まぁナンでございますね。
「死ぬ死ぬ」と騒いでた人が案外長生きしたり「死ぬもんか!」と言い張りながらポックリ逝っちゃう方もおりますですね。どちらにいたしましても、また、その死にかたの幸不幸と申しますか、不本意な突然の事故死から大往生まで様々ではありますが、人が死ぬということに関しましては“絶対”という言葉が堂々と使えるほどに確かなことでございますですよね。
人が死ねば当然のこと常識的に葬式が執り行われてきた訳でござますが、今日日の、ナンと申しましょうか、価値観の多様化とも経済の梗塞的不景気のせいとも言われておりますが、お葬式を見直そうなんて輩の話題が取り沙汰されておりますですね。
葬儀屋さんなんぞも家族葬やらなんやら小さなお葬式の新企画を盛りだくさん売り出しておられますから、まぁ時代の趨勢なのでございましょうね。
確かに、かく申すわたくしめもこれまで数知れずの葬儀に出向き、あるいは喪主なども務めた経験から、お葬式とはナンだろべか?と考えさせられることが多々ございましたでございますよ。でもってですね、ここで改めましてお葬式について考えてみたいなどと考えたのでございますよ。
その切り口なのでございますが、これが結構難しいのでありまして、フツー亡くなった親族を送るために遺族がどーゆーふーなお葬式をしようか?という、あるいはどーするのが妥当なのかとのお話しになると思われるのでございますが、わたくしめはナント、わたくし自身の葬式を如何せん?という下心ゆえ、長丁場の論考も覚悟の上で思いをめぐらせてみたいと思うのでございます。はい。
では、そろそろ始めさせていただきますです。
まずはお葬式の意味づけから参りますか。
古来、人間は対象喪失のショックと
悲しみをくぐりぬける方法として、
みごとな宗教的儀式を慣習化してきた。
仏教で言えば、通夜、葬式、埋葬(納骨)、初七日、三十五日、
四十九日、一周忌、三回忌・・・等々である。
そうした「喪の作業」を一つひとつ経るにつれて、
愛する人の死という現実を受け入れ、
悲しみを胸の奥に秘めつつも、
日常を生きる心の平静を取り戻していく。
(柳田邦男『僕は9歳のときから 死と向き合ってきた』)
宗教行事が日常的だった大家族の形態が維持されていた頃はでございますね、こうしてグリーフ・ワーク(悲嘆を癒やす仕事)は葬式によって充足されていたのでございましょうし、送る側の根っこを想えば今もそうなのかもしれないなぁ~とは感じられますですね。
「正しい葬送儀礼を行わないと死者が祟る」という論もございます。
正しい喪の儀礼とは、
「死者があたかもそこに臨在しているかのように
生者たちがふるまう」ことなのである。
手を伸ばせば触れることができるように、
語りかければ言葉が届くかのようにふるまうことによって、
はじめて死者は
「触れることも言葉が届くこともない境地」に立ち去る。
死者に向かって
「私たちはいつでもあなたとコミュニケーションできるし、これからもコミュニケーションし続けるだろう」と誓約することによって、
死者は生者たちの世界から心安らかに立ち去るのである。
(内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』)
死んじゃうちょっと前の昏睡の中でも耳は聞こえているのではないかと言われておりますですし、わたくしめもそのように思うのではございますが、息をひきとった後は分からないでございますよね。
でも逝くときに、言葉が届いているという安心感?は何となく分からないでもない気がしますですね~。
祟りとといえば、葬式無用論者の白洲次郎は
死の五年前に残した遺書が、
一、葬式無用
一、戒名不用
であった。
これが彼の遺言のすべてで、生前の白洲は、
知りもしない人間が義理で葬式に来るのを嫌い、正子夫人に
「葬式をしたら化けて出るぞ」と脅かしていたという。
(島田裕巳『葬式は、要らない』)
何も告げずに逝く人よりも我が身の死後の段取りまで語る御仁のなんと怖ろしいことか!(笑)
白洲の葬儀は遺族の酒盛りだけで、さらに正子夫人が亡くなったときも葬式や告別式は行われなかったそうでございますですよ。
死んだら遺族にお任せすりゃぁよござんしょ、という気持ちもなきにしもなのではございますが、死ぬ時ぐらい、しかも死が予想できる境遇にある身の上を考えますれば、人生のフィナーレのプランを練ることを楽しむってのもアリではございませんか。
もちろん、そうならなかったからといって「化けてでる」という罰当たりなことをするつもりは更々ございませんが!はい(笑)