スチャラカランナーの日々

運動部経験なし、40代マラソンランナーの趣味日記。ランニングも趣味のひとつですから。

豊橋から走ってみた

2004年12月30日 | 走る&徒然日記
 名古屋まで戻ってくるつもりで、豊橋まで名鉄で行き国道一号線を名古屋へ向かってLSDをした。
 豊橋名古屋間は約70キロ。昼近くからだったことと、少々風邪気味だったことに加えてきた風が凄く冷たかったので、結局岡崎の外れまで約35キロ走り、知立の駅まで約10キロ歩いて止めた。
 来年からの練習に備える足作りのために行ったのだが、長い練習は飽きますね。
 いまいちモチベーションがあがらなかった1年だった。

揖斐川マラソン走行中の写真

2004年12月30日 | 走る&徒然日記
 揖斐川マラソンの走行中の写真です。撮影しますから端に寄ってください、とコースの指示を受けつつ。
 そういえばウォーキングの部門で「西田ひかる」さんがゲストで来ていたことを思い出しました。体育館で着替えている間に出演だったようで、全く見ることができませんでした。

2004年参加大会を振り返る その12揖斐川マラソン

2004年12月30日 | 走る&徒然日記
 揖斐川マラソン。コースは揖斐川を上流へ登り、折り返して下ってくるというコースで、多少のアップダウンはあるもののひたすら上り、ひたすら下るコースである。
 この大会でのテーマは、5キロを22分ペースで最後まで刻むこと。できれば後半の方が速いネガティブスプリットで行くこと。5キロを22分ペースで行くとマラソンでは3時間5分程度のタイムになる。多少の余裕がある設定なので、余裕をもって後半上げていきたい。勝田以来まともな形でマラソンが走れていない上に、故障や練習不足もあるのでここで少し自信を取り戻しておきたい。
 このマラソンはなかなかゲストが豪華で、ハーフの部にはゲストランナーとして谷川真理さんと高石ともやさん(ミニコンサートもあり)、フルの部には山田敬三さん。山田さんは元ボストンマラソンの優勝者で70歳を越える今もボストンマラソンに参加している。
 スタートは込んでいたこともあり、少々もたついた。スタート後も結構混雑していたので抜くのに手間取る。2キロ地点で山田さんを抜いた。小さな体を少し前屈みにしてピッチ走法で走っていた。今で3時ごろに起きて走っているらしい。
 最初の3キロ程度は平坦な市街だったが、すぐに川の脇ののぼりの道に入る。
 10キロ地点は45分、20キロ地点は89分、30キロ地点は2時間10分30秒、40キロ地点が2時間53分30秒、ゴールは3時間3分だった。
 最後の平地でペースをほとんど上げることができなかったが、ぎりぎりまで追い込んで走ったというところまででもないので、かなり手ごたえを感じることができる大会だった。
 途中参加者の撮影地点があり、12月の頭に写真が届いた。完走の賞状にも2点写真が入っており、結構うれしい。
 このマラソンもいろんな店が出ていて、ミニコンサートとも合わせ楽しめるイベントになっています。
 今年は人里に熊が下りてきたニュースがありましたが、このマラソンコース中に「熊に注意」の標識が立っていました。マラソンのウリとして、来年からゼッケンにすずでもつけたらどうでしょうか。
 ついでに落石注意もありました、実際今年の豪雨でコースの位置に土砂崩れの箇所がありました。参加した甲斐のある大会になりました。
 写真はゲストの谷川真理さん 

