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池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

【じんけんカフェ】学びとはなにか 第3回(後編)

2019-11-19 17:53:04 | 地域情報

さて、おおた区民大学【じんけんカフェ】学びとはなにかの第3回の後編です。

前編では、映画「こんばんわ」を鑑賞した感動をお伝えしましたが(伝わったかな?伝わったらいいけど)

後編では、映画の感動醒めやらぬ中、山田洋次監督作品「学校」のモデルであり、長年、夜間中学校で教鞭をとっていた松崎運之助さんの体験談「私の夜間中学教師体験記 命の光を大きく輝かせるために」の内容を紹介します。

以下、お話の要旨です。

  • 東京都には8校に夜間学級があるが、大田区立糀谷中学の夜間学級は、65年の歴史がある。大森海苔の養殖を手伝わされて学校に行けない学齢児童を救済するため設立。
  • 小松川中学の夜間学級の教師をしていた時、中国残留孤児の家族が多く、日本語が話せなかった。その中の一人が、蒲田の有名店、元祖羽根付き餃子「你好」の店主である八木さん。開業する時、夜間中学の仲間がカンパした。
  • 松崎さんが夜間中学校の教諭となったきっかけ
    • 東京の大学の夜学に通って、昼間は働いていた。教育実習は昼間だが、長崎の母親、兄弟への仕送りのため昼間働かないわけにいかない。しかし、教育実習を行わないと教員試験を受けられない。学事部で相談したら、職員の方が親身になってくれて、荒川9中の夜間学級を紹介してくれた。
    • 夜間中学の生徒は、年齢、国籍バラバラ、悲惨な暮らしながら、元気よく、めちゃくちゃ明るい。辛い人生の道筋を歩き、税金を納めても自分達のためには使われないのに、世間に対して怒らない。黒板があって、先生がいて、学校が楽しいと。
    • 最初の授業に、万全の準備をして(教材の「走れメロス」を読み込んで)臨んだが、授業らしい感じではない。生徒は皆、下を向いて、力を込めて平仮名を書いている(力の抜き方がわからない)。中学のはずだが、これでは、いつになったら「走れメロス」にたどり着くのか、、、夜間小学ではないかと落胆した。
    • 七十を超えた女性が呼ぶので、行ってみると、ひたすら”の”を書いていて「”の”が書けるようになった」と、目を輝かせて言う。こんな事で”幸せ”なのか?と思う反面、心の底からの感動を学びの中で感じる、そんな学び方をしたことがあっただろうか?知識をつなぎ合わせることは上手くなったが、、、と更に落ち込む。
    • その女性は、覚えた”の”を掌に書いて、決して逃さない、と言いたいかのように握りしめて帰る。そして、町中の看板、広告から”の”が飛び出してくる、と話す。昨日まで見えなかったものが、見えるようになった瞬間。テストの勉強はしたが、そういう勉強をしてきただろうか。。。
    • 学ぶとは、教わるのではなく、自分の感性が生き生きして、様々な疑問が湧いてきて、教え合うもの。”問い”がなければ”学問”にはならない。
    • 一般には、周りの大人が”問い”と”答え”を用意して、照らし合わせるだけだが、自分の中に”問い”があれば、その答えに何としても辿り着こうとする。周りの大人は止めるが、泥だらけになっても進む。それが学問。
    • 数日して、その女性が学校に来なくなった。幼い頃から工場で働き、鉛中毒にかかっていた。しかし、学校に行かなければ、死んでも死にきれないと夜間中学に来ていた。今は、絶対安静の状態に陥っている。ショックだった。目の輝きが素敵とか思っていたが、あれは命を削って輝いていたものであった。それに気づかない自分の薄っぺらさが嫌になった。
    • 目の前の人の辛さ、悲しさがわからない。どんな人生、戦いがあったのかに目を向けず、(目の輝きなど)反応に一喜一憂して、これまで自分を支えてくれてくれた人達に申し訳ない。
    • こんな人間が、先生と呼ばれるなんて、教育実習を辞めたいと学校に申し出た。そう言わざるを得ない自分も情けない。どこかで鍛え直して出直したいと言った。しかし、話を聞いてくれた先生が、鍛え直すと言っても、どこでも同じ経験をするかも、それならここで一緒に勉強しようよ、と言ってくれて、それが心に沁みた。
    • そして、つくづく仲間に入れて欲しいと思って、夜間中学校だけを志望して、東京都の教員試験を受けた。
  • 夜間中学の精神は、救急病院。目の前に怪我した人がいれば、どうして?なぜ?は必要ない、とにかく血止めを行う。だから、何時でも誰でも。
  • ドラマ、エピソードはたくさんあるが、そのひとつ。
    • 若い子と年配の人が一緒のクラスにいる。年配の人の希望、若い子の絶望が混在。休憩時間、年配の人は教室で勉強を続けるが、若い子は廊下に出てしまう。若い子は人間関係が不器用、それが夜間中学にくる切っ掛けでもある。
    • 年配の女性が、廊下の茶髪の若い子に「あんちゃん、ちょっと教えて!」と声をかける。若者は、関わりあいたくないので逃げる態勢を取るが、しつこく付いてくる。逃げても追い回されるので観念して、自分に聞かれてもわからないのに、、、と問題を見ると、
    • ”花”、”谷”の読み方がわからないと。驚きつつも、それなら、と安心して教えてあげると、女性は、惚れ惚れと茶髪のあんちゃんを見上げて、あんちゃん頭いいね、と。
    • 普通の中学なら、これで頭がいいなどと言われたらキレるところだが、夜間中学では馬鹿にされることはないので、キレることもない。大事なのは、心から出た言葉であり、それが若いあんちゃんの心を打った。
    • 引き続き、休憩時間の度、若いあんちゃんは、膝付き合わして、おばあちゃんの勉強に付き合わされて、、、いい光景だなと思っていたら、ある時、そのあんちゃんが、複雑な表情で職員室にやってきて、隣でため息をつくので、一体何が???と職員全員がざわついた。
    • おばあちゃんに勉強を教えるのが彼の人生で最大のトキメキで、小学2年生から学校に行かなかったのに、早く明日にならないかな、学校に行きたい、と家族に話していたようだが、、、
    • おばあちゃんが教えて、とやってくる待ち焦がれた休み時間ではあったが、おばあちゃんは翌日には昨日教えたことをすっかり忘れてしまう。でも、一生懸命に勉強して、毎日、お礼を行って帰って行くと言う。では、悩みとは?俺の教え方が悪いのだろうか、、、と教員のような顔をして言う(笑)
    • 他人の悩みを自分の悩みとして背負い込んでいる。二人で何かする雰囲気に幸せを感じている。学びとはういう幸せのためにある。
    • 教えている最中の、おばあちゃんの問わず語りの中に、いろいろな知らない世界があり、あんちゃんにとっても豊かな学びであった。TVで文化勲章をもらうシーンをみて、あんちゃんが「あんな人達より、おばあちゃんの方がよっぽど偉いよ。おばあちゃんに勲章をあげてよ」と言っていた(感)
  • 夜間中学には、自分の中で考える、自分の生活に役に立てる知恵が存在する。知識を重ねるだけではない。
    • 突然、おばちゃんが、”あいうえお”ってすごいね!と発言する。他の生徒がしらけていると、愛(あい)から始まるなんて、やっぱり”愛”が一番なんだ、と。別のおっちゃんが、”いろは”も”色(いろ)”から始まるなあ。人間は大事なものから始めるんだな(笑)昔の人は偉いもんだ、と。そこで、クラス全体が、ほーっとうなずく。
    • 一本の鉛筆に、一本の鉛筆を足したら、何本になるか問われたおっちゃんが、それは無理だ、足せない、と。メーカーが違うかもしれない。硬さも違うかもしれない。値段も違うかも。1 + 1= 2なのは俺にもわかるが、この鉛筆は足せない、と。
    • 80kmの距離を、40km/hの速度で進んだら、何時間かかるのかと追われたおっちゃんの答えは、ざっと見積もって二時間半。二時間に決まっていると言うクラスメートを制して、簡単に二時間なんて答えてはいけない!信号待ちもあれば、渋滞に引っかかるかもしれない、三十分くらい多めにみるのが妥当だ。
    • しかし、そういう事を言う人が、バツになるのが今の学校。
  • 僕の教室に、”間違い”はない。用意した答えはあるが、表情も何もない答えに意味はない。どうしたら、こんな答えが出せるのだろう、とワクワクさせられる。”間違い”は楽しい。
 
まだまだ聞きたいところでしたし、いくらでもエピソードがあると仰っていたのですが、タイムアップでここまででした。

知識を積み上げるだけ、受験のための勉強をしてきた私ですが、今更ながらこんな方に教わってみたいと感じました。

ただ、今からとなると、心からの問いが湧いて、その答えにたどり着くとする純粋な志は、どうだろう。。。

何か勉強するにしても、どんな資格につながるかとか考えてしまっては、違うのでしょうね。

ともあれ、映画こんばんわ」は感動的で、松崎先生のお話も印象的で、とてもエモい第3回でした。

なお、松崎先生はお話がとても上手で(さすが元教諭、教諭だからだけではなく、そう言う授業でなければならなかったのでしょうね)、すっと理解できたので、メモのちょっとしたキーワードから記憶が蘇って、文章が湧いてくるように気持ちよくタイプできました。

今週金曜日は、【じんけんカフェ】学びとはなにかの最終回、「生きること」と「学ぶこと」を題として、学習権・教育機会の平等・教育の保障とはどのようなことなのか、人にとって学ぶということはどのような意義をもつのか、自分のこれまでの学びも振り返りつつ学びます。

講師は、東京大学名誉教授 佐藤一子(さとうかつこ)さん。

どのような締め括りになるのか。

私は、自ら変わる力を導き出せるでしょうか。

 

写真は、本日の夕飯、鶏肉とさつまいものカレー炒めです。

頂き物の大量のさつまいもを美味しく消費すべく、レシピを検索すると、意外と、鶏肉と合わせたり、カレーにしたものが多かったので、組み合わせて、美味しくできました。

ではでは 


【じんけんカフェ】学びとはなにか 第3回(前編)

2019-11-18 16:52:30 | 地域情報

さて、ようやく(苦)、先週の金曜日、おおた区民大学【じんけんカフェ】学びとはなにかの第3回の紹介です。

第1回同様、公開講座として映画こんばんわ」を鑑賞し、山田洋次監督作品「学校」のモデルとなった、長年、夜間中学校で教鞭をとっていた松崎運之助さんの体験談をお聞きしました。


