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a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

運命を俯瞰する

2009年06月16日 | 病状経過
(あれ?今朝、薬のんだっけか!)
大学の構内の喫煙所で一服しながらふと思ってしまった。もうこうなると芋ズルで、いつもと違うことが頭に浮かぶ。
(ヤクルトは?排便は?気功歩きはしてたか?・・・)
果ては(なんで今日はカミさんに服を選んでもらっちゃったんだろう?)まで・・・(笑)
病院に着き排便を済ませた途端に採血の呼び出し。
(うっ、まだリラックスしてない。音楽も聞いてないし・・・)
世界は世界で勝手に進ませておけばいい。(村上春樹@『1Q84』)
ぼくの身体も文字通り自然体だ。自分の意思や験担ぎでどうなるもんでもないだろう・・・
開き直って採血に臨む。
「アルーコール消毒にかぶれませんか?」Freshバッチを付けた採血担当のお姉さんに「だいじょぶです。アルコールは中に入れて免疫こさえてますから」などといいつつ、注射器に抜き取られる血の色を(なんで真っ赤じゃないんだろう)と思いながら見ていた。

「いかがですかぁ~、体調は?」エコー室に入りながら先生が問う。「いかがですかぁ~」がヤケに心配そうな言い方だ。
「好調ですよ。吹き出物ができるくらい(笑)」相撲取りはおできが出来るくらいなら好調とか言いません?と付け加えて笑われながら、いつになく思いっきり息を吸って腹を膨らませた。
・・・「大丈夫ですね。シコリはないですよ」
診察室に戻っても異常はなかった。
・・・血液検査も良好!(^^)v(^o^)/
で、次回のCT・・・つまり術後1年、10月の予約(もう9月は一杯だそうだ!)
そして来月の検診予約・・・1回目の手術日と同じ日にしてもらった。
「5年、ですか?」「はい5年目です」
まったく意味がないっていっちやぁ意味もないけど、たまたまAK先生の診察日だったし・・・
(いや、でも、ちょっとはこだわってるかな?意味・・・)
「5年生存率」とかいう(馬鹿げた?)基準が横行する(いまだ癌に対する考察的観念が揺らいでいる今)ぼくもまたその基準を否が応でも勘案していたような・・・

でも、いずれにしても特に肝がんは(肝がんに限らず転移してしまったがん患者さんもそうなのかな?)追いかけっこなのだ。
1年、2年、3年・・・5年過ぎても、その後もずっと、生きてる限り果てしなく・・・

そういえば最近のウチダさんのblogに、シジフォスの終わりなき苦役についてカミュの引用があったなぁ。
神々のプロレタリアであるシシュフォス、無力で反抗的なシシュフォスは彼の惨めな状況をすみからすみまで熟知している。彼が山を下りながら考えているのは彼自身の状況についてである。彼の苦しみを増すはずのその明察が同時に彼の勝利を成就する。どのような運命もそれを俯瞰するまなざしには打ち勝つことはできないからだ。(@内田樹の研究室)

考えること(2)

2009年05月16日 | 病状経過
宇宙が存在していることに、どうして意味や理由が存在するはずがあろう。(略)これは、奇跡なんだ。存在するということは、存在が存在するということは、これ自体が驚くべき奇跡なんだ。存在するということには意味も理由もない。だからこそ、それは奇跡なんだ。(略)人生が存在するということ自体が奇跡なんだから、そこで味わう苦しみだって、奇跡だ。(略)奇跡だという感情は、おそらく、敬虔な信仰を持つ人が神に捧げる祈りに似ている。
(池田晶子@『14歳からの哲学~考えるための教科書~』トランスビュー)
哲学的な知的探求に「神」や「奇跡」が語られることにちょいとばかり違和感を感じ
自分が世界であり、世界は自分において存在している
という自我中心主義的自己意識をどう捉えたものか?と疑問に感じつつも、沈思黙考してる暇はなかった。
ぼくにはすることがある。病院に行かなければ!(笑)

