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a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

7月20日(金)のつぶやき

2012年07月21日 | Weblog
17:49 from web 「がん」と言う病に対する社会の意識を変えて行きましょう。 justgiving.jp/c/8323 本番には歩けるかどうかわからいので、先ずはグッツを購入(通院バックにします!) シュウさんのチャレンジにも参加させてもらいました。 p.twipple.jp/S4N9kby kappapa39 on Twitter

ウチダさんのブログ

2007年09月22日 | Weblog
ぼくの著者別蔵書で伸張著しい内田樹さん。
どの本を読んでも、その小気味いい理路の展開と目からウロコ(と、思わせる)着地まで、その言わんとするところのブレのなさ(・・・が、何故かマンネリ化しない)、堂々と「寡聞にして知らない」などと言いながら(ぼくの)知らないことを(ウチダさんの解釈と論拠においてだが・・・)知るのが愉快でハマッている。

ウチダさんの(時として著作原稿となる)ブログに、既読『狼少年のパラドクス』と『下流志向』の「あらすじ」があった。ぼくにとっては(なるほどなるほど、と)腑に落としてからの消化吸収を助ける胃薬。(笑)
勝手ながらリンクして保存することにした。
http://blog.tatsuru.com/2007/09/21_1501.php
ウチダさんのブログの面白さは、類見異見のコメントにもある。

物語は続く・・・

2005年10月17日 | Weblog
本屋さんをぶらつくのがかなり好きだった頃がある。
大型書店があちこちに出来て、その膨大な出版物を目の当たりにしてから
ちょっと食傷気味になってしまって、最近では本はもっぱらネット購入になった。
新聞の広告や雑誌の書評などで決めるのだけど、中にはイマイチのものもある。

やはり本は、実際に手にして、まえがきや、小説なら物語の書き出しやあとがき・解説なんかを読んで、ワクワクしながら持ち帰るのが一番かも知れない。

ネットの普及に比例して世に猜疑深い心が広がりつつあるような気がする。
垂れ流しの情報に振り回される人たちが居て当然の時代だからこそ、
匿名性を排除した本は、重要な情報源であり確かなエンターティメントである。
そして何よりも、
本は、いま目の前にある本は、ウソをつかない。
例え書かれていること自体が嘘八百だろうと、一切のいい訳はないし、
小説ならばラストまで、あらすじのまんま。あはは、当たり前か!(笑)

私は好んで観るテレビ番組が殆どないから、TVの話題には疎い。
かなり、もう(!)かなり前の話題で恐縮だけど「女王の教室」。
娘が「コエェ~!」などと叫びながら観ていたのを垣間見て
(マジかよ、ヤベーんじゃないの?)と思った通り、非難の嵐だったとか。
とは言え、私を含め多くの人は(このまま終わるはずがない、はずだ?)と見続け
やがて賛否拮抗。そして最終回を迎えて反対派は鳴りを潜めた。

TVというメディアがもたらした、善悪まで言及できないけれど、特徴的な現象のような気がする。
個人的には失笑を禁じえない。
単発番組の「この企画にご意見」と物申すならともかく、ドラマ番組に「あの人を殺さないで」と言うのと同レベルだと思うから。
それだけでなく、テレビをよりラジカルな方向に向けてしまうような気がする。
フジやTBS問題のように、ビジネスとしてメディア制空権を得んがための発想の発端には、テレビというものがセンセーショナルに特化することを視聴者が認めているという事実への認識があるように思う。
つまり、視聴者は、そのビジネスにまんまと乗せられているのではないか?
そのフジとTBS、騒動のキーマンは共にネット事業家だというのが面白い。
匿名性を駆使したバーチャルと言われる世界で見事に業を為しながらも、
まだまだITと言われるものに猜疑心をぬぐえない人が多いのも先刻ご承知の筈。
目の付け所はさすがに鋭い。

読書する人は、読後感を大切にして自らの中に蓄える、と言うか、自然に備わる、のかな?
もし途中で嫌気が差した本なら、放り投げる。たとえ何百万部売れた本でも、つまらないと自分が思えば読まない。