2004年参加大会を振り返る その11諏訪湖ハーフマラソン

2004年12月30日 | 走る&徒然日記
 諏訪湖ハーフマラソン。金沢のハーフのあと2週間は全く走れなかった。この大会は10月下旬なので調整で参加。諏訪湖ハーフは初めて走ったハーフマラソンでこれが5回目くらいの参加。
 東京で通っているジムのメンバーと偶然当日に現地で会った。
 前日に松本のホテルに入ったのだが、その時地震がありそれが中越地震だった。
 諏訪湖ハーフは公認コースになっていないので、タイムはどの程度参考になるか分からないが、フラットで、また湖の周りを1周するとても景色のいいコースである。
 会場でのイベントも盛んでとても楽しめる大会だ。
 昨年出ていないので今年からか昨年からか分からないが、以前は当日ほぼ自由に並んでいたスタート位置が、申し込み時の申請タイム順になった。以前は70分以内の場所にサウナスーツを着たおばちゃん軍団がいたりして、スタートするといきなり壁になったりしていたが、今回は厳しくゼッケン番号で並ぶことになり、スムーズなスタートだった。
 この大会にも、防府で私がついていった女性ランナーが参加しており、周りの仲間との会話から80分切りを目指しているようだった。
 5キロ地点でスピーカーによるアナウンスが入り、女子の先頭の名前が紹介される。入りの5キロは19分30を多少切ったタイム。
 9キロ地点あたりでトップの女子の姿が見えてくる。丁度いた集団に女子の2位がおり10キロ地点で女子のトップが入れ替わった。この大会は地元ではテレビで放送されているので、多分今映っているなと思いつつ、このタイミングでさっきまでトップを走っていた女子選手を抜いた。筑波大学の選手とのこと。
 さて5キロから10キロのタイムは19分強、10キロから15キロのタイムは19分弱、15キロから20キロのタイムは18分30をわずかに切ったくらい。ただ、ペースをそれ程変えたつもりがないのに1キロごとのタイムは結構なばらつきがあったので、距離表示は少々狂っているかもしれない。
 ゴールは80分20程度、スタート地点の関係で、グロスとネットも数秒程度しかちがっていない。
 ゴールして振り返ると、東京シティラン10Kに続き、前述の防府に出ていた女性ランナーがすぐ後ろにいた。足音など全く気づかなかったのだが、最後につめられていたらしい。
 多分同じ集団にいたのだと思うが、常に後ろにいたのだろう。
 諏訪湖ハーフマラソンは前半追い風、後半向かい風になることが多いが、今年は気候にも恵まれ、風は随分弱かった気がする。
 タイムは追い込んでいない中で、調整でのタイムということで望外のいいタイムだった。
 しかし、今回は40台での初参加だったのだが、前の30台のときよりタイムがいいのに年代別順位は下がっている。諏訪湖も参加者が増えるとともにどんどんレベルがあがっている。40台に入ったら入賞の可能性もあるかななどと思っていたのだが。
 写真は諏訪湖の表彰式の模様。知り合いが表彰されていたので。

2004年参加大会を振り返る その10金沢城下町ハーフマラソン

2004年12月30日 | 走る&徒然日記
 金沢城下町ハーフマラソン。9月に行われる大会に出るのははじめてである。7月に福岡国際マラソンに市民部門が設立され、その参加資格がハーフ80分未満、フル2時間50分以内であることを知った。他の規定もあったと思うが、全く引っかかっていなかったと思う。
 これまでハーフマラソンでは2度ネットながら80分は切ったことがあった。ただ、ハーフマラソンで参加資格を得ようとすると、ほとんどが70分以内くらいからで、80分あたりでは意味がないので、それ程グロスタイムにこだわってこなかったので、公式に80分を切るという目標を達成するためにエントリー。
 9月中に申し込みが必要だったので、公認大会としてはこの大会がエントリーできる唯一の選択肢だった。
 北海道マラソン終了直後から、ハーフのスピード練習に切り替えたが、9月半ばに左足首を故障(走り方の癖のせいなのか、古傷なのか分からないが、あまり故障で聞く箇所ではないので訳が分からなかった。以前に練馬から名古屋まで歩いたときにもこの箇所が途中でおかしくなったが、その話は後日)、毎晩アイシングをしながら寝る羽目に。
 何とか痛みは引いたので、大会には参加。仕事の関係で前日夜12時過ぎにかなざわのほてるに入る。最初の5キロは18分30秒、入りが下りのせいもあって少々速いくらいだが、いい感じだった。
 5キロから15キロまでは延々とだらだらとのぼりが続く。18分30で押すのは少々無理があるというわけで、少し落としたつもりが5キロから10キロは20分弱もかかっているではないか。
 ここでペースを上げるつもりでがんばるが、当日気温が上がったことと足首の故障がついに爆発というわけで、ペースは大きく落ち込み10キロから15キロは22分くらいかかっていた。
 ゴールに向かっては今度はくだりが続いていたが、残念ながら足首が壊れペースを上げることはもはや無理。
 市街地に入ったところで、後ろからの足音を聞きショーウィンドウを観ると女性ランナーがせまっていた。折り返し地点ですれ違った女性ランナーで、以前皇居で走ってい頃よく見かけたランナーだった。ともかくこの女性ランーには負けないようにと最後の力を振り絞りゴールへ。
 84分くらいかかっていた。後続の女性ランナーは一般女子の部で優勝だったようで、ゴールしたところでインタビューを受けていた。
 私はゴールをしたものの、まともに歩けない有様でコンビニにより氷のパックを購入、足首に巻きつけて一路名古屋へ。
 まともに歩けない有様で金沢観光もなく、何の収穫もない遠征であった。
 そういえばミズノのブースがあり足の測定をしてもらったのだが、今回のレースで使用した長野でのオーダーシューズを見て、宮本クラフトマンの靴じゃないですかと、手にとって見ていた。ミズノの中でもたいした人みたいでした。