退院後6ヵ月間は通院にタクシーを使っていたけど、今月は駅から歩くことにした。しかも今回は検診前の禁酒期間も大幅に短縮しての挑戦(笑)。
相も変らぬ検査前のドキドキ感をやりすごしながら、さわやかな5月の風に吹かれ、途中の喫煙所で一服したりしてのんびりと緑の多い大学構内をぬける。
「前回、放射線の先生の言われたところをシッカリ診ましょう」「・・・う~ん、エコーで見る限りは何もないですね。きれいですよ。」
まずは超音波検査はクリア。
血液検査も異常なし・・・しかもなぜか前回より肝機能の数値は良好だ(^^)v
ひとつ気になっていたこと。食欲はあるのに余り食べられない。ちょっと多めに摂ると腹部膨満感で苦しくなることもあった。
「肝臓が大きくなってるとか?歳のせいですかね?」
「あ~、それは開腹のせいかもしれませんね。肝臓が大きくなってるってことはないです(笑)。手術後の癒着もふくめて、その影響で胃の動きが悪くなっていることは考えられます。」
癒着、などと聞くとビビッてしまうけど大それた意味ではないというお話し・・・具合が悪いと感じたときに飲むお薬(ガスモチン錠5㎎)を処方してもらった。

7ヵ月検診を終って改めて「考える」
最も身近な自然・・・それが、この体だ。
とは、哲学者ではない解剖学者の養老さんも同じことを書いている。
「自然」とは何が起きても不思議ではないという意味合いなのだろう・・・何が起きても「奇跡」。
予定調和の上にある「宿命」と科学的に解明されていく自然の摂理。
ぼくはぼく自身も分からないぼく自身の体の自然と奇跡を、かすかな風に揺れる野の草を見るように感じとれたらと願っている。
自分の「宿命」のようなものに、はっきりと気づいてから私は、生活、もっと言えばそれによって維持されなければならないと一般的に思われているところの生命というものが、ほんとうにどうでもよくなってしまった。(同@『死とは何か~さて死んだのは誰なのか~』毎日新聞社)
ぼくは今、こうした唯心論的理路とは違う道順をもって生と死を考えたいと考えていることに、はっきりと気づいた。
~考えるための教科書~のおかげである・・・

諸行無常

2009年04月18日 | 病状経過
われわれは、どういう理由があって生まれたか。何の目的で生まれたか。どうして年をとるのか。いったいどういう病気になるのか。なぜその病気にならなきゃいけないのか。そしていつ死ぬのか。なぜ死ななきゃならないのか。これもどれもわからない。・・・自然というものは、もともとわからないのが当たり前です。・・・生老病死という言葉が、四苦八苦の四苦ですが、昔から日本の言葉の中に残っている。これも人間の自然性を指しているのだろうと、私は解釈しています。
都市化された社会では(ああすればこうなる)と意識化されたもの以外の自然は徹底的に排除される。人間の抱えている(どうすることもできない)最大の自然「生老病死」すら、社会や家からしめだしてしまった。・・・『自分は死なないと思っているヒトへ』(だいわ文庫)で養老孟司さんがしつこく(笑)語っていた。たとえば、人が死ぬことを考えずにつくられた団地の、棺が入らないエレベーター・・・

術後半年が過ぎた。予定通り、造影CT検査。
読影医の「印象」
「明らかな古典的肝細胞癌再発を指摘できません」にホッ。
ん?でも「所見」にはこう書き添えられていた
「肝S4部分切除縁に、1cm弱の淡い早期濃染があるようにみえるが、遅延相での(造影剤の)染まり抜けははっきりしない(添付図)」
執刀医のAK先生が、添付図とモニターのCT画像を念入りに見比べながら唸った。
「どうかなぁ?放射線の先生はこうおっしゃてるけど、う~ん確認しきれないなぁ~。切除後の状態でこうみえるのかなぁ~」
カルテをめくり開腹手術中と切除部位の写真を見る。そして診断・・・
「S4はギリギリ採ったわけじゃないし、この程度余裕を持って広く切ったので残っているようなことはないので安心してください」と心強い言葉。
血液検査も異常なしなので、次回のCTは、また半年後に予定された。