まず、映画「こんばんわ」ですが、墨田区立文花中学の夜間学級のドキュメンタリーで、年齢も国籍も多様で、様々な理由で学ぶ機会を得られなかった人たちが生きるために学ぶ姿が描かれています。

ざっくりとした内容、観ながら感じた事などを紹介したいと思います。

ドキュメンタリーなので、ネタバレにはならないと思いますし、所詮、私の文字だけで、あの感動は伝えきれないので、私の感想が、この映画を観る、夜間中学校に興味をもつきっかけになればむしろ幸いと考えます。

  • タイトルの「こんばんわ 」は、夜間中学校は17:30からなので、登校した時の挨拶が「こんばんわ 」になることから。
  • 通っている方々の人生、生き様を、夜間中学校での授業の模様などから伺い知る構成です。
  • 小学校までしか行かず、プレス工場で働き、読み書きができない69歳の方は、病院では指を怪我をしたふりをして、誤魔化せたが、工場で一緒に働いた兄の葬式で、弔辞を読むことができず、”死ぬ気で”勉強しようと、夜間中学校に通うことにした。他、戦後、中国からの帰国者、旦那さんの仕事の都合で来日した女性、日本最高齢中学生(91歳)など。年配の方の多いCクラスの平均年齢は69歳。
  • 文花夜間中学校の見城先生のお話。
    • 生活に根ざし、生きる希望を与える教育をしなければならない。
    • 漢字は易しいものから覚えるのではなく、生活に必要な漢字であれば、難しい漢字でも覚える。そのような漢字(生活基本漢字)381文字を選定してテキストにした。学習は、生活に必要な精選された内容でなければならない。
    • 学校に行くことが喜びを語る生徒。学習とは、自分の境遇、辛い体験を乗り越える術である。
  • 宮沢賢治の「雨にも負けず」を題材にした国語の授業。
    • なりたい人物像を考えるところから、それぞれの人生、学習への想いが引き出され、語られている。
    • なお、全編に渡って、解説じみたところはなく、授業そのままの様子、生徒の会話などから様々な想いが伝わってくる。
  • 夜間中学校に通う切っ掛けは、漢字を”覚える”ためであったりしたが、授業の様子をみていると、機械的に必要な知識を”覚える”のではなく、それぞれの人生経験から、教え合って、学び合っていることがよくわかる。その上で、生活に直接つながる知識がついていくのでしょう。
  • 様々な国籍の方々が一緒に学ぶところは、インターナショナルスクールで異文化交流からの学びのようでもあり、支え合って、お互いに教えあうのは、島嶼部の学校の全学年一クラスで、上級生が下級生の面倒をみる雰囲気にも似ているように思えた。(夜間中学校の場合、年長者が必ずしも面倒を見る、教える側ではないが)
  • 中野重治の「菊の花」を題材にした国語の授業。
    • 文学作品なので、擬人化された表現など、外国籍の生徒には難しいと感じられたが、日本語表現の学習ではなく、生徒の人生や境遇から共感できるような、作品主旨の紐解き方でした。
    • 「花のこころ、花のいのちとは、どういう悪い環境でも、ありったけの力で生きていく」の下りでは、まさに生徒の人生に当てはまることで、菊の花を自分自身に置き換えて考させられた素晴らしい授業。
    • 2週間かけた授業だったそうで、先生、生徒それぞれの情熱にも感銘を受けました。
  • 伸ちゃんという不登校の生徒。親以外と話さないが、年配者のクラスの雰囲気は気に入って通ってくるが、誰とも会話はできないし(話しかけられてもダンマリ)、給食(夕食)を一緒にとれないので、2時間で帰ってしまう(授業は、毎日17:30-21:00)。移動教室(遠足)、運動会にも参加しない。
  • 移動教室、本当に楽しそう。年齢、国籍、経験の多様さも見られる。みんなで食事を作る時、料理店で働いた若者の料理スキルが凄かったり、余興は各国の芸能だったり。
  • 文花中学では、年2回、昼間学級との交流会がある。昼間の生徒の感想は、夜間はみんなワイワイとして楽しそう。
  • 夜間中学校の合同運動会(都内8校)の様子も、移動教室同様に本当に楽しそうで、盛り上がっている。15か国の国籍で、ミニオリンピックの様相。年配の方は学齢期にできなかったことを、全力で楽しんでいるように見える。ある生徒の話では、夜間中学校では足を引っ張る人はいない、みんな教えてくれて、その感謝の気持ちがあるし、自信にもつながっているからだと。
  • 文化祭も、食べ物のお国自慢大会のようで盛り上がっているし、本場のキムチや餃子を買いに、模擬店に大勢押し寄せる。
  • その頃、上述の伸ちゃんに変化が現れ始める。学校が、国語が好き、迷惑をかけてごめんなさいと母親に手紙を書き、ついには、教科書を声を出して読んで、今年一番嬉しかったことは、声を出せたことと書くに至り、私は涙ぐんでしまいました。。。その伸ちゃんは、給食も準備から参加するようになり、体育でバレーボール、合同運動会にも出て、放課後はキャッチボールをして、と夜間中学校で教育(周囲の支援)を受けて、学ぶことによって、生きる力を得て、自らを変えられたようです(涙)
  • 卒業式。本音はもっと居たい、らしいが、次の人生ステップがある。答辞で女の子が、弟の面倒を見るため今年、高校に行くことはやめたが、高校に行くことを諦めていない、夢だから、にまた感動して涙でした。。。
  • 最後に、見城先生からのお話。生涯学んでいきたい。学ぶことは自由に生きるパスポート、夜間中学校で得た宝物である。

 

いや〜、第1回で、監督の森さんが仰っていましたが、まさに教育は感動です(感)

なお、松崎先生のお話も長くなりそうで、後編にしたいと思います。

なお、この映画は、見城先生吉川英治文化賞を受賞し、その(賞金?)寄付から始まったとエンドロールに出ていました。

 

おまけの写真は、

昨夜の夕飯で、26cmの方の新品フライパンの使い初め。

大量にもらった根菜類から、さつまいもで大学芋(っぽいけど揚げていない甘辛煮風)です。

ではでは


【じんけんカフェ】お肉はつくられる 第4回

2019-11-14 17:55:50 | 地域情報

朝、いつもの時間に起床するとまだ真っ暗で、冬が近づいてきたな〜、秋が短いな〜とか感じています。

そして、身支度などしていると、カーテン越しに明るくなってくるのを感じて、ベランダに出ると、

その日その日の自然の芸術を見ることができます。

 

さて、昨日は、おおた区民大学、【じんけんカフェ】お肉はつくられる〜東京中央卸売食肉市場見学〜の第4回(最終回)において、ついに、と場の見学に行って参りました。

朝、東京中央卸売食肉市場のビルに集合し、事前説明を受け、午前中は、と場を見学し、午後は、競りの見学、食肉市場の紹介DVDの鑑賞、そして、職員の皆さんとの意見交換でした。

 

まず、市場長さん(と聞こえたのですが、ちょっと曖昧)から、”食肉市場のしおり”を用いて、事前説明がありました。

いくつかポイントを紹介しますと、

  • 敷地面積は64,108㎡、東京ドームが47,000㎡なので、東京ドームがすっぽり入る大きさ。広いと思わがちだが、中で働く者としては、と場、市場の施設、設備がぎっしり詰め込まれている感がある。
  • ここは食肉を作る工場。お湯も大量に使用するので、水処理して廃水する施設のあれば、電気も家庭用のものは使えないので、専用の設備。また、衛生対策にも非常に気を使う。
  • 食肉市場で働く人員数の定員は294名だが、実際は329名、全て東京都職員。作業第一課は大動物(牛)担当、一部、デスクワークもあるが、ほとんどが現場。作業第二課は小動物(豚)担当で、女性もいる。牛は生体が大きく、扱う刃物も大きいので、現在のところ、作業第一課に女性を置いていない。
  • 大動物(牛)は3ラインあり、175 + 175 + 80 = 430頭が最大処理数で全国一。小動物(豚)は2ラインあり、700 + 700 = 1400頭。小さくはないが、群馬の方が大きい。
  • 本日、牛は428頭の予定。すき焼きなど需要の高いシーズンなので。豚は、豚コレラの影響で頭打ち状態。
  • 市場のあゆみとしては、昭和11年に”芝浦と場”が開場。昭和41年に、卸売市場と合わさって、食肉市場となった。その頃の写真を見ると、生体を滑車で運んでいたり、ノスタルジックな雰囲気。
  • 昭和55年、と畜解体業務が全面東京都直営になる。これまでの間に、一時、民営化の検討がなされたことがあった(らしい)。
  • 平成9年、O157における衛生対策工事。平成13年、BSE発生、BSE全頭検査の開始。平成23年、東日本大震災があり、牛肉の放射性物質全頭検査の開始。現在も続けており、異常はない。食の安全対策として、これだけの衛生対策を実施して、食肉の芝浦ブランドを確立している。
  • 主要産地としては、牛は北海道、岩手などが多いが比較的全国から集荷している。なんとか牛(ぎゅう)という銘柄を満遍なく。豚は、群馬、千葉、栃木など近県が多い。競り値がキロ500円と安いので、流通コストと兼ね合いから。最近は、大手メーカーが産地から直接買い付け、食肉市場を通さない流通も増えている。
  • (一旦、”しおり”から”パンフ”に移って、解体作業工程の説明がありました。特筆するのは、)内臓検査、枝肉検査の工程は、獣医資格を持ったと畜検査員がチェックしている。ヘルメットに二重線が入っている人が、と畜検査員。最後に格付員が格付する。日本人はサシの入った牛肉を好むので、そのような枝肉の格付が高いようだ。
  • (”しおり”に戻って、)食肉処理業務に対する差別や偏見は根強い。最近は、ネットによって容易に拡散されるが、東京都の人権部局と解消に努めている。写真撮影はNG。現場見学で、携帯を取り出す仕草も気にするので、しないように。
  • (最後に、)豊洲市場と異なり、見学コースはなく、滑りやすいし、牛の生体は800kgを超えるので、随行員に従って事故のないように。

 

ということで、いよいよ、と場見学です。

現場で説明が聞こえるよう無線のレシーバーとイヤホンを付けて、丈の長い白衣、でんでん帽(シャワーキャップみたいなもの)、マスク、ゴム手袋を着用して会議室を出、長靴に履き替えて、エアシャワーを浴びて、手袋のままアルコール消毒、何度も長靴を消毒液に潜らせつつ、と場に向かいました。(食肉にとって脅威のバイ菌は、我々ですから)