いずれにしても、まだまだ物語りは続く・・・
「女王の教室」最終回25.3%!続編へ (スポーツニッポン) - goo ニュース

強さと優しさ

2005年04月16日 | Weblog
強くありたかった。
「自分の強さ」を知らしめたかった。
ひとりの時には自分自身に言い訳しながらも許せるのに、
人前では、そんな自分に我慢ができなかった。
背伸びをした。高いところから見ようとした。
そして語った。とことん語った。後戻りできないくらいに・・・

「話す時には、逃げ道を残しておきなさい。」
誰からか、そう諭された。
(逃げ道?・・・卑きょうじゃないの?)
議論をする時も、子に説教をする時も
相手の退路を断ってしまう方が卑きょうだと言われた。
「他人への優しさ。それは、自分への優しさ。それが強くなる秘訣かな?」

逃げることに目くじらを立てず、
時には、自分自身もエスケープしてみよう。
強くなる為の兵法に“三十六計 逃げるに如かず”が必須だったし、
パソコンだって[Esc]キーが無きゃ不便だもんね。(笑)

blogを始めて、また感動的な出会いがあった。
Sayaさんのアコースティックアルバム「Baby Baby」

♪・・・道に迷ってもいつかは戻れる
なくしたものは後で探そう
今はただ逃げ出そう
走って走って・・・・・・♪


どの曲もとっても素敵。
オンラインショップでも発売されるとか。楽しみです!(^^)v

PS.生きる意味

2005年02月16日 | Weblog
「生きる意味」でエントリーしたヤンキー先生が『何よりも大切に思ってきた生徒たちに,今年度限りで北星余市高校を去るということを告げた。』

複雑な思いで、私はこのコラムを読んだ。
私が思った「現実とのギャップ」「一握りの心ある教師だけでは太刀打ちできない体制」
危惧していたことが、その通りになってしまった感じだけど、
それにしても、
『何よりも大切に思ってきた生徒たち』の前からさえ去ろうとまで決心させたのは何?
『私が企業人だったならば,このような妬みにも似た声と徹底的に戦う道を迷わず選んだだろう。』つまり、教師だから学校のためを考えてこれ以上(学校=『教育現場』での)自己主張はしない・・・ってことなんだろうか?

人が社会に向けてメッセージを発信する時、その人が、今どういう地べたに立ってモノを言っているかということが、とても大事だと思う。
彼の場合、過去と現在を洗いざらいぶちまけた上で『教育現場』から発信してきた。
その実践や論じ方、発信方法に賛否両論があって当然!だと思うし、むしろ無い方がおかしいとも思う。しかし彼には『教育現場』という、しっかりした地べたがあったのだ。
彼が発するメッセージへの支持は、上記のコラムに寄せられた数多く好意的なコメントやトラックバックでも証明できるだろう。
汗や涙や泥にまみれて生徒と向き合うヨシイエが語ってくれる本音の言葉に、
ヨシイエが『やっと出会えた“母”』と思ったのと同じように感動した人が多いからではないだろうか?
そしてその多くの人たちが、これからのヨシイエに望んでいることも矢張り『教育現場』なのだと思う。
が、そのヨシイエは『これからのことはまったく白紙』のまま現場を去ってしまう。。。

ヨシイエの退職を、娘にどうコメントしようか悩みながら(・・・まわりの大人たちが悪かったから・・・と言えばいいのかい?)「生きる意味」とまで書いてしまった『不良少年の夢』の作業が、ここで途切れてしまわないことを切に願うしかない。

『夢は逃げていかない。自分が夢から逃げていくのだ。』

エールを送りたいblog

2004年11月23日 | Weblog
鬱患者は弱者。癌患者は強者なのじゃ。ワタシはプラスマイナスゼロなのだ~。なかったことにしてくれ~。
ビビッときて、全ての記事を読ませてもらって、
sayaさんの素直さにひきつけられてしまいました。
黙ってられなくてトラックバックさせてもらいます。

実は私も重複患者(?)になるのかな、身障者手帳の交付を受けてるし・・・
でも、どっちも、今は治療していない。定期的な検査だけ。
それでもって、勝手な屁理屈ばっかり書いてる。自分自身を素直に見てない!と反省。(>_<)