ぼくは死ぬ。当たり前のようにやがて死ぬことがわかっているのも・・・
都市の中でいわれる現在というものは、じつは予定された未来のことである。
・・・脳化された世の中で、1ヵ月・半年先の予定に今を拘束され、現在が未来を食いつぶしているのだとわかっても、(ああすればこうなる)と意識的に統御できないぼく自身の中の自然に「仕方がない」と言い切って生きられるのは、ひとえに癌のおかげ(笑)だと、マジ思う。

再手術後5ヵ月

2009年03月26日 | 病状経過
「どうして特定健診を受けないのですか?」と市からアンケート付きの封書が届いた。
アンケートに記入するのもめんどいので(笑)近くのS医院に勤務するS子ちゃんに頼んで期限最終日の受診予約をとってもらった。
別名、メタボ健診(?)。体重測定、59.9kg
「着衣分1kg引いとくね」とS子ちゃん。
「メシ食ったばかりだし、今朝は57.8kgだったんだよ~」
「え~、ご飯食べてきたの?!。K子ちゃん(ウチのカミさん)に食事抜きよって言っといたのに~」
「聞いてねぇ~(笑)」
「しょうがないなぁ~、57.8kgにしとくよ」
腹囲も測られる・・・84。
「これもメシのせいか?」とS子ちゃんが笑う。
「84ってやばくね?」
「セーフ!メタボは85からだから」
そばで点滴治療をしてるばぁちゃん達に笑われながら採血まで終了。

S先生の診察。
手術の経過を詳しく話すと興味津々の様子で(笑)
「診せてもらっていいですか?」
触診の上、エコーまでしてくれた。「大丈夫ですね。再発はないですね。S4にのう胞が見られますが異常ないでしょう」
S先生は日本肝臓学会肝臓専門医。しかもS医院は往診や在宅ケアも行っているという。今後、何かととお世話になるかも知れない。
良いご縁ができた。

特定健診の結果が出る前にT大病院の検診があった。
肝機能・腫瘍マーカーとも動きがなく、異常なし!
エコーのモニターに覗きながら「黒ずんだとこがあるとドキッとしますよ」と言うと、AK先生は笑って「大丈夫ですよ。ちょっと説明しますね」
診察室に戻ると、エコー画像と手術中の写真を見比べながら話してくれた。
「S4切除部に水が溜まっているんですよ。水と言っても血と分泌液がゼリー状になっているもので、切ったところに溜まるんですが、特にこのS4はお腹を真上から切ったので溜まりやすい。でも徐々に吸収されますから大丈夫です。前回に比べて小さくなってますよね。」

外科のAK先生、内科のS先生、親切・丁寧な専門医に診てもらえて幸せな患者だなぁ~。感謝!

ポジティブに!

2009年02月19日 | 病状経過
改めて(図に乗っちゃいけないよ)と自分に言い聞かせなくてはと思う。
しかも特に、今日はこれから飲み会だし・・・(^^ゞ
とにかく、検診結果良好!
肝機能数値は安定していて微動だにしない。エコーも「キレイですね。」
ただひとつだけ血液検査でマークがあったのでお聞きする。
「血小板が落ちてますね。術後ずっとですね。」
過去のデータを見ると・・・今日程度、以下の時もある。
「特に(血小板)が少なくなるようなことはしてないので、戻ると思いますよ。」とのこと。

(今までのペースを〔悪い意味で?〕崩さない生活をしてて順調なんだから、4月にCTやるし、来月は検査しなくていいんじゃないの)・・・なんて思ってノドまで出掛かったがやめた。
検診前の緊張感はシンドイけど、こうして、ちょこっとしたことを訊いたり診てもらえる安心感があってこの好調が維持されているのかも知れない。そうそう、ぼくに適度に緊張は必要だ。喜びも倍になるんだって思っちゃおう!(笑)

マジ!?ほんと!?