「ベストスマイル」千葉真子 著を読んだ。

2004年12月30日 | 
 今頃になって、「ベストスマイル」を読んだ。タイトルから何でも前向きにガンバローみたいなエッセイかと思って敬遠していたんだけれど、会社が休みに入ったので暇つぶしに読んだ。アテネオリンピックのマラソン選手補欠ランナーとしての微妙な心情を正直に書いてた。発行は7月だったようなので、考えると対陸連的には微妙な時期に出た本だったんだなと思う。もっともな感情だとは思うけれど。
 すっかり忘れていたけれど、「山口衛里」選手が2時間22分で走ったあの東京国際がマラソンデビューだったことも思い出した。
 北海道に出ないで、東京国際で世界陸上を狙うという方が良かったんだろうけど、ピークをあわせていたということだけでなく、自分なりに吹き出してくる感情的な何かもきっとあった上で北海道出場があったんだなと感じました。
 何か速くなるための参考になるとか、啓発されるとかという本ではないと思うけど、正直な心情が分かる気になる本です。
 「オリンピアン108年目の夏」増島みどり著、も読んだけれどそれはまた後日ということで。

2004年参加大会を振り返る その9北海道マラソン

2004年12月30日 | 走る&徒然日記
 北海道マラソン。7月になって部下の結婚式(北海道マラソン前日)に出席することになる。
前日のみで行われるエントリー手続きは北海道マラソン参加の友人にしてもらい、名古屋空港を朝一の飛行機で北海道に向かう。真駒内競技場駅には10時半ごろ着き、知人と合流する。今年は競技場入り口がえらく込んでいて結構あせる。
 今回はやはり荒川と同じく3時間15分の伴走することになっていた。
 コースが最初の5キロくらいは若干下りなので少々予定より速い、21分程度で入る。基本的には22分半で25キロくらいまで行き、そこから微妙に落ちつつ粘るというペース設定である。
 前半は追い風にも助けられ、全く順調に行ったものの、折り返しを回ったところで当然逆風に。しばらくこの逆風には悩まされ、少々タイムが落ちてきていたが、計算の範囲。市街地に入ると風はかなり楽になり、これなら行けそうと思った36キロ地点で私の足に違和感が。いつも3時間15分の伴走をやるときはスピードが出過ぎないように、レース直前に20キロから30キロ程度のペース走を行うのだが、練習量の落ちている8月の割りにはヘビーにやりすぎたようだ。ここで伴走の相手にまだ余裕が見えたこともあり、単独でいってもらう。リタイアも考えたが、ここまでくれば先に行った方が速そうなので歩き中心でゴールへ向かう。途中知人と合流することになり、一緒にゴール。伴走をした相手とはゴール地点であう。結果的には無事15分をきれていたので、まあ結果オーライではあるが、今回はそれだけの大会なのでまずはよしとしよう。
 そういえば今回はナイキがスポンサーにはずれていて、いつものTシャツのテイストではなかった。北海道マラソンの参加Tシャツはいつも気に入っていたんだけでなあ。それが残念。オリンピックイヤーでどのメーカーもオリンピック関連に宣伝費を持っていかれたんだろうな。
 途中「千葉真子」選手とすれ違ったけれど、男性ランナーの集団の中だったんだけど、集団の密度が濃くて走りずらそうだった。
 札幌駅のホテルの温泉に入り、7時過ぎ千歳発の名古屋行きにのり名古屋へ。
 あわただしい1日だった。
 写真は北海道マラソン完走メダル。