”秦藤交代”という言葉が何の説明もなく使われていたので、後で調べようと思ったのですが、

この後、見学した歴史民族資料館(山内氏の高知城ではなく、長宗我部氏の岡豊城の方)で説明書きがあってモヤモヤを引き摺らずにすみました(と言いますか、想像通りが確認できて)

簡単にいうと、

長宗我部氏の祖先は、始皇帝で有名な中国の秦王朝の流れを組み、大和朝廷において秦氏を名乗っていたが、土佐に入って長岡郡長宗我部に定着したことから、長宗我部を名乗ったと。

他方、山内氏は、平将門を討った藤原秀郷(俵藤太)(大河の”風と雲と虹と”では、露口茂がめっちゃカッコ良かった)の流れを組むと言われる。

なので、土佐支配が、秦氏から藤原氏に移ったということで”秦藤交代”と呼んでいるのですね。

 

続いて、通史展示室のエリア。

高知城歴史博物館ですから、高知城が建設された土佐藩(江戸時代)の情報、そして高知城についての詳細&模型が展示されています。

パネルの説明は非常に分かり易いです。

そして、龍馬記念館のところで触れましたが、子供向けの記述が、下の段に書かれてあり、そもそも歴史とか城に詳しくない人は、こちらを読み進めると面白く思えるのではないかと思いました。

 

私の好きな模型ですが、

外観に加えて、

天守の内部構造、

本丸から二の丸につづく多聞と詰門(だったかと)など、結構ディテイルに拘っています。

 

そして、その先にはテーマ展示室。

なのですが、展示品の入れ替えタイミングで開いていない。

って、おいおい。

映像コーナーのビデオで、素晴らしいの所蔵品、と言っておいて見れない?

パンフにも「甲冑や刀剣、能面、茶道具などの大名道具の世界、土佐の学者や文人の著作・書画など土佐の文化をご紹介します。」とあるけど、

見れない!?

なんてことでしょう。。。

この先の企画展のエリアに、刀剣はありましたが、全体的には”おめでたいものを並べた”イマイチな企画で、、、

入館料って、企画展が開催中は700円、開催していないと500円なんですが、

常設展がちゃんとやっていない時、イマイチな企画展で700円(セット券なので一応560円相当ですが)ってのは如何なのもか。

差し引きで500円(割引で400円)にすべきでは?

でも、それが分かっていれば、こっちは入らなかったかと言えば、

折角、高知に来たんだからと、わかっていても、仕方ないと入ったでしょうけど。。。

むしろ、それをHP等で確認していない私が、またしても用意周到か(苦)

 

まあ、気を取り直して、企画展「福を呼ぶ 城博のお正月」を鑑賞します。

めでたいものを並べているらしく、

花(めでたそうだけど、めでたいの?)

鶴と亀はめでたい。

一富士二鷹三茄子も、一応めでたい(家康にあやかって)

子年なので、ねずみの象牙彫。(干支がらみは、一応、縁起物と言っていいのかな)

そして、名刀それぞれ(めでたいのかは不明ですが、観たいものではあったのでOK)

兼光。思わず見入ってしまいます。

私はこのくらいの刃文(湾れ)が好きです。拵も見事です。

国宝の古今和歌集(めでたいお正月に百人一首、百人一首と言えば古今和歌集、って繋がり?)

(複製なので撮影可。一週早く来れば、本物だった。やはり自分の日程決めに問題があったのかも)

 

あとは、映像ギャラリーの博物館紹介ビデオを恨めしく眺めて(所蔵品自慢をされても、観られなくては。。。)

ちょっと高いところから、高知城を山内一豊像を観賞します。

角度はいいのですが、ガラス越しなので映り込みが残念。

と思いきや、

一階降りた、2Fの喫茶店のベランダ(喫茶店に入らずに出られる)からは、似たようなアングルで観られました。

喫茶店の窓際席に陣取ったおばさま方に怪訝な顔(邪魔だからどけって顔?)をされましたが(苦)

 

ちょっと消化不良感はありましたが、

この後の路線バスの時間もあり、これで高知城を後にします。

高知駅までは、歩いて15分くらい。

反対口のバスターミナルで、とさでんに乗って、歴史民族資料館(長宗我部氏の岡豊城跡)に向かうところ、

本日はここまでとさせて下さい。

次回、最終回になるかな。

ではでは


高知旅行記④(高知城)

2020-01-25 15:20:14 | 遠足・旅行

さあ、高知旅行の二日目です。

本来、高知に着いたら真っ先に訪れたい高知城でしたが、日曜市とか、My遊バスの時間などを考慮し、二日目に”御預け”でした。

 

天守閣に入ることができるのは、9時からなので、

先に、外観を堪能して、ちょうど9時に天守閣に入れるよう8時過ぎの出立です。

前日、日曜市で片側通行止めになっていた追手筋を追手門に向かって歩きます。

これは追手前高校。天守を模しているようですね。

本日も天気が良くて、こちらの青空に映えています。

 

程なく高知城に到着。

高知城は、天守と本丸御殿が現存している唯一の城であると共に、天守と追手門が現存している3城(丸亀城、弘前城)のひとつです。

そして、追手門越しに天守閣が撮影できることでも有名です。

こんな感じに、、、素敵です。

しばらく眺めていても飽きない構図です(感)

 

とは言え、そういう訳にも行きませんし、突っ立っていても寒いので行動再開します(苦)

追手門を潜る前に、右手に山内一豊像があります。

小説とか大河で描かれる山内一豊は、こんな勇壮な感じではないのですが、

まあ、戦国武将(のちに大名)でありながら、穏やかな像にするのもなんでしょうからね。

 

で、追手門を潜って、お城の敷地へ。

まず、目に入ったのが板垣退助像。

天守と一緒に納まるいい感じに建っています。

ところで、板垣退助って、お札になったのに、龍馬がらみではあまり出てきませんね。

むしろ、自由民権運動の方かな。

それに、上士の生まれだったから、郷士の龍馬との関わりはあまりなかったのかも(とは言え、郷士、下士には寛大で、龍馬の縁者の面倒も看たようですが)

 

天守まで、右回りに天守を仰ぎみながら歩きます。

鶴ヶ城など、でん!と全部が見えるのもいいですが、

曲輪を周りながら、石垣越しに天守を観ながら進むのもいいですね。

 

先に、山内一豊に勇壮な武士の印象がないと言った原因の、お千代像。

お千代といえば内助の功と馬。

一緒に建っているのが持参金の黄金十枚で、一豊に買わせた鏡栗毛ですね。

と考えると、主人を差し置いて、鏡栗毛の像は二体あると。。。

 

先へ進みます。

三ノ丸に来ました。

まだ8時台なので、日差しの角度が低く、眩しいぐらいですが、ちょうど天守に当たって綺麗に見えます。

三ノ丸には、排水溝とか、

長宗我部時代の石垣などがあります。

 

さて、ちょうど9時になりましたので、天守に入ります。

ひどい逆光でしたが、なんとか撮れました。

 

なお、My遊バスの切符は、一日券でも割引は二日間有効で、高知城天守、そして高知城歴史博物館共に、割引になるのですが、

ちょっと不思議だったのが、事前にHP等で調べると、セット券もあって、

セット券だと予め割引になっているものの、セット券にMy遊バスの割引を適応する情報がどこにもありませんでした。

ので、切符売り場で「どっちが得なんですか?」と聞いてみました。

「一緒ですよ〜」ということだったので、セット券を購入しました(必ず、博物館にも行くので)

 

高知城の天守は、望楼型といい、屋敷の上に楼閣(天守閣)が乗せられたような造りをしています。

なので、厳密に言えば、まず本丸御殿に入って、そこから天守に上ることになります。

ところで、その望楼型であることに関係するのか、

私の高知城天守の印象は、なんだかちょっと縦に長い(最上階の天井が高い)気がします。

近くでも見るとそうでもないけど、外堀から見るとなんかヒョロっとしているような、、、

気のせいかな。。。

 

さて、その本丸御殿内の展示ですがですが、やっぱり功名が辻から。

これは、羽子板の裏面と同じ造りだそうです。入るや否や話しかけてきたボランティアガイドさんによると。

 

私はいろいろ解説を聞くより、その場の雰囲気を穏やかに感じたいので、丁重に辞退して進みます。

展示自体はそれほど目を惹くものではありませんでしたが(籠とか、欄干の彫刻とか)

 

歴代城主がここで生活していたんだな、、、という雰囲気を感じられて良かったです。

そして、やっぱりあった大河の功名が辻がらみ。

仲間由紀恵の着た打掛。隣のポスター色あせています。

 

ところで、本丸に上がってからここまで大した時間ではないのですが、

足が冷たくて、冷たくて痛いほどでした。

いよいよ天守に入るのですが、滑って危ないと注意書きはありましたが、畳でこれだけ凍えるのだから、板の間は如何程かとスリッパを借用し、覚束ない足取りで天守に進みます(汗、じゃなくて凍)

 

天守の中に、鎧兜や刀が展示されているお城も多いのですが、その類は歴史博物館にあるらしく、ここにあったのは、、、

ワンフロアのジオラマ!

結構、大きめで、お城のディテイルもよくわかるジオラマ!

小さめの模型(と言っても、他に比べての話で)

いや〜、堪能しました。

 

まあ、これらは天守ならではのものではないのですがね(苦)

他方、内部三層六階の天守ならではというと、

途中の階で、鯱鉾や

瓦屋根の重なりを間近で見ることができます。

そして最上階へ。

 

最上階からの景色です。

まず、本丸とその方角。

登ってきたコースの三ノ丸の方角。

これから降りるコースの二の丸と詰門の方角。

建設されている建物は異なれど、山内一豊からずっとこの景色を見てきたんだな〜と(感)

それと、五台山展望台のところでも書きましたが、やっぱり土佐は山隘だな〜とも。

浦戸の方角ですが、海は見えないんですね(残念)

 

天守を降りて、本丸御殿を出る前に、東西の多聞櫓へ。

こちらは、長宗我部がらみ、一領具足の銅像と、

ちょっと面白いフィギュアで、山内氏がらみのエピソード、

それと土佐の文化(これは鯨漁)が、ちょっとだけ紹介されています。

 

見学客も増えてきたので、ここで天守はお終いに。

黒金門を通り、

外観四重の天守の重なり具合を、本丸御殿と反対側(裏側)から見上げて、

本丸から二の丸につづく詰門をみて、

登ってきたのと反対周りに、

下城します。

最後に、もう一度、美しいアングルの高知城を目に焼き付けて、道路を渡ったところにある歴史博物館を見学します。

 

というところで、本日はここまでとさせて下さい。

次回は、高知城歴史博物館を紹介します。

(記事作成に時間がかかってすみません)

ではでは


高知旅行記③(龍馬記念館、若宮八幡宮)

2020-01-24 17:04:45 | 遠足・旅行

さて、高知旅行記の第三回、

ちょっと段取りの悪かった桂浜(龍馬像が立っていない方の竜王岬)から、龍馬記念館に登ってきました。

(結構急な遊歩道で、疲れました)

 

ところで、福島出身の私は、このブログで度々、薩長への敵意を表わしていますが(笑)、

亡き祖父母から、嫁にもらってはいけないと言われた薩長より、

戊辰戦争で会津を後ろから撃った津藩、会津を犠牲に保身に走った慶喜に思うところが強く、

それは、あくまで戊辰戦争の顛末であり、

世界に目を向けて、近代日本を作るという明治維新については、

日本に必要な転換期であり、武士の世の終わりを日本中に理解させるには、

会津戦争は仕方がなかったとも思っています。

(ただ、それは会津ではなく、幕府か水戸がやれ!と思うのですが)

なので、倒幕、佐幕とかの話とは関係のないところで、

日本を近代国家に向かわせた、坂本龍馬という人物には惹かれるものがあります。

一応、言っておきます。

 

で、その龍馬記念館ですが、高知市のHPによると、

「坂本龍馬に関する貴重な歴史資料をわかりやすく展示するとともに,人柄や業績,考え方についても紹介している「龍馬への入口」とも言える記念館です。」

とのことで、坂本龍馬の人となり、考えの一端でも感じることができればと思います。

 

こちらが入口。

一昨年、リニューアルしたようで立派な、今時のお洒落な建物に見えます。

お隣に(むしろ入口っぽい)出口。

この時は気づきませんでしたが、”シェイクハンド龍馬”と書いてあり、確かに龍馬像が手を差し出していますね。

せっかくだから握手しておくんだった(笑)

にしても、館の内外、龍馬像が多いこと、多いこと。

 

館内に入ったところにある陶器の龍馬像。

ちょっと坂本(金八)先生っぽい。

こちらも、ちょっと頭と胴体のバランスが滑稽な龍馬像。

如何にも、なんとかぜよ、と言いそうな表情。

こっちは腕組んで写真撮っておくべきだったか(笑)

地下には、幕末に活躍した人物の写真がたくさん掲示されているのですが、その入口のパネル。

展示写真の撮影はできませんが、ここではパネルと一緒の撮影が促されています。

龍馬像がたくさんあるのも、ポスターなどに使われるのも、我々は、この立ち姿、佇まいに何か惹かれるものがあるのでしょうね。

 

入館時点に戻ります。

My遊バスの切符で入館料が団体料金の560円になりました(企画展のある時。無い時は400円)

 

さて、展示ですが、複製ながら龍馬の様々な書簡が展示されています。

そしてのその書簡の背景、現代語訳、解説も添えられているので、

読めない達筆の字を「ほ〜」と眺めるだけでなく、内容を読み取ることができます。

ちょっと思ったのは、よく歴史博物館とかお城の天守閣に展示されている戦国大名の書状と違って長いし、より日常に触れた手紙っぽい内容ですね。

まあ、戦国大名のは、指示とか交渉とか感状とか、行政、外交的なものがほとんどで、このような私信を見るのは少なく、書状から戦国大名の人柄とかはなかなか読み取れないのは残念。

(しかし、信長がねねに宛てた、秀吉の浮気に対する悋気をなだめる書状などないわけではない。)

 

それと、この記念館、洗足池に昨年オープンした勝海舟記念館に似た感じです。

(見学に行ったブログ記事はこちら

その人物と世の中の出来事の年表があって、映像とか、体感型の展示が多くて。

一人の人物の一生を綴るとなると、同じような記念館(博物館)の作りになるのかもしれませんね。

そして、詳しく知っている(知りたい)人向け、ざっとみたい人向け、子供向けと、一つの展示に鑑賞する人のレベル(?)に合わせた複数の解説があるのも同じかな(二日目に行った、高知城歴史博物館もそんな展示構成でした)

それと、私の好きなジオラマも(苦)

これは、龍馬が暗殺された近江屋の模型。

殺された左上の部屋の実物大復元(マネキンとかあれば、と思ったのは不敬だろうか)

 

一通り展示を鑑賞したので、屋上へ。

これは桂浜ではなく、先の竜王岬から反対側(西側)の浜辺。

桂浜の沖合は見えるのですが、、、

桂浜は見えず。。。

次に立ち寄る浦戸城址は、手前に見下ろせます(ん?こんなに小さい?)

そして、先ほどパネルの写真を掲載した、地下の幕末写真館をみて、シェイクハンド龍馬の出口から出てきました。

書簡とか、割と丁寧に読んでみましたが、その書簡が龍馬の書いたものとしての価値はあっても、歴史的な価値(そこから、歴史イベントの内情が読み取れるとか)はないかな。。。

あと、手紙から人柄までは。。。

とか、言ってしまっては身も蓋もない(省)

 

さて、竜頭岬の龍馬像を観に、もう一度桂浜に向かいますが、その前に、

私の大好きな戦国時代、長宗我部元親の築いた浦戸城址へ。

結構、大きめの山城をイメージしていましたが、

昨日のブログにも書いたとおり、海運管理事務所的なものだったと推察され、

岬自体が城であって、そのスケールは大きかったかもしれませんが、天守とかはそんな大きくはなかったのかも。

(豊臣政権の安定期でしたし、内外どちらにおいても、ちゃんとした天守は必要なかった?)

 

龍馬記念館の駐車場のところから入ると、

すぐ、天守台の跡があり、お社が建っているだけでした。

まあ、仕方ない。翌日の、岡豊城址に期待しましょう。

 

そして、龍馬像を拝みに行きます。

先ほどは、ここから右に行ってしまったのですが、龍馬像は左にあるようです。

ありました。

写真から、うまく立体化しているように思えます。

なお、ここでDQウォークの四国のお土産(龍馬像)をピックアップできます。

(ただ、無料なのは1個だけで、フレンドにプレゼントする分5個まで入手するには、有料のジェムが必要って、うわっ。。。余談でした)

 

さて、次は長宗我部元親ゆかりの若宮八幡宮に行く予定で、

My遊バスではなく、とさでんの路線バスで行きますが(My遊バスのチケットで、片道だけ乗り降りできる)

バスの時間が微妙。。。

桂浜での見学が効率的ではなかったこともあり、次のバスまで45分くらいあります。

桂浜から若宮八幡宮まで、地図で確認すると3kmくらいなので、歩いても、バスを待っても若宮八幡宮に着く時間にさほど差はなく、、、迷いましたが、

桂浜にいても仕方ないので、歩いて行くことに(苦)(もはや、歩くのは本能)

 

まあ、漁師町の情趣を感じながら、のんびり歩くのは正解で、

バスよりはちょっと早く、若宮八幡宮の入口に到着。

八幡宮の入口というよりは、参道?公園?の入口で、ここを八幡宮に向かって歩くと、

長宗我部元親像があります。元親といえば、やはり、槍ですね。

なお、長宗我部元親ゆかりと言ったのは、初陣の本山氏との戦の戦勝祈願を若宮八幡宮で行ったことからです。

 

ところで、歴代の”信長の野望”では、随分と長宗我部元親でプレイしたものです。

ただ、歴史通りと言いますか、四国を統一した後は、周辺に進出するより、信長とか他の大名(コンピューター)が、残りの地域を統一して、大群で攻め込んでくるのを待って、撃退しつつも、最後は玉砕する遊び方ばかりしていました(これも蝦夷の本能か)

歴史関係なく単なるゲームとして捉えると、長宗我部元親でプレイして、他の大名を家来にして、全国統一とかするのでしょうが、

とりわけ戦国時代の史実への思い入れが強いので、史実と異なる展開でプレイはしたくないんですよね(苦)

 

閑話休題。

四月に行われる豊穣祈願の”どろんこ祭り”の田んぼ。

女性が男性の顔に泥を塗って、塗られた男性は無病息災とか。

公園?参道?を通り抜けると、ちゃんとした?参道があり、この先が拝殿、本殿です。

山門をくぐって、

拝殿からお参りしました。

なお、右手に見える鉄の棒が、写真撮影の邪魔だな、とか思ってしまったのですが、これは槍で、

元親が槍の名手で、初陣の戦勝祈願で、祈願文を輪に書いて、槍に通した由縁があり、

参詣する人も、社務所で輪をもらって、槍に通してみてくださいという説明板がありました。

(輪投げみたいに、上に投げて、槍の石突き(底)まで通れば願いが叶うらしい)

 

なお、この槍は、元親の槍の三分の二の長さと書かれてありましたが、

この槍が、私の身長の倍くらいはあるように見えるので、元親は三間槍(5.4m)を扱っていたのかな?

でも、信長が導入した三間槍って、先頭の足軽が上から叩くための長さだったし、騎馬武者が馬上で使えたとは思えないが。。。

 

左奥の本殿を確認して、

次は、ここから1kmくらい離れた(とさでんのバス停がある)元親の墓所へ。

元親公史跡前というバス停まで歩いて、路地を入ると、

元親のお墓がひっそりと。。。

まあ、関ヶ原の後、山内氏による江戸時代の土佐の治世では、やむなしと言ったところでしょうか。

しかし、江戸時代は仕方がないとしても、

現代においては、長宗我部元親って、高知でもっと英雄扱いされてもおかしくないはずですが、そうでもないんですよね。

どうしても幕末の英雄、坂本龍馬がトップなので、併せて幕末の人物が取り上げられがちですが、

戦国時代の英傑の扱いがイマイチで残念です。

 

日も傾いて、次はホテルにチェックインなので、近くにあったスーパーのベンチで、日曜市で買ったおはぎの残りを食べつつバスを待って、市街地に戻ります。

 

はりまや橋で降りて、ホテルまで歩くのですが、17時を過ぎたところだったので、ちょうど、からくり時計から”よさこい節”が流れていました。

 

そして、高知城に近いところで予約したホテルへ。

楽天トラベルの写真とは明らかに異なる実際のホテル(笑)

でも、一泊三千円ちょいで、しかもポイントだけで泊まるし(現金支出なし)、一人旅には十分。

年季の入ったビジネスホテルの感ですが、

部屋はきれいでしたし、サービスはほぼセルフでしたが、不都合は全くありませんでした。

(必要なアメニティはフロントやエレベータホールにあるし、コーヒーとか洗濯が無料とか(洗剤も)、返って気楽で、便利)

コスパが非常に良くて、当たりでした(感)

 

そして、本日の〆は、ホテル近くのひろめ市場へ。

もっと、市場然としているのかと思いましたが、

フードコート、シンガポールのホーカーみたいな感じと仕組み(それぞれのお店で買って、テーブルに陣取って食べる)でした。

それと、そんなに広くはないです。でも、そのごちゃごちゃ感がいいのでしょうね。

予定としては、ここで高知の名物料理を食べるか、テイクアウトしてコンビニでビールを買ってホテルで食べるつもりだったのですが、、、

残念ながら、この雰囲気で、不安障害が出てしまい、、、テイクアウトのためにお店に並ぶことすら我慢できず、退散せざるを得ませんでした。

で、結局は、ファミマでビールを惣菜を買って、テレビで麒麟がくるを観ながらホテル部屋飲み(哀)

でも、なんか、ハノイ赴任時の、ホーチミン出張で、空港からホテルに向かう途中、運転手にファミマに寄ってもらって、ファミマのなかったハノイでは買えなかった惣菜とビールを買って、ホテルの部屋で食べた至福のシチュエーションを思い出し、それはそれで気分よく高知の夜は深けたのでした(苦)

次は、二日目、高知城からスタートです。

ではでは


高知旅行記②(五台山、竹林寺、桂浜)

2020-01-23 15:46:05 | 遠足・旅行

さて、高知旅行記の第二回は、一日目の午後の部の前半。

五台山展望台と竹林寺、そして桂浜。

午後の部”前半”と言うのは、龍馬記念館までは手が回らず、龍馬記念館、若宮八幡と長宗我部元親史跡は次回(一日目の午後の部の後半)に持ち越します。。。

 

日曜市を見て、田舎寿司食べて、はりまや橋で苦笑して、

はりまや橋のバス停から、My遊バスに乗って、五台山に向かいます。

 

にしても、食べ物扱っている市場って、なんかテンション上がりますね。

食べないとしても。

バンコク、ハノイに住んでいた時も、ちょくちょく市場巡っていましたし、

シンガポール赴任中も、休暇で出かけたラオス、ミャンマー、カンボジアなども、

観光名所は観るものの、強く印象に残っているのは、市場の活気でした。

高知の日曜市には、まさにそれがありましたね(感)

 

さて、次の目的地、五台山とは?

高知市のHPによると、「高知市南東部に位置し,桜やツツジの名所となっています。山麓には四国霊場第31番札所の竹林寺や,日本で初めて植物に学名をつけた世界的植物学者,牧野富太郎博士の偉業を記念して作られた県立牧野植物園や記念館があります。」

そして、竹林寺とは?

My遊バスのガイドブックによると、「聖武天皇の命により行基が中国の五合山に似たこの場所に724ねんに創建。四国霊場八十八ヶ所の第31番札所。」とのことで、

「本尊文殊菩薩は「日本三文殊」のひとつに数えられ、本堂や五重塔、名勝庭園や多数の国重要文化財仏像を奉安する宝物館など見所も多い。」らしいのですが、

すみません、五台山も竹林寺も、どちらも知りませんでした、My遊バスのルートを見るまで。

他に、植物園もありますが、次のバスまで40分しかないので、予定としては展望台から景色を楽しんで、竹林寺はさっと一通り観て、と言う感じです。(流石に、このスポットで次の次のバスまで、1時間40分は過ごせない)

ちなみに、My遊バスの外観はこんな、なんかハッピー(?)な感じ。

 

バス停からちょっと歩くと展望台(閉店したレストランの建物の屋上から、ちょっと突き出たところ)があり、

高知市街地、浦戸湾を望めます。

浦戸湾って、結構内陸に入り組んでいるんですよね。

どこまでが湾で、どこからが川なのかな?

まあ、長い河口ってことでもいいか。

長宗我部の時代(秀吉に屈してから)は山城の岡豊城から、高知(大高坂)に移ってもまだ不便で、浦戸に城を築いて海運を活用していたようですが、

(ただ、桂浜に行ってわかりましたが、城下町とか整備できるところではなく、海運、水運だけが目的の場所)

山内の時代では、秀吉の世を通して、建築技術が飛躍的に向上したので、城下町を整備しやすい高知に築城し、河岸、湾岸工事を行い、高知から海運、水運を活用できたのでしょうかね。

内陸の方を望むと、平地が少なくて、山がすぐに迫っている感じです。

土佐って平地が少なくて、甲斐の武田が信濃経営を悲願にしていたのと同様に、長宗我部としては、阿波、伊予、そして平地の多い讃岐を手に入れないと、米は穫れないし、家臣に褒美で土地を分け与えられなかったのが実感できる風景です。

 

さて、展望台というか屋上から、もう一段高いところにも登れて、

そちらから、竹林寺の五重塔がチラッと見えます(竹林寺へは歩くので、方向を確認)

ちょっと高いだけで、浦戸湾はずいぶん見え方が変わります。

浦戸湾って、海(外洋)に面していなくて、狭まった河口から上流に、膨らんだところがあってそれが湾なんて面白いですね。

でもまあ、規模は違っていますが、東京湾も、久里浜と金谷の間隔が一番狭くて、内側が膨らんでいると言えば一緒か。

 

なお、これが突き出た展望台。

 

のんびり景色を眺めて、戦国時代に想いを馳せていたのですが、

我に返って「時間ない!」と、竹林寺へ向かいました。

 

展望台から向かうと、竹林寺の裏手から入ることになります。

本堂(文殊堂)です(文殊菩薩像は見ることができません)

五重塔です。

割と新しい感じがしましたが、あとでHPで確認すると、1980年に再建したものでした(新しくはないが、古くもない)

もともとあった三重塔が台風で倒壊したので、鎌倉時代初期の様式である五重塔として復興したって、、、どう?

鎌倉時代は五重塔であった訳でもなく?

 

大師堂です。ご夫婦のお遍路さんがお参りされていました。

私の住んでいる大田区には、日蓮宗(池上本門寺)は言わずもがなですが、天台宗の寺院も多いので(大田区ではないですが、川崎大師が近いし)、あちこちで大師堂を見ます。

厳密にはわからないのですが、なんか雰囲気が似ているんですよね。

どこが、私の感覚に訴えているのだろう???

 

境内には石像もあれこれ。

千体地蔵とありましたが、千体あるのかな?(数えている時間はない)

 

本堂のある境内を出て、正門の方へ(五台山展望台の次のバス停が、正門前にあるので)

振り返ってみると、枯れたいい感じ。

う〜ん、やはりお寺は正門(正面?)から入るべきなんだろうな。。。

書院にはお金払わずに上がれるようなので(宝物殿は有料。でも、ガイドブックには、宝物殿と庭園が有料とあるから、ひょっとして無銭観覧してしまった?)、書院の廊下から、庭園をひとまわり。

結婚式の衣装で写真を撮っているカップルがいました。

確かに、いい記念写真が撮れそうな場所です。

しかし、カメラマンの指示が「上目使いで、軽く見上げて、照れたように微笑んで・・・」とか、面白くてしばらく聞いていたいところでしたが、もうタイムアップ(残念)

正門のところに出たら、ちょうどバスが来たところ。

慌てて、振り返って山門を撮影しました。

で、My遊バスに乗って、ほっと一安心したのですが、、、

あれ?次が五台山展望台になっている???

展望台をぐるっと回る経路なので、高知駅行きも桂浜行きも同じ向きに停まるんだ。

運転手さんに確認して、慌てて降りて、すぐ後から来た桂浜行きに乗りました。

あっぶねーーー(堵)

 

そして、二十分くらい長閑な景色を楽しんでいると、桂浜に到着しました。

実は、龍馬記念館が手前にあって、そちらを見学してから、桂浜に降りるつもりが、

(下り坂なので、龍馬記念館から桂浜に行き、桂浜でバスに乗るのが楽)

どうせ停まるだろうと、思っているうちに誰もピンポン押さずに、終点まで行ってしまったのです(呆)

でもまあ、仕方がないので、桂浜から観て、龍馬記念館に登ることにしましょう。。。

 

水族館がありました。砂浜にあるのって珍しくないですか?

(というか、水族館がここに要るのか?)

 

それはさておき、桂浜です。

失礼を承知で申し上げますが、想像と違って、

割と小さくて、

弓があまりきれいではない。。。

 

んんん、私は何を勘違いしていた?

Webで桂浜を検索すると、

「“月の名所は桂浜・・・”と「よさこい節」にも唄われている」と言うことは、

ここから見る月が綺麗なのね。

そして、「背後に茂り合う松の緑と、海浜の五色の小砂利、紺碧の海が箱庭のように調和」と言うことは、

コンパクトに収まっているのがいいのね。

まあ、そう理解した上で観賞する分には、、、(汗)

 

竜王岬に登ったら、印象変わるかなと思い、上から見てみると、

特に印象は変わらず。

ですよね、砂浜を海側からみるんじゃなくて、砂浜側から月を、海をみるものらしいから。

ところで、大きい龍馬像って、ここ(竜王岬)じゃないの?

再び、Web検索。

桂浜の反対側、竜頭岬の方にあると。。。

 

仕方ない、龍馬記念館を先にして、そっちから竜頭岬に降りるか。

なんか段取り悪いわ、、、って、

毎度、バスの時間とか入館料の割引とかはしっかり調べるものの、

観光対象のものは、あまり調べないで来るから、こうなるですよね(呆)

そして、唐津の時のように、福岡で飛行機までの時間が有り余っていたのに、”倭の奴の国王”金印を見逃したりするんだよね(見るべきと思い至らなかった)

 

と言うことで、次は龍馬記念館。そして本日はここまで。

次回は、龍馬記念館、龍馬像、そして若宮八幡と長宗我部元親史跡の紹介を予定しています。

ではでは。


高知旅行記①(日曜市、はりまや橋)

2020-01-22 16:02:48 | 遠足・旅行

先週末の日曜、月曜と、高知に旅行に行って来ましたが、ようやく旅行記を書き始めます(謝)

土曜日の東京は悪天候でしたが、日曜からは高知も綺麗に晴れて、街中を歩いても、高台から街を眺めても、桂浜の景色も、郊外の景色も一層綺麗に思えました。

 

さて、土曜日はいつもよりちょっと早起きして、羽田空港へ。

そして、JALで高知龍馬空港へ、1時間半のフライトです。

混んでいる乗り物は、不安障害が発生する恐れもあるのですが、

電車に比べれば、国内線に限っては日本人はお行儀がいいので、事前にそれほど不安は感じていませんでしたし、

予約の時、座席指定の画面で予想した通り、がら空きで助かりました(三連休の次の週末だったからか、日曜に地方に向かう逆方向だったからか)

 

空港からは連絡バスに乗って、高知駅まで30分弱。

事前に調べていた通り、片道740円。

最近PayPayが使えるようになり、”とさでん”は5%還元対象企業とのことで、ちょっと得した気分でPayPayで支払いました。

(が、実は得していなかったことが、復路で判明(泣)その顛末は、別途復路のところで)

 

市街地に入って、バス窓から「はりまや橋、ちっさ〜」とか思っていると、高知駅バスターミナルに到着しました。

 

街中は(年季の入った)路面電車が走っているのですが、

ちょうど駅前に停まっていたのには、古希(70歳)との表示が(驚)

動き続けた機械も、整備してきた人も、使い続けて来た人も皆、素晴らしいですね(感)

 

駅前には、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の大きなブロンズ像が建っています。

やはり、土佐の英雄というと、この三人なのでしょうね。

(主君の山内容堂でもなく、藩祖の山内一豊でもなく、戦国時代の長曾我部元親でもなく、三菱財閥創始者の岩崎弥太郎でもなく、お札になった板垣退助でもなく)

 

このブロンズ像と駅舎に挟まれたところに、とさてらすという観光案内所がありまして、

実は、まず日曜市に行こうと思っており(故に、日曜発)、それなら、空港連絡バスで高知駅まで来ないで、はりまや橋のところで降りてもよかったのですが、

一応、パンフやら地図やらを入手したかったのと(申し込むと、無料で一式郵送してくれると言う、高知市の有難いサービスに気づいたのは出発前日で)

それとMy遊バスという乗り放題バスチケット(施設料金の割引にもなる)も買いたくて、一旦、来ました。

(まあ、距離的にはそんな離れていなませんし)

My遊バスの使い所である、高知駅から五台山、桂浜へは今日一日で終える予定なので、千円の一日券を購入しました。

 

なお、とさてらすにくっついたお隣の建物には、龍馬伝で使用された生家のセットが、飲食店としてリニューアルされています。

私の好きなジオラマもありました。

左下のところ、まさに撮影風景のジオラマですね。

それに、屋根がなくて中が見えるのは、中が見えるように作った模型だからではなく、

オープンセットとして、元々なかったのかもしれません。

 

さて、とさてらすを離れて、大通りを下ります。

はりまや橋までは行かず、とさてらすの人が言った「セブンイレブンのところ」で、高知城の方向へ右折すると、

さっそく、日曜市です。

最近、ラジオで、高知出身のいろいろな人が、日曜市が凄いを繰り返していたので、行ってみたくなったのも旅先に高知を選んだ理由になりました。

(繰り返しますが、働いていない私は、人出の多い週末に旅行する必要はないのですが、日曜市を観るとなると、日曜に行かねばならないので、日・月曜の一泊二日になりました)

高知城に至る道路の、片側にテント?ターフ?が張られて、およそ1キロ、路上市が続きます。

そして、売られているものは、、、

 

大根、でっけえ!しかも100円(驚)

安納芋も立派。

”すごく辛い”唐辛子も買いた〜い(けど、ちょっと持ち歩けないな)

カブも立派ですが(うちのベランダのカブの何十倍の大きさだろう。。。)

ゴボウも束で100円かあ。

 

有名な”田舎寿司”各種。

こんにゃくがお寿司のネタになるとは考えが及ばなかったなあ。

私の心をとらえた”おはぎ”(隣の干し柿も捨て難かったが)

ここしばらく、”おはぎ魂”に取り憑かれていまして(カレー魂とか、ラーメン魂とかもいて、一旦取り憑かれると、成仏させるまで取り憑かれっぱなしになる)、めっちゃくちゃ美味しいそう(涎)

そして、お寿司もおはぎも、その他の漬物とかも、売っている(だいたいは)お婆ちゃんの手作りなんでしょうね。。。

もう片っ端から食べたい!

ところですが、一応、一往復はしましょう(汗)

 

なお、思ったよりは混んでいませんでしたが、

まあ冬で寒いですし、これが夏とかだと桁が違うのでしょうね。

海の幸もたくさん売っていました。

ちりめんも美味しそう、、、でも、500円/100gというのは、ちょっとお値段しますね(汗)

ちりめんを生で食べるのが、郷土料理の”どろめ”なのでしょうけど、今回、どろめを食べる機会はありませんでした(悲)

こちらは”うるめいわし”。いいサイズしている。

ところで、値札のところに”天日干し w ワンダフル!”って書かれてあります。

ちりめんも”うすしお ワンダフル!」とか、、、面白いですね。

(でも、wってなんだろう? with? ダブルでワンダフル? ワンダフルのwが二重に?)

 

お城の石垣が見える辺りまでくると、お店も人もちょっとまばら。

売り物も刃物だったり(「刀買います」の看板にはちょっと驚き)

植木だったり。

 

ここで引き返しましたが、

やはり、目を引くのは野菜。

大田区のスーパーとは、大きさというか”迫力”が違う。

 

そして、結局、買ったのは、田舎寿司とおはぎ♪

田舎寿司は、こんにゃくの他、筍、茗荷などもあって、自分で作ってみたい気持ちが湧いてきました。

多いかな?と思ったものの、さっぱりした田舎寿司はさっさと完食(満)

おはぎも、この場では一個だけ食べ、残りは、この後廻ったところで、一個ずつ栄養補給。

なお、このおはぎで面白いと思ったのは、

4個共、中にも餡子が入っていること(私の常識では、外側だけ)

なので、きのこがまぶしてあるものも、中は餡子。

そして、緑色は、予想通りアオサ。

アオサだけだとどうかな?と思いましたが、餡子が入っていて、磯の香りと餡子、これもアリでしたね。

 

と、腹ごしらえもしたところで、日曜市を離れて、

はりまや橋のバス停から、My遊バスで五台山展望台へ向かうことにします。

(1時間1本なので、スポット滞在時間はバスの時間に影響されてしまう)

 

空港連絡バスからもみて、期待通りの期待外れだった、はりまや橋(笑)

ちっちゃ(笑)

よさこい節に登場するからと、名所とすべきかどうか、、、

やなせたかし氏が高知にゆかりがあるので、アンパンマン関連オブジェ。

こっちの方が目を惹くかな。

積極的にアンパンマンを探すことはしませんでしたが(バスの時間があるので)、カレーパンマンとバイキンマンは、はりまや橋の交差点にありました。

 

と言うことで、高知旅行記の第一回はこの辺で。

次回は、五台山、桂浜、

龍馬記念館、若宮八幡までは無理かな〜

ではでは


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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