2009年01月23日 | 病状経過
新年初、術後3ケ月目検診のエコー室。「どうですか、体調は?」
「おかげさまで異常なく・・・で、正月はちょっとハメをはずしまして
・・・スキーなんか行ったりしたもんですから・・・」
「えッ!スキーって・・・滑ったんですか!?。すごいなぁ~、2ケ月位じゃ痛くて動くのもイヤだというのがフツーですよ。」(確かにぼくも前回その頃はまだ痛み止めのお世話になってたかな)「え、まぁ緩斜面を軽く・・・ですけど(笑)」
「データは異常ないですからいいですけどネ・・・はい、エコーも変わってないですね。切ったところが当たり前に窪んでるだけで、大丈夫です」
血液検査も、肝機能・腫瘍マーカーともに正常値。
12/111/22
GOT 2525
GPT 2220
G-GTP1615
A_FP34
PIVKAⅡ1111
更に12月に調べてもらった「HBV-DNA」の結果に我が耳をを疑った。
「0。未検出なんですよ」「・・・?」「自分で追い出したのかな?免疫細胞が追い出したってことかな・・・」「・・・肝炎ウィルスがいない・・・んですか?」「検出されない、ってことなんですよ。少なくとも活動してない、ということです。それで肝機能が安定してるんでしょうね。いずれにしても抗ウィルス剤の治療は必要ないですね」との説明。。。

ウィルスが消えた!
「 幸運か?・・・それとも破滅の罠か!?」(クロトワ@風の谷のナウシカ)
またまた突然こんなセリフが浮かんだ。
ホントぼくって根っからネガティブだなぁ~!(笑)

喉元過ぎて

2008年12月14日 | 病状経過
あれから二ヶ月・・・
今日は仕事をまっとうにこなし
45度の日本酒リキュールをショットグラスに2杯飲み
タバコをくわえてコレを書いている。
まっとうに、喉元の熱さを忘れている(笑)。

術後二ヶ月の検診は、数値もエコーも(まったく!)異常なし。
残っていた糸も、溶けてしまうものとかで心配には及ばないらしい。HBV-DNA検査は時間が掛かるらしく検診時には数値が出ていなかったので抗ウィルス剤服用についての判断は執行猶予状態になっている。

この間のぼくの生活といえば、
発熱以来、夜間外出恐怖症?になって本ばかり読んでいた。
バーボンをチビチビ舐めながらめったに聴かない弦楽セレナーデやバッハなんかを流しながらの読書もいいもんだ。

あ、一度だけ土曜の午後にライブに行った。
子連れ歓迎ライブ@Bar PORTO
   鈴木典子(Vo) 津村和彦(G)

「なかなかライブに来れないお母さん方に、子連れでも聴きに来れるライブを」(by 鈴木さん)という企画だった。
本格的なジャズ・ライブ。「Smile」に始まりスタンダードのオンパレード。1曲だけの(子供向け?)X'masソング「サンタが街にやってきた」も英語バージョン。
むか~しのいわゆるジャズ喫茶で、難しそうな顔をしてレコードに聴き入っている、アノ雰囲気はぼくは嫌いだったし、こうした雑音の中でのジャズの方がむしろ好きなのだが、子どもたちが勝手気ままに動き回り声を出し椅子を叩きハーモニカを吹いても、それらの音やリズムに違和感を感じさせず、そうした状況の中で揺れない津村夫妻とマスター・いと~さんのハーモニカとカホンが加わった演奏はお見事!と言うしかない。
子どもたちの様子を見ながら「もうそろそろ限界かな?(笑)」と鈴木さん。ラストは一気呵成に「I've got just about everything」で盛り上がり、満席のお客さんのアンコールは(限界?になった)娘さんをだっこして「アヴェ・マリア」。

