a lively time

ハラハラドキドキ、ワクワクソワソワの毎日。

物語は続く・・・

2005年10月17日 | Weblog
本屋さんをぶらつくのがかなり好きだった頃がある。
大型書店があちこちに出来て、その膨大な出版物を目の当たりにしてから
ちょっと食傷気味になってしまって、最近では本はもっぱらネット購入になった。
新聞の広告や雑誌の書評などで決めるのだけど、中にはイマイチのものもある。

やはり本は、実際に手にして、まえがきや、小説なら物語の書き出しやあとがき・解説なんかを読んで、ワクワクしながら持ち帰るのが一番かも知れない。

ネットの普及に比例して世に猜疑深い心が広がりつつあるような気がする。
垂れ流しの情報に振り回される人たちが居て当然の時代だからこそ、
匿名性を排除した本は、重要な情報源であり確かなエンターティメントである。
そして何よりも、
本は、いま目の前にある本は、ウソをつかない。
例え書かれていること自体が嘘八百だろうと、一切のいい訳はないし、
小説ならばラストまで、あらすじのまんま。あはは、当たり前か!(笑)

私は好んで観るテレビ番組が殆どないから、TVの話題には疎い。
かなり、もう(!)かなり前の話題で恐縮だけど「女王の教室」。
娘が「コエェ~!」などと叫びながら観ていたのを垣間見て
(マジかよ、ヤベーんじゃないの?)と思った通り、非難の嵐だったとか。
とは言え、私を含め多くの人は(このまま終わるはずがない、はずだ?)と見続け
やがて賛否拮抗。そして最終回を迎えて反対派は鳴りを潜めた。

TVというメディアがもたらした、善悪まで言及できないけれど、特徴的な現象のような気がする。
個人的には失笑を禁じえない。
単発番組の「この企画にご意見」と物申すならともかく、ドラマ番組に「あの人を殺さないで」と言うのと同レベルだと思うから。
それだけでなく、テレビをよりラジカルな方向に向けてしまうような気がする。
フジやTBS問題のように、ビジネスとしてメディア制空権を得んがための発想の発端には、テレビというものがセンセーショナルに特化することを視聴者が認めているという事実への認識があるように思う。
つまり、視聴者は、そのビジネスにまんまと乗せられているのではないか?
そのフジとTBS、騒動のキーマンは共にネット事業家だというのが面白い。
匿名性を駆使したバーチャルと言われる世界で見事に業を為しながらも、
まだまだITと言われるものに猜疑心をぬぐえない人が多いのも先刻ご承知の筈。
目の付け所はさすがに鋭い。

読書する人は、読後感を大切にして自らの中に蓄える、と言うか、自然に備わる、のかな?
もし途中で嫌気が差した本なら、放り投げる。たとえ何百万部売れた本でも、つまらないと自分が思えば読まない。

いずれにしても、まだまだ物語りは続く・・・
「女王の教室」最終回25.3%!続編へ (スポーツニッポン) - goo ニュース