メモとボールペンは一応、白衣に忍ばせておいたのですが、見学中は、取り出してメモをとる余裕はなく、目に入るものに釘付け、説明も聞き漏らさないよう集中していたので、所々での感想を丁寧に紹介できないのですが、

牛と豚のラインを見学して会議室に戻ってきて、昼食前にメモに起こした取り留めない感想を紹介しますと、

  • 第2回で鑑賞した映画「ある精肉店のはなし」の監督が言っていた、熱気は確かにあったが、83℃の消毒用の熱湯から立ち上る湯気によるもので、魚市場の、魚を捌く時の威勢のようなものがあろうはずもなく、職員の方々は、20秒間隔で進むラインの前で、淡々と、手際良く、分業をこなしている冷静な雰囲気が感じられるだけ。
  • 製品組み立てラインのような単純な流れ作業ではなく、それぞれが800キロの牛、110キロの豚の解体というダイナミックな作業ながらも、雑さは微塵も感じられず、極めて丁寧に、難しい作業に取り組んでいた。
  • 作業対象が大きいので、全体の皮を剥ぐ工程などでは、もちろん機械も使うが、その大きな作業で、食材を傷めないため、ナイフで切れ目を入れつつ行うなど、細やかな作業に職人技と経験が必要とされている。
  • 内臓を取り出す工程でも、枝肉を傷つけないよう、刃先は自分に向けて切る。よく切れるナイフは、力を入れずに切れるのでむしろ安全。
  • 人材育成という点では、一人前と呼ばれるようになる人は、年に一人ずつくらいと説明された。(全工程ができるようになるのに10年なので、確かにそうでしょうね)
  • 血の匂いが気になるかもと事前に考えたが、放血によって最初に血が抜かれているせいか、血生臭さは感じなかったし、血そのものも工場内で目立つものではなかった。放血そのものも、見た目のインパクトはあるが、肉質の新鮮さのためと思えば、どうというものでもなかった。
  • 牛の肝臓が、検査工程で丸ごとはじかれたところでは、勿体ないと感じつつも、食の安全性が確保される現場を見ることができてよかった。

250人の職人(プロ)が黙々と、自分の技(技術)で、責任を全うして、私たちの食卓に食肉を提供してくれている姿は感動的でしたね。

 

午後イチは、豚の競りの見学でした。

これも淡々としたもので、大きなモニターに、次々と、隣の部屋に吊るされている枝肉の番号、産地、生産者、ブランド名、格付、頭数(牛は1頭ずつだが、豚は、同じ生産者からまとめて10頭まで)、重量、最初の値段が映し出され、

それをみている仲買人が、リモコンのようなもののボタンを押して、値を上げていく。3名以上だと黄色く表示され、2名者で緑、1名になると赤く表示され「成立」と表示されるが、数秒もない、ほんの一瞬の動きです。

ただ、席は8席 x 7列 = 56席ありましたが、座っていたのは10人程度。数人は、スマホのゲームやったり、インターネットしていましたが(見学は、吹き抜けの上から見ていたので、見えてしまいました)競り落としたい生産者の肉を待っていたのかも。

なお、豚の競りは13:00からでしたが、牛は8:30とのこと。東京の値段が全国に指標になるらしく、モニターには、格付に応じた加重平均相場が出ていましたが、それを参考に、地方の競りが始まるとのことでした。

 

会議室に戻って、次は食肉市場を紹介するDVDの鑑賞です。

先日声優を引退した増岡弘さん(マスオさん、ジャムおじさんなど)の声で、午前中に見学した各工程および衛生・安全管理、環境対策のポイントの良い復習になりました。(見学中、メモが取れなかったところは、DVDを観ながらメモにできました)

そして、DVDも差別の話で締め括られました。

肉を食べることを真剣に考えれば、人は生きるために他の命をもらっていることがわかる。その生きるために、肉を食べるには、いろいろな人の働きがある。それを知らない、考えない、のが差別を生み、差別がなくならない原因であると。

 

最後のセッションは、と場で働く職員の方々との意見交換でした。

見学者が質問して、代表の方、またはそれぞれが回答するQ&Aの形式で、いくつか(回答をまとめて)紹介します。

  • と場で働くきっかけは様々だが、公務員になりたくて応募したり、知人から紹介されたりだが、皆さん、DVDや情報館でどのような仕事か理解して、働きたいと思って応募している。不合格になって、翌年再チャレンジしたり、お一人は二浪していた。なり手がない職業と勘違いされがちだが、実は、募集に対して、応募が多い狭き門。離職率も低く、仕事に惚れて成長していく。
  • (一律)差別があることは、就職する前は知らなかったが、働いていると話にきいたり、実感したりする。
  • (外部の人が、見学にくることをよく思わない職員もいると聞くが、どうか?)東京都職員の労組の他に、と場労組というものがあり(職員だけでなく、と場に買い付けに来る民間業者も入っている)、差別はおかしいだろう、差別をなくそうという強い志を持った組合で、お肉の情報館、紹介DVDの作成も、この組合からの提案で実現した。反対意見もあるが、この仕事を正しく理解し、人権を考えたい人は受け入れたい。
  • (私も見学中に”えっ?”と思ったのですが、1日に20分の休憩だけでハードワークを、という随行員の説明があったが)正しくは、一番早いシフトは7:00に始まり、13:00頃には、全ての作業が終わる。7.5時間労働のうち、業者の人たちを待たせないよう、現場作業は5時間くらいで一気に終わらせて、風呂、遅めの昼食をとって、その後は、会議などをするので、休憩時間がずれているだけ。20分(10分を2回)は、最初の現場作業の中では、という意味だと思う。
  • (腰とか膝を痛めると聞いたが、労災は?)怪我はわかりやすく、公務災害に認められるが、腰痛、腱鞘炎などは一度は労災に認定されるが、以後はきっかけがはっきりせず、認められにくい。腰痛バンドをするとか、ストレッチを入念にするなど自衛措置しかない。
  • (作業マニュアルなどないのか?)マニュアルはなく、見習う、真似るしかない。難しいが、練習がない。失敗したら、農家さんは二度と持ってこない。工程分割して、ひとつひとつ覚えていく。まずは傷が大きくならないところから。誰かから押し付けられるのではなく、自分の判断で”こうなりたい”と思う人に憧れを持って、仕事を覚えていく。自分との戦いであり、自己研鑽によって高みを目指していく。
  • 都の募集には「食肉処理」と書かれてあり、受かれば、退職までずっと食肉市場で働く。

 

他にも、東日本大震災の影響とか、欧米のと場設備との違いとか、質問は尽きなかったのですが、

終了の時間となって、先週の第3回のお肉の情報館で解説を担当して「牛、豚をみるのではなく、人間がどうやって生きているのかを見て欲しい。一人一人の心の中の差別感を学んでもらうために案内します。」とメッセージをくださった職員の方から、

「人権に関する講習でしたが、どう思われましたか?」と見学者に質問があり、何名かが感想と謝辞を述べて、全4回、じんけんカフェ】お肉はつくられる〜東京中央卸売食肉市場見学〜は修了となりました。

 

私の回答としては、

職員の皆さんは自分を職人と呼んでいて、公務であるのにマニュアルがなく、先輩や師匠の技に憧れて、それを目指す点においてはその通りです。

他方、自己研鑽によって、自分のスキルを高めていくところはアスリートのようであり、高めた技量が、何によって評価されるのかと言えば、競りでの枝肉の値段、すなわち買い手、マーケットの評価であるところは、アーチストのようでもあります。

しかし、己の技量によって、枝肉がいくら高く売れても、個人の収入につながるものではないことは、世間でいうところのプロではなく、ある意味アマチュアでありながらも、ひたすら学ぶことを求める真摯な生き方は、ただただ尊敬に値します。

おおた区民大学のもう一つの講座【じんけんカフェ】学びとはなにかでは、学ぶことは生きること、と教わっていますが、それを実践されています)

 

しかしながら、誇れる技能を持ち、誇れる人生を歩みながら、それを公に誇ることができず、むしろ、差別の目を向けられなければならない社会であるのは、何故なのでしょう。

第1回前編後編)で、臼井さんが「顔を顔の見える関係を築く。顔が浮かぶと差別はできない。」と言いましたが、まさに、このように、顔を合わせて話をすれば、分かり合えて、尊敬すらできるのに、顔を合わせない、顔を見せない偏見に満ちた人々が、誹謗中傷を発するのは、何故なのでしょう。

社会としてどうすればいいかは、複雑な問題ですが、個人としてどうあるべきか、どう心がけるかは明らかです。

かつて黒人差別がありましたが、長い年月をかけて、現在ではダイバーシティの観点から、差別解放に向かっていると思います。

差別、と場の職業差別は、ダイバーシティとは逆の「違わないのに、違うと差別する」問題ですが、一人一人の理解と、意識を変える、社会全体が変わっていって欲しい、変わらなくてはならないと考えました。

(これも、【じんけんカフェ】学びとはなにかの方で学びましたが、人には自ら変わる力が備わっているので、教育(学習)によって、それを引き出すだけであると)

以上です。

ではでは


【東京工科大学提携講座】折り紙建築の手法をいかした<折り>のデザイン講座

2019-11-12 18:07:56 | 地域情報

昨夜は、何故か、久しぶりに眠れぬ夜で、実際には数時間眠っているとは思うのですが、

自分の記憶では、一睡もできませんでした(布団に入ってから、起きる上がるまでの記憶が繋がっている)。

で、日の出と同時に行動開始です(呆)

朝焼けをバックに、本門寺のシルエットはきれいでした。

こんな風に見えるのは、雲がない時で、

然して、早朝から雲ひとつない青空が、明るく広がりましたね。

7時台で、洗足池もこの通り。

早朝にも関わらず、ボートが出ているのは、ドラマか何かのロケのようでした。

(最近の芸能人、流行りのドラマはわからないので、さほど気にもせず、3周して帰ってきました)

 

 

さて、秋期おおた区民大学で受講する3つ目の講座、【東京工科大学提携講座】折り紙建築の手法をいかした<折り>のデザイン講座~自分だけのオリジナルなポップアップカードをつくってみよう~が先週の土曜日にありましたので、その模様をご紹介します。

「東京工科大学のデザイン分野の専門的知識を学び、折り紙建築の仕組みを学びます。」が趣旨で、東京工科大学にて、同大学デザイン学部 助教の御幸朋寿(ごこうともひさ)さんに教わります。

東京工科大学および併設されている日本工学院って、八王子のイメージが強いですが、蒲田駅前にも、きれいで、立派、芸術的な意匠の建物があります。

その建物で、普段は学生が実習とかやっているのであろうと思われる、これまたきれいな教室で、指導を受け、実習を行いました。

この講座は、全2回で、この第1回が(基礎編)で「折紙建築のしくみを学ぼう」で、第2回が(応用編)で「オリジナルのポップアップカードをつくろう」になります。

定員は20名でしたが、応募者多数とのことで40名に枠を増やしたそうです。まあ、欠席者もいたので、参加者は30名ちょいだったかな。

他のおおた区民大学の講座でも見かける人も数名、全体的に年齢は高め。

6人ずつテーブルに分かれて、先生の説明と指導に従って、定規とカッターを走らせました。

 

当日のカリキュラムは、

Step0 :折紙建築とは?

Step1 :折紙建築と折線の山と谷の関係

Step2 :折紙建築と折線の距離の関係

Step3 :折紙建築と切込み線の関係

Step4 :切込み線が複数!?

Step5 :折紙建築の中に折紙建築!?

Step6 :ポップアップカードをつくる

でしたが、

 

冒頭、先生も3時間では終わらないかもしれないので、時間がなくなったらStep4、5は飛ばすかも、と言ったのですが、

事態はそれより良くなくて、Step3の半分から、Step6に飛んで、厳密にはStep6も半分で時間切れでした。

大方の参加者にはずいぶん難しいようで、各Step時間がかかります。

おそらく、理論抜きで、ただ指示に従って、切って、折ってならできるのでしょうけど、

基礎編として、理論を学びながらなので、その理論、理屈の説明についていけず、ちょっとした言い回しにも突っかかってしまい、

サポートの学生さんもテーブルにつくのですが、なかなかペースは上がらず、、、

これで、次回の応用編が成り立つのだろうか、、、と心配になりました。

同じテーブルの一人も「もっと簡単に、素敵なクルスマスカードが作れると思ったのに・・・」と、方向違いな期待外れ感を表していましたが、

そういう人は、そういうキットなり、既製品をロフトとかハンズで買ってください、ですね(苦)

 

さて、そもそも「折紙建築」とは?ですが、

開くと立体的に飛び出す、クリスマスカードをイメージしてください。

簡単には、あれです。

先生の作品などは、次元が異なるものですが、我々初心者は、手法を学んで、ポップアップカードをデザインして、作るのが本講座の目的です。

ハノイにいる時、ホアンキエム湖畔で、お土産で売っているのをよく見かけて、ちょっと懐かしさも相まって、この講座に申し込んで、首尾良く、当選しました。

 

折紙建築は、東工大の茶谷教授が考え出したもので、世界中の有名建築物を、紙の切れ込みと折れ線で、立体形状に作り上げたのが始まりだそうです。

 

御幸先生は、折紙建築のデザイナーではないが、大学では空間建築を学んで、現在、折紙建築をプロダクトデザインに応用することを研究されているそうです。

サンプルをいくつか見せていただきましたが、

簡単なものは、ご自身の結婚式の招待状(笑)。とは言え、デザインはかなり複雑。

全体的に複雑なものはキリがないのですが、ご自身が発明したという”御幸折り”、螺旋のようにねじれたものは、説明のしようがないほど凄いです。

こんなのを、一枚の紙から作るなんて、驚きと感動です。

よくこんなのを設計できるなと感心したのですが、実際のデザイン作業は、トライアンドエラーで、部品も切り離してからヒンジでつなげるそうです。

 

なお、折紙建築の基本というか、ルールがあって、「一ヶ所を動かすと、全体が動く」必要があります。

ぶらぶらしていところがあったり、曲線に曲がっているところがあってはなりません。

(それが、なかなか参加者に伝わらなくて、苦労されていましたね)

 

まあ、実習について詳述はしませんが、段階を追って、こんなのを10個ぐらい作りながら、

折れ線と切込み線の関係や、折紙建築のデザインルールを教わって、

最後に、これを作って終わりです。

本来の予定では、複雑なパターンも勉強して、最後は家の形の後、自分でデザインして作ってみるようでしたが、3時間で、そこまでは行きませんでした。

(というか、時間の問題ではなく、何時間あっても全員が修了するのは不可能だったと思う)

 

基本的には、切込み線と折線(山、谷)をどうするかで、空間的な立体感が生まれます。

折線(ヒンジ)の数は、基本的に4であり、上の写真のように、折れ線に囲まれた部分は平行四辺形になります。

これが5(角形)だと、開いた時に立体的に起き上がりません。

 

そして、平行四辺形なので、ポップアップしている対向する面は、同じ長さでないと、立体的にはなるものの、ぺたんと折りたたむことができず、折りたためることも折紙建築のルールです。

 

まあ、私なりの、折線に関する基本ルール(覚え方)は、

左から右に考えた場合、一番左が切れ込みの上で山にしたら、隣は上で谷か、下で山にする。

  • 上で谷にしたら、次は、下で山、そして一番右は下で谷。(上から見ると、音符のナチュラル(♮)のような形)
  • 下で山にしたら、次は、上で谷、そして一番右は上で山。(上から見ると、トランプタワーのような形)

一番左を切れ込みの下にすれば、上下を反転して考え、

一番左を谷にしたら、山と谷を逆にして考えればよく、

理論的に、4種類作ることができます。

 

別の覚え方では、

左の二本を上上(または、下下)にするなら、どっちかが山で、もうひとつは谷の組み合わせ。

山山(または谷谷)にするなら、上下の組み合わせ、と考えても合っているはず。

 

そして、左右2本の折線間隔を合わせる(膨らみの平行四辺形をイメージ)。

 

と、言うのは簡単なのですが(苦)、

重要なのは、紙一枚からポップアップするイメージが湧くかどうかだと思うものの、

理論的とイメージはなかなか合わず、先生が「左が上で谷ですから、次は上で山か、下で谷・・・」とか言われた瞬間に、混乱します。

「まず折ってみればわかりやすい」という方もいましたし、その通りなのですが、複雑なデザインでは、まず折ってみるという訳には行かないので、このように習っています。

 

それに、左から順に折っていけば、この私の覚え方でもいいのですが、デザイン的には、両端がまず決まる場合もあり、その両端がこの組み合わせなら、内側の二本はどうなるのか、と問われると、パッとは思いつきませんし、

時間がなくスキップしましたが、切れ込み線を複数にして、その上下で複数の折線パターンを考えねばならなかったり(最後に作った家のポップアップは、煙突の左右で、別の折れ線パターンをデザインしています)

なかなか難しいものでした(疲)

 

しかし、この調子で、次回の応用編で、ポップアップカードをデザインして、自分で折線を定めて、作れるのだろうか。。。

ちゃんと復習して(持ち帰った、使えなかった教材で練習して)臨まねば。

ではでは


【じんけんカフェ】学びとはなにか 第2回

2019-11-11 17:42:21 | 地域情報

今日は、明け方は雨でしたが、

散歩に出かける頃には止んで、

日中は明るく晴れましたが、

夕方にはまた降り出したり、、、

落ち着きのない天気でした。

 

写真は、朝方、雨上がりの時間帯、洗足池のボートハウスの前の鉢植えに一輪だけ咲いていた白い花。

雨粒を弾く凛々しさが感じられます。

画像検索すると、キバナヒルガオと出るのですが、それっぽいような、、、それっぽくないような、、、

最近は、花の感じで迷ったら葉っぱを比較するのですが、それで言うと、キバナヒルガオであっているような、、、

でも、なんか早朝に咲くのが、ヒルガオかなあ、、、と思ったり。。。

 

さて、先週金曜日は、おおた区民大学【じんけんカフェ】学びとはなにかの第2回でした。

第1回では、学ぶことの意義を問い続けた教育研究者・大田堯(おおたたかし)さんの生き様を追ったドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を鑑賞し、この映画を撮影した森康行(もりやすゆき)監督から、大田堯さんの教育哲学と、教育は感動を呼ぶなどのお話をお聞きしました。

第2回では、教育史研究家、大多和雅絵(著書:戦後夜間中学校の歴史)から、夜間中学校が今日までどのような人の学びの場になってきたのかを知り、夜間中学校の現状と課題から「学ぶとはなにか」について考えます。

実は、非常に分かり易い詳細なレジメが配布され、それに沿ってお話が進んだので、私のメモとしてブログ記事を起こす必要はなく、また、そのレジメ(パワポではなく、論文形式)を貼付すれば、十分に内容が理解できるものだったのですが、

まさかそのまま貼付する訳にもいきませんし、私の悪筆のメモが書き込まれてもいますので(恥)、

一応、私なりにポイントを掻い摘んで、講座の内容をご紹介したいと思います。

 

夜間中学校とは?

  • 夜間中学校のイメージってどんな感じですか?山田洋次監督の「学校」のイメージ。リアリティーが追求されている映画。西田敏行さん、竹下景子さんも夜間中学校に何度も足を運んでいる。「こんばんわ 」も、森監督が学校に入り込んで、信頼関係を構築した上で撮影したドキュメンタリー。
  • 学校教育法上は「夜間中学校」「夜間中学」という学校は存在せず、昼と夜の二部制の「夜間学級」が建前
  • 2016年12月の議員立法「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」によって、初めて法的な開設根拠を得た
  • 全国の公立夜間中学校は33校。公立以外で財団法人、NPO、ボランティア自主的に運営するものもある。違いは、前者は卒業資格・卒業証書がもらえるが、後者はもらえない。識字学級などと同様、社会教育の一環の位置づけ。
  • 卒業資格がなくても、文科省が年2回実施する認定試験に合格すれば高校進学できる。


戦後夜間中学校の歴史

(1)東京都における夜間中学校の開設の経緯

  • 1947年、新学制がスタートし、中学校が義務教育となったが、昼間の就学がかなわない学齢期における子供が多数存在した地域で、教員が自発的に夕方から授業(夕間学級)を行なったことが始まり
  • 共通する開設動機:家庭の経済的貧困(昼間の労働従事、家事手伝い)で不就学の学齢生徒を救済する。義務教育未修了で社会に出ていくことは、就職や職業上の資格取得に極めて不利益であるので救済する。
  • 地域の特性:小規模経営の多い地区、家内工業地区、近海漁業地区では、子供に教育を受けさせず、家の手伝い、家業の修行をさせがち。被差別地域。娯楽施設が多数存在する地域での非行防止など。
  • 東京都では1951年に足立区立第四中学校に夜間中学校が開設されたことが始まり。切っ掛けは、当時の校長がワークショップで福島県の学齢期の子供たちの出稼ぎの問題を知って。

(私の郷里の福島では、子供の出稼ぎがあったの?あったんでしょうね。。。)

  • 東京都教育委員会が、文部省の反対を押し切って、二部授業(夜間学級)の開設を認可。文部省は黙認。日を経るにつれて生徒数が急増。
  • 文部省は「義務教育の建前から言えば当然違反」と否定的で、現場に廃止の圧力をかけることも多かった。建前とは、現行学校教育法において認められていないということ。文部省としては、(夜間中学校ではなく)就学援助費など経済的支援を充実させること、家庭への修学奨励を図ることで、状況改善を企図していた。

(法律がそうだから、というのは役人としては仕方ないとしても、廃止の圧力をかけるなんて、役人のメンツの話ですよね。大田堯さんの「自分を変える力を助けるのが学習であり、その自ら変わる力と対話をして、周りから援助するのが教育」から外れ過ぎています。。。)

  • 学齢生徒とは、学校教育法第17条において定められた学齢期間内の年齢(年度に7歳に達する4月から、15歳に達する年度末まで)にある子供。
  • 学齢超過者とは、学校教育法において定められた学齢期間を過ぎた人々(義務教育を受けられなかった人のこと)

(2)東京都における夜間中学校の入学生徒の変遷

  • 1950年代からは、首都である東京に人が流入してくる時代状況で、家庭の経済的理由による就労、親の無理解で長期欠席、不就学状態になっていた学齢生徒が多数。学齢超過者もいたが、夜間中学校のあり方は、学齢生徒の就学の問題。同年代、大阪では、在日韓国人、地区の問題を抱えていた。 
  • 1960年代後半からは、学齢超過者の問題に様変わり。
  • 引揚・帰国者(1965年の日韓条約締結、1972年の日中国交回復)、在日韓国朝鮮人。
  • 経済の好転によって学齢生徒は昼の学校に通えるようになり、学齢期に行けなかった学齢超過者の教育機会となった。
  • 日本語教育の必要性。昼の中学校では、日本語学級を作った時代。
  • 長欠理由が「経済的理由」や「家庭的理由」よりも「精神的理由」(現在の不登校につながる)が上回る。
  • 形式卒業者の入学の問題:学齢期に長欠しても卒業させてしまった人は、実質的に義務教育修了の学力が備わっておらず、学習しようと中学校に入学しようと思っても、義務教育を修了してしまっているので、再入学できない。内々に聴講生としてサポート。生徒が、卒業証書をもらわないという選択肢もあり、現級留置として、数年間は留めおけた。学校長判断で、除籍して、夜間中学校に勧誘する措置もあった。
  • 夜間中学校の開設運動の拡がり。1960年代、社会教育でいいのでは、と校数が現象したが、1970年代、教育を受ける権利を自治体が作っていく動きが拡大した。二部授業は都道府県への届出だけでよかったので、文部省が潰せなかった。
  • 1980年代からは、不登校を経験した学齢超過者の増加
  • 2000年代以降は、ニューカマー(外国人労働者、多様な国籍の生徒)。第3回で鑑賞する「こんばんわ」は2003年の映画なので、その時代を描写。
 

夜間中学校の現在

  • 大多和さんが勤務している(?)横浜市立蒔田中学校夜間学級の様子の解説
  • 2019年は29名。一年生から入学して、3年間通学する。
  • 近年、ネパールから入学者が増えた。東京でもその傾向がある。(なぜネパール?)
  • 日本語を母国語とする生徒は数名。日本国籍でも、日本語教育が必要な状況。
  • 年齢は幅広いが、15から19歳の若年の生徒が多数。進路の問題。東京都では夜間中学校卒業生の半数が高校進学。夜間中学校が高校進学のステップになっている。
  • 指導体制も整備。昼と夜で、兼務ではなく、専任の副校長と教員。
  • 社会教育ではなく、中学教育なので、体育や美術の授業もあるし、修学旅行もある。
  • 日本語教育、中高年で中学校を卒業、形式卒業で学び直し、高校進学など、夜間中学校で修学する目的、学習ニーズも多様化している。
  • 日本語を母国語としない生徒に、日本語の指導、高校へつながる学力をどう保障するかが課題に。

 

現在の夜間中学校に関する関連法規

  • 「義務教育修了者が中学校夜間学級への再入学を希望した場合の対応に関する考え方について(通知)」:形式卒業者の受入、学びなおし
  • 「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」:就学機会の提供、夜間に限らず昼夜都合のいい方で。

 

お話の最後は、夜間中学校で40年にわたり教鞭をとった見城慶和氏のコメントを引用して、ただ数が増えていけばいいというものではなく、夜間中学校が今日まで培ってきた内実こそが広く理解されることが大切で、拡げるべきは”在り様”の認知であり、それが日本の教育全体に普遍化されることを願いたい

そして、先週ドキュメンタリー映画を鑑賞した大田堯さんが、第3回で鑑賞する「こんばんわ」を観て、寄稿した夜間中学校に関するコメントを紹介してお話を締め括られました。

  • 「こんばんわ 」の夜間中学校は鈍行列車。年齢、職業、国籍等すべて違った人が乗り合わせる。生まれた場所、家、環境も違い、その後の生き方、経験、キャリア全部違っている。その違っている人間の寄り合い場所としての鈍行列車。
  • 第二の特徴は各駅停車。いろんな立場の、いろんな時の、いろんな時点に学習を始められる。しかも、一人一人のペースによって勉強できる。
  • 第三のポイントは、人の輪の中で学ぶということ。点数競争のバラバラではなく、人の輪の中で学ぶ。学ぶことで人と結びつく、結びつくことで自分というものを知る。自分を知ることで自分の足で立つことができる、自信がついて明るくなる。

その後、若干のQ&Aがあり、印象に残るところでは、

  • 学齢期においては、教育を受けさせることが親の義務で在り、自治体、国が支援するが、学齢期を過ぎると忘れられる。
  • 外国籍の場合、母国でどこまでの教育を受けたか、しっかり確認しなければならない。
  • 引きこもりの子供を、家族が後押しして夜間中学校に入学させても、夜間中学校でも不登校になったりする。

 

私としては、ちょっと、夜学の高校や社会教育と混同しているところがありましたが、時代毎の社会問題を背景に、義務教育を終了できなかった人、現行の義務教育でも対応できない人の問題が夜間中学校の内実に映し出されていることがわかり、

また、先週の大田堯さんの教育哲学が、夜間中学校の”在り様”に見てとることもでき、

今週の第3回で鑑賞する「こんばんわ」も楽しみになりました。

ではでは


【じんけんカフェ】お肉はつくられる 第3回

2019-11-07 17:15:59 | 地域情報

さて、昨日、おおた区民大学、【じんけんカフェ】お肉はつくられる〜東京中央卸売食肉市場見学〜の第3回がありましたので、参加して来ました。


第1回【と場見学事前学習①】差別を超えて〜取材ノートから〜では、元朝日新聞論説委員の臼井敏男さん(著書「差別をこえて」)の講演をお聞きし(前編後編)、差別における「差別」は、何も違いがないのに、あの人たちは自分と違うと集団を一括りに線を引いてしまうこと、その括りが実態のない「穢れ」に由来すること。

第2回【公開講座】映画「ある精肉店のはなし」では、映画を鑑賞し、映画監督の纐纈(はなぶさ)あやさんから映画を作った切っ掛けなどをお聞きました

そして、第3回は【と場見学事前学習②】〜お肉の情報館見学〜として、東京中央卸売市場食肉市場を訪問し、お肉の情報館を見学しつつ、そこで働く方からご説明を受けました。

 

食肉市場は、品川駅の港南口からすぐのところにあります。

(構内、写真NGなので、外の交差点から)

そのセンタービルの6Fがお肉の情報館になっていて、まずは会議室でブリーフィングがあり、その後、職員さんの案内で展示物を見学し、最後は会議室でQ&Aで終了です。

まず、ブリーフィングの内容ですが、大田区生涯学習担当の方と案内してくださる作業者の方から、何故この第3回目があるのかのお話がありました。

  • 食肉がどのように生産されているのかを見たい、だけでは見学はお断りしている。
  • 食品衛生の観点もあるが、何より、かつての被差別民の仕事であったと言う人権の問題がある。
  • これまで差別との戦いを余儀なくされ、新しい人が立ち入ることで、新しい差別を生むのではないかと言う懸念を持ち、外部の人を入れないで欲しいと考える作業者もいる。
  • 自分が食べている食肉に人権問題が関係していることを学びたいと言う人であれば、作業者の方々が訴えたいことを理解した上で現場を見て欲しい。

現場の思いを理解する準備が必要ということですね。

 

芝浦とと場・東京食肉市場の歩み

  • 外国人の食肉需要が高かったので、ここ芝浦より、横浜の方が歴史が古い。
  • 高輪口に英国大使館ができて、中川屋嘉兵衛(なかがわやかへい)という人が白金にと場を作ったのが始まり。
  • と場を作るにあたり、神主が結界を作る儀式を行った。それこそが「穢れ」を外に出さないため
  • 近隣から苦情が出るので、各所で設立、廃止が繰り返され、昭和36年にここに集められた。
  • 品川駅から滑車を引くことで列車の積み下ろしが容易。昔は海岸であったので船が使えた。また、廃水の処理にも都合がよかった。
  • しかし、何よりも誰も住んでいないことが重要。
  • 不動産、建設業などにおいて”嫌悪施設”と呼ぶれるものがあり、と場の他に、斎場、ゴミ焼却施設なども。人が亡くなれば火葬するし、誰もがゴミを捨てるのでこれらの施設は必要不可欠なのに、もし家の前に建設されると言われたら?コンビニのように受け入れられるか?(言われてみると、確かにそうですね。。。ベトナムは、病院が嫌がられていたっけ。医薬品で土地が汚染されるんだって)
  • 自分には必要でも嫌、それは差別。そんな自分の中の矛盾に向き合うことで、社会全体を変えることができる。

 

生産(肥育から出荷まで)

  • と畜場法によって、大動物(牛、馬)、小動物(豚、山羊、羊)の解体を行うが、牛は一日最大430頭を145名で、豚は一日最多1400頭を90名で行う。女性も6名いる。
  • 黒毛和牛の解体は全国の10%を芝浦で行っている。現在、9割が、家畜改良センターで受精卵を作って、ホルスタインに着床させる。雌の和牛は出産すると味が落ちるので母体にはしたくない。ホルスタインは搾乳のためには妊娠しなければならないので、合理的な仕組み。
  • 妊娠したホルスタインを育てるのが生産農家。生まれた子牛を育てるのが肥育農家。(肥育という言葉を初めて知りました)松坂牛などのブランドは、肥育農家という育てるプロがそれぞれ生み出したもの(ビール飲ませるとか)
  • 豚の繁殖は、人工と自然の両方。
  • 枝肉の格付けは、焼肉屋やスーパーで見かける”A5が最高”というのはよく聞くが、アルファベットはAからC、数字は1から5まであるが、A1とC5のどちらが美味しいか?(参加者の手の上げ方は半々)
  • 数字は”肉質等級”で、味、色、きめ細かさなど。アルファベットは”歩留等級”で、一体から取られる肉の割合。日本格付け協会が、競りのために付ける。
  • C5は、最高品質がたっぷり取れる意味。A1は美味しくない肉がちょっとだけ取れる意味(無意味)。実はA4よりB5の方が美味しい。
  • ここで取り扱うのは、ほとんどがAかBの5か4。農家とバイヤーが相対取引で値段を決めてから持ってくるのが多いが、自信のある農家さんは、競りにかける。(参加者から質問がありましたが)生きた牛を引いて、競りを行うのは稀(ベトナムのサパの市場で、そんな感じのことやっているの見たっけ)、枝肉にして競りを行う。(後述しますが、それゆえ解体作業の質が、競りに大きく影響する)

と畜解体作業の流れ

  • 食肉市場が枝肉を販売しているという誤解があるが、農家さんが持ち込んだ生体を、手数料をいただいて解体し、農家さんに返している。
  • ノッキングで気絶させ、頸動脈を切って放血する。心臓が動いている状態なので、血が大量に吹き出す。大量に出ると、やったー!と思う。
  • 血液は腐りやすく、出し損ねると”せり”で値段が下がる。子牛の購入に70〜80万円、肥育に30万円かかるので、130万円くらいで競り落とされないと困る。かつて、自分の放血ミスで、競り値が80万円下がてしまったことがあり、放血がうまくいくと、農家さんの期待に応えられて、やったー!と思う。職人として、その腕に誇りを持っている
  • 確かに、生き物の命を絶つことは衝撃的ではある、否定的な人もいる。しかし、生きるためには食べなければならない。誰もが他の生物の命を絶って、生きてきた。残酷ではなく、当たり前、必要なことであり、食べていながら残酷というのはおかしい。
  • 生きるとはどういうことか、皆さんの目で確認して欲しい

 

  • 関節を外すのは難しい技術
  • 皮を剥く時、傷をつけたら革商品価値を落としてしまう。傷つけないためには厚く剥けばいいが、歩留を減らすためには、薄く剥く技術が求められる
  • 北海道の農家さんが、わざわざここに生体を運んできた時、歩留が3%よければ、輸送費をペイするので、ここに持って来たと言ってくれた時、作業を評価されて嬉しかった。一頭は、20分で剥ぐ。
  • 内臓を取り出す時、べろんと一度に出てくる感じだが、即座に3箇所くらいにナイフを入れる。そうしないとレバーが割れてしまったりする。これも職人の技
  • 最後に枝肉に分ける時、真っ二つにするが、そこまでの工程を全部できるようになったと親方(技能長というライン責任者)に認められないと、最後の”背引き”はさせてもらえない。背引きも、放血同様に競りに影響する。柔らかいヒレ肉を潰したりしないよう、狭いストライクゾーンにナイフを入れていかねばならない。背びきはカッコイイ最高のポジション
  • 全工程ができるようになるには10年かかるが、親方に認められても、それはできるようになっただけなので、次は、その技術をどこまで高められるか、自己研鑽と切磋琢磨が始まる。

(その場で質問がたくさんありまして、その回答だけ)

  • 食べられる内臓かどうかは、獣医が目視でチェックする。
  • 解体作業の不備で、損害が出た時に備えて、競り運営する会社と農家で基金を設立して、損害の55%を保証することにしたものの、すぐに基金が尽きそうになった。その後、技術を高めて、損害を出さなくなってきて、8割を保証するようにした。
  • 何度も検査するので、問題のある肉が口に入ることはない。野菜などと異なり、肉だけはプロが全部チェックする。狂牛病の前からやっていた。
  • と畜の上限は、廃水をきれいにして下水に流すので、水処理センターの能力で決まる。
  • ナイフとヤスリは肌身離さず。ナイフを研ぐところから修行が始まる。一番大事な道具はヤスリで一生もの。
  • 初めて放血を見たときはびっくりしたが、現場の先輩の後ろ姿を見て、職人としての思いが高まった。嫌々やっているとか、やりたくない仕事と思っているのではと誤解されるが、独自の経験、技術に誇りを持った人ばかり。嫌々やっている職人が一人でもいるか、見て欲しい

 

食肉の歴史と人権

(展示されている、長崎のオランダ人の館で豚を解体している絵において)

  • 放血した血を受けるたらいを大事に持っているが、血は栄養価が高いから大事にしている。

(私は、タイに赴任して、豚血の寒天を食べて好きになり、ベトナムでも随分食べましたね。コブラやスッポンの血も飲みましたが、こちらはまあ栄養というよりは精力剤かな)

  • 他方、何故、日本では血を食べないのか?967年に施行された延喜式で、三種の「穢れ」が定められたから。
    • 赤不浄:血液
    • 黒不浄:死ぬと発生する。お葬式の後、お浄めの塩をかけるのはそこから。看護師さん聞いた話だが、病院では亡くなる人が毎日いるが、塩がないのは不思議。死が何となく汚らわしいという、日本人だけの感覚。死に携わる労働者が何故、よく思われないのか。動物の殺処分も現状では必要な事。自宅で蚊がいれば叩いて殺すのに。死についての感覚を使い分けている
    • 白不浄:女性は出産すると汚れるので、七日間の禊ぎが必要。
  • 赤不浄と白不浄の合わせ技で、女性差別が起きている。人間は誰だって血が巡っているし、皮膚を切れば血が流れる。男性も女性が血を流して産んでいる。矛盾だらけ
ここで、見学案内は終了です。質問が積極的になされたので、予定時間を随分越えた盛り上がりでした。

休憩を挟んで、会議室に戻って、Q&Aとクロージングです。

休憩の時は、展示されている食肉市場に届いた、差別投書を読んだりしました。

呆れた話ですが、呆れただけで終わる、無視して過ごすことではありませんね。

 

Q&Aでも、興味深いお話が聴けましたのでご紹介させていただくと、

差別投書について)昔は手紙で直球だった。現在、手紙もあるが、インターネットが多い。Yahoo知恵袋で検索すると大量に出てくる。

(と場の廃止、集約について)衛生対策としてNASAの宇宙食(?)のものを導入しているが、小さなと場では衛生管理者を確保するなどの衛生対策が困難になったので。

(足、尻尾を落とすのは?)衛生的に四足を落とすが、足、尻尾、それとタンは、内臓の扱い。

(海外でも差別があるのか?)世界中であるが、理由は様々。欧米は、移民者が従事するが、殺すことから差別されているのではなく、差別された人たちが従事している。韓国は、日本同様に被差別身分の人が従事していたが、その末裔はいないというのが現在の建前。仏教、ヒンズー教は、生きているものの命を絶つのはよくないという教えなので、従事者が差別されたり、職業カーストの下位に位置づけられる。アフリカ、モンゴルなどでは、結婚式などのお祝い事で、みんなで家畜をしめて、食べるので、差別はない。日本でも、田舎で鶏をしめて食べる事を見慣れていれば、偏見を持たない。偏見を持たないよう、小学校の授業でやってほしい

(枝肉は、競りや、相対で値段が決まるが、内臓の値段は?)生体を、枝肉、原皮、内臓に分けることが”解体”。枝肉は競りだが、原皮と内臓は”定価”。原皮は、黒毛和牛より、ホルスタインの方が、皮が厚いので高い。内臓の値段は、牛の品種に関係ない。松坂牛など、”さし”を出すため、内臓に負担をかけているので美味しくないし、皮も薄くてダメ(ってことは、松坂牛の焼肉屋で、ホルモンに松坂牛値段を払うのはおかしいってことか、、、)

(牛脂は?)内臓とか皮からとる(お店で枝肉をスライスするときに、取り分けるんじゃないんだ。)

 

そして、最後にメッセージとして、

来週、と場に入って見学しますが、

牛、豚をみるのではなく、人間がどうやって生きているのかを見て欲しい。

一人一人の心の中の差別感を学んでもらうために案内します。

 

はい、肝に命じて。

今回、お話を聞いて、ご自分の仕事に対するプロ意識、プライドを篤く感じました。

私の祖父は、下駄、草履職人だったのですが、同じですね。

人権問題について考える、自分の中の矛盾を見直すのはもちろんですが、

これまでの学習を通して、解体作業における職人技を拝見できる、期待を否定できません。

と畜を見学するという感じではなく、食肉市場(マーケット)を支えてくれる熱意とか技術に対して。

ではでは


【じんけんカフェ】学びとはなにか 第1回

2019-11-02 16:34:57 | 地域情報

今日も秋晴れで気持ちの良い一日で、散歩も魔物退治も随分捗りました(苦)

洗足池の紅葉は始まったばかりと言う感じですが、気温の低い早朝、天気がいいとシンメトリックに水面に鮮明に映って綺麗です。

 

さて、先週、おおた区民大学、【じんけんカフェ】お肉はつくられる〜東京中央卸売食肉市場見学〜第2回の記事で、

「次週、第3回【と場見学事前学習②】お肉はつくられる〜お肉の情報館見学〜では、東京中央卸売市場食肉市場に行きます。」

と書きましたが、お肉の情報館見学は再来週(つまり、来週)で、

今週は、おおた区民大学の別のプログラム、【じんけんカフェ】学びとはなにか、の第1回でした。

【じんけんカフェ】学びとはなにかの趣旨は、

人が生きていく上で、「学ぶ」ことは、どういう意義を持つのか。映画鑑賞や夜間中学校の歴史から改めて「学習論」を考える。

として、全4回。

その第1回は、【公開講座】映画「かすかな光へ」

(全4回を通しで申し込んだ参加者に加えて、第1回と第3回は、映画鑑賞の公開講座だけの参加者が加わります)

内容は「学ぶことの意義を問い続けた教育研究者・大田堯(おおたたかし)さんの生き様を追ったドキュメンタリー映画を鑑賞し、この映画を撮影した森康行(もりやすゆき)監督にお話伺います。

生憎、大田堯さんの事は存じ上げていなかったのですが、日本を代表する教育学者とのこと。

映画を鑑賞し、映画監督のお話を聴き、会場で配布されたたくさんの新聞記事の切り抜きを、家に帰ってから読むと、その教育理論、哲学、生き方にはとても感銘を受けました。

映画および映画監督のお話で、私が感銘を受けたポイントを紹介したいと思います。

(映画および映画監督のお話のあらすじを記すものではないので、唐突感があるかと思いますが、ご容赦ください)

 

映画「かすかな光へ」において

  • 戦前の教育は画一的で、国家に都合の良い人間を作るため、国定教科書に従って、権威のあるものが上から教え諭すものであった。
  • 家長教科書裁判において、教科書は国のためか国民のためかが争われ、公益のための検定は違憲とされた。
  • 学習は子供の権利であり、教育とは自己発見のための援助である。
  • 基本的人権とは、生まれながらにしてもつ権利と言われるが、生まれながらというのであれば、命というものを解きほぐすことで、その意味を理解できるのではないか。
  • 一人一人は”違う”。違いを大事にすることは、その子の尊厳を大事にすること。親は子供を私物と思い込む傾向がある。また、同化を求める欲求があるが、遺伝子が違うので、似ていても他人で、同じにはならない。同化を諦めることで、子供と大らかな人間関係が形成できる。
  • 一人一人が”自らを変える力を持っている”。芋虫がサナギになり、蝶になるが、誰かがそうさせてはいない。それが生き物の力。稲作でも、稲が生命力を持っていて、土や人はそれを助けるだけ。人間の都合でみるのではなく、稲の立場に立って、どうして欲しいのかを考えること。自分を変える力を助けるのが学習であり、その自ら変わる力と対話をして、周りから援助するのが教育
  • 人(生物)は、太陽、水、空気、そして食べ物がないと生きられない。生き物を食べなければならない連鎖の中に存在する、その”関わり合い”の中に命がある。そこが基本的人権を理解するヒント。可能性を信じて関わり合う、それは違いを受け入れ合うことでもある。教育は、新しい関わり合いを作り続け、変わる力に刺激を与えること
  • 川口太陽の会の紹介(障害者施設)。製品の品質が悪く、納期が遅いなどとして取引を解除され、絵画や織物などのアートで生計を立てるようになった。関わり合いとはコミュニケーションであるが、言葉をうまく交わせない人達は、アートという感性で人を交わる。日本中が感性に疎くなっているが、現実の無機的社会での「かすかな光」のように思え、一歩一歩すすめていく。

教育とは、親や教師が教え諭すものではなく、一人一人が持つ自らを変える力を支援するものというのは、知識を詰め込む教育で育った(あるは、自らそうして来た)私には、驚きでした。その子(人)が成長するために、必要なことは何か、その子の立場で考えて、その環境を整えるということが教育というのは、学校教育だけでなく、仕事や社会においても同じですし、植物の栽培やペットの飼育においても同じであると感じました。

 

続いて、撮影を通して、大田さんから聞いた話、その中で知った大田さんの人柄、哲学について、森監督のお話です。

  • 大田先生と話をしていると、難しい言葉がたくさん出て来て、人間が生きて来た歴史を感じて面食らったが、全部、事細かに教えてくれた。
  • 教育は映像にし難いと思ったが、実はそうではなかった。当初、教育現場を見て回ったが、教育学だけでなく、人間の命から教育や社会を考える大田さんを撮影した方が良いと判断した。
  • 大田さんの人生、教育哲学を推察するに、戦争体験が大きく影響している(映画の中に出てくる)。GHQの指導もあったが、終戦から朝鮮戦争までのわずかの間、文部省は機能しておらず、どんな授業をするかは教師の裁量であり、教科書は参考の扱いでよかったので、学校教育を変えていく運動に力を入れて行った。廃墟と飢えの中、それは曙の光に思え、その思いを持って、戦い続けて来たと仰っていた。
  • 人間一人一人が、自らを変える普遍的な力を持ち、自らを作り上げるアートである。それは教育や社会の本質と思った。
  • 学ぶことを通じてコミュニケーションが密になり、人間関係が構築される。コミュニケーションは文化を分かち合うこと。違うことから一致を見出す。人と人の出会いがコミュニケーション。
  • 映像を構築するのも同様。ドキュメンタリーにマニュアルはない。教育も同じだが、そっちの方がむしろ大変。
  • 大田さんがよく教育をアートとかドラマと表現したが、こんばんわ(第3回の公開講座で上映予定)の撮影で、教育とは感動的なものと思った。夜間中学の撮影で、60歳以上の老人が数学の問題が解けないのを、教師が根気よく教えていた。20分程経って別の生徒のところに向かった後も、その老人は問題に取り組んでいて、しばらくして頷きを1回した。続いて2回。そして大きく頷き、問題が解けてことが分かった。その時、本人が喜ぶだけでなく、傍観者である自分にとっても喜びであった。
  • 教育を描いた映画で感動したシーンが2つある。
  • アーサー・ペン監督がヘレン・ケラーを描いた「奇跡の人」。井戸水を手に取るシーンは、学びそのものと思っている。サリバン先生が、物には名前があることを辛抱強く教えて、反抗するヘレン・ケラーが水をぶちまけた時、井戸に引いていき、手を出させて「水」だと指文字で教える。ヘレン・ケラーは、水という存在を知り、物には名前があることを知り、そして世界が広がっていく。学ぶことで世界が広がり、世界が繋がっていく。
  • 学びは何につながるのかを描いた、山田洋次監督の「学校」。いのさん(田中邦衛)が亡くなって、いのさんは幸せだったのかを話し合うラストシーン。幸せとは何か、いろいろな意見が出るが、一人が、夜間中学でこんな風に勉強することで、幸せがわかるようになるんじゃないかな、と言って話し合いが終わる。
  • 大田さんが言う、幸せとは、その人らしさを発見すること、競争ではなく自分のペースで自分を花開かせること。一人一人がその有り様でそれをつかむことが学びの本質。

教育が感動的と言うのは、言われてみなければわからないことでしたが、スポーツを観ての感動と同じように思えましたね。大田さんが、教育をアートとかドラマと表現する理由が、監督の話からよくわかりました。

それと、映画のタイトルが「かすかな光へ」というのは、映画のエンディングの話でははっきりわからなかったのですが、「廃墟と飢えの中、それは曙の光に思えた・・・」くだりから来ていたのですね。監督が、先生は「戦って来た」と表現されたと言いましたが、その戦いの人生を描いた映画のタイトルとしてふさわしいものでしたね。

最後の、映画2本は私も観て鮮明に憶えています。「奇跡の人」での、サリバン先生がヘレン・ケラーの掌で、指文字にWATERと記した後、ヘレン・ケラーがサリバン先生の頬に手を当てたら、今度は、TEACHER って記すんですよね。。。感動的でした。

「学校」も感動的でしたね。西田敏行が先生で、何か最後のセリフは裕木奈江だったかな、、、萩原聖人ではなかったような。。。田中邦衛が定規を使って竹下景子にラブレター書くところも印象に残っているわ。。。

 

なお、森監督のお話の最後に、第3回で鑑賞する「こんばんわ」の続編ではないのでしょうけど、「こんばんわⅡ」の上映会とDVD販売の案内がありました。

申し込んだ当初は、生涯学習と言うテーマからも、【じんけんカフェ】と言う括りからも、ちょっと講座の内容の想像がつかなかったのですが、この第1回で非常にすっきりして、自分の中に落ちて、次回以降も楽しみになりました。

ではでは


御嶽神社の現物詣で

2019-10-31 17:33:22 | 地域情報

今日もいい天気でした。

この天気は土曜日まで続くらしいので、ここのところ布団を干せない金曜日が続いていたので、明日の金曜日、週次の大掃除のために、布団をベランダに退避させられそうです。

で、今朝の散歩ですが、

昨日、大田区立郷土博物館で、令和元年度特別展「嶺の御嶽山と一山行者」を鑑賞してので、

その嶺の御嶽山と呼ばれる御嶽神社に久しぶりに行ってきました。

普段の散歩コースから外れるのですが、うちからの距離は、洗足池よりはちょっと近いくらいかな?(半径3,000歩圏)

 

御嶽神社の由来です。

  • 天保年間(江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業をされた一山行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。
  • 信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようである。
  • 関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続き、「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われていた。

 

さて、駅前のイオンスタイルの裏手に、御嶽神社はあります。

ちなみに、イオンには「御嶽の霊水」というものがあります。

御嶽神社を参詣する人のために、禊の井戸を掘ったところ、この水で禊をすると霊験あらたかで、近隣からもらい水をしにくる人が絶えず・・・とあります。

(泳いでいる金魚は贅沢ですね)(それと、現在、飲料不可)

 

入口には、鳥居より立派な社号標が。

境内中程の狛犬。

中々、キリッとして迫力あります。

拝殿に進みますと、

また、狛犬が、、、でも獅子というより犬っぽい?番犬?

郷土博物館に写真展示がありましたが、これは狼の狛犬だそうです。

山岳信仰において、日本狼が神格化されて、狛犬として置かれることはよくあるようですね。

 

これはなんで空いているのでしょう?大絵馬を郷土博物館に貸し出しているのかしら?

でもコンセント垂れているし???

これらも、たくさん奉納された大絵馬(扁額)の一部なのでしょうね(奉納と書かれてあるし)

御嶽神社の歴史的な建造物の解説にありましたが、

拝殿から拝殿にかけての社殿彫刻(レリーフ)は大田区指定文化財とのこと。

なかなかの見応えです(感)

他方、この水行堂(参拝者が水垢離をする場所)は、国指定文化財とのこと。

見た感じ、社殿彫刻の方が・・・と思わなくもないですが、歴史・文化財的な価値が高いのでしょうか。

 

左から、拝殿、本殿をまわると、左手には御嶽神社とは別に(同じ境内に)、「一山神社」というのもあります。

御嶽神社の御祭神が国之常立神(くにのとこたちのかみ)であるところ、

一山神社は、当の一山霊神(一山行者)が御祭神とのことです。

 

杜の霊神水と言って、一山行者が行水をしていた古井戸跡。

本殿裏手には、「霊神の杜」と名付けられた鎮守の森があり、霊神碑と共に神域になっているそうです。

霊神碑もたくさん建っています。

これは、博物館の”嶺一山講”を支えた人の紹介にあった、御嶽教の創始者、渡辺菊太郎さんですね。

 

右手にまわってくると、もうひとつ神社があります。

大鳥神社。

本日、三対目の狛犬は、、、ちょっと可愛い。

(三対のどれかを)うちで飼うなら、これかな(苦)

 

神楽殿は、何か工事中?(工事中は、神楽殿そのものではなさそうですが)

最後は、手水舎(参拝するなら、最初でなくてはならないのですが)

 

以上、久しぶりの御嶽神社でした。

昨日、特別展を一時間以上かけてじっくり観ての、お詣りでしたので、普段の何となく神域の雰囲気を感じる神社詣とは違う感覚でした。

何気なく、神域に立ち入ると、私の霊感がいろいろ機能し出すのですが、

今回は、事前知識があったことが、知識を実物で確認する、人工物の見学という意識が強くて、

神域を何かを感じるというものではありませんでした。

でも、それはそれで、地域の文化財の由緒、歴史の勉強として有意義なものでした。

木曽御嶽山は行ったことがないので、機会があれば行ってみたいものですね。

2014年の噴火に伴う観光復興対策で、大田区民が代表する観光グループは、1名・1泊・2000円の助成券が出るという、「長野県木曽町宿泊施設助成券制度」の案内が、博物館にありました。これはなかなかお得では。

来年3/31まで有効とのこと。

 

博物館の展示で知りましたが、御嶽神社、御嶽教関連の神社、社は区内にいろいろあるようので、散歩の折、ちょっと注意しつつ、また、今回のことを思い出しながら見てまわりましょうかね。

さてさて


嶺の御嶽山と一山行者

2019-10-30 18:20:13 | 地域情報

唐突ですが(笑)

今日は、大田区立郷土博物館で、令和元年度特別展「嶺の御嶽山と一山行者」を鑑賞してきました。

(画像をクリックすると、公式HPに貼られたPDFが開きます)

 

大田区立博物館といえば、以前、大田区にふんだんにある遺跡と発掘物の展示を観に行きましたが、今回ちょっと変わり種です。

「嶺の御嶽山と一山行者」と言われても、実はピンと来ていなかったのですが、

これ何だろう?という興味もあれば、

散歩中、区の掲示板でパンフが貼ってあるのをよく見ますし、大田区のイベントカレンダーでも開催期間中(10/5〜12/1)ずーっと表示されているので、気にもなります。

開催期間も2ヶ月と長く、また、特別展のHPを見ると、関連講演会が5回も開催されますので(基調講演、連続公演4回)、大田区も力を入れているようです。

でも、2ヶ月と長いからそのうち、と思っていると見逃しがちになるので、中間あたりの今日、思い立って昼から出かけました。

 

常設展とは異なり、写真撮影が禁止されていたので、展示品や説明パネルを紹介できないので文章だけになりますが、

まず、「嶺の御嶽山と一山行者」とは?

HPの解説によると、

  • 御嶽神社(大田区北嶺町)は、通称「嶺の御嶽山」と呼ばれており、天文4(1535)年に草創したと言います。その後、一山行者(?~1851)が天保2(1831)年に日本屈指の霊山である木曽御嶽山(長野県・岐阜県)の関東第一分社として、現在の社殿を建立したと伝わります。
  • 嘉永4(1851)年に没した一山行者ですが、明治32(1889)年には境内に同師を祀る祖霊社(一山神社)が築かれたと考えられています。なお、同社は平成28(2016)年2月に水行堂や社務所と共に国登録有形文化財となりました。
  • さて、一山行者は養子に入った井原家と出家した圓乘院がある与野(現・さいたま市中央区)などで布教に努めたと言います。その結果、木曽御嶽山や嶺の御嶽山を参拝する「御嶽講」が中山道沿いを中心に各地で作られ、嶺地域でも嶺一山講が結成されました。
  • 特別展では、嶺の御嶽山の歴史的展開について紹介します。また、一山行者が影響を与えた御嶽講や嶺の御嶽山に参集した御嶽講に関して考えます。本展が大田区の歴史や文化の再発見につながれば幸いです。

東急池上線の御嶽山駅前にある御嶽神社の由来を、信仰集団の(こう)の視点から学ぶということで良かったのかな。

駅前にイオンスタイルがあるのと、商店街イベントも開催されるので、たまに御嶽山駅前には行きますが、御嶽神社には暫く立ち寄っていませんでした。

 

展示構成は、

  • 序章 講という繋がり
  • 第1章 嶺の御嶽山
  • 第2章 一山行者の足跡
  • 第3章 嶺一山講と支えた人々
  • 第4章 御嶽講のウチとソト

となっていて、

序章で、まず、主な講の種類(念仏講、庚申講、富士講、武州御嶽講、大山講など)、講というものが信仰集団としてだけでなく、地域の共同体であり、域内、域外との連携を担っていたことを理解し、

第1章で、幕末から昭和前期に、嶺の御嶽山と呼ばれる御嶽神社に奉納された大絵馬(扁額)(行者の生涯、略歴など嶺の御嶽講に関するものだけでなく、韓信のまたくぐりなど様々な)などから、御嶽神社がどのような存在であったのか、また、御嶽神社の歴史的建造物の価値について学び、

第2章で、一山行者がどういう人だったのか、

第3章で、一山行者が起こした嶺の御嶽講(毎年の木曽御嶽山の登山が目的)を支えた人々とは、

第4章で、嶺の御嶽講以外の講について(大森、馬込、品川の三笠山講、六郷の行神講など)、

を知ります。

展示品以外で面白かったのは、昭和42年の木曽御嶽山登拝の模様が8ミリフィルムで残っており、それが繰り返し上映されていました。

私が生まれる前の新宿駅、中央線の車窓、塩尻駅の駅弁販売、D51(機関車)など、嶺の御嶽講以外のところで、かなり興味深いです(苦)

それと、上の階には、御嶽神社のある嶺地区の今昔として、昭和初期と、8ミリフィルムに登拝模様が撮られた昭和42年前後の嶺地区の街並みの写真、それと最近の神社のお祭り模様の写真が展示されていました。

 

なお、この特別展は、遺跡と発掘物の展示フロアに作られていますので、会期が終わるまで、「地中の歴史」は、入口のこれだけになります。

でも、11/16(土)には、ここでトークイベントが開かれるようなので、来てみようかな。

 

まあ、それより、御嶽神社ですね(笑)

久しく行っていないので、本日鑑賞した知識をもって、明日行ってみようと思います。

(博物館に行ったのは午後で、既に朝の散歩でたくさん歩いていたこともあり、博物館から直接行く気分にはならなかったのです)

このくらいちゃんと学んで神社に行けば、いつものように「こじんまりした神社ですね」など薄っぺらな感想以外の何かを感じるかも知れません(苦)

ではでは


善慶寺の新井宿義民六人衆霊地と山王熊野神社

2019-10-25 18:02:11 | 地域情報

一日、ひどい降りでしたね。

夕方には上がりましたが、台風19号の被害が、これで拡大したり、復旧が滞ることがないといいのですが。

ところで、最近、DQウォークで毎日歩き過ぎでした。

新しいイベントが始まった矢先でしたが、水を差されてちょうど良い休憩になりました(苦)

 

さて、昨日は失業給付の認定日だったので、ハローワーク大森に行ってきました。

という事は、先の認定日から28日経ったという事なのですが、

奥さんの会社の総務(委託会社)に、扶養から抜ける申請書を提出し、保険証を返納してからも28日という事です。

が、何も来ません。

一体、何をしているのだろう?

国民年金の第3号から第1号への手続きは、前回、第2号から第3号への異動が、(何故か)3ヶ月もかかったので、今回もそんなものかと思っていますが、

健保については、奥さんの会社の健康保険組合は、資格喪失証明書を発行するだけで、あとは、私が区役所に国民健康保険の申請をしなければならないと思うのだが、

前の会社を辞めた時は、退職日の2日後に資格喪失証明書が郵送されてきたけどなぁ。。。

この1ヶ月、保険証持っていないのに、遡って、何万円も国民健康保険料を払うの納得いかないなぁ。。。

まあ、待つしかないのですが(呆)

 

さて、そのハローワーク大森の行き帰り、とりわけ帰りに、ドンキ大森山王店の向かい辺り、毎度気になる看板というか塔があります。

その路地奥には、お寺らしき屋根が見えるものの、

毎度、帰り道は急いでしまい立ち寄ることがなかったのですが、昨日は、ハローワーク指定の時間が午前中だったので、時間に余裕があったのでちょっと寄ってみました。

綺麗な塔には、なんか難しい漢字が書かれていますが、石柱の方は、熊野神社と読めるので、あれは熊野神社なのでしょうか?

 

まず、路地奥に見えていたのはお寺でした。

幟を立てて、なかなか商売熱心なお寺さんのようですね。

善慶寺(ぜんけいじ)という日蓮宗のお寺で、なかなかの風格を感じます。

Webページによると「法光山善慶寺は1292年に建立。以来七百年を超えて連綿と法灯が継承されている日蓮宗の寺院です。善慶寺が一般に知られているようになったのは1677年に起きた義民六人衆事件との深い関わりによるものです。」とあります。

池上通りに立っていた塔に書かれていたのは、この「義民六人衆事件」に関わる何かですね。

では、「義民六人衆事件」とは?

Webページには詳細が記載されているのですが、簡単には、本堂に架かっていた看板がわかりやすく

「延宝四年(一六七六)過酷を極める領主の年貢収奪に耐えかねた新井宿村の農民の代表六人が幕府に直訴することに決めたが、事前に領主の察知することとなり六人は捕らえられて斬首の刑に処された。しかしその結果、年貢は半減されたので、六人は義民として当時境内の墓所に葬られ、毎年二月十一日に義民六人衆法要が執り行われている。」

とありました。

墓地の一画に、「新井宿義民六人衆 墓」があり、東京都指定旧跡として保護されていました。

 

綺麗な看板(塔)は、この墓所への参道を示していたことがわかりましたが、石柱の「熊野神社」の方は?

善慶寺本堂の左奥に、鳥居があり、この先が熊野神社のようです。

急な、階段を登ります。

階段は三方に分かれていて、右手には稲荷社にあります(そっちからも、熊野神社の境内には上がれます)

左は岩だけなのです。石碑があったりして、何か意味はありそうですが、よくわかりませんでした。

境内に上がると、ちょっと小ぶりの狛犬が出迎えてくれます。

ちょっと色落ちした感のある社殿です。

神楽殿の方は、さらに古趣を感じます。

由緒としては「創建の年代は明らかでない。伝説では平将門の乱の鎮圧に下向した藤原恒望に従った熊野五郎武通が当社に戦勝を祈願したといわれている。元和年間(1615-1624)にこの地域新井宿村の地頭木原木工允が日光造営の棟梁を務めたので、その余材で当社の社殿を造ったといわれている。(「大田区の神社」より)」とのことでした。

ちょっとスッキリしました。

ではでは


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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