集まったお母さん方のみならず、夜間外出恐怖症のぼくにもナイス!なライブだった。
たった一つの違和感は、店を出て「うぉ、明るい!」(笑)。

縫合痕

2008年11月29日 | 病状経過
退院して一ヶ月、手術の痕にも痛々しさは薄れてきた。瘡蓋ははがれ縫合痕が赤みを帯びている。そうなると今度は、その痕の皮膚色に戻れずに残る黒い点々が目立ってくる。
その中の一点が他の部位と違ってちょっと盛り上がって見えた。毛穴の黒ずみみたいな(押すと脂が出てきそうな)感じ。ちょっと周りを押してみた。ん?何か出てきそう。だが脂ではなさそうだ。老眼鏡をかけて毛抜きを持ち出す。ゆっくり引っ張ってみた。わぉ~、糸!
見えてた黒点は糸の結び目で、そこからハの字に広がった糸が何の違和感もなく気持ちよくスッと抜けた。自分で抜糸しちまったい、快感!(笑)

もう一ヶ所、ハッキリ糸と分かるところがある。
S4ドレン穴の箇所に最後までへばりついていた瘡蓋がはがれた。が、ブラブラしていて落ちない。よく見ると糸にぶらさがっているのだ。
瘡蓋を切り取って糸を引いてみた。う~ん、こっちは上手く抜けない。引っ張ると皮膚がが盛り上がるので無理しないことにした。このまま残しておいて、先生に(ほらほら)って見せちゃおう!(笑)

仕事がら、尖った小さな金属片が指や掌に無数に入っていて痛い時だけほじくり出すという習性をもったぼくには糸なんて(ヘッ!)みたいなもんだけど(笑)フツーの人は、やっぱ心配するんだろうね?医療ミスだ!って(まさか)言わないまでもね・・・。

発熱

2008年11月28日 | 病状経過
不覚にも、熱を出して寝てしまった。ちょうど一週間前の金・土二日間。
急に寒くなった木曜日に夜中まで街をぶらついたのがいけなかったようだ。と言っても飲み歩いた訳でもない(寄り合いでちょこっとお湯割りは舐めたけど・・・)。人混みと外気にやられたのか?
せき・鼻水といった風邪の諸症状も無いまま金曜日の午後から熱っぽくなる。ん?と計ると38.1度!・・・即、寝る。
土曜の朝には6度台だったので起きるが、すぐにダメ感。あっという間に7度を超す・・・即、寝る。が、矢張り8度。
(ヤバくねぇか?)一応、念のためT大病院のSM医師の院内PHSに連絡を入れてみたが電波が切れていてつながらない。
風邪でもないのに熱、熱、熱・・・う~ん、と冷静に考えてみる・・・(手術後遺という)最悪のこと意外で、例えば・・・ん?
懐中電灯を持ち出してカミさんと娘の喉の中を覗く。自分の喉を鏡に映す。痛みは無いがかなり赤い・・・コレかぁ!?(なんとなく安心する・・・笑)
その夜に大汗をかいて日曜日には復調のきざし。働けた。ホッ。。。

「体力が落ちてますから気をつけて」とは退院時の医師の言葉。
術後の生活の中で、フツーではなんでもないこと(と思って)していると「体力的」なしんどさを感じない限り(疲れてる)という感覚が生まれない。逆に、なんでもなくこなせると思うことでモチベーションは上がってしまう。気持ちが高揚してると体の声が聞こえない。
手術のダメージは総合的体力の低下・・・目に見えない免疫力や様々な生理機能に及んでいるのだなぁと改めて実感せざるを得ない。

ちょうど連休とあって(ぼくのお気に入りの)耳鼻科も休みだったので肝を据えることにした。あえて当番医にも行かず薬も飲まなかったが、連休明けには完全復活を果たせた。
術後の体力低下をポジティブに考えれば、いい段階で熱を発してくれたものだと思う。フツーなら医者に行かなければダメな頃になってから発熱したかもしれないわけだから。。。

と、改めて実感したのがもうひとつ。
人に自然治癒力が残されている時に、そのスイッチを入れるのは「自分を納得させられる安心感」なのではないかということ。
不安は不安を増幅させるしかないから・・・

次なる選択・・・

2008年11月15日 | 病状経過
残肝再発、といっても前回のもととは無関係な癌が新発してしまった(「多中心性発がん」と言うらしい)のは肝炎ウイルス(HBV)がぼくの肝臓の細胞の中にいるせいだ。
HBVはDNA(デオキシリボ核酸)ウイルスでDNAの遺伝情報をRNA(リボ核酸)に転写し更にDNAに逆転写されることによってDNAが合成されて増殖するらしい。(どうゆうことだか想像がつかないが、そういうこと、なのだ)
そのDNA合成を阻害しウイルスの増殖を抑制する経口薬があるという。
DNAの材料となる物質に似た構造から「核酸アナログ(構造類似体)製剤」といわれる薬だ。

2000年に慢性肝炎に保険適用となった「ラミブジン」は飲み続けているうちにウイルスに耐性ができてしまって抑制どころか増えてしまう(?)こともあったらしく予防的な症例には積極的に使われなかったらしいが、2006年に製造承認を得た「エンテカビル水和物」(商品名:バラクルード)はウイルス抑制効果が高く、耐性も出ず、副作用の心配もないという。
日本肝臓学会の肝炎治療ガイドラインにも「B型肝炎に関してはウイルスを完全に排除できる治療法はないが,IFN や核酸アナログ(内服薬)でウイルスの増殖を抑制して肝炎を沈静化させることができる.特に,近年保険に認可された核酸アナログ(特にエンタカビル)は副作用が少なく,使用しやすい薬剤である.いずれにしてもIFN,PEG-IFN/Riba,核酸アナログなどの治療は長期的にみてB 型およびC型肝炎ウイルスによるHCCの発生率を低下させる」と記されている。
以上のような内容を考慮して「再発防止の為にも服用を始めますか?」と言われた。「1日1錠だけ。ただし飲み始めたら止められません。止めたらウイルスが逆に増えてしまう恐れがある。ま、急がなくていいですから来月の診察まで考えておいてください」
信頼するAK先生のお言葉とはいえ、ぼくとしては(ちょっと待ってくだい)のポーズ。
先ず「ぼくの肝臓にいるウイルスの量はどのくらいなんですか?」
血液検査項目「HBV-DNA」で2.6logコピー/mL未満が正常値らしい
「手術前の検査データですと・・・4.0ですね。」「来月の採血の検査項目にそれも入れといていただけますか?」「そうですね!手術後の様子も見て、それから考えましょうか。」

HBV-DNA の値によってということにもなるけど・・・ウイルスによる肝障害がどの程度なのかも確かめたい(術後のICGテストもお願いしようかな)。ガイドライン的視点ではなく、ぼくとしては耐性や副作用に対する心配もぬぐえない。この薬の服用が想像できないリスクを超えるものなのか・・・
ただ、B型はC型のように発癌に至る経過が段階的なく、突然(しかも正常な肝臓であっても)発癌する場合があることは承知している・・・今回ぼくのS2に出現したヤツ。6ヵ月前の造影CTでは影も形もなかったんだから・・・

う~ん、最終的には、ぼくが、決めることなのだが。。。

病理結果

2008年11月14日 | 病状経過
退院後初の外来診察を受けた。最初にエコー。「お腹の中は異常なし・・・水も膿も溜まっていないし全く問題ないですね。」
診察室に戻ったAK先生「先ずは手術の様子から・・・」とカルテを開く。
(わぁ~!ぼくのお腹!?)パックリと開いて肝臓が丸見えの手術中の写真!
切除前・患部拡大・切除部位マーキングから切除後の状態・摘出した肝臓肉片まで20枚以上あったろうか。一枚一枚丁寧に解説してくれた。「S2はご覧の通りココなのでこのように周辺を大きく切れたんですが、」写真では肝臓の右端にぽっこりと小さく盛り上がっている。その右端をすっぽり切り取る破線のマーキングがしてある。「S4は、コレです。小さいんでけど胆管や血管が入り組んでいて、ココに細かく見えるのがそうなんですけど・・・」2cmにも満たない小さな病変も拡大写真で見ると明らかに異常だし、めくり上げた周辺部はいかにも複雑に細い線(管)がごちゃごちゃしているのが分かる。「で、ぎりぎり患部だけを取りました。もちろんエコーで確認しながらやりましたから、大丈夫です、周囲には残っていません。」摘出されたS4部は確かに白濁した患部がほとんどだった。「全体にエコーをあてましたが他にもないです。肝硬変もありませんし、見た通り、キレイでしょ。」どでーんとむきだしになったぼくの肝臓は、本やネットで見た肝硬変や肝炎(悪化した例)の写真に比べればなんと美しい(?)つるんとしたレバー色!(笑)

病理検査の結果は「両方とも肝細胞癌です。ただ前回のとは組成が違うので再発あるいは転移というものではなくやはり新発です。」
写真に仰天していたのと、説明されている内容が手術内容と合致していたのもあって逐一メモらなかったが、S2は2.1cmで周辺2cm?切除、摘出部位の血管に癌細胞はなし。S4は1.7cm?周辺0.1cm?切除「顕微鏡レベルでは血管にもある、ということなので、今後もココについては注意深く診ていく必要があります」とのこと。。。
退院2週間後のレントゲンも異常なし。
そして、血液検査は・・・10/17の手術以降の結果履歴をもらう。
10/21 10/22 10/24 10/27 10/29 11/13
GOT 39H 33 27 22 22 22
GPT 103H 87H 65H 43H 36 21
G-GTP 20 22 25 21 22 18
(すごいですねぇ~!)肝機能の数値が正常値に戻るまで、前回は4ヵ月かかったのに今回はこの通り。「ほんとに順調ですね。日常生活?大丈夫ですよ、今までどおり普通で問題ないですよ。」

もっとわるいことにだってなっていたかもしれない・・・
そう思うと、今は、我が幸運を喜びたい。そしてAK医師とSM医師には心からお礼を言いたい。特にS4のギリギリ0.1の切除は(改めて思えば)凄いワザだなぁと思う。

病院から帰って、カミさんと共に母に経過報告。今日は祝杯かな、などと(半分以上本気で)言いながら、ぶらぶら買い物をして帰宅。(さてと一杯)と思ったが(まだムリじゃね)と肝臓クンが言い出した。傷がチクチク痛むし・・・一日中出掛けててやっぱ疲れてると自覚する(良い子だ!・・・笑)せめて1ヵ月まで、待つかなぁ~(^_-)-☆

まるで遠足の

2008年10月30日 | 病状経過
…朝のようだ。(笑)

早々に目覚めたら退院薬が置かれてあった。
常備薬の肝機能改善薬ウルソ14日分・痛み止めロキソニンと胃薬セルベックス10回分と、手術前に1度しか服用しなかった睡眠薬レンドルミンと下剤ブルゼニドが各14日分だった。素直に、頂いていくことにしよう(笑)。

カミさんの涙

2008年10月29日 | 病状経過
午前8時には、鼻から胃への管を挿入して病室から手術室へ。
9時までに麻酔が効いてオペ開始。
16時から17時頃には患部摘出が出来るだろうから、
麻酔がさめてICUに入るのが18時から19時。
そんな予定で始まった手術。

ぼくの記憶の範囲では、
先ず、硬膜外カテーテルが失敗しそうになったらしく
「すいません。もう一度やり直しますので動かないでくださいね」の声。
・・・(あとは、グッスリ)・・・
次に聞こえた声は「分かりますかぁ・・・」
目が覚めたのは手術室。
朦朧としたままICUへ。
カミさんや倅やばぁちゃんや妹たちが待っていた。
「今、何時?」
「4時。良かったねぇ、早く取れて!」

待機していたカミさんに手術室に来るようにお呼びがかかったのが14時30分頃だったという。
カミさんはうろたえたそうだ。
(早すぎる!・・・癒着はひどくてダメだったのか!?)
ふらつく足で医師の元へ
「取れましたよ。癒着もひどくなく無事に二つとも。出血も100CCほどですみましたよ。」
前回とは比べ物にならないくらい小さな肉片が2個、それぞれを半分にした真ん中の病変部を確認して、思わず安堵の涙があふれたという。
「ほんとに心配したんだからぁ!」
アハハと笑いながら、ぼくはカミさんの手を握った。

開腹心得

2008年10月28日 | 病状経過
肝臓を八つのブロックに分ける。肝臓全体の65%を占める右葉と残り35%の左葉の真ん中の奥に小さな?1番地(S1)があって左葉の端にS2、右葉に向かってS3・S4、右葉に移ってS5・S6、時計廻りで上にS7・S8の8ブロック。
前回は8・5から7・6にかけてV字型に大きめにえぐり取った、らしい。そこは間もなく両側から盛り上がる形で見事に修復され今は一本の線が見えるだけになっている。
今回の腫瘍存在部位はS2に25㎜大とS4の奥まった所に19㎜大が「新発」で一個ずつ。
術前の全身評価はクリアだし「手術自体は、難しいものではない。」と言うが、さて、ここから脅しが入る。(笑)
リスクの説明である。

まず、2度目の開腹なので癒着は覚悟。癒着具合は開いてみないと分からない。癒着がひどい場合(S2は切除出来たとしても)大きな血管に近く奥まったS4は大量出血の危険があるので根治出来ずに閉じてしまうことになるかもしれない。
あるいは両方切除出来たとしても胸まで開かなければならないかも知れず、その場合は胸にもドレン管が入る。
(つまり、手術後に体から出てる管の数で手術の様子が分かると言うことだ。1本なら残念。2本で成功。3本なら成功とは言え術後シンドイなぁ…と)

次に肝切除の一般的リスクの説明。再手術が必要な胆汁漏から死に至る肝不全まで危険性は数項目。
輸血や麻酔などの危険要素も加わる。

さて、大事なのはこれらのリスクの捉え方…
手術に臨んで(手術しなきゃいけないんだから仕方ないじゃん)と思ったのは4年前。
これはつまり…まな板にのった…的思考で、自ら何も考えてない状態=(分からないから好きにして)を本音とした捉え方。
開腹手術のダメージも考えず医師への《信頼》を口実に予後も含めて《一方的》に医師に依存し、患者としてはリスクを《負わされた》という立場でしか考えていない。だから、術中・術後の自分自身の有り様に何の責任も負わない。術後の痛みや違和感の原因は医師にあり、それを軽減するための責は当然ながら医師にある、と考える。医師に何とかしてもらえる、と考える。
4年前のぼくがまさにそうだった。
術後状態のイメージも定かじゃないのに医師に特に問いもしないし、患者として心得てすべきことも知ろうとしなかった。(座右の銘が「臨機応変」なのだから当然だけど…笑)

で、今回はそのリスクをどう捉えたか…
まず第一に「2度目の強み!」は否めない(笑)が、何よりも自分の病気に対する知識を得てきたのが大きい。
癌治療ガイドラインで提示される治療法から何を選ぶべきか。選ぶとなるとそれぞれのリスクも吟味せざるを得ない訳で、吟味して選んだ治療法とそのリスクは自分自身で《引き受ける》ことになる、という捉え方になる。

開腹手術のみならず患者として医療に《参加》せざるを得なくなった時に、リスクに対するこのスタンスの違いは予後に少なからぬ影響を及ぼすであろうことを心得ておくべきだし、医師と患者が相互に信頼しあえる医療を願う観点からもとても大切なことではないかと思う。

特に開腹のダメージは(医療技術が進歩しているとは言え)並大抵ではない。
「こんなシンドイんなら手術なんかしなきゃよかった」
なんて思ったら回復力はドーンと落ちてしまう。
自らが引き受けたリスクを心得て、一挙手一投足すべて回復の為と努めなくては!

今回のみならず、この先何回あるか分からない選択と決断の時に、このスタンスは崩さないようにせねば!と思っている。
何よりもぼく自身の為に…。

神様ぁ~~(^_-)v

2008年10月27日 | 病状経過
今回の入院で、朝日がこんなに明るく部屋に差し込む日は初めてヾ(^▽^)ノ
朝の食堂も眩しいほどだった。

また今日の仲畑流万能川柳の秀逸がナイス!
「神様が見えそうなほどいい天気」
(山上秋恵@能美)

今朝ドレンは抜けなかったけど3㎝浅くなったし、下半身シャワーはしたし、とてもいい